カテゴリー「ドキュメント」の48件の記事

2007.07.06

アサヒグラフ 1952年8月6日号 原爆被害の初公開

 1952年4月28日サンフランシスコ講和条約が発効し、GHQによって布かれていたプレス・コード「日本に与える新聞遵則に関する覚書」が解かれた。このプレス・コードでは原爆に関する報道も規制の対象としていた。アサヒグラフの1952年8月6日号は「原爆被害の初公開」とタイトルされ、初めて日本国民に広島・長崎の両原爆の惨状を知らしめることとなる。

 この号については以前にすでに入手済であったが、それは特別増刷版だった。今回、入手したのは第一刷版である。第一刷は表紙がカラー印刷だった。売れ行きがよく、増刷が行われたのだが、カラーでは印刷に時間がかかるということでモノクロで行われたようだ。歴史的な一冊ということで、このカラー表紙版をヤフオクで改めて落札した。落札価格は500円(+送料180円)。カラーインクがコーティングとして保護しているのか、モノクロのものよりも紙の状態がよい。

 久しぶりに読み直していて目についたのが、ジョン・ハーシー『ヒロシマ』(46)で取材を受けた6人の当時の写真と簡単なインタビューだった。『ヒロシマ』を読んでいなければ、何のことかよく判らないが、読んだ後であると実に真実味のある価値の高い2ページであると知る。
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2007.06.28

イギリス・テムズTV『秘録 第二次世界大戦 The World of War』(73-74)

 本当に衝動買い。中古をオークションで入手したのだけども、ひと月の小遣いを完全に使い果たす額。まぁ、ボーナス月らしいから良いとしよう。

秘録・第二次世界大戦 DVD-BOX
秘録・第二次世界大戦 DVD-BOX

形式: Black & White, Widescreen, Dolby
言語 英語, 日本語
画面サイズ: 1.78:1
ディスク枚数: 10
販売元: 東北新社
DVD発売日: 2005/12/22

 1973年から74年にかけて英国のテムズTVが第二次世界大戦とは何だったのかを明らかにすべく製作したTVドキュメンタリシリーズ。1話52分で全26話で構成されている。全10巻あり、本編が7巻で1352分(22時間32分)、特典が3巻で683分(11時間23分)といった具合なのでそうそう簡単にすべてを観ると云うことにはならないだろう。

 とりあえず数話分を見てみるが、作りが濃い。当時のフィルムにインタビューを交えて構成されているが、まだ戦後30年ほどであり、インタビューも生々しい。ドイツについては『ヒトラー ~最期の12日間~ DER UNTERGANG』の原作でもある『私はヒトラーの秘書だった』の著者であるトラウデル・ユンゲもインタビューに応じている。この人はこの時すでに50歳ほどになっているのだが、妙に美人さんである。まだ見ていないのだが、特典ディスクにおいてもインタビューの様子が収録されているようだ。

 延々と戦争の様子が描かれる訳だが、どうして人間はここまで殺し合いに駆られるものなのだろうかと思ってしまう。まぁ、ヨーロッパ戦線は直接的な侵略が関ってくるから、攻める方はまだしも防ぐ方はどうしても戦いを選択しなければならない。それは理解できる。日対米がメインの太平洋戦争(大東亜戦争ではなく)は真珠湾もあって理解の範疇なのだけども、わざわざさらに海を渡ってヨーロッパにて参戦するというのがどうしても理解を超えているんだよなぁ。

 とにかく人間がバタバタ死んで行くし、兵士は死ぬことが前提の戦争というのをも一回確認することも大切だと思う。防衛のための戦闘でもそれを良しとするのは、ある意味、国が死刑宣告を好んで受けよというものに近い。善良な意識でそれが行われるのならまだしも。

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2007.06.10

『医師たちのヒロシマ―原爆災害調査の記録』(91)

 昨日紹介した柳田邦男の『空白の天気図』に出てくる枕崎台風で遭難した京大物理学研究室をメインに結成された京都大学原子爆弾災害綜合研究調査班の参加者や遺族らの手記等による著書。

医師たちのヒロシマ―原爆災害調査の記録
医師たちのヒロシマ―原爆災害調査の記録

核戦争防止・核兵器廃絶を訴える京都医師の会「医師たちのヒロシマ」刊行委員会 (著)
286ページ
出版社: 機関紙共同出版 (1991/06)
言語 日本語
ISBN-10: 4876680760
商品の寸法: 18.6 x 13 x 2 cm

 これを読むといかに柳田の取材が詳細なものだったのかがよく判る。遭難の始終については柳田の描写の方が全体を知ることになるだろう。

 それ以外に初めて知ることなったのが、GHQの検閲の厳しさである。GHQは原爆のむごたらしさを世界に知られないようにするため、原爆症の診療に関する情報をすべて発表してはならぬという厳しい制限をかけたようだ。医療とは情報の積み重ねによって発展するものであるが、こういった制約あったため、原爆症にかかる医療はなかなか発展を見ることができなかった。日本で原爆障害について自由に学会でやりとりできるようになったのは1952年になってからのことだった。

 思わず米国のやり方に憤りを感じた。ABCC(原爆傷害調査委員会)はしこたま被爆者の検査は行うものの、一切の治療は行わなかった。日本人は完全にモルモット扱いされたのである。しかも、自らが研究を行い、新しい医療を試みようとしても事実上すべて阻害してきていたのである。改めて戦勝国のえげつなさを知ることにもなった。

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2007.06.09

柳田邦男『空白の天気図』(75)

 あたしの愛読書である柳田邦男の文庫本版『空白の天気図』がどこかに埋もれてしまって、見当たらない。おそらくそこいらを掻き分ければ出てくるんだろうが、オリジナルの単行本版も欲しくなり、ヤフオクで落札。1,050円(+送料290円)だった。

空白の天気図
空白の天気図

柳田 邦男 (著)
単行本: 273ページ
出版社: 新潮社
1975/09/10

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 このドキュメンタリ著書は非常に刺激的である。広島地方気象台を舞台に、原爆の投下されたあの日から、その翌月、広島県を中心に甚大な被害をもたらした枕崎台風までの気象台員たちの様子が詳細に再現される。また、枕崎台風では原爆の調査で広島入りしていた京大の物理学教室の研究者たちも土石流に遭い、幾人もが命を失くしている。

 未曾有の歴史の出来事の裏での台員、科学者たちの活動は恐ろしく地道である。しかし、スペシャリストとして職を全うしようとする姿は非常に誇らしい。

 原爆罹災、台風遭難といった陰惨な背景を持ちながらも、このノンフィクションが何かしらすがすがしさを持つのは上記のような理由によるだろう。原爆の悲惨さは様々な手記等から知ることができるが、その戦災を受けた状態でどのような活動、生活をしていたのかはあまり知らない。そういう中でこの測候業務をそれまでと同じように続けようとする台員の日常が描かれ、それを知るというのは非常に貴重なものではないかと思う。

 ノンフィクションの中でも非常に優れたもので、数年に一度は必ず読み返す一冊。古本での入手も可能だが、文庫本版も残念ながら絶版になっているようだ。

空白の天気図
空白の天気図

柳田 邦男 (著)
文庫: 443ページ
出版社: 新潮社
(1981/07)

 ちなみに今回入手した単行本は32年前の初版本でそんなに傷みもないものだったが、とにかくかび臭い臭いが強烈だった。中古のLPでかび臭いものは比較的多いのだが、書籍でこんなにひどいものは初めてである。半日日陰で虫干ししたが、ページを捲るともの凄い臭いが舞い上がる。虫干しも1ページずつ繰りながらやらないと、こういったものには効果がなさそう。

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2007.03.04

植田実・鬼海弘雄(写真)『集合住宅物語』(04)

 先日バックナンバーを入手した雑誌『東京人』との接点は、それが初めてではなかった。どうやら、以前にに入手していた本が、この『東京人』の記事を編集して単行本にしたものらしかった。

『集合住宅物語』(04)
集合住宅物語

植田実・鬼海弘雄(写真)
単行本: 348ページ
出版社: みすず書房 (2004/3/1)
21.2 x 15 x 3 cm

 写真集『PERSONA』に強いインパクトを受け、鬼海弘雄という写真家に興味を持ったのだが、この本も鬼海が写真を担当しているということで購入したものだ。鬼海の写真は決してフォトジェニックではなく、いわゆる美しさというものはないのだが、それでもどこかずれた視線というのが何とも言えない。同じものが目の前にあったとしても、この人と同じ写真は絶対に撮れないと思う。

 鬼海の写真目当てに買った本だが、鬼海の写真は当然、内容も素晴らしかった。既存する集合住宅について紹介されるのだが、長く住宅に関ってきた植田実による住宅の様相、ライフスタイル、住宅に纏るエピソードは限られた誌面ながら奥行をもって語られ、集合住宅のあり方の考察のヒントとしてくれる。集合住宅は当然、東京のものに限られているが、戦前のものから戦後のものまで39の建築物について触れられている。1997年4月から2001年3月号までの記事であり、当時まだ多くが現存していた同潤会アパートのことを詳細に知るに至った。

 東京のことはまったく判らないので、住宅そのもの、また、どのあたりのことなのかまったく見当がつかないのだが、それでも状況の想像が可能であり、十分に楽しむことができるものになっている。まだ3年前のものだが、絶版になっている可能性があるようだ。この手の良質な書籍がすぐに絶版になるのは残念で仕方ない。

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2007.03.03

マルク・ブルディエ『同潤会アパート原景―日本建築史における役割』(92)

 フランス人、マルク・ブルディエによる同潤会アパートメントに関する研究論文。財団法人同潤会の設立から詳細に語られる。

同潤会アパート原景―日本建築史における役割
同潤会アパート原景
―日本建築史における役割

マルク・ブルディエ (著)
出版社: 星雲社 (1992/8/10)
265ページ

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 この書籍が発行された時点では同潤会アパートメントだけを取扱った単行本はなかったという。途中、アパートメントの建設時の設計図青写真が30ページに渡って掲載されているのが興味深い。ただし書籍が新書判であるため、縮小が大きいのが残念。

 まだ初めの数十ページしか読んでいないが、同潤会アパートメントの基本的な背景を理解するのには欠かすことのできない一冊ではないかと思われる。帯にひと工夫があって、16のアパートメントの基本データの一覧表になっている。

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2007.02.24

橋本文隆・内田青蔵・大月敏雄(編集)兼平雄樹(写真)『消えゆく同潤会アパートメント』(03)

 先日購入した『Design of Doujunkai 同潤会アパートメント写真集 ― 甦る都市の生活と記憶 ―』に続く同潤会アパートメント関連の書籍。軍艦島のアパートもそうであるが、この同潤会アパートメントも生活文化というもの考慮したうえで建設されているので非常に興味深い。現在の集合住宅が箱形の、コストだけをもとに、衣食住のスペースさえ確保できればよいと云う考えのうえで作られているのに比べ、先のものがいかに人間本位であったか。軍艦島については環境のあまりの厳しさに対する工夫ということもあったろうが、それでも何とはない暖かみのある生活が見えてくる。

消えゆく同潤会アパートメント<br />
 同潤会が描いた都市の住まい・江戸川アパートメント
消えゆく同潤会アパートメント
同潤会が描いた都市の住まい・江戸川アパートメント

橋本文隆・内田青蔵・大月敏雄(編集)
兼平雄樹(写真)
新書: 159ページ
出版社: 河出書房新社 (2003/12/13)

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 この書籍でメインで取り扱われているのは同潤会が最後に手掛けたコンクリート造アパートであり、昭和9年に完成し平成15年に取り壊された江戸川アパートメントである。このアパートは同潤会アパートメントの集大成的な存在であり、それ以前のものとは工夫の凝らされ方が異なり、随分複雑なものになっている。中庭を挿んで1号館・2号館とあり、家族向126戸、独身向131戸、店舗その他向4戸という構成なのだが、同じ構成のものが単純に配置されているのではなく、いろいろなスタイルのものが混在して作られている。それらの幾つかのパターンが見取図と写真を添えて詳細に解説されている。

 すべてを読み終えていないので、どうしてこんなにこだわりをもってこのアパートが作られたのかはまだ理解出来ていない。しかし、家賃は高価であり、高収入でなければ入居できなかったようだ。今でいうデザイナーズマンションといったところだろうか。結局、著名人が多く入居し、文化人アパートと呼ばれることになったようだ。

 それにしても書籍の内容が素晴らしい。見取図と写真をもとにした解説は、もともとこのアパートの住民であり建築が専門の橋本文隆によるもので、実際の体験および専門家としての見解が交じるもので堅苦しくこそないものの非常に洞察のあるものとなっている。誌面が許すのならもっと詳しいことが聞けるのに、といった感じだ。住宅に興味のある人ならぜひ一度は読んでみることをお薦めする。

 住まいということの考察をせずにいられなくなる一冊である。

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2007.01.08

論文

 オークションで『阪神・淡路大震災誌』という本が出品されていたので、落札してみた。落札価格1,500円(送料450円)とそう高価でもなかった。

阪神・淡路大震災誌―1995年兵庫県南部地震
阪神・淡路大震災誌―1995年兵庫県南部地震

朝日新聞大阪本社「阪神・淡路大震災誌」編集委員会
単行本: 733ページ
出版社: 朝日新聞社 (1996/02)
ASIN: 402219801X
サイズ (cm): 26 x 19

 震災の翌年に出された本で、各専門の学者の著述したものを纏めている。ほとんど論文である。

 論文的論文を読むのは久しぶりだが、本当に読みにくいこと。学者さんはこういったレトリックに慣れているかもしれないが、一般人が文章として読むと小馬鹿にしているのかと思えたりもする。「次に○○について見てみよう」とかという表現が散らばっており、レトリックとしては中学生並のものである。まぁ、論文は内容が主体で表現方法、レトリックについては二の次なのかもしれないがやはりお粗末でみていられない。

 この震災についてまともな報道があったのは最初の1年くらいで、その後はすっかり忘れられたものになってしまった。VTRで震災についての特集報道を撮りためていたのだが、すぐに見ることができなくなってしまった。

 そういえば震災後の神戸には行っていない。神戸には親戚もおり、馴染みの街だったが、妙に埃くさいという印象が強かった。少しは変ったのだろうか。

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2007.01.07

建築資料研究社『Design of Doujunkai 同潤会アパートメント写真集 ― 甦る都市の生活と記憶 ―』(00)

 同潤会アパートメントとは、関東大震災後、住宅供給を目的として設立された財団法人・同潤会によって建設されたものを称する。それまでの住宅は木造であったことから震災での被害は大きく、鉄筋コンクリート造による住宅の供給が必要と考えられ、1924年に設立された同財団は、翌年1925年8月から鉄筋コンクリート造のアパートの建築を開始する。そうして、東京・横浜に同潤会アパートメントが次々と建てられることになる。しかし、鉄筋コンクリート造によるアパートの建設は費用がかさむことから、1934年竣工の江戸川アパートメントを最後に、同潤会は木造平屋建の分譲住宅のみを供給するようになった。

 あたしは地方住いなのでこの同潤会アパートメントというものの存在はほとんど知らなかった。

Design of Doujunkai 同潤会アパートメント写真集 ― 甦る都市の生活と記憶 ―
Design of Doujunkai
同潤会アパートメント写真集
― 甦る都市の生活と記憶 ―

単行本(ソフトカバー): 218ページ
出版社: 建築資料研究社
(2000/07)
ASIN: 4874606431

 この写真集では青山アパートメント・清砂通アパートメント・上野下アパートメント・大塚女子アパートメント・三ノ輪アパートメント・虎の門アパートメントの6つの同潤会アパートメントが取り扱われ、387点の写真が納められている。写真集の発行から既に7年が経ち、築80年にもなろうかという同潤会アパートメントは2006年現在上野下アパートメント、三ノ輪アパートメントしか残っておらず、この写真集で見られる大半の光景はもう実際に見ることはできなくなっている。

 大正末期から昭和初期にかけて造られたアパートはモダンな装飾が施され、造形的にも美しい。さらにそれに年期が加わり、なんとも云えぬ成熟した佇まいを見せる。アパートが家賃回収のみでは経営できず、やがて木造建築住宅に変更しなければならなかったのも頷ける。このアパートには裕福な医師や代議士も入居していた。

 見た目の意匠が目につくのだが、居住空間を意識して設計されていることも、現在の素っ気ない単なる箱の集合住宅とは異なる。採光と子供のために設けられた中庭。通りに面した表と中庭の中との佇まいは違った趣きを持つ。女子アパートでは屋上にサンルームや音楽室も設けられていた。

 今の集合住宅では生活が感じられない。あたしが今住んでいるところも、玄関のドアを開けるとひっそりしていて、まるでホテルの廊下に出たのだろうかという気分に襲われる。すでに5年も住んでいるところだが、そういった印象は変らない。同潤会アパートメントの佇まいからは人間の住んでいる様子が伺われる。いつからこういった生活を隠蔽してしまうといった建物に住むことを良しとし始めたのだろうか。同潤会アパートメントの写真集を眺めていて感じることは多い。

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2006.11.09

『NHKスペシャル 長崎 よみがえる原爆写真』(95)

 もしかすると写真家は「その写真に写っているものがすべてだ」という言い方をするかもしれないが、長崎で山端の撮ったものは、撮られた彼らにとってはほんの始まりにしか過ぎなかった。

 西部軍報道部に属していた写真家の山端庸介は、長崎に原爆が投下された日、長崎に出向き、その「新型爆弾」による被害を記録するよう命じられる。山端は8月10日の午前3時から午後5時の14時間長崎に滞在し写真を撮る。その写真は52年北島宗人・編集/山端庸介・写真『記録写真 原爆の長崎』として発表される。この写真集に掲載された被爆翌日の写真は54枚。親族が保管している写真はオリジナル・ネガ66枚、複製ネガのみが33枚で当日100枚以上撮影されていたと言われた中の99枚しかなかった。

 米国で原爆投下50年目の95年に山端の写真展を開催するという企画が持ち上がる。「長崎・ジャーニー」である。保存状態の良くなかったネガフィルムの修復が行われ、山端の写真が蘇る。この企画を知ったNHKディレクターが、山端の行程を順に追い、あの日の惨状を明らかにする番組NHKスペシャル「長崎 映像の証言~よみがえる115枚のネガ~」(95年8月9日放送)を製作する。取材中に日本写真協会でのネガ6枚、米国『ライフ』でのプリント5枚、米国立公文書館でのプリント1枚、共同通信社でのプリント1枚が新たに発見され、それまで撮影場所が不明だったところが特定できるなど、いくつもの発見があった。そうして山端の撮った長崎原爆の惨状写真は115枚となった。

NHKスペシャル 長崎 よみがえる原爆写真
NHKスペシャル
長崎 よみがえる原爆写真

NHK取材班 (著)
単行本: 261ページ
出版社: 日本放送出版協会 (1995/08)
サイズ (cm): 21 x 15

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 この書籍はNHKスペシャル「長崎 映像の証言~よみがえる115枚のネガ~」を書籍化したものだが、NHKの取材には頭が下がる。山端の写真で生きている人物の写っているものはことごとく誰なのかを調べようとするところから始まり、その日のこと、その後のことについての証言を得る。対象とされた主な写真は、
  ラッキーガール
  さまよう兄弟
  おにぎりを持った親子
  トラックの側の負傷者
  立ちすくむ少女
  救護する看護婦
  お乳をあげる母
である。ここに写っている本人もしくは遺族に出会い、貴重な証言を得ている。そうして、その時までごく普通の生活(戦時下ということもあるが)を送っていたが、瞬時に一転してしまった。そうして、その後を苦労して生きてきていることが、明らかになる。

 写真で原爆の凄惨さは十分に判るが、その本当の苦しみとは何かということは、彼らの証言無くしては判るまい。写真に写った主を探し出し、証言を得ていったHNK取材班の努力によってより鮮明に戦争というものの凄惨さが明らかになる。

 Amazonのマーケットプレイスにて定価2,000円(税込)を2,237円(+送料340円)で入手。

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