カテゴリー「文化・芸術」の258件の記事

2009.03.22

フジテレビ開局50周年記念ドラマ特別企画 黒部の太陽

 昨日今日と2夜ちゃんと見たのだが、まぁ、期待はしていなかったが、思っていた通りの出来になっていた。

 まずトンネル掘削工事の親方を香取慎吾が演じられると思っていることが不思議でならない。多少元気はあるかもしれないが、ああいう坊っちゃんにやらせることが妥当と判断した制作サイドの良識を疑う。10億という制作費をドブに捨てるのはどうしたものか。「クライマーズ・ハイ」のようなNHKドラマを見ていると民放ドラマのいかにも商業主義的なところが鼻について仕方ない。開局50周年記念などというものを冠して、劣悪なものを作るのはどこの局かよく覚えておくとしよう。

 このダムは高校の修学旅行で行ったことがある。近場にもダムがあるのだが、それとは比べようのない大きなものだった。こんなものを山を切り拓いて道を作るところから始める人間には恐いもの知らずと云うことで本当に恐れ入る。

 ということで、戦前の黒部第三発電所に係るトンネル掘削を題材にした、こちらを発注。

高熱隧道
高熱隧道

吉村 昭 (著)
文庫
出版社: 新潮社; 改版版
ISBN-10: 4101117039
ISBN-13: 978-4101117034
発売日: 1975/10
商品の寸法: 14.6x10.6x1.2cm

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2008.05.14

リバーダンス

 もともとタップダンスは好きで、一般的に駄作と云われているもの、コッポラの『コットンクラブ』のラストのタップシーンなんて固唾を呑んで見ていたものだが、アイリッシュダンスはさらに上を行くかもしれない。基本的にタップダンスなのだが、常に上半身は直立不動であり、その佇まいが実に優雅なのである。

ベスト・オブ・リバーダンス
ベスト・オブ・リバーダンス

出演: ジーン・バトラー, マイケル・フラットレー
形式: Color, DTS Stereo, Widescreen
ディスク枚数: 1
販売元: コロムビアミュージックエンタテインメント
DVD発売日: 2008/05/14
時間: 204 分

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 ひとステージ、長くても10分程度なのだが、運動量としては凄いのだはないかと思う。あまりにも足の動きが早いので、ただただ優雅に宙に浮いているようにみえる時もある。とにかく凄いとしか云いようがない。

 バックミュージックのアイリッシュ音楽も申し分ない。

 本編をざっと見ただけだが、しばらくBGVになるかも知れない。

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2008.02.24

金森達『金森達SFアート原画集』(08)

 少年少女講談社文庫(の「地球最後の日」の表紙、さし絵を担当した金森達の原画集を買う。

金森達SFアート原画集
金森達SFアート原画集

金森 達 (著), 大橋 博之 (編さん)
単行本: 175ページ
出版社: ラピュータ (2008/01)
ISBN-10: 4947752815
ISBN-13: 978-4947752819
商品の寸法: 21x15.2x2cm

(表紙を拡大)

 前半はコンビを組んだと云う光瀬龍作品の挿し絵を年代順に集め、後半ではその他の作家に対するものが同じく年代順に集められている。

 個人的には不満かなぁ。何とはなくだけど、中途半端な感じがしてならない。初めての作品集ということらしいのだが、確かに40年に渡る活動というのは長いもので、作品も膨大なものになるのだろうけど、見るからに駆け足でじっくりと鑑賞するには至らない。

 しかしこの人のイラストというのは統一された色づかいが見事で、また詳細が省略されることで奥行きを齎せる。小さなひとつのカットで壮大なドラマを作り上げると云う技術にはやはり驚かされる。

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2008.01.29

舟越桂『立ちつくす山 Mountain Standing Still』(01)

 『森へ行く日 THE DAY I GO TO THE FOREST』(92)に続く、舟越桂の二番目の作品集を入手。前作が92年までの全作品を収録し、今作ではそれ以降の00年までの全作品を収録している。

立ちつくす山―舟越桂作品集
立ちつくす山―舟越桂作品集

舟越 桂 (著)
大型本: 159ページ
出版社: 求龍堂
ISBN-10: 4763001086
ISBN-13: 978-4763001085
発売日: 2001/03
商品の寸法: 29.6 x 22.6 x 2 cm

(表紙を拡大)

 『遠くからの声―舟越桂作品集』(03)(豊浦正明(写真))と異なって第一作品集と同様、ストレートな写真で構成されている。やはり作品をキチンと鑑賞するのには変な細工があってはダメである。一連の作品を知るのにはやはりベストな資料だろう。

 ドキュメンタリ映画・藤井謙二郎『≒舟越桂 near equal funakoshi katsura』(04)で舟越本人が語っていたように、90年代半になると、それまでモデルに対して忠実な再現を行っていたものが、イメージを具現化した抽象的な表現も可能であると、多様性を持ち始める。顔に対する表現は相変らずリアルなものなのだが、顔の後ろにも顔があるとか、二つの頭が並ぶ、また、腕がパーツとして寸断された状態で取り付けられるといった実に抽象的な様相を持つ。映画では、その不可解なイメージに対して「一応、理屈は判っているんだ」と云っていたが、それでも全部が全部、意味として把握できていないものもあるようだった。

 表現において制限と云う枷がなくなれば、作者には新たな価値を作ることが楽に出来るかもしれないが、あたしとしてはどちらかと云えば、抽象に走り始めた舟越の作品はあまり好みでなかったりする。簡略化された体とリアルな顔というスタイルが非常に面白く、その制限の中で微妙に個性を光らせると云う技術が好きだったのだが、あまり自由になられるとイメージの世界に逃げ込むような感じがあって、下手すると興醒めしなくもない。随分と微妙な領域に入り込んでしまったな、と思ってしまうのである。

 まぁ、作品は作者によって作られるものだから、こちらはそれを静かに観ているしかない。

 もうしばらくこの人の作品を探ってみようと思う。

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2008.01.27

KATAN DOLL RETROSPECTIVE THE BOX <DVD付>(KATAN RETRO BOX)

 先日の『KATAN DOLL THE BOX』に続いて注文していた『KATAN DOLL RETROSPECTIVE THE BOX <DVD付>』が届く。まぁ、安くはないが、気になるところがあるから仕方ない。

 これは1992年刊の『KATAN DOLL RETROSPECTIVE―天野可淡作品集』の復刻改訂版にあたるが普通版はソフトカバーで、この特装版は本体がハードカバーで函がついている。この写真が函になるのだが、可淡の描いた画がデザインされたものだ(クリックで表紙・背表紙・裏表紙を表示)。また、写真を撮った吉田良による作品解説・特典ブックレット「天野可淡の宇宙」と1995年にリリースされた150枚の写真を収めたCD-ROM写真集「カタンドール 天野可淡人形作品集」をDVDに再編集した特典DVD「KATAN DOLL DVD」が付く。

 この特装版は復刊ドットコムや出版元のエディシオン・トレヴィル等でのみ、入手可能となっている。

カタンドール・レトロスペクティヴ―天野可淡人形作品集
カタンドール・レトロスペクティヴ―天野可淡人形作品集

天野 可淡 (著), 吉田 良 (写真)
単行本: 223ページ
出版社: エディシオン・トレヴィル
ISBN-10: 4309907555
ISBN-13: 978-4309907550
発売日: 2007/12
商品の寸法: 24x18.4x2.6cm

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2008.01.22

藤井謙二郎『≒舟越桂 near equal funakoshi katsura』(04)

 製造元でしか発売していないんかな、通販では全く流通していないドキュメンタリ映画のDVDをオークションで落札する。

 「≒(ニア・イコール)」という変った芸術家を追うドキュメンタリシリーズがあるらしく、「≒森山大道」、「≒会田誠」に続く第三弾が、この「≒舟越桂」である。

 先に買った書籍でみる舟越の顔は怖い。三島由紀夫の眼つきを悪くしたような感じで、残念ながら写真でみる限りは神経質そうな印象が否めない。

 ドキュメンタリは一体の人形を作り始めて完成するまでを追う。純粋な製作期間は1月くらいだったけかな。日付がクレジットされる。完成して、タイトルがつくまでにもうしばらく。その間の様子が1時間40分に渡って描かれる。

 舟越は気さくによく喋る。顔は怖くなくはないけども、口笛を吹きながら彫っているのをみると単なるおっさんにしか見えない。

 あの人形の作成過程も興味深いし、また、舟越の気楽な喋りもなかなか奥が深い。あの印象深い目の作り方や、頭の形のとり方については驚きがある。とにかく彫って彫っての作業ばかり。いやはや、お疲れ様だと思う。

 作っている姿は本当に作業姿。疲れるとTVを眺めたり、全然特殊ではない。舟越桂・豊浦正明(写真)『遠くからの声―舟越桂作品集』(03)は?

 とにかく肩に力が入らず、でも引込まれるようにして見入ってしまった。ラストの舟越氏のスケボー技。驚いた。本人曰く、「コワイ人だと思われているらしい」。笑った。

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2008.01.18

舟越桂・豊浦正明(写真)『遠くからの声―舟越桂作品集』(03)

 ヤフオクで1,000円(+送料160円)にて取得。いやぁ、廉価で手に入れられてつくづく良かったと思う一冊。

遠くからの声―舟越桂作品集
遠くからの声―舟越桂作品集

舟越 桂 (著), 豊浦 正明
単行本: 159ページ
出版社: 角川書店
ISBN-10: 4048536761
ISBN-13: 978-4048536769
発売日: 2003/08
商品の寸法: 17.4x12.8x1.6cm

 豊浦正明という写真家は知らないが、残念ながら、あまり好きなタイプの写真を作らない人のようだ。フィルムのエッジまでプリントする。フィルムに傷を付けて加工する。色のバランスを崩してカラープリントする。といったような、小手先だけの写真ばかり。オーソドックスでも対象を見透かしてしまうような怖さを持った鬼海の写真を見ていると、この著書の写真家は残念ながら写真というものを持て余してしまっているような気がする。

 写真の間に桂氏の制作中に書いたと云う直筆の抽象的なメモが挿入される。さらに装丁があのナルシスト祖父江バカときている。

 企画の段階で失敗したと云う書籍か。舟越桂『森へ行く日 THE DAY I GO TO THE FOREST』の方がはるかに好感が持て、見応えがある。

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2008.01.05

舟越桂『森へ行く日 THE DAY I GO TO THE FOREST』(92)

 オークションで落札した。公共図書館の除籍本で表紙にはバーコードのラベルがあり、その上に「除籍済資料」なんていうスタンプが押されている。図書館の本は大抵そうだが、この本にもビニールフィルムによるカバー処理が施されていて、カバーの下の表紙を見たりとか、使われている紙を触ってという装丁を愉しむことは出来ないのだが、ほとんど貸出がなかったのか15年前のものにしては恐ろしく美品だった。落札価格は定価5,000円に対して510円だった。

森へ行く日 ― 舟越桂作品集
森へ行く日 ― 舟越桂作品集

舟越 桂 (著), 落合 高仁
135ページ
出版社: 求龍堂
ISBN-10: 4763092022
ISBN-13: 978-4763092021
発売日: 1992/02
商品の寸法: 29.4x22.6x1.6cm

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 天童荒太の『永遠の仔』の表紙で舟越の作品が有名であるというのをあちこちで見かけるのだが、あたしはこの小説のタイトルはドラマ化された時に見かけた程度で、内容も何も知らなかった。あたしが舟越の作品を認識したのはAERAの記事ではなかったかと思う。いつ頃か知らないが、インパクトがあり、オークションでふと見かけた時には入札していた。

 この作品集は91年までの作品を集めたものらしい。楠で作られた人間の上半身像がほとんどである。

 いずれの像も無表情で遠くを見据えている。一体だけ、白髪の白人男性がやや笑みのような表情らしきものを持って作られており、一般的な彫塑からすると普通なのだが、舟越の作品としては異質である。そのくらい、舟越の作る人間には表情がない。

 表情の有無は何処で判断されるかというと頬の肉の盛り上がりだろう。笑うと大抵の人間はここの肉が盛り上がる。ここが平坦であると表情が無いように見て取れてしまうのだ。大学時代のサークルの先輩にかなり美人な人がいたのだが、頬骨が発達していなかったのか、頬が痩けており、笑っても頬が盛り上がることがなかった。美人ではあったが、今ひとつ魅力に欠ける笑顔しか持たなかった。先の白髪男性は唯一、この豊かな頬を持つ人物だった。

 それと大きな透き通った眼球も。木の彫刻でありながら、リアルな目が埋めこまれており、目を引く。ひとがたにとって目は重要で、天野可淡の人形も特徴のある目を持ち、その作り方は秘密とされているらしい。

 首から下はひたすら表情を付けずに簡略化し、メインとなる頭も顔の中心の目と鼻周り以外は粗削りという作りが、ここまで生々しい透明感を与えるというのは感嘆である。購入するとなると一体どのくらいになるのか判らないが、あんまり家には置きたくないと思う。

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2007.10.15

悴れた楳図

 新築の私邸の外装問題で近隣の住民から工事差止の仮処分申し立てをされてしまった楳図かずおだが、東京地裁は申し立てを却下したようだ。程度の問題でいえば、あまりにも当然な結果である。

 それでも新しく作られた家に楽しく住むことはできないとコメントする楳図の顔はとても淋しいものだった。撮影中に通りかかった住民は楳図に「いつ引っ越すんですか?」なんて親しげに声をかけていたし、噂では訴えを起こしていたのは随分と離れたところに住んでいるプロ市民ということであり、何を本当の目的にそんなことをしたのかと不思議になる。

 いつもの天然的な能天気さがなく、ただただ老いが目につくばかりの楳図の姿だった。

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2007.10.06

毎日コミュニケーションズ『+DESIGNING』

 別にデザイン関係の仕事をしていると云うわけではないのだが、毎日コミュニケーションズの出しているムック本『+DESIGNING』の購入を続けていた。

 初めは季刊だったものが隔月になり、7冊目から単発のムック本から毎奇数月発行の雑誌『+DESIGNING』になったようだ。雑誌を定期的に購読するのなら一年単位での契約になり、一時支出が大きくなるのだが、割引のある雑誌のオンライン書店 Fujisan.co.jpがお得である。さっそく『+DESIGNING』も予約しておいた。

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2007.10.04

石田徹也『石田徹也遺作集』(06)

 この画集の存在は半年くらい前から知っていた。正直言って、見てて気分の良くなる類の画集ではない。評価を得ていることは少なからず知っていたが、どうにもこうにもあたしの感覚では受け入れ難いものがあったので購入に至らなかったのだが、しばらく前のAERAで紹介されていたので後押しされてしまった。一応、ひと通り観ておかないといけないと思ったのだ。

石田徹也遺作集
石田徹也遺作集

石田 徹也 (著)
大型本: 106ページ
出版社: 求龍堂
発売日: 2006/05/23
商品の寸法: 28x22x1.4cm

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 画集が遺作集とあるように石田徹也は2005年に踏切事故で亡くなっている。その作品の多くが公式サイト飛べなくなった人 石田徹也で紹介されているので、彼の作品を観たことがない人は一度観てみるといい。

 一番ショッキングなのは人間が物質と同質になって組み合わさっていること。作品のすべてがそのような様相を示している。人間が変容するとか崩壊する様ならまだ身体的に許容可能なのだが、物質との融合は完全に人間を物質化、つまりは人間性を否定するところから始まっているのでどうにも受け入れ難いのである。

 本人は常に同じく登場する男について自画像ではないと云っているが、常に登場しているから逆に本人の投影だとも云える。石田はずーっと自己否定し続けてきたのではないかと思う。踏切事故についても自らが招いたものであろうと思われる。

 作品を観て感動したというような人たちも少なからずいるが、確かに気になるものではあるが、感動とはまったく別次元の衝動を受けたというのがあたしの印象である。出来れば出会わなければ良かったとも思う。

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2007.06.26

中途半端な仕上げ

 以前に祖父江慎の装丁が酷いという記事を書いたことがあるが、実は楳図かずおの楳図PERFECTION!による『おろち』シリーズも彼によるもの。

おろち 3
おろち 3

楳図 かずお (著)
コミック: 350ページ
出版社: 小学館 (2005/12/26)
ISBN-10: 4091800408
ISBN-13: 978-4091800404
商品の寸法: 18.8 x 13.1 x 2.1 cm

 こちらの装丁については表紙をマンガのひとコマをそのまま使い、タイトルを小さく配うといった意外と洒落た作りになっている。カバー表紙紙もやや薄手の布生地のようなムラのあるものを使い、裏をベタ色で印刷しているのが部分的に透けてみえると云った凝ったものである。表と裏の工夫が見ていて細かさを感じる。ただ本体の表紙はサイケな配色を試みており、やや走り過ぎを感じる。カバーがなければ、コミックであろうとこんな書籍を持っていたくはないと感じる。

 これが問題なのだが、各巻は3話ないし4話で構成されており、各々色が変えられている。第1話は白、第2話は薄黄色、そして薄橙色といったような具合だ。試みとしては面白いのだが、ひとつ問題があって、白は光沢紙なのだがその他の色は光沢紙ではないのだ。光沢紙はインクののりがよく、その外のものはやや落ちる。一話目とその外のものは明らかに印刷の質が変わることになる。

 手を抜いたのかどうなのかよく判らないが、一番大切なところで不手際の気になる装丁となってしまっている。

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2007.06.09

柳田邦男『空白の天気図』(75)

 あたしの愛読書である柳田邦男の文庫本版『空白の天気図』がどこかに埋もれてしまって、見当たらない。おそらくそこいらを掻き分ければ出てくるんだろうが、オリジナルの単行本版も欲しくなり、ヤフオクで落札。1,050円(+送料290円)だった。

空白の天気図
空白の天気図

柳田 邦男 (著)
単行本: 273ページ
出版社: 新潮社
1975/09/10

(表紙を拡大表示)

 このドキュメンタリ著書は非常に刺激的である。広島地方気象台を舞台に、原爆の投下されたあの日から、その翌月、広島県を中心に甚大な被害をもたらした枕崎台風までの気象台員たちの様子が詳細に再現される。また、枕崎台風では原爆の調査で広島入りしていた京大の物理学教室の研究者たちも土石流に遭い、幾人もが命を失くしている。

 未曾有の歴史の出来事の裏での台員、科学者たちの活動は恐ろしく地道である。しかし、スペシャリストとして職を全うしようとする姿は非常に誇らしい。

 原爆罹災、台風遭難といった陰惨な背景を持ちながらも、このノンフィクションが何かしらすがすがしさを持つのは上記のような理由によるだろう。原爆の悲惨さは様々な手記等から知ることができるが、その戦災を受けた状態でどのような活動、生活をしていたのかはあまり知らない。そういう中でこの測候業務をそれまでと同じように続けようとする台員の日常が描かれ、それを知るというのは非常に貴重なものではないかと思う。

 ノンフィクションの中でも非常に優れたもので、数年に一度は必ず読み返す一冊。古本での入手も可能だが、文庫本版も残念ながら絶版になっているようだ。

空白の天気図
空白の天気図

柳田 邦男 (著)
文庫: 443ページ
出版社: 新潮社
(1981/07)

 ちなみに今回入手した単行本は32年前の初版本でそんなに傷みもないものだったが、とにかくかび臭い臭いが強烈だった。中古のLPでかび臭いものは比較的多いのだが、書籍でこんなにひどいものは初めてである。半日日陰で虫干ししたが、ページを捲るともの凄い臭いが舞い上がる。虫干しも1ページずつ繰りながらやらないと、こういったものには効果がなさそう。

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2007.04.30

鬼海弘雄『印度や月山』(99)

 インドには頻繁に行っていると云う鬼海弘雄のインドに纏わるフォトエッセイを入手したが参った。

印度や月山
印度や月山

鬼海 弘雄 (著)
単行本: 237ページ
出版社: 白水社 (1999/12)

 鬼海の写真の奥行が好きで、この人の写真は高く評価していのだが、文章の方はどうもダメなようだ。限りなく現在進行形に近い状態での描写が続き、思考の入る余地がないがないのだ。

 文字表現は何かについての描写のみならず、理論構成の手段としても用いられることが多い。そして、行間を読むといった明確には示さないものの、匂わせるといった腹芸にも長けている。

 何かについてと云う集約のないことのつらさ・底なしさを彼の文章に感じてしまって、数編読んだだけで放置してしまった。こうことは珍しく、20年程前に句点「。」がなく、延々だらだらと文章の続く野坂昭如の『火垂るの墓』の1ページ目に恐怖して以来である。

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2007.04.21

織田 憲嗣『イラストレーテッド名作椅子大全 The Illustrated Encyclopedia of Chairs』(07)

 週刊誌AERAで紹介されていたのを見て、ついつい衝動買いする。早くに絶版になりそうで、いったんそうなると古書でも高値がつきそうな感じだったから。こういったものは入手し易いうちに手に入れておくべきである。

 英語タイトル The Illustrated Encyclopedia of Chairs にあるとおり、椅子の図鑑である。雑誌『室内』での14年間に渡って連載された「イラスト椅子づくし」を纏めたもので、54名の建築家・家具デザイナーの椅子が733ページにわたり、総数8233脚紹介されている。椅子は各作家ごとに、試作も含めファーストモデルからエンドモデルまで時系列ですべてが紹介され、デザインの変遷が一目了然になるようになっている。

イラストレーテッド名作椅子大全
イラストレーテッド名作椅子大全

織田 憲嗣 (著)
大型本: 733ページ
出版社: 新潮社 (2007/03)
ISBN-10: 4103042516
ISBN-13: 978-4103042518
商品の寸法: 26.6 x 19.6 x 4.6 cm

(表紙を拡大表示)

 掲載されている膨大なイラストは写真から起こされたものらしいが、すべて無着色の線画である。そのため材質や配色デザインが判らない。非常に勿体ない。これらが着色されたものであれば、価格はどの程度になっていたか想像はつかないが、2、3倍程度なら支出は惜しくない。

 デザイン関係の書籍ということもあり、装丁も凝っている。箱のタイトルも透かしのようにロゴやイラストが入っていて美しいが、本体も厚紙の表紙と本文を同じサイズ(普通表紙の方が本文よりも大きい)で断裁されていたりと眺めているだけで気持ちが良い。

 始めの方にガウディーの椅子も紹介されていてとても嬉しかった。あたしはこの人の椅子が欲しいんだよねぇ。まぁ、どのようにすれば入手できるかも、いくらくらいするのかも知んないけども。

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2007.04.14

つげ義春『つげ義春全集 別巻』(94)

 つげ義春は映画にもなった『無能の人』の連作の後、『別離』(87)という短編を発表してからは創作を休止している。20年にも及ぶ休止なので、実質的にはやめてしまったといった方がいいのかもしれない。『無能の人』の頃はつげを知って間もなくであり、リアルタイムで書籍を買っていた。また、以前のものも集めているようなこともしていた。

 全集が出た時も最初の数冊は発売と同時に購入していたのだが、単行本と重複するということもあり、好んで書店に出向くということはなくなってしまった。つげの目新しい書籍が出ていないか久しぶりに気になって調べていると、絶版気味のこの全集に人気があり、特にエッセイ・イラストを集めた別巻が高価で取引きされていることを知る。全集の中でもいちばん最後に発売されたようで、全巻揃える前に購入を中断しているので、当然、自宅にはないものだと思っていた。

つげ義春全集 (別巻)
つげ義春全集 (別巻)

つげ 義春 (著)
単行本: 318ページ
出版社: 筑摩書房 (1994/06)

(表紙を拡大表示)

 が、本棚をざくっと眺めると間もなく片隅にあるのが目についた。初版第一刷だった。押えるところは押えていたんだなと自分に感心した。

 内容的には『つげ義春とぼく』(88)と重複するところが多く、大した内容のような気はしない。エッセイも先日取り上げた『貧困旅行記』(91)の方が遥かに面白かった。

 それにしても購入済の書籍をすっかり忘れてしまっていたのは初めて。

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2007.04.12

水木しげる『総員玉砕せよ!』(73)

 つげ義春のマンガは描き込みの細かいものが多いが、それはおそらく水木しげるのアシスタントをしていたためだろうと思われる。つげのマンガの背景描写の細かさには驚かされるが、水木の方が遥かに綿密であるということを再確認した。

総員玉砕せよ!
総員玉砕せよ!

水木 しげる (著)
文庫: 363ページ
出版社: 講談社 (1995/06)

 水木というと『ゲゲゲの鬼太郎』(『墓場の鬼太郎』)を始めとする妖怪ものが有名で、4巻にも及ぶ『妖怪文庫』などを眺めていると、見聞の広さと云うのかイマジネーションの豊かさというのか本当に感心させられるのだが、それと同じくらいに戦記ものでも有名である。水木が出征し、戦場で片腕を無くしているのは誰もが知るところである。今回、初めて水木の戦記ものを手にした。

 絵であるが、やはり細かい。銅版画の描き方と点描が背景に多く用いられ、反対に人間は最小限の線で表現される。この微妙なコントラストが独特な水木の世界を形づくっている。絵としてのマンガとしては非常に高度なものであり、技術的にはマンガの神様といわれた手塚を遥かに凌駕するものであろう。実際の描き込みの多くはアシスタントがしていると思うが、それでもひとコマひとコマの構成は水木本人がやっているはずで、その才能には舌をまく。

 水木が大東亜戦争で闘ったのはラバウルで、その時の様子の90%までを有りの侭に描いたのが、この『総員玉砕せよ!』である。水木は玉砕の前に負傷し、本人は玉砕には関っていないが、彼のいた隊は全滅には至らなかったものの、一度は玉砕が行われていたようである。そういった実体験をもとに前半は戦場の日常、そして後半は玉砕への道が描かれる。水木の表現はもともとユーモラスなので古参兵による初年兵いびりについても深刻さはないが、それでもドキリとされるシーンは前半においてもいくつか出てくる。今まで映画等で戦争については多少なりとも見聞きしてきたが、その想像を超える酷たらしい現実があった。

 それにしても日本の戦いが精神論中心であることにはウンザリする。第2次世界大戦での米国空挺部隊を描いた『バンド・オブ・ブラザース』を見ていたりすると余程状態の悪い戦線でもない限り、前線のすぐ背後には救援所が設けられ、負傷した兵士の手当が行われている。兵は消耗品であるという意識は低く、その分慎重に戦闘が行われているような気がする。日本軍の場合、精神、勢いだけが先行し、中身のないことが多いのが片腹痛い。

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2007.04.11

つげ義春『貧困旅行記』(91)

 気分が落ち込んでしまった時にこの人の作品を見ると安らぐ。つげ義春の生活はお世辞にもいいとは云えず、おそらく最悪とも云えるかもしれないのだが、それでも誰の心の中にも潜んでいるような人間の弱さのようなものが的確に描かれ、それを再認識することでほっとするのだ。この人の作品はマンガであれ、エッセイであれ、カタルシスの意味あいが非常に強いと思われる。

貧困旅行記
貧困旅行記

つげ 義春 (著)
単行本: 193ページ
出版社: 晶文社
(1991/09)

(表紙を拡大表示)

 この書籍はおそらく10年ぶりくらいに読み返した。つげの精神状態は良くなく、鄙びた場所で静かに過そうと云う意識が強い。そういう状態で山奥の一軒宿を訪れたりしていたようなのだが、そういった旅に纏るエッセイが纏められている。

 鄙びた宿がいいというとなのらしいが、それでも単に鄙びて汚いだけのところはつまらないと云う。かなりの審美眼をもって鄙びた加減を見ているのだろう。とてつもなく我が儘な人だとは思いつつも、何とはなく判るところもあり、苦笑を誘われる。つげは家庭の事情で小学校を卒業後、中学校には進学せずに就職し、まともな教育を受けていないのだが、彼の文章には何ら淀みがない。文章構成力は才能によるものであるとつくづく知らされる。

 マンガ家として知られるつげだがエッセイも非常に優れている。

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2007.04.07

デイヴィッド・リーン『アラビアのロレンス Lawrence of Arabia』(62)

 何だかんだといいながら今まで見たことのなかった『アラビアのロレンス』。リマスターのフィルムが映画館でかかった時も何故だかパスしていた。何か抵抗があったんだよな。

アラビアのロレンス 完全版
アラビアのロレンス 完全版

監督:デビッド・リーン
製作:サム・スピーゲル
脚本:ロバート・ボルト
出演:ピーター・オトゥール、オマー・シャリフ

 ということで、DVDで初めてみた。227分という3時間50分弱の長編であるにもかかわらず、特に中弛みすることなく鑑賞することができた。

 物語は第一次世界大戦下、トルコ帝国により制圧されたアラビアを解放すべく、イギリス軍はロレンスをアラビアに派遣する。ロレンスはアラブ民族による反乱軍を指揮し、アラブ独立をも目指すといったもの。歴史を見れば判るようにロレンスの企ては最終的に失敗するのだが、英雄から正気を失った者へと墜ちていく様は痛ましい。リーンの映画の多くはスケールがとてつもなく大きいが、砂漠を舞台にしたこの作品も例外ではない。

 それにしてもあたしが辛かったのは主演のピーター・オトォールがどうしようもないくらいのブルー・アイであったこと。あたしは何故だか判らないのだけどブルー・アイが苦手で、段々とイライラしてくるんだよねぇ。変な言い方になるけども、同じ人間と思えない。これは生理的な問題。

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2007.03.24

アレクサンドル・ソクーロフ『太陽 The Sun』(05)

 イッセー尾形が多少なりとも気になっている人間にはやはり見逃すことのできない1本。

 終戦前後の天皇ヒロヒトを描いた作品。監督のクソーロフは天皇について「彼は、あらゆる屈辱を引き受け、苦々しい治療薬をすべて飲み込むことを選んだのだ。」と語る。日本人にとっては国の象徴である天皇を描くことは暗黙のうちに禁じられたものであり、この映画の批評として「どうしてロシア人に...」というのを見かけたが、それはやむを得ないことと思われる。すでに現人神ではなくなって久しいが、それでも畏れ多い存在であることには違いない。

太陽
太陽

監督:アレクサンドル・ソクーロフ
出演:イッセー尾形, ロバート・ドーソン
   桃井かおり, 佐野史郎, 田村泰二郎

 一般的にこの映画でのイッセーの評価は高い。ヒロヒトの生写しのようだと云う人も少なからずいる。カミさんはチラシのイッセーの姿を見て、これってドキュメンタリなの?と云ったくらいである。しかし、あたしはそこまで凄いとは思わなかった。ヒロヒトというと皇室アルバムとかの番組で年老いてからの姿はよく目にしていたが、やはり印象深いのは終戦を告げる「終戦詔書」を音読放送した玉音放送である。あの独特の抑揚は他に例を見ない。「あ、そう」という了解の言葉とも単なる相槌ともともとれるものが彼を象徴するのではなく、あの声にある。

 一人芝居に長け、人間描写の神であるイッセーだが、2時間弱の作品を通してヒロヒトを演じるのはやはり荷が重かった。先も云ったようにあたしのヒロヒトの印象というのは声の中に生きていて、それがかけ離れているとやはり辛い。とはいえ、イッセー以外にこのレベルまで演じられる人間がいるかどうかとなるとこれまた疑問で、やはりベストであったのかも知れない。しかし、ところどころいつもの一人芝居の様相も垣間見られて、茶目っけで崩しているのか、もともとそういう演出なのか混乱してしまうところがある。

 独特の作風であり、前半の淡々としたあたりは怪奇映画か何かを見ているような気にすらなってしまった。史実に完全に基づいていると考えるのも落し穴がありそうだが、クソーロフのヒロヒトに対する印象としてあくまでもフィクションとして見ると随分楽しめるのではないかと思う。

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2007.03.22

菊地豊『軍艦島―残された航跡 廃墟が語りかける時』(91)

 これもヤフーオークションで入手。著者の菊地さん本人が在庫処分のために出品している。カバーもなく、傷みが幾らかあるものを出品しているということで、定価2039円のものが送料込みで1240円という固定価格だった。送られてきた並製本の書籍は小冊子によく用いられるレザックの表紙だったが、表紙と見返しの張り合わせがずれているため、多少表紙が浮いてしまうと云うもので、そのままの商品にするのはどうかというものだった。しかし、中身は傷みが全くなく、廉価で入手し多分には特にどうだということはない。

軍艦島―残された航跡 廃墟が語りかける時
軍艦島―残された航跡 廃墟が語りかける時

菊地 豊 (著)
出版社: 創栄出版 (1991/11)

(表紙を拡大表示)

 書籍が発送された時に一緒に送られてきた文書がこれ。菊地さんの軍艦島に対する思いや出版の経緯、そして今後のことが見て取れる。

 菊地さんが軍艦島に上陸できたのは本の3時間あまりで、その間に撮られたものがこの写真集になっている。彼は現在教員をし写真を生業にはしていないようだが、写真コンテストで幾つも賞をとった経歴もあり、見せる写真が多い。真剣勝負をしながら、島をとにかく駆足で巡ったのだろうと思う。写真一枚一枚はフォトジェニックであり、また、朽ちていく有様に対しての感傷にあふれてて申分ないのだが、写真集という組写真としてみると同じ印象のものばかりで、メリハリのないものになってしまい、残念である。3時間という時間では全体の構成なんぞ考えられる訳もなく、そもそも出版自体が後から付いてきたものだから、そこまで言うのは酷かもしれない。

 もともとカラー写真で撮ったものを費用がないと云うことでモノクロ写真集にしたということなのだが、モノクロとカラーフィルムとでは扱いが異なり、プリントする時も大分面倒なのではないかと思う。モノクロを撮る時はあらかじめ効果を考えてフィルムを選択すると云うところから始るのだが、そのあたりがすべてスポイルされているハズなのだ。にもかかわらず、モノクロとしても申分なくプリントされているから感心してしまう。また、オリジナルのカラーもぜひ見てみたいものだ。

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2007.03.19

鬼海弘雄『東京迷路 Tokyo Labyrinth』(99)

 絶版になっている鬼海弘雄の『東京迷路 Tokyo Labyrinth』をヤフーオークションで落札する。もともとは本体2850円+税の定価だったものが、今では古本で8000円からの相場になってしまっている。落札は5700円と送料740円という感じで、定価の倍にはなっているが、比較的安くで入手することができた。

東京迷路
東京迷路

鬼海 弘雄 (著)
大型本: 117ページ
出版社: 小学館 (1999/11)

(表紙を拡大表示)

 1973年から1998年までに鬼海が撮りためた東京の景色写真集である。田舎人にとって東京都いうとビル街をすぐに想像してしまう訳だが、実際には人間が生活している場所でもあり、それゆえエアーポケットのように周りから抜け落ちて独特の存在を示すこともある。そんな景色が集められている。

 80年代半ばこの写真集にも文章を寄せている赤瀬川らによって発足された路上観察学会によって、無用の長物トマソンを探すなどといったことが流行ったことがあるのだが、この写真集もある意味同傾向にあるのかもしれない。しかし、それだけに留まるという決して悪趣味ではないのである。トマソンはそのものを滑稽なものとして捉えて愉しむものであるが、鬼海の人間のまったく写っていない景色写真は、むしろそこに住んでいるだろう人間を想像させるものである。

 見せないことによって見せるというのは方法の効果的なもののひとつでもある。鬼海の写真は最小限のものしか見せないことが多いが、それによって見えてくるものも多い。もちろん観る側の感性も欠かせないことにはなるのだが。

 山形から東京に出てきた鬼海が東京という街でなにを見たのか、写真を眺めながら想像するもの楽しい。

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2007.03.14

薬師丸ひろ子『"Wの悲劇"より-Woman』(84)

 日本映画専門チャンネルを見ていると澤井信一郎の『Wの悲劇』をやっていた。20年ぶり近くで観る。この映画がかかっていたのはあたしが大学1年生の時。20数年助監督をつとめ、『野菊の墓』(81)に序での『Wの悲劇』は"薬師丸ひろ子の"というより"澤井信一郎の"と冠したい作品である。そうしてデビュー作の評判は散々だったが、この2作目ではまずまずの評判を得た。

 あたしの当時属していた映研の機関誌では部員による年間ベストでは『チンピラ』に次いで2位となっている。あたしの投票では5位までしか順位づけしておらず、その中には入っていない。原作の『Wの悲劇』は劇中劇であり、そういった使い方ものあるのかと驚いたものだが、特には評価しなかったようだ。

Wの悲劇
Wの悲劇

監督:澤井信一郎
出演:薬師丸ひろ子, 三田佳子

 あらためて見直ししても、手堅く作っていると思っても特に良い作品とは思えなかった。今ではバラエティーでは欠かせない存在になりつつある高木美保がクレジットに"新人"と記された通り、初の映画出演し、やや堅い演技を見せていた。高木についてはあれから遥かによいオンナになったが、薬師丸ひろ子はどうだろう。そうして当時、どうしてそんなに売れたのが不思議になる。不美人が良かったのだろうか? 少女の頃と大人になってからとは必ずしもお互いが延長には存在できないことを思い知らされてしまう。何れにせよ、真面目だがどこか間が抜けている、というのが、久しぶりに見たこの作品の全体の印象だ。

(ジャケットを拡大)
 それにしてもエンディング・テーマがどうしようもなく懐かしくって仕方なかった。じっくり聴きたくなって、見終えるや否やヤフオクでEP盤を物色してしまった。目視では特にキズは認められないが、プレーヤーがないので状態が完全なのかどう確認できないということで、150円という値段で出品されているものを見つける。送料80円とで計230円でプチノイズもない盤を入手する。

 このメインテーマはすばらしいの一言に尽きる。一応、薬師丸が歌を歌っているのだが、歌詞を聞き取ることがまったく出来ないのだ。あたしにとっての音楽は歌詞のないインストルメンタルが基本であるが、歌詞の意味が判らないものであればその歌声も音楽の一部ということになってしまう。音楽は言葉による主張を持たないで純然たる音の連なりであって欲しいというのがあたしの願いだ。薬師丸の歌というのは不思議なことに日本語で歌っているはずなのに言葉としての何かがまったく見えてこないのだ。言葉として聞き取れず、音階を辿っているだけのような感じであたしには入ってくる。本人にとってそれは不本意なのかどうなのか判らないが、あたしにはもの凄い才能のような気がする。

 すっかりバイプレーヤーになってしまったような感のある薬師丸だが、それでも役者を続けることには意味があると思う。メインを演じるだけが役者の存在感を示すことにはならないからだ。

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2007.03.04

植田実・鬼海弘雄(写真)『集合住宅物語』(04)

 先日バックナンバーを入手した雑誌『東京人』との接点は、それが初めてではなかった。どうやら、以前にに入手していた本が、この『東京人』の記事を編集して単行本にしたものらしかった。

『集合住宅物語』(04)
集合住宅物語

植田実・鬼海弘雄(写真)
単行本: 348ページ
出版社: みすず書房 (2004/3/1)
21.2 x 15 x 3 cm

 写真集『PERSONA』に強いインパクトを受け、鬼海弘雄という写真家に興味を持ったのだが、この本も鬼海が写真を担当しているということで購入したものだ。鬼海の写真は決してフォトジェニックではなく、いわゆる美しさというものはないのだが、それでもどこかずれた視線というのが何とも言えない。同じものが目の前にあったとしても、この人と同じ写真は絶対に撮れないと思う。

 鬼海の写真目当てに買った本だが、鬼海の写真は当然、内容も素晴らしかった。既存する集合住宅について紹介されるのだが、長く住宅に関ってきた植田実による住宅の様相、ライフスタイル、住宅に纏るエピソードは限られた誌面ながら奥行をもって語られ、集合住宅のあり方の考察のヒントとしてくれる。集合住宅は当然、東京のものに限られているが、戦前のものから戦後のものまで39の建築物について触れられている。1997年4月から2001年3月号までの記事であり、当時まだ多くが現存していた同潤会アパートのことを詳細に知るに至った。

 東京のことはまったく判らないので、住宅そのもの、また、どのあたりのことなのかまったく見当がつかないのだが、それでも状況の想像が可能であり、十分に楽しむことができるものになっている。まだ3年前のものだが、絶版になっている可能性があるようだ。この手の良質な書籍がすぐに絶版になるのは残念で仕方ない。

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2007.03.03

マルク・ブルディエ『同潤会アパート原景―日本建築史における役割』(92)

 フランス人、マルク・ブルディエによる同潤会アパートメントに関する研究論文。財団法人同潤会の設立から詳細に語られる。

同潤会アパート原景―日本建築史における役割
同潤会アパート原景
―日本建築史における役割

マルク・ブルディエ (著)
出版社: 星雲社 (1992/8/10)
265ページ

(表紙を拡大)

 この書籍が発行された時点では同潤会アパートメントだけを取扱った単行本はなかったという。途中、アパートメントの建設時の設計図青写真が30ページに渡って掲載されているのが興味深い。ただし書籍が新書判であるため、縮小が大きいのが残念。

 まだ初めの数十ページしか読んでいないが、同潤会アパートメントの基本的な背景を理解するのには欠かすことのできない一冊ではないかと思われる。帯にひと工夫があって、16のアパートメントの基本データの一覧表になっている。

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2007.02.24

橋本文隆・内田青蔵・大月敏雄(編集)兼平雄樹(写真)『消えゆく同潤会アパートメント』(03)

 先日購入した『Design of Doujunkai 同潤会アパートメント写真集 ― 甦る都市の生活と記憶 ―』に続く同潤会アパートメント関連の書籍。軍艦島のアパートもそうであるが、この同潤会アパートメントも生活文化というもの考慮したうえで建設されているので非常に興味深い。現在の集合住宅が箱形の、コストだけをもとに、衣食住のスペースさえ確保できればよいと云う考えのうえで作られているのに比べ、先のものがいかに人間本位であったか。軍艦島については環境のあまりの厳しさに対する工夫ということもあったろうが、それでも何とはない暖かみのある生活が見えてくる。

消えゆく同潤会アパートメント<br />
 同潤会が描いた都市の住まい・江戸川アパートメント
消えゆく同潤会アパートメント
同潤会が描いた都市の住まい・江戸川アパートメント

橋本文隆・内田青蔵・大月敏雄(編集)
兼平雄樹(写真)
新書: 159ページ
出版社: 河出書房新社 (2003/12/13)

(表紙を拡大)

 この書籍でメインで取り扱われているのは同潤会が最後に手掛けたコンクリート造アパートであり、昭和9年に完成し平成15年に取り壊された江戸川アパートメントである。このアパートは同潤会アパートメントの集大成的な存在であり、それ以前のものとは工夫の凝らされ方が異なり、随分複雑なものになっている。中庭を挿んで1号館・2号館とあり、家族向126戸、独身向131戸、店舗その他向4戸という構成なのだが、同じ構成のものが単純に配置されているのではなく、いろいろなスタイルのものが混在して作られている。それらの幾つかのパターンが見取図と写真を添えて詳細に解説されている。

 すべてを読み終えていないので、どうしてこんなにこだわりをもってこのアパートが作られたのかはまだ理解出来ていない。しかし、家賃は高価であり、高収入でなければ入居できなかったようだ。今でいうデザイナーズマンションといったところだろうか。結局、著名人が多く入居し、文化人アパートと呼ばれることになったようだ。

 それにしても書籍の内容が素晴らしい。見取図と写真をもとにした解説は、もともとこのアパートの住民であり建築が専門の橋本文隆によるもので、実際の体験および専門家としての見解が交じるもので堅苦しくこそないものの非常に洞察のあるものとなっている。誌面が許すのならもっと詳しいことが聞けるのに、といった感じだ。住宅に興味のある人ならぜひ一度は読んでみることをお薦めする。

 住まいということの考察をせずにいられなくなる一冊である。

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2007.02.20

ワンダーJAPAN 3

 軍艦島が特集ということだったので、購入してみる。

ワンダーJAPAN
ワンダーJAPAN

大型本: 127ページ
出版社: 三才ブックス (2006/12)
ISBN-13: 978-4861990625
ASIN: 4861990629

 夏と冬の年2回発行のムック本で、今号で3号となる。「日本の《異空間》探険マガジン」とサブタイトルのつくものだが、日本各地の変な建物や神社仏閣、そして廃墟が主に取り扱われている。元ネタはおそらくほとんどがインターネットのサイト。編集者がwebマスターに連絡を取り、共同で記事を書いているのではないかと思う。

 安上りなネタ集めだけあって内容は支離滅裂。そして、考察は皆無。初めからネタ本として、B級ムックとして眺めれば、それなりに面白いかもしれない。大きな期待は厳禁。

 軍艦島の特集は1/3ほどの誌面が取られている。写真も多く、天気の良い日に撮られた、思い入のない、実にフラットなもので逆に新鮮さを感じるものになっていた。軍艦島の写真というと、妙に撮影者の思い入があって、堅苦しい湿ったものが多いのだが、ここに掲載されているものは、スナップ写真のようなありのままの様子が素直に写し出されている。とにかく老朽化が進み、建物が壊れているのが気になる。地獄段の辺りなんて、大きな通りだけども、落下物でもう地面が見られない。

 それにしても廃墟趣味というのはよく判らない。朽ちた建物に侵入して、その荒れ具合を楽しむ。ああいうところは怖いだけだ。ただ、荒れるというのではなく、過去の文化の伺われる遺跡的なものだと話は別になるが。軍艦島はもちろん、遺跡である。

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2007.01.07

建築資料研究社『Design of Doujunkai 同潤会アパートメント写真集 ― 甦る都市の生活と記憶 ―』(00)

 同潤会アパートメントとは、関東大震災後、住宅供給を目的として設立された財団法人・同潤会によって建設されたものを称する。それまでの住宅は木造であったことから震災での被害は大きく、鉄筋コンクリート造による住宅の供給が必要と考えられ、1924年に設立された同財団は、翌年1925年8月から鉄筋コンクリート造のアパートの建築を開始する。そうして、東京・横浜に同潤会アパートメントが次々と建てられることになる。しかし、鉄筋コンクリート造によるアパートの建設は費用がかさむことから、1934年竣工の江戸川アパートメントを最後に、同潤会は木造平屋建の分譲住宅のみを供給するようになった。

 あたしは地方住いなのでこの同潤会アパートメントというものの存在はほとんど知らなかった。

Design of Doujunkai 同潤会アパートメント写真集 ― 甦る都市の生活と記憶 ―
Design of Doujunkai
同潤会アパートメント写真集
― 甦る都市の生活と記憶 ―

単行本(ソフトカバー): 218ページ
出版社: 建築資料研究社
(2000/07)
ASIN: 4874606431

 この写真集では青山アパートメント・清砂通アパートメント・上野下アパートメント・大塚女子アパートメント・三ノ輪アパートメント・虎の門アパートメントの6つの同潤会アパートメントが取り扱われ、387点の写真が納められている。写真集の発行から既に7年が経ち、築80年にもなろうかという同潤会アパートメントは2006年現在上野下アパートメント、三ノ輪アパートメントしか残っておらず、この写真集で見られる大半の光景はもう実際に見ることはできなくなっている。

 大正末期から昭和初期にかけて造られたアパートはモダンな装飾が施され、造形的にも美しい。さらにそれに年期が加わり、なんとも云えぬ成熟した佇まいを見せる。アパートが家賃回収のみでは経営できず、やがて木造建築住宅に変更しなければならなかったのも頷ける。このアパートには裕福な医師や代議士も入居していた。

 見た目の意匠が目につくのだが、居住空間を意識して設計されていることも、現在の素っ気ない単なる箱の集合住宅とは異なる。採光と子供のために設けられた中庭。通りに面した表と中庭の中との佇まいは違った趣きを持つ。女子アパートでは屋上にサンルームや音楽室も設けられていた。

 今の集合住宅では生活が感じられない。あたしが今住んでいるところも、玄関のドアを開けるとひっそりしていて、まるでホテルの廊下に出たのだろうかという気分に襲われる。すでに5年も住んでいるところだが、そういった印象は変らない。同潤会アパートメントの佇まいからは人間の住んでいる様子が伺われる。いつからこういった生活を隠蔽してしまうといった建物に住むことを良しとし始めたのだろうか。同潤会アパートメントの写真集を眺めていて感じることは多い。

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2006.11.20

 印象的な声というと、ナレーターでもお馴染の俳優の森本レオの『王立宇宙軍 ~オネアミスの翼~』(87)の冒頭のナレーションである。森本のナレーションに被って坂本のオープニングタイトルが流れるのだか、これはなかなかの出来である。作品は一度しか見たことがなく、中身はすっかり忘れているが、あのオープニングだけは忘れられない。あの自信のなげな気のぬけたようなナレーションは絶品である。

王立宇宙軍 ~オネアミスの翼~
王立宇宙軍 ~オネアミスの翼~

 最近、この森本のナレーションに雰囲気の似た声を見つけた。日曜夕方5時からの民放FMで放送されている日産提供の「NISSAN あ、安部礼司 BEYOND THE AVERAGE」というFM番組の登場人物の岩月加奈という人の声である。たまにしか出てこないキャラクタなのだが、2chのスレでは絶大的な人気を得ている。通常、声優というとハキハキしたクリアなしゃべり方をしてみせるものだが、この声優はとにかくもどろっこしいしゃべり方なのである。ぶりっ子とかそういう方面ではなく、たどたどしさに可愛さがあり、新鮮である。この声の持ち主は誰なのか明らかにされていないが、聞いたところでは、NHKオーディオドラマで現在放送中の『おいしいコーヒーのいれ方』の長谷川真弓に間違いない。本業は役者らしいが、こちらは知らない。とにかく声を商売にするにはやや際どさがあるが、際どいところでイイということになっているんだろうと思う。

 最近は週末、ラジオ生活になりつつあって、声だけの、伝えることを目的とした文化ももう一度見直す必要があるような気がしてきた。きちんと語れることはとても大切。

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呼ばれる

 この表題を見て、怖いと感じた人はいるかしらん。主語も補語も何にもない「呼ばれる」は、何者かによって呼ばれるものであり、その何者かはまずこの世のものではない。

 まぁ、お決まりの文句になるんだろうけど、こういうのが文化なんだろうなと思う。大したことではないけど、ちょっと感じたこと。

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2006.11.03

デビッド・ローウェル・リッチ『エアポート'80 The Concorde Airport '79』(79)

 近所のサークルKに行くと、『エアポート'75』のDVDがあったので、久しぶりに観たくなった。『大空港』から始まる飛行機パニックものの第二弾にあたるもので、『大空港』に次いで人気があるのではないかと思う。パイロット席に大穴を開けた状態での飛行はやはり緊張ものである。

 ということで、『エアポート'75』の空箱をレジに出したのだけど、家に帰ってビニール袋から取り出すと同時販売している『エアポート '80』だった。店員が間違えてしまったらしい。まぁ、『エアポート '80』は何だかんだといいながらまだ観ていなかったりしたので、価格もいっしょだし、良しとした。

エアポート'80
エアポート'80

 アラン・ドロン出演と云うことで、公開当時から気にはしていたものの、結局、25年も未見のままだった。その前の作の『エアポート’77 バミューダからの脱出』(77)もなかなかの出来の悪さで、まったく期待していなかったからそのまま放置していたんだろうと思う。

 で、実際に観てみる。ジョージ・ケネディがパイロットをしている! これには驚いた。ケネディはエアポートシリーズのメイン俳優ともいえるのだけど、やはり空港にいて縁の下の力持ちを演じて貰いたいということで、パイロット役にはどうも抵抗があった。寛容さはあるのだけど、パイロット的な鋭さはあんまりないんだよね、あのに人には。

 無理やりな展開だけの映画だったが、2時間はそれなりに楽しめる。原題が'79なのに公開が1年遅れの80年だったから、エアポート'80にしたのだろうか。なんかのどかな時代の雰囲気もある。

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2006.10.31

藤原章・大宮イチ『神様の愛い奴 決定版』(01)/馬鹿とハサミは...

 つい最近、こんな映画があるというのを知って、数日前に入手したばかり。『ゆきゆきて、神軍』(87)の奥崎謙三出演の映画。ジャンル分けすればドキュメンタリ映画ということになるとは思うのだが、純粋なドキュメンタリとも言い難い。まぁ、『神軍』もそういう感じであるのだけども。Amazonのマーケットプレイスで2000円(+送料340円)。

 『神軍』の撮影の後、奥崎は元上官を殺すために上官宅を訪れたが、留守だったため、とりあえず自宅にいた息子を射殺しようとする。もともと奥崎はこの様子の撮影を希望していたのだが、当然の話であるが監督の原一男は拒否していた。そして奥崎は殺人未遂で逮捕される。天皇の崩御、秋篠宮の婚姻で2度にわたって恩赦の機会があるものの、いずれも拒否し、12年間満期服役する。この映画は、奥崎が出所するところから始まる。『ゆきゆきて、神軍』の当時は62歳だった奥崎もすでに77歳になっていた。

神様の愛い奴
神様の愛い奴







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 いきなりこの映画(実は映画とは呼べない代物かもしれない)を観ろとは勧めないが、『ゆきゆきて、神軍』を観て吹っ切れないものを感じた者には観ることを勧める。おそらく『神軍』の補完するものがこの『愛い奴』になるのではないかと思う。しかし、『愛い奴』は内容的には完全なゲテ映画であり、これを観ただけでは何も意味をなさず、ただ吐き気を催すだけである。

 一般的に評判は悪いがあたしは観て良かったと思っている。善し悪しはともかく『神軍』が何ものかということがよく判ったからだ。とにもかくにもあの映画を撮り上げた原監督は尊敬に値する。普通の人間ならば、収拾がつかなくなって放置してしまうだろう。あそこまで形にした監督の忍耐と努力にはあらためて驚き、感銘する。

 簡単に云えば、それなりの社会的なテーマを持っていれば、どんな人格であってもそれなりのものに見えてしまうということである。いわゆる馬鹿とハサミは使いようという奴で、馬鹿もこっちを向いている間は相手にされるが、向こうを向いてしまうとハナから相手にされない(できない)ということなのだ。12年間の服役で、奥崎は向こうを向いてしまって、単なる奥崎しか見えなくなってしまった。

 『ゆきゆきて、神軍』を観ていない人には、是非とも『ゆきゆきて、神軍』、そして次にこの『神様の愛い奴』を観てみると良い。これ程刺激的な組映画はないと思う。『愛い奴』を観た原監督はどのように思ったのだろう。ぜひ知りたいものだ。

ゆきゆきて、神軍
ゆきゆきて、神軍

 それにしても『愛い』というのが、なかなか読めなかった。「うい」なんだね。この『神様の愛い奴』というのは奥崎の台詞。神様がいちばん愛いしているのはわたし、だそうだ。パッケージの奥崎は、妙に内田裕也風。あの人も歳をとって世間離れに拍車をかけたように見える。

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2006.10.29

山下和也/叶真幹/井手三千男『ヒロシマをさがそう―原爆を見た建物』(06)

 bk1で注文していた『ヒロシマをさがそう』が届く。いつの間にかAmazonでも品切扱いでなく、通常分も表示されるよになっていた。プレミアのついたマーケットプレイスが浮いてみえる。

ヒロシマをさがそう―原爆を見た建物
ヒロシマをさがそう―原爆を見た建物

山下 和也,叶 真幹,井手 三千男(著)
単行本: 187ページ
出版社: 西田書店 (2006/09)


(画像を拡大表示)

 この本で取り上げられているのは、爆心地から5km以内で確認されている被爆建物のうち、被爆後にも何らかの形で残存した非木造建物と住宅および付属屋以外の現存する木造建物についてである。商業・企業を含め、公共的な建物のみが対象になっているようだ。

 地図を添えて紹介されているのは、現存の被爆建物と取り壊された後モニュメント等で一部保存されているもののうち59件で、その他の現存建物も48件リストアップされている。また、非木造建物で被爆後利用されなかったもの49件(被爆時に崩壊し撤去37件・被爆時形態を保持しながらも取り壊し12件)、利用されたが後にすべて取り壊されたもの48件、利用や解体時期が不詳のもの8件が被爆時の写真を添えて紹介されている。

 被爆しても崩壊しなかった建設物は広島の復興に多いに役立ったようだ。それにしても驚くのは爆心地から数100mの銀行の多くがその原形を保っているということだ。広島原爆戦災誌を読んでも金庫の中は焼けていなかったと云う記述が多く、銀行業の特異さを改めて思い知る。

 それにしても仲間の亡くなった建物をそのまま使うと云うのはどういう気分だろう。戦後10年経てばそういった記憶は薄れるだろうけど、数年のうちは生々しく残っているはずだ。

 注意しなければ気がつかない被爆建物。その土地の受けた災禍を忘れることは実はいい事なのかもしれないが、今の世の中を見て、それを手放しに喜ぶのはやはり間違っているという気もする。

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2006.10.28

記録/綾井健『記憶の「軍艦島」 REMEMBER GUNKANJIMA』(06)

 久しぶりの軍艦島関係本。長崎市の観光資源としての保存活動や「軍艦島を世界遺産にする会」の世界遺産に向けての活動に対して、軍艦島はもともと企業による監獄島のようなものであり、むしろ「負の遺産」であるにもかかわらず、このような動きがあるのは実に「きな臭い」ことであると批判する。

記憶の「軍艦島」
記憶の「軍艦島」

綾井 健
大型本: 83ページ
出版社: リーブル出版 (2006/09)

(画像を拡大表示)

 軍艦島では半島からの強制労働があったり、自由に島からでることが出来ないという頃は確かにあったようだ。炭砿で働く坑夫やその家族がより豊かに生活できるようになったのは、戦後労働組合が出来てからのことである。それからは生活環境に制限があるものの、いち早く家電製品が普及する等、本土よりもよい生活を送っていた。労働賃金がよいということで、島に流てくる者も多かったようだ。

 著者は80年に島に渡り、その際に撮った写真を交えて、軍艦島を語る。

 が、どちらかというと建物はそれなりの工夫が凝らされており、生活しやすいようになっている。廃墟となった軍艦島に渡って目の当たりにするのは、こういったハードのの面でしかない。ほとんどが海外の設計者によって設計されたようで、その設計の大胆さ等に筆者は感心している。この島はで数千人が生活するためには本当に工夫が必要だったのだ。

 強制労働についても幾らか述べられるが、伝聞によるものであったり実に説得力がない。現在の軍艦島からそういうソフトの面はそもそも読み取れないのだ。とりあえず、産業遺構を遺産として保存すると云うことに異議申立するというものの見方があるということは理解した。

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2006.10.25

タイポグラフィ

 タイポグラフィというのはかいつまんで云えば、活字印刷における技術の総体ということになる。印刷媒体で文字を効果的に見せるためには、活字の選択から始まり、その配置まで気を配る必要がある。それらに関する技術はタイポグラフィによるものとなる。

 もともと活字フェチなあたしは美しく活字を組まれたものが好きであった。映画や写真といった視覚的な媒体も好きではあるのだが、文字という質素な表現手段も印刷誌面という視覚媒体に移されるやいなや視覚的快楽の対象に移行する。見た目の快感と文字で表現される世界の快感と、活字媒体の快楽は意外と大きなものだったりする。

 だからあたしは就職先のひとつとして広告制作会社を考え、活動をしていたこともあった。ただし地元の会社はあまりにも零細であり、知り合いの紹介であったにもかかわらず、受け入れはして貰えなかった。このブログのカテゴリーの全映画的お仕事で、当時あたしが作っていた小冊子とかを紹介していたりするのだが、こんなことをして遊んでいた。当時はワープロ専用機で字体は明朝・ゴシック・丸ゴシックくらいしかなく、見た目の変化にも乏しい。

 そういうことをやっていたのはもう15、6年も前のことになる。それでも関心のある分野であることには間違いなく、ふと本屋に入ると次のような書籍を発見してしまう。

新撰 日本のタイポグラフィ
新撰 日本のタイポグラフィ

アイデア編集部 (編集)
大型本: 294ページ
出版社: 誠文堂新光社 (2006/9/16)
ASIN: 4416606095
サイズ (cm): 29 x 22


+DESIGNING Vol.1
+DESIGNING Vol.1

大型本: 174ページ
出版社: 毎日コミュニケーションズ (2006/06)

 『新撰 日本のタイポグラフィ』は雑誌デザインの増補版で1995-2005の10年間のデザイナー66人の代表的な装丁、文字組等が紹介されている。多くが書籍に関する作品になるのだが、各々のデザイナーの個性が垣間見られて面白い。困ったことに文字組の美しさを堪能したいだけで紹介されている書籍が欲しくなると云ったことも起こってしまう。タイポグラフィに特に関心がなくても、たいていの人は眺めているうちに気持ちよくなれるのではないかと思う。

 次はデザイン関係のムック本『+DESIGNING』。おそらく季刊ではないかと思うが、第1巻は「文字」が特集。先の『新撰 日本のタイポグラフィ』で掲載されたものも紹介されているが、基本的にタイポグラフィが対象になっているのでやむを得ない。特に興味深かったのは人気雑誌の文字組のベースが紹介されていたりすること。文字組で誌面の印象がガラリと変るので、いちばんはじめに設定したりするものなのだが、こういうものを見る機会というのはあまりないのではないかと思う。

 すでにこういう世界とは縁の遠いところで働いてしまっているが、なんかの機会に試みたいとも思う。そうそうこういうブログのデザインだって、いじくり回すことできるんだよね。

 しかし、書店で書籍を買うデメリットを発見してしまった。こういったデザイン関係の本って永久保存とはいかないにしても、そこそこ丁寧に保っておきたいと思ったりする。が、田舎の書店では売れ筋ではないので入荷数が少なく、かなり傷んだものしかなかったりするんだよねぇ。そういう意味では通販の方が危険度が低かったりして、いいんだよな。

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2006.10.20

橋本忍『幻の湖』(82)

 橋本忍というと、黒沢明の一連の作品、『砂の器』(74)、『八甲田山』(77)等の脚本を手掛け、傑れた作品を残している。また、脚本を書き、監督もしたフランキー堺主演の『私は貝になりたい』(59)も名作として名高いが、東宝50周年記念として公開された、橋本原作・脚本・監督の82年公開の『幻の湖』は幻の映画ともいわれており、本日、ついに日本映画専門チャンネルで観ることができた。ただし、この映画が放送されているのに気がついてのは始まってすでに20分が過ぎた頃であって、2時間40分の大作のうち2時間20分あまりしか見られなかった。

幻の湖
幻の湖

 再確認できたこと。脚本家は必ずしも脚本家のみで傑れた作品に仕上げることではないだろうということ。監督という第三者によって脚本が吟味されていることを忘れてならない。単独でやってしまうとドツボにはまってしまうこと多し。

 物語が完全に意味不明で、主演の女性をただ単に走らせたかっただけかと思ってしまう。脈絡のない話でも2時間半という映像を作ることが出来ることに感心する。

 本当にコメントのしようがない。とりあえずプロも誤ってこういうものも作ってしまうんだという典型的な作品なので、映研部員は必ず一度は見ておくこと。そうそう、意味もなくガンガンかかるからどうしたものかとは思うけど、リストのレ・プレリュードを久しぶりに聴いて懐かしかった。

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2006.10.02

衣更え

 昨日から10月。衣更えの季節である。去年までは、女性の制服が青色から茶色に変わり、部屋の雰囲気もがらっと変わったものだった。そうやって、季節の変化を否応なく感じたものだが、今年からは財政難もあり、制服の完全廃止、そういう季節の変化に対する趣がなくなってしまった。作業服には夏服冬服があり、技師連中の一部は早速、冬服を着用していたが、ベージュの濃紺が変わる程度で特に変化はない。というか、野郎をまじまじと見ようという気は更々ない。

 今月に入って、空調が落されたようで、却って暑くなってしまった。今月の半ばまでは職場では半そでで十分なような感じだ。うちの職場では冷房の設定温度はあげられたものの、クール・ビズは実施されず、しかし、議会ではクール・ビス採択しているので答弁はノータイという、変則なことをやっていた。人事課の意向がよく判らない。

 とまぁ、季節の変わりも関係なく、日々は過ぎるのである。

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2006.09.19

ハンス・ベルメール『ハンス・ベルメール写真集』(84)

 押井守が影響を受けて、『イノセンス』(04)を作製したというハンス・ベルメールの球体関節人形。球体関節人形というのは関節部が球体で作られていることから、自由にポーズの取ることのできる人形である。『イノセンス』は少女型の愛玩用ロボットが暴走することから始まるが、そのオープニングタイトルが球体関節タイプのアンドロイドの生成であり、ベルメールの人形そのものの人形の見られるカット(下半身だけが上下にくっついた)もある。

イノセンス
イノセンス

 そんなベルメールの写真集は84年にリブロボートから発行されて、何版か重ねたもののやがて絶版状態になる。『イノセンス』の公開された年にブッキングから復刻発売される。この時に既に気になっていたものの、価格がやや高いこともあって、そのうちに購入しようと思いつつ、1年半近く放置していた。するとこれもすでに在庫切れになり、再び絶版状態になってしまった。復刻されたので供給量も多くなった筈だが、古本でも5000円以上の値がつき、古本を商売としている古本屋のサイトではほとんどが1万数千円という状態だ。

 ヤフオクで出品を見つけ、落札する。リブロポート刊の88年2刷で、2651円(+送料450円)だった。

ハンス・ベルメール写真集
ハンス・ベルメール写真集

 写真集の中身は、34年・49年の人形を、そして、58年の生身の女性を撮ったものである。

 球体関節人形はいずれもデフォルメされた女性外性器を持つもの。ベルメールがシュールレアリズムの作家だとは知らなかったが、これ程、グロテスクなものだとも想像していなかった。屈折したエロチシズムがあたしには痛々しくて仕方ない。生身の女性を撮ったものは、体を紐で縛られ、あたかもリアル球体人形になってしまっている。淫靡なエロでなくて、グロなエロなんだよなぁ。正直言って参ってしまった。ヤクザと倒錯の世界はあたしの想像の域を超えてしまっている。

 古い写真なので当然モノクロなのだが、昔の観光地の絵葉書にあるような着色をしたようなものもあり、なんとも云えぬ軽さを持ったものもある。『相互手淫の十字架』といったタイトルが付いたもの他数点は、女性性器に指を挿入したものやアップらしいのだが、日本公開するうえでぼかしが入っている。

 一度は見ておいても損ではないとは思うが、少なくともあたしにとっては1万いくらで手に入れるべきものではない。

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2006.09.16

原一男『ゆきゆきて、神軍』(87)

 原一男の、というか、奥崎謙三の、というべきかよく判らないけども、ドキュメンタリ映画『ゆきゆきて、神軍』(87)を入手。ヤフオクで2800円(+送料200円)。17、8年ぶりに見る。

ゆきゆきて、神軍
ゆきゆきて、神軍

 ニューギニア戦線で、2名の兵が上官命令により銃殺された。それは敗戦後、23日目のことだった。この命令は何に基づいて行われたのか。同じ連隊に属し、敗戦前に捕虜となった奥崎謙三が関係者を訪れ、同僚の死の事実を明らかにしようと問いただす。銃殺に関係した元日本兵は段々と固い口を開き、事実が明らかになってくる。

奥崎謙三/クリックで拡大表示 あらすじを簡単に記せばこのようになるのだが、実際にはそう簡単なことではない。この追跡者の奥崎という人物かとにかく只者ではないのだ。69年に天皇に対してパチンコを撃ったという人物である。その前には傷害致死罪も犯しており、移動の為の車は宣伝カー仕様で「田中角栄を殺す」という文字を大きくかかえている。そういった異常な人物が、元兵士の老人たちのもとを訪れては殴りかかる。暴力行為を起こしては「警察を呼べ」と自分で110番し、訪れた警官には「用はない。向こうに行け」と言い放つ。支離滅裂な人物である。

 戦場での出来事は過酷で、皆、口を開こうとはしない。何の話かといえば、黒ブタ・白ブタ、そして、仲間ということである。これでおそらく何のことかは見当がつくのではないかと思う。それをちゃんとした言葉で言わせようとするのは非常に過酷なことである。未来に伝えなければならない事実であるにしても、当事者としては好んで語れる事ではない。墓場にそのまま持っていくのが当然だと思われる。しかし、それが奥崎という暴力によって、ひねり出される。

 後味が悪いといえば非常に悪い。奥崎という主人公が異常であれば、明らかにされる事実も異常。素直に受け入れられるようなことはひとつもない。さらに奥崎はこの命令を下した元上官を銃殺するべく家を訪れ、留守の元上官のかわりにその息子を打ち、殺人未遂等で12年の懲役刑を受ける。

 カメラが入って、さらに奥崎の過激さに拍車がかかってしまっていたようだったが、彼をそこまで激しく突き動かすものは何だったろうかと思う。この作品を見た限りでは亡き戦友の弔いともとれるが、それだけでもなさそうだ。戦場でも奥崎は上官を殴っていたというし。とにかく生々しい情動で動く人間が痛々しい。

 それにしても原一男というドキュメンタリ作家は、この奥崎といい、嘘つきみっちゃんこと井上光晴といい、取り上げる人間が劇的で、着眼点がよいのか、運がよいのか通常のドキュメンタリとひと味違ったものばかりを撮っているのには感心させられる。まさしくドキュメンタリのエンターティナーである。

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2006.09.15

ピーター・ウィアー『刑事ジョン・ブック 目撃者 Harrison Ford in WITNESS』(85)

 サントラ盤は以前に入手していたのだが、やはり本編もじっくりみたいと思い、オークションで落札する。落札価格860円(+送料180円)。

刑事ジョン・ブック 目撃者
刑事ジョン・ブック 目撃者

 それにしても、出来事の少ない映画である。主演のハリソン・フォードはどちらかというと派手なアクションものが多いにもかかわらず、これといってヒーロー的な立ち振る舞いはない。犯人に撃たれて生死を彷うといった具合だ。

 アーミッシュという伝統的な宗教集団の少年が母親と旅行中、警官殺しを目撃することから物語は始まる。取調べの担当をしていた刑事のブックは犯人が同じ刑事だと知るが、その結果、命を狙われる。銃撃戦で銃弾を受けたブックは少年の住むアーミッシュの集落に身を潜めるが、やがて、追跡の手が伸び、対決となる。

 アーミッシュの集落での人間関係の色々はあるが、ストーリー的には非常に単純で、よくも2時間も見せてくれたものだと後になって感心する。やはりアーミッシュという集団が興味深いのだろうと思う。アーミッシュはペンシルバニア・オハイオ州に住居するドイツ系住民でキリスト教メノナイト派を信仰している。現在も電気や電話を用いず、移動に関しても車ではなく馬車を用いるという非常に質素な生活を送っている。服装に関しても、質素な装いで、黒ズボンにX字のサスペンダー、そうして、白か青のシャツというものである。

 ブックと少年の母親との恋愛がおそらくメインなのだろうと思うが、どうしてもアーミッシュの生活ぶりに目がいってしまう。おそらく100年程前の生活をそのまま続けているような状態なのだが、このような生活も幸せそうに見えるのだ。50人ばかりの男たちが一日で大きな納屋を作るというシークエンスがあるのだが、完全手作業でそれをやる。まぁ、合掌造りの茅葺きの葺き替え作業を彷彿させるような光景だ。そういう非機械文明を見せつけられると、どうしても別の感慨深いものが出てきてしまう。

 それに加えて、モーリス・ジャールの音楽。初めてシンセを使ったということらしく、やや一本調子なところはなきにしもあらずだが、名作曲家によるものである。悪いわけがない。

 アクションをやらないハリソン・フォード、人間的な生活を続けているアーミッシュ、モーリス・ジャールの音楽。これまでにないテイストの作品ができないわけがない。まぁ、そういう風に見ると初めから成功が約束されたようなもので、つまらないといえばつまらないとも言えるのかもしれない。

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2006.09.04

戸川純『戸川純 JUN TOGAWA AS ONLY A LUMP OF MEAT』(05)

 復刊ドットコムによる『戸川純 JUN TOGAWA AS A PIECE OF FRESH』(88 勁文社)の復刻書籍。久々に戸川純に最接近しているものだから、ついでに買ってみた。

戸川純 Jun Togawa as only a lump of meat
戸川純
JUN TOGAWA AS ONLY A LUMP OF MEAT

戸川純(プロデュース)
三澤 哲也(写真)




(クリックで画像拡大表示)

 この写真集は戸川自らが絵コンテを切って撮影をしたという、戸川プロデュースのものである。他人が見た戸川でなく、戸川が自分を演出したもの。戸川ワールドが展開される。

 いやぁ、何と申しますか、あたしには判りませんでございます。エロスであるとか、生命力であるとか、あとがきで本人が申しておりますが、やはり、逝っちゃっている人でありますし、一歩引いたところで眺めてしまいます。

 YouTubeで見つけた夜のヒットスタジオの映像。84年前後のものでしょうか? 戸川の司会者とのやりとりはやはり「アブナい」という感じが漂っています。

 88年頃でしょうか、地元のラフォーレ原宿でパール兄弟のサエキけんぞうと戸川純のトークライブというのがあってみに行きました。会場に行くまでのエレベータで、現地スタッフらしき感じの人も数人乗り合わせていて、「戸川純って、やっぱりアブナい。昨日の夜もいろいろあってね、洒落にならないんだ、これが」なんて詳細には触れないものの、ひたすらアブナいを連発する。

 おそらく1時間強はあったはずのトークショーの内容はほとんど覚えていないけど、サエキが戸川に「(ゲルニカの)上野さんとは結婚しないの?」と突っ込んで、「そんな話はまったく無いです」と答えていたのが印象的。戸川と上野は結婚間際までいったのだけど、上野の浮気がもとで戸川がどたキャンしたという噂がある。結婚式の司会をサエキがすることになっていたらしいし、サエキがあんな質問をするのはかなり悪質だと今更ながら思う。

 上野も精神的に危ういタイプの人であるそうだし、そういった二人が夫婦になるとどんな世界が繰り広げられることになっていたんでしょうか。1st以降の再活動は困難を極めたようだし、戸川は特にゲルニカを封印しようとするところに込み入ったものを感じる。『GUERNICA IN MEMORIA FUTURI-ゲルニカ20周年記念盤-』に寄せている上野耕路のあとがきは悔恨の念の塊というか、怖いものを感じてしまいます。

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2006.08.27

リドリー・スコット『GLADIATOR グラディエーター』(00)

 中古屋で目に止まったのでDVDを買ってしまった。リドリー・スコットの『グラディエーター』。公開されて随分になるが、まだ観ていなかったのだ。

グラディエーター
グラディエーター

監督: リドリー・スコット
出演: ラッセル・クロウ, ホアキン・フェニックス
   コニー・ニールセン, オリバー・リード

 ローマ時代のお話でコロシアムでの格闘やらが見事に再現されてて、これはご立派だと思うのだが、中身がスカスカなんでびっくりしてしまった。

 リドリー・スコットの映画での再現力のすばらしさは、彼を一躍有名にした第2作目の『Alien エイリアン』(79)から目についていた。『エイリアン』は低予算で作られたSF映画なのだが、舞台となる宇宙船はそれまでのSF映画にないそれらしいリアルなものだった。この人は架空の質感を再現するのが好きなようで、この『グラディエーター』も下手するとスターウォーズのような軽いCG背景になってしまうところを、セットの延長として現実味のあるものに保っていた。

 今回、最悪なのは脚本で、各登場人物の思う所があってそれの揺らぎもあるはずだろうに、なんの葛藤もなく、そのままストレートに終りを迎えてしまう。よく云えば、単純明快で分かり易い、悪く云えば、あんた、馬鹿じゃないの?なのである。

 だいたいリドリーって人間を描く監督じゃないもんねぇ。人間の心情に対するウエイトの高いこの設定(シチュエーションの)は、そもそもリドリーには無理があったように思う。時代は多少遡るが同じような裏切りをベースにしたウィリアム・ワイラーの『Ben-Hur ベン・ハー』(59)の人間描写の奥の深いこと。リドリーもオリジナルストーリーではなく、『ベン・ハー』のリメークをした方が良かったのでは。

 まぁ、見せてくれる映画ではあるので、見ることだけに集中できれば吉。第73回アカデミー賞で作品賞受賞というのは、おそらく悪い冗談のはずだ。

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2006.08.24

戸川純『玉姫伝~ライブ含有』(84)

戸川純のライブ映像『玉姫伝~ライブ含有』をヤフオクで入手。2500円(+送料180円)。

玉姫伝~ライブ含有
玉姫伝~ライブ含有









(クリックで画像拡大表示)

 戸川純というとTVドラマ「あとは寝るだけ」(83年・テレビ朝日)のインパクトがあまりにも強い。柄本明らと"北関東逆境会"という素晴らしくステキな名称の連盟を作っていて、髪の毛を掴んで引きずり回されたり、裸にされたりと、イロモノどころか完全にゴミ扱いで弄ばれるのだけど、当時から持っていたアブナさから目を離すことはできなかった。

 歌も同じ延長上にあるんだけど、あのアブナさというのはどこから来ているのか。彼女の性格が何によるものか、なんてことじゃなくって、どうするとアブナく見えるのかということ。表情に落ち着きがない。眉毛が薄い。額が広い。上目づかいにものを見る。上唇の先が尖ってる。そんな特徴が彼女にはあるが、そんなのはごく表面的なものに過ぎないような気もする。

 独身時代に、いわゆるこの手のアブナいタイプの女の子につきまとわれたこともあったりしたのだけども、そのアブナい向こうにすっかり足を踏み入れて、恐ろしくも甘味な世界を味わってみたいという願望がありつつも、結局、完全に彼岸に行くことはできなかった。本当に怖かったのである。

 戸川純は歌手であったり俳優であったりするが、何よりも彼女は"世界"である。それが彼女の最も偉大な業績である。

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2006.08.22

山端庸介写真集『Nagasaki Journey 長崎ジャーニィー(もしくは長崎ジャーニー)』(95)

 先日、米国Amazonのマーケットプレイスで注文した山端庸介の『Nagasaki Journey』(95)が早々に到着する。AirMailを使って発送してくれたようで、$15.70というシールが貼られていた。これまで何度か海外に注文をしたことがあるが、5日での到着は中でも早い方である。

Nagasaki Journey:The Photographs of Yosuke Yamahata August 10, 1945
Nagasaki Journey:
The Photographs of Yosuke Yamahata
August 10, 1945

ペーパーバック: 112ページ
出版社: Pomegranate (1995/05)
言語 英語(一部日本語併記)
(クリックで画像を拡大表示)

 ペーパーバックといってもあのガサガサの紙ではなく、単にハードカバーでないというだけである。

 この『Nagasaki Journey ナガサキ・ジャーニー』は、1994年米国の2人のドキュメンタリー映画製作者が米国内で山端の写真の展覧会を行うことを企画したことによって生まれた。ネガはデジタル解析され、コンピュータ上で傷等の修復が行われた。傷があるゆえにトリミングせざるを得なかった写真が幾つもあったが、それらは撮影された時のもとの姿になって蘇った。今のPCの技術だとコラージュ職人などそこここにいたりする訳だが、10年前だとそうでもなかったのだろう。それにしても、山端の写真を完全な形に修復をしようと初めて試みたのが、原爆を落した敵国の人間であるというのは何という皮肉なことか。これを契機にNHKスペシャル「長崎 よみがえる原爆写真」が作製される。

 修復されたネガによるニュープリントで写真展『Nagasaki Journey』が95年7~9月にサンフランシスコ、ニューヨーク、そして長崎では8月に開催される。その際に刊行されたのが、この写真集でもあった。

 日本の写真家の写真集であるが米国での刊行物、文章は英語が基本である。ただし、各写真のキャプションと重要と思われる記事(全体の3割程度)は日本語併記となっている。山端へのインタビュー「原爆投下直後の長崎を写した山端庸介氏」(1962年8月20日『週刊読売』)の英文が4ページに渡って紹介されているが、日本語併記がないのが残念である。時間を見つけて全文をじっくり読もうと思っているが、他の記事でこの内容が一部紹介されていたものが興味深かった。

 「悲惨な長崎を歩きながら、考えたことは『写真を撮ろう』ということと『新型爆弾が落ちたら、どういう方法で逃げて、助かろうか』ということだけでした。つまり、わが身のことばかり考えていたわけでして、それがけしからんといわれようが、事実はそうだったんだから、しかたない」

『記録写真 原爆の長崎』(52)/クリックで拡大 おそらくそういう冷酷な状態であったから、ここまで踏み込んで115、もしくは114枚の写真を残すに至ったのだろう。山端の長崎での話を深刻に聞く周りの人間の姿に山端は内心かなり困惑したに違いない。

 この写真集では先に入手した『記録写真 原爆の長崎』(52)の表紙写真も紹介されていた。すっかりぼろぼろになってしまっていたあの本の表紙には、あの坊やの写真が収まっていたのだ。

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2006.08.17

北島宗人・編集/山端庸介・写真『記録写真 原爆の長崎』(52)

長崎の原爆/クリックで拡大 ヤフーオークションで出品されているのを見かけてしまい、落札してしまう。開始値のままの1000円(+送料260円)。

 どういった書籍なのかというと、記事「岩波書店『日本の写真家23 山端庸介』(98)」で紹介した山端庸介が、自分が撮影した原爆写真を初めて世に出した写真集である。発行は昭和27年8月15日(書籍は初版)。今から54年前のものである。

 GHQによるプレスコード解除後、ただちに発行され、初めて原爆の悲惨さを写真によって日本国民に知らしめたのは、アサヒグラフ 1952年8月6日号だったが、それに遅れて、単独山端の写真を用いて発行されたのが『記録写真 原爆の長崎』だった。60ページあまりの写真に加えて、治療にあたった医師、西部軍報道部カメラマンの山端庸介、山端と共に記者として長崎入りした詩人の東潤、同画家の山田栄二による手記やスケッチ、西部軍報道部にいた芥川賞作家・火野葦平によるエッセイ等の30ページ程度とによって構成されている。

 ほとんどが現場を知る人間によって作られたもので実に生々しく長崎の惨劇が伝えられる。アサヒグラフに山端の写真が全く用いられなかったのは、アサヒグラフの発行の前からこの書籍が企画されていたからであろうというのは、一目了然である。

 表紙の痛みが酷い割には、中身はさほど傷んでおらず、実に鮮明で、これまで同じ写真を別の書籍で見ていながら、判明しなかったディテールが初めて判ったものもある。当時の定価で680円。ほんの少し公開の早かったアサヒグラフが40円。やや高額だったようだ。

 山端のこの一連の写真は、修復され、1995年に写真展と同時に写真集も発行されている。タイトルは『Nagasaki Journey 長崎ジャーニィー(もしくは長崎ジャーニー)』。長崎小旅行、何とも云えぬタイトルである。

Nagasaki Journey:The Photographs of Yosuke Yamahata August 10, 1945
Nagasaki Journey:
The Photographs of Yosuke Yamahata
August 10, 1945

ペーパーバック: 112ページ
出版社: Pomegranate (1995/05)
言語 英語

 あたしはこの本を本家Amazonのマーケットプレスで、先程、注文してみた。書籍価格$25.00、送料$9.98の計$34.98。今はドル/円が115円前後なので、4000円ちょっと。サイトもあるので、興味ある人はこちらを。写真が小さいので詳細がわからず、ショッキングな写真もそれほどストレスにならないと思います。

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2006.08.01

摂理

 ここ最近、“摂理”という宗教団体の教祖による性的暴行が問題になっているが、教祖云々はさて置き、学生をメインに布教が行われた宗教的団体というのは過去にもあった。一流大学の学生がどうして?なんていう声も聞かれるが、どこの大学だろうと関係はない。大学のサークルを利用するというのは隙間を狙うということで、実に旨いやり方なのだ。

 ちょうどあたしが学生をしていた20年程前になるがこれも韓国の団体になるが原理研(原理研究会)、つまり統一教会が活発に活動をしていた。あたしの通っていた大学でも一見一般のサークルのようなものを作って、そこで活動をしていた。サークル活動を装って勧誘して、人間関係を作った後に宗教に誘い込むというやり方。当地にもひとつのアパートを借り切って集団で生活しているような学生の信者がいたはずである。

 統一教会はさらに霊感商法とか珍味の押売で信者の労働を強い、詐欺行為による資金で、いろいろ政治的なことを企んでいたはずで、多少なりとも怖いと感じたものだが、今度の“摂理”はセクハラ目的のようなことが言われていて、はぁ?、だったりする。

 昨日に引き続いて、人がいなければ何にも始まらないということですな。

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2006.07.31

旧街道

 週末に行ってみたのは四国山地の入り口の町。海に面する平野から、720m程の峠を超えるとそこの町に入る。親父の実家はさらにそこより30kmくらい山奥にある。

 親父の実家に行くには絶対、その峠を超えなければならないのだが、母親曰く、これが大変だったそうだ。もちろん、今は急勾配でカーブが多いものの、十分に整備されて、子供が車酔いする程度だ。しかし、40年程前はかなりのものだったらしい。父親の実家まで、バスで行っていたりしていたらしいのだが、道ががたがたでひどく、さらに狭さもあっていつ崖からバスが落ちるのかと気が気でなかったらしい。そういう噂を聞いていたのだが、実際、どのようなものか判らない。少し前に国交省がその道路のバイパスを作るというので、パンフを作製したのだが、そこに旧街道の写真があった。未舗装の砂利道でガードレールもないつづら折りの道が坂を登っている。ほとんど一車線分しかない。バスとの離合なんて考えられない。イヴ・モンタン主演のオリジナルの『恐怖の報酬』で辿る悪路に輪をかけたような感じだ。

 おそらく一番最初の峠を超える街道らしきものを知っているが、そこはすでに地元の林業でしか使っていないのではないかという状態になっている。たまに車で走ってみたりするのだが、全く走れないわけではないが、普通車一台が走るのにも左右を気にしないといけないし、そこを走る数回に一回は離合しないといけない状態に陥ったりするのだが、離合スペースがあって胸をなで下ろす。スペースがないようなところでかち合うと、カードレールもない3m程の幅員の道路を延々バックすることになる。こんな道を初めて走ったのは真っ暗な夜で、何も見えないからそこそこのスピードを出して走っていたものだが、昼間に走るとコンクリート舗装の道路の側はそのまま崖という無茶苦茶な状態が目の当たりで、どうしても慎重なのろのろ運転になってしまう。

 ということで、現在の国道のわき道に商店街があったりする。国道にまったく面していないので、まったく目につかず、地元民だけが使っているようだが、ちょっとしたスーパーがあれば事足りる程度なので、ほとんど開店休業のような状態。そういう商店街に限って、紐を張ってちょうちんやプラスチックの花を飾っていて、余計に侘びしさを感じさせる。田舎の寂れ切った商店街は山奥だろうと、やや郊外だろうと同じような飾り付けをしていたりしていて、不思議に感じる。

 しかし、その商店街の通りというのが結構長く、それが旧街道の名残であることに気づくのにはそんなに時間はかからない。昔はそれなりに人が往き来し、賑わっていたんだろうと思うとやはりなんともいえぬ気がする。商店もあり、道路拡幅できないため、そばの民家の疎らなところに大きな道路が作られ、そちらがメインになってしまい、やがて忘れられる存在になってしまう。当然なことと云えば当然なことなのだけど、やはり、やる瀬ない気分に陥ってしまう。

 地域というのは特に道路一本で大きく変わってしまうので、怖い。そういったものを見ているとやはり、人間がいなきゃ、何も始まらないという結果にも落ち着いてしまう。

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2006.07.30

樋口真嗣『ローレライ』(05)

 日本映画専門チャンネルで、『ローレライ』を観る。

 一応、これって戦争映画として見ていいのかな。長崎に次いで東京に落される第三の原爆投下阻止の話だから、SF(パラレルワールド)であったとしても、大東亜戦争が舞台になっているんだから、戦争映画だよな。

ローレライ
ローレライ

監督: 樋口真嗣
出演: 役所広司, 妻夫木聡, 柳葉敏郎, 香椎由宇

 この映画を見ている最中に思ったこと。NHKの「その時歴史は動いた」だったけかな、松平さんのやっている番組で結構、理解を助けるためにCGが駆使されているんだけど、なんだかそれを見ているような気分になってしまった。NHKの番組のものはそんなに作り込んでいないとは思うのだけど、不思議と印象的にダブるものがあった。

 軍人さんがひとりもいないからたるみっぱなし。戦争映画に出演するというので、昔の映画を見たりはしないのかな。鶴見辰吾がひとり頑張っていたようには見えたけど、かえって浮き浮きか。伊武雅刀はデスラー総統やスーネークマンショーでは散々お世話になったけども、シリアスな話には出てきて欲しくないな。新『白い巨塔』でも輪をかけて質を落すようなところがあったもんなぁ。

 話が面白ければ救いもあるだろうけど、ホンもまったくなってないし、観ててちょっと参ってしまった。

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2006.07.25

Interiors『INTERIORS(インテリアズ)』(85)

 Interiorはお気に入りのユニットのひとつなのだが、1stアルバムである細野晴臣・高橋幸宏によるYENレーベルの『Interior』(82)にはWindham Hillレーベルによるリミックス盤があると知り気になっていた。おそらく半年以上はヤフオクをメイン(廃盤探しはあそこがいちばん効率がよい)に探していたのだが、ここしばらくサボっており、掲示板でイイチョさんという方にInteriorsの『DESIGN』(87)というアルバムについて発言を頂いたのを契機に久しぶりに検索をかけると1000円即決で出品されているのを見つけてしまった。もちろん落札する(送料200円)。

Interiors/クリックで拡大

Interiors/INTERIORS(85)

 82年のオリジナルに対して、85年のWindham Hill版では「N.F.G」「COLD BEACH」の2曲が削除され、「Hoot Beach」が新しく追加されている。曲順もいくらか変更されている。既存の曲もリミックスが行われ、曲の印象が大きく変っているものもある。

 オリジナル版が好きだったのは、まったく媚びない音楽であったということがある。楽曲の多くはさびといわれるものを作って、受け入れられやすくするものだが、Interiorの曲というのは音の広がりと清らかさのみを極限まで追求したようなもので、その凛とした様はリアルな音としての音楽の存在を示してくれていた。それはいつまでも心から彼らの音楽が去ることのなかった理由でもあった。

 Windham Hill版を出すにあたって、完成度を上げるためにリミックスを行ったということだが、その結果、不自然に強調される音が増えることになり、あたしにはあまり好ましいものとは思えないものになっていた。たぶん、こちらから先に入れば、オリジナルは物足りなく感じるのかもしれない、といった、ダメダメというより、傾向の変化という類のものかも知れないという範囲ではあるが。このリミックス盤を聴いて、次のアルバム『DESIGN』に辿り着くというのが何となく理解できる。オリジナルの『Interior』から『DESIGN』への変化は唐突のような感じもするが、『Interior』、『INTERIORS』、『DESIGN』と聴くと当然のような気もする。まぁ、4人のメンバーから2人のユニットに変わったということもあり、方向性が明らかになったということなのかもしれない。

 幻のアルバムがまたひとつ減った訳だが、これが完全になくなるということはなくって、またまたほろりと出てくるんだよなぁ。なんだかねぇ。

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2006.07.24

活字の大きさ

 30数年ぶりに読む『八月がくるたびに』(71)はさすがにこの年になると怖いというほどではなかったが、それでも枕元のスタンドの電気だけにしての就寝前の読書の対象にはできなかった。やはり背中が寒くなってしまう。

 それにしても現行版と比べると活字の大きさの小さいこと。今の本というのは昔に比べて妙に活字が大きくなっている。印刷自体が活字から写植へと文字の大きさを自由にできるように変わってきていることも大きな理由だろうが、それにしても社会全体が幼稚化しているのではないかという気がしてならない。

 いちばんショックだったのは、平成に入る前後に行われた新聞の活字の大型化だった。高齢者にも優しい新聞を目指すという触れ込みだったように思うが、それまでにも高齢者はごまんと居たわけで、とりたててそういう改悪を行う理由が理解できなかった。明らかに新聞の記事の量は数割減となり、質的にも落ちる結果となってしまった。原稿の量を減らすことによるコスト削減という意味合いもあったのかもしれないが、各社がそれに追従するとなると完全に新聞の質が落ちることにつながる。

 雑誌のAERAでも同じようなことが行われ、おそらくほとんどの雑誌もそのような変更を行ったはずである。今となってはどの雑誌にもそんなに変わりはないからだ。

  こういった社会の幼稚化は何がもたらしているのだろうか? また、幼稚化する前とはいったいどのような状態だったのだろうか? こういうことに思いを巡らしてみるもの面白いかもしれない。

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2006.07.23

おおえ ひで・作 篠原勝之・え『八月がくるたびに』(71年初版)

 先日、現行版のおおえひで『八月がくるたびに』(01)を手にして、これは『八月がくるたびに』でないと思い、1971年初版ものを取り寄せる。当時、定価600円だったものが500円(+送料150円)。

八月がくるたびに
八月がくるたびに

おおえ ひで 作
篠原 勝之 絵
単行本: 123ページ
出版社: 理論社 (1971)




(クリックで拡大表示)


 イラストがすべて入れ換えられている。初版で用いられたイラストは愛蔵版の現行版では一切用いられていない。

 その外にも現行版とは大きな違いがある。

 現行版の冒頭には、はじめにという1ページがある。

  ---------------------------------
   はじめに

  だれが どうして?
  だれが どうして?
  こどもが おとなになり
  また そのこどもが おとなになり
  ・・・・・けれど こどもたちは
  おとなたちに たずねるでしょう。
  だれが どうして?
  ---------------------------------

 こんな文章があり、その下にはものが激しく燃えている上をB29とおぼしき飛行機が飛んでいるのを描いたペン画。これが現行版の始まりになる。

 しかし、初版では右のような(クリックで拡大表示)口絵でそれが表現されている。クマさんの挿し絵が異常なほどに圧巻で、心の奥に刺さってくる。そして、最後のページの「8月が くるたびに・・・」というひと文がさらにそれを忘れられないものにする。あたしがこのシーズンになると悩まされる理由だ。

 現行版を申し訳程度の訴えかけ方に変えてしまったのはどうしてだろう。そして、最後の「8月が くるたびに・・・」のひと文を削除してしまった理由を知りたい。

 初版で発行者の小宮山量平は「解説にかえて」という文章を巻末に載せている。

「事実として、この作品を幼い人たちの読む本とする場合、「原ばく問題」として生々しく心をうずかせる状況があるのです。(中略)たんに、被爆のむごたらしさをリアルに複写する「リアリズム」でもなく、ましてや、作品のつらさを甘くカヴァーするのでもなく、むしろ率直に、「原ばく問題」そのもののこわさを、きびしく表現するのが正当なことではないだろうか?──と。(中略)ここに一冊の本があって、もしもこどもたちが、この本とめぐりあったならば、そこには「原ばく」のつらさやこわさが、きっちりと描かれている──そういうきびしい本を、こどもたちこそは、まっとうに受けとめてくれると信じるのです。(後略)」

 口絵の調子で本文でも、山端の被爆者写真がコラージュで用いられたり、印刷が鮮明でない分救われているが、重々しい現実直視のものになっている。

 手元にあるものは71年7月第17刷となっている。71年が初版でいつ第一刷を出しているのか知らないが、年内に17も印刷を重ねているというのはかなりの反響を呼んだのだと考えられる。

  この本に衝撃をうけた人は少なからずいるようで、復刊ドットコムでも復刊リクエスト投票が行われ、また、コメントも数多く寄せられている。戦争が自国でもあったと云う記憶が淡れつつある今こそ、このような本の存在が貴重になると思われる。

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2006.07.21

おおえひで『八月がくるたびに』(2001年版)

 夏が来て、8月が近づくと決まって頭をよぎるのが「八月がくるたびに」というフレーズであり、そして、その言葉を思うたびに体が強ばってしまう。それは小学校3年生以来、30年以上続いている。だからこれからのしばらくは、実に嫌なシーズンなのである。

 「八月がくるたびに」というのは児童文学作品のひとつのタイトルであり、そのタイトルからも想像がつくかもしれないが、あの原爆を扱ったもの、長崎で被爆した少女の話である。

 小学3年生の時、ふと学校の図書館で読んでしまった本なのだが、物語自体はほとんど覚えていない。にもかかわらず、その印象は強烈に残っている。何が強烈って、イラストがとにかく怖いのである。被爆者の遺体写真が用いられた挿し絵は当然のように洒落にならないほど恐ろしく、本文をまともに読むに至れなかったというのが正直なところかもしれない。「八月がくるたびに」という言葉は、そのままそのイラストの怖さに結び付き、その言葉を聞いたり思い浮かべるだけで恐怖するようになってしまっていた。

 そんな風に毎年夏になるたびに、記憶の彼方から脅かされ続けられる本なのだが、絵を書いたのが誰か知ろうとも思わず、数十年を過ごし、つい最近、その絵を書いたのが"ゲージツ家"のクマさんこと、篠原勝之だと知るに至った。あの人があんな絵を描くとは想像だにしなかった。

 そこで「八月がくるたびに」を注文してみた。

八月がくるたびに
八月がくるたびに

おおえ ひで 作
篠原 勝之 絵
単行本: 193ページ
出版社: 理論社 (2001/06)
ASIN: 4652005121

 手もとに届けられた本はどう見てもごく普通の児童文学もの。イラストはうまへた風のもので、これといったインパクトのかけらもない。ほとんど忘れていた物語は、20年前のことを回想するというスタイルで、肉親の死、自らの怪我、原爆症として後から追いかけてくる死など、原爆の凄惨さを余すところなく子供にも分かり易いよう見事に描いているものだったが、あたしがこんな本に怯えるはずがない。おかしい。どう考えても別の本としか思えないのだ。試しにGoogleでググって見ると、次のような発言が発見できた。

  ----------------------------------------------------------------------
   575 :さく・え/ななし :2006/03/22(水) 01:56:13 ID:???

    絵本ではないかもしれないけど、学級文庫にあった「八月がくるたびに」
    タマゴにマチバリを刺してそこから流れた液に子供の写真をコラージュしてたり、
    とにかくコラージュがシュールで怖かった。
    あとでその挿絵を担当したのが「TVタックル」等でおなじみだったクマさん
    こと篠原勝之だった。飄々としたハゲのおっちゃんぐらいの印象しかなかったもので
    けっこうビックリした。
  ----------------------------------------------------------------------

 これこれ、たぶんあたしが読んだのはこれ。やはり怖い本で間違いない。今、流通しているのは最近になって作られた愛蔵版というヤツのようで、どうも世相も考えて内容を緩くしたのではないかと思われるフシがある。広島の平和資料館のマネキンだって、以前と比べるとドギツさがなくなってきている。脅しによる平和教育はよろしくないと云う判断に傾いてきているのだろうか。

 旧版の情報は得られず、試しにヤフオクで検索してみると、あたしが読んだと思われる発表当時の71年の初版というやつが新装版に並んで出品されておりました。オークションなのでいつまで閲覧できるか判らないけど、こちらがあたしが30数年前に読んだものになります。大人になったあたしがちらりと見ても、やはり怖い絵本に見えます。

 現行版を購入したばかりにもかかわらず、71年版を某所で見かけてしまったので注文してしまいました。30数年間来の悪夢の克服の時が刻々と近づいていております。

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2006.07.20

大橋弘『1972 青春 軍艦島』(06)

 軍艦島に纏わる新しい書籍が出ていた。軍艦島が閉山になる1年半前に島にわたり、日雇労働者として半年を過ごした27歳のカメラマンの記録。もともと軍艦島に渡ろうというつもりはなく、長崎での放浪の生活のあげく金がなくなってしまったから、労働条件の良い軍艦島に渡っただけだった。

1972 青春 軍艦島
1972 青春 軍艦島

大橋 弘
単行本
出版社: 新宿書房
(2006/06)
ASIN: 4880083569

 著者が住んでいたのは日本で一番最初のコンクリート住宅の30号棟。非常に貴重な体験をしたものだと思う。

 写真とともに17編の文章で軍艦島の様子が描かれる。実際に労働者として働いていたカメラマンの手によるものなので、極々日常の軍艦島をみることができる。炭鉱夫でなく、地上労働を行っていたので、いわゆる炭砿労働の辛さというのは見えてこないが、男だけでなく、女性も肉体労働に多くついていたという事実も知る。若い男とおばさんが逃げたり、朝から5合の焼酎を呑む溶接工のおじさんがいたり。火事があって死人がで、その葬式が風変わりであったこと。写真は人間のごく普通の生活の場であった軍艦島を見せてくれる。ただやはり閉山間際ということもあって、人が随分と減っているいう雰囲気がすでに写真に漂っている。

 後藤 惠之輔・坂本 道徳『軍艦島の遺産―風化する近代日本の象徴』に引き続き、廃墟でなく生きていた頃の軍艦島を描くものが出版されるというのは非常に好ましい。著者は今回、32年ぶりに当時撮影した1000枚ほどのネガからこの写真集をつくったが、また30年後に作り直してもいいという。その時は軍艦島の記録というより、昭和の記録という意味合いの方が強くなりそうな気がする。

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2006.07.19

岩波書店『日本の写真家23 山端庸介』(98)

 ふとしたことでこの本の存在を知り、Amazonのマーケットプレイスで入手した。1700円(+送料340円)。岩波書店による日本の写真家の作品を集めた全40巻+別冊1巻の全集ものの一冊。日本の写真家にも興味深い人が少なくないので、全集で揃えてもいいかもとか思ってしまったが、この一冊を手にして、98,000円というのはあまりにも高過ぎると感じ、一気に馬鹿な気はどこかへ行ってしまった。何と言ってもページ数が少なすぎる。

岩波書店『日本の写真家23 山端庸介』(98)
岩波書店『日本の写真家23 山端庸介』(98)

大型本: 71ページ
出版社: 岩波書店
(1998/07)
ASIN: 4000083635

 広島の松重美人(よしと)(1913-05)と云えば、長崎の山端庸介(1917-66)となる。

 松重は中國新聞社のカメラマンで広島に原爆が落ちた日、市内で5枚の写真を撮る。自宅(理髪店)の荒れた部屋とそこから見える道向かいの倒壊した消防署、御幸橋西詰で2枚、そして皆実で罹災証明書を書く負傷した警官、それが人類史上唯一の被爆当日の記録となった。彼はそれ以上シャッターを押すことができなかったのだ。

 山端は海軍の従軍写真班員として大陸等で撮影を行った後、福岡の西部軍報道員に任命される。原爆が長崎に落されたのはその3日後のことである。広島と同じ「新型爆弾」使用の情報が入るや否や、状況を記録し報告するように命じられる。9日の午後3時に博多を出た山端は10日の午前3時に長崎に着き、14時間あまりで114枚の写真を撮り、博多に戻る。

 山端の写真には有名なものが何枚かがあるのだが、防空壕から顔を覗かせて微笑む少女やおにぎりを持ったまま佇む母子は特に印象深い。しかし、前者は結婚式の当日だったはずなのに親族の都合で式が延期され、さらに被爆してしまったという少女であり、その微笑みは山端が笑ってくれと頼んだものだった。後者はもともと食べる気力もないのに無理におにぎりを持たせたとも聞く。

 松重は自分自身、被爆者であり、山端はそうではない第三者であるという違いもあるだろうし、松重はたまたま居合わす結果になってしまった一方で、山端は上司より命じられた業務であり、またその重要性を認識していたという違いもある。非常に対照的な二人の写真家とその作品を見て、写真というものの捉え難さをますます実感してしまう。

 この本の解説で朝日新聞社『アサヒグラフ 1952年8月6日号』で山端の写真がまったく使われてないことを知る。

 ナガサキ以前の1940年の従軍写真も数枚掲載されているが、大判のカメラを使っているのか、非常に美しい鮮明な写真である。長崎での写真は構図が特殊なものが多く感じられるが、これらの写真は開放的で実に素直である。

 前に、長崎原爆戦災誌第一巻総説編の改訂作業が行われていることを記事にしたことがあったが、ネットで調べてみるとどうもこの5月には作業が終り、改訂版の発行が行われていたようだ。販売は長崎原爆資料館事務室でしか行っていないようだが、遠方からでも注文が可能。実際にメールで在庫の有無を問い合わせてみると、7/19現在、在庫があるという回答で、代金5000円を現金書留で資料館に送付すると、着払いの宅配便で送ってもらえるらしい。口座振込ができない、さらに発送は着払いというお金のやりとりに融通が利かない辺りいかにもお役所で、手間と費用がかかるのだけど仕方がない。今日の仕事の帰りに郵便局に行って、しっかり現金書留で代金を送っておきました。週末か週明けには改訂版を手にすることができるでしょう。新聞の記事では発行予定部数1000部ということなので、すでにどのくらい捌けているのか判らないけども、はやくに問い合わせをしておいた方がいいだろう。

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2006.07.18

日本以外全部沈没

 左京の「日本沈没」が33年ぶりにリメイクされたと思ったら、筒井ちゃんの「日本以外全部沈没」も映画化されていたんですね。これはまったく知らなかった。

 はじめて小説を読んだのは中学の時か高校の時か覚えていないけども、筒井ちゃんも随分アホな小説を書いたものだと思ったものだが、これが映画化されるなんて夢にも思っていなかった。「原典 小松左京」となっているのが笑わせる。まぁ、左京の「日本沈没」があってのネタ小説だから左京に敬意を払うのは当然。

 監修が実相寺昭雄。彼の作品は怪しさが漂うのが常なんですが、「日本以外全部沈没」が怪しい? 監督は別の人のようだからそのまま作風が反映されるとは限らんでしょうが。

 これ、当地のような田舎にも来るのかなぁ。筒井ちゃん原作で何本か映画化されているんだけど、まともに全国公開されたのは「時かけ」くらいじゃなかろうか。でもって、筒井ちゃんファンでありながらいまだに観ていない映画も多くあったりする。

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2006.07.16

映画「日本沈没」公開

 昨日から、映画「日本沈没」の公開が始ったということで、"日本沈没"のキーワード検索でここに辿り着く人が多くなっているようだ。今月の始めくらいから目につくようになってきて、今日はかなりの数になっている。今年の邦画でも注目の一本になっているんだろなぁ。あたしは出演者に興味が湧かないので、観に行かない可能性の方が高い。

 それよりも驚いたのが、「日本沈没 二部」が発表されていたこと。今月の7日のリリースになっているが、映画公開にあわせてのことだろう。

日本沈没 第二部(06)
日本沈没 第二部(06)

小松左京・谷甲州 著
単行本: 466ページ
出版社: 小学館 (2006/7/7)

 小松左京・谷甲州共著ということだが、小松も加齢(75歳)で単独で長篇を書上げる体力がなくなってしまったようだ。当初から二部執筆の構想があるというのは知っていたが、こんな形でリリースされるとは思ってもみなかった。谷甲州という人はSF作家らしいが今まで知ることがなかった。何れにせよ、近いうちに購入して読んでみようと思う。

 これからCATVの日本映画専門チャンネルで旧作を観ます。

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2006.07.14

Put a liitle fun in your day!
TESTPATTERN『APRES-MIDI』(82)

 細野と高橋によるYENレーベルで中間音楽としてリリースされたInterior『Interior(インテリア)』(82)そしてイノヤマランド『DANZINDAN-POJIDON(ダンジダン・ポジドン)』(83)の外にもアンビエント系のアルバムが出ているというのを知った。比留間雅夫と市村文夫によるユニットTESTPATTERN(テストパターン)の『APRES-MIDI アプレミディ』(83)である。オリジナルアルバム(LP)は83年リリース、90年にはCD化されるがいずれも廃盤。オークションでひと月ばかり待ってようやく落札。2400円(+送料400円)だった。

APRES-MIDI/クリックで拡大表示 デザインが本業である比留間雅夫によるジャケットは2人の黒人タップダンサーの踊っている写真があしらわれているが、中身は純然たるテクノ系音楽。アルバムタイトルApres-Midiは仏語で"午後のコーヒー"を意味する。テクの系といってもハードなピコピコ系ではなく、なんとも云えぬのんびりしたような曲が続く。限りなくイージーリスニングを目指したような感じだ。そのアクのなさというのは、ライナーノーツにおそらくコピーとして書かれている"Put a liitle fun in your day!"にぴったり。まさしく「あなたにステキなひと時を」なのである。

 A面の5曲はボーカルものでB面の5曲はインストルメンタルである。ボーカルは細野風のぼそっとした声で歌われる。本当に聞き流すという感じの曲だが、なかなかこれが気持ちいいのだ。『YEN卒業記念アルバム』(85)でTESTPATTERNの曲として収録されているのはA面のラストの「Modern Living」。これを初めて聴いた時は、正直つまらないと思ったりもしたのだが、このアルバムで通して聴くとそれなりに味があっていいのだ。アルバムは曲の構成が命だったりするし、そういう意味では一曲だけを抜き出すと曲の善し悪しが判り難いということがあるかもしれない。

 B面の一曲目の「Ring Dance」という曲があたしにとってはかなりインパクトがあった。フレーズを繰り返すミニマルミュージックなのだが、リズミカルな音楽の中にポーンという弾けるような音が入ってて、これが蹴鞠をしてて鞠を蹴った時の音をイメージさせるのだ。この曲を聴くと公家さんが蹴鞠に興じているシーンがついつい目に浮かんでしまう。

 どれもこれまでに聴いたことのない曲風で新鮮だ。リリースから20数年が既に経っているが、まったく時代を感じさせない。タイトルとおり、午後をゆっくり過ごそうという時には、おそらく頻繁にかけることになろうかと思われる。ちなみにTESTPATTERNがリリースしたアルバムは残念なことに、この一枚だけである。

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2006.07.11

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』(24-33)

 DVDは在庫もあったようで、一週間程前に届けられてきた。5歳の息子に見せるといたく気に入ったようで、週末とかだと2回は見せろとせがまれる。

銀河鉄道の夜(85)
銀河鉄道の夜(85)

杉井ギサブロー(監督)
別役実(脚本)
細野晴臣(音楽)

 あたしはやはり宮沢賢治の世界というのは判らない人間のようだ。繊細というか、詩的というにしてもどこか壊れているようにしか思えないのだ。理解をすっかり超えてしまっている。映画『銀河鉄道の夜』の最後は、『春と修羅』(22)の「序」の冒頭が用いられ、常田富士男が朗読している。


  わたくしといふ現象は
  假定された有機交流電燈の
  ひとつの青い照明です
  (あらゆる透明な幽霊の複合体)
  風景やみんなといっしょに
  せはしくせはしく明滅しながら
  いかにもたしかにともりつづける
  因果交流電燈の
  ひとつの青い照明です
  (ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

  これらは二十二箇月の
  過去とかんずる方角から
  紙と鑛質インクをつらね
  (すべてわたくしと明滅し
   みんなが同時に感ずるもの)
  ここまでたもちつゞけられた
  かげとひかりのひとくさりづつ
  そのとほりの心象スケッチです


 宮沢の作品というのはまさにイメージ的にこの20行あまりに集約されるかも知れない。が、あたしにはこの域にはどうしても入り込めないのである。

 細野晴臣による音楽は確かに素晴らしいのだが、あらためて映画を観直すと音楽と映像が完全に乖離しているとも取れなくはない。映画において音楽は決して劇伴である必要はないと思うのだけども、実は双方共に微妙に歩み寄れていない作品であるという印象もぬぐい去れない。細野の音楽は映画に先行して作られているような感じがあるのだが、あまりにも独立してて、映像を受け入れないところがどうしてもある。

銀河鉄道の夜(85)
銀河鉄道の夜(85)

細野晴臣


(クリックで拡大表示)

 『銀河鉄道の夜』にはタイタニックのエピソードがあるが、当時からすでに伝説の事故であったということに驚かされる。タイタニックの海難は1912年4月のことで、1896年8月生まれの宮沢が16歳の時に起ったものだが、それから12年後に執筆開始される物語に挿入されることになる。生前に公開されなかったとはいえ、実際の事故がモチーフのひとつとなったのは非常に珍しいことだと思う。(ウィキペディアによるとタイタニックの海難事故は事故から1ヶ月後には米国で映画化されているようだが。)

 宮沢賢治についてふと思う、不思議なこと。宮沢賢治は宮沢と姓だけで呼ばれることは少なくて、たいてい「宮沢賢治」とフルネームで呼ばれるような印象があるんですけど、これはどうしてでしょう。

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2006.07.08

野谷久仁子『手縫いで作る革のカバン』(04)

 革製品好きが高じてこんなものも買ってしまう。革の小物が欲しいと思っても工房で頼むと少なからず費用がかかるからだ。材料費の何倍も作業費がかかってしまう。手縫い程度で済むものなら自分でも形には出来そうな気がする。

手縫いで作る革のカバン(04)
手縫いで作る革のカバン(04)

野谷 久仁子 (著)
大型本: 95ページ
出版社: 日本放送出版協会
(2004/09)

 これを見ていると切り抜く本とかのペーパークラフトの本を眺めているような気になってしまった。ペーパークラフトは型紙をそのまま切り取って組み立てることになるのだが、革製品の作製は革に型紙を写すという手間が加わるだけで、基本的には同じような感じがある。

 革商品にはそこそこ詳しくなっていたが、この本では基本的な革についての知識がまず解かれていて素人には非常に参考になる。3つの作品の制作方法の詳細を示すことで基本的な技術を取得し、そしてさらに18個の作品のチェックポイントにより、特殊なテクニックを身につけるという構成になっている。前半はすべてカラーで眺めるだけでも美しい。また革カバンの表面をあしらった装丁も面白い。本本体はソフトカバーになるのだけど、造本も写真集を思わせるようなスタイルをとってて、これもいい。

 この本を見ていると自分に革製品の作製は不可能ではないと思ってくるのだが、如何せん、費用が馬鹿にならない。基本的な工具だけで最低で1万円強、材料となる革素材を購入するとなると万単位でかかる。ネット通販を調べていると半裁(動物一頭の革を左右で分割したひとつ)で2万5千円から3万円はかかる。3、4万円で市販されているようなブリーフケースは半裁でおそらく1.5個は作れそうなので、素材だけでいうとそんなに高くはないのだけど、一気に使い切る量でもないし、管理が大変だ。スペースは必要になるし、収納する場所ではカビを生やしかねない。

 まぁ、革素材は近所の革工房で分けてもらうということで、MOLESKINE 18 Month Weekly Planner + Notebook 2006-2007のカバーでも作ってみたいと思っている今日この頃である。

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2006.06.27

細野晴臣ほか『YEN卒業記念アルバム』(85)と『銀河鉄道の夜』(85)

 細野晴臣・高橋幸宏によるレーベルYENの最後を飾るアナログ盤『YEN卒業記念アルバム』(85)をオークションで落札。1300円(+送料310円)。ゲルニカもYENに参加していたというのを改めて認識。もちろん純ちゃんのアルバムはだいぶん聴いていたのだけど、細野が絡んでいるという意識はほとんどなかった。

YEN卒業記念アルバム(85)
YEN卒業記念アルバム(85)









(クリックで拡大表示)

 アルバム的にはあんまり面白くないかもしれない。YENレーベル参加者ミュージシャンが一曲ずつ持ちよって作製されたアルバムだが、やはり断片的な構成になっていて今ひとつまとまりがないのだ。YENの多様性には驚かされるが、それが直接今回のアルバムの出来につながる訳でもない。2枚の盤(CDでは一枚)で構成されているが、1枚目は関係者全員よる12inchシングル。このアナログ盤についていえば、A面はまだしもB面は一度聴けばもう聴くことはないかもしれない。

 このアルバムを聴き終えた後、5歳の息子が聴こうと持ってきたLPは、インテリアの『Interior インテリア』(82)だったりする。これもYENレーベルによる中間音楽シリーズの一作目である。いやぁ、愚息もそのあたりのことはちゃんと判っているらしい。これを直立不動で聴き終えた後に更に持ってきたのが、20年前の発売当時に購入した細野晴臣『銀河鉄道の夜』(85)。A面を聴くとすぐにB面にしろとせかされ、再び、A面をかけさせられる。このアルバムははっぴいえんどの頃のボーカルものと同様に細野の傑作であるとあたしも思っているのだが、それをちゃんと息子が判ってくれるのが嬉しい。

銀河鉄道の夜(85)
銀河鉄道の夜(85)

細野晴臣






(クリックで拡大表示)

 久しぶりに細野の音楽を聴いていると、映画『銀河鉄道の夜』(85)を見たくなってしまった。あたしは宮沢賢治はどちらかというと苦手な類に入る作家で、まともに読めたのは『注文の多い料理店』や『よだかの星』くらいか。必要以上の繊細さが苦手である。繊細でも芥川のような「切れる」といった感じの方が好きである。映画館でも半分うとうとしながら観た映画なのだけども、TVとかでちらりと観たり、10数年ぶりくらいにじっくり観たくなってしまって、あたしゃ、DVDをとっとと注文してしまいました。在庫があるかどうかは知らないが。

銀河鉄道の夜(85)
銀河鉄道の夜(85)

杉井ギサブロー(監督)
別役実(脚本)
細野晴臣(音楽)

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2006.06.24

クロード・ランズマン『SHOAH』(85)

 SHOAHとはヘブライ語で「絶滅」を意味する。これはナチスの「ユダヤ人問題の最終解決」によってもたらされたことを指し示す。我々にはTVドラマのタイトルにもなったギリシャ語を語源とする「ホロコースト」がより馴染みがあるが、この言葉は元来ユダヤ教の儀式で捧げられる供物を意味し、ニュアンス的には明らかに不適切である。そこで監督のランズマンは「絶滅」そのものを指し示すSHOAH<ショアー>を用いるに至る。

 3月の始めにオークションで落札(送料込17500円)して以来、積ん読気味だった。完全な積ん読ではなく、1時間ばかり観て、その特異さのあげくに積ん読せざるを得なかったのだ。

「SHOAH ショア」DVD-BOX ~虐殺の証言~
「SHOAH ショア」DVD-BOX ~虐殺の証言~

クロード ランズマン 監督

 この作品は1部2部と分かれるものの、計9時間の長尺であり、すべてインタビューのみで構成されている。「ユダヤ人問題の最終解決」のために収容所で起った事柄が、生き延びることができたユダヤ人、収容所の近辺の住民、収容所を運営していた元SS等のインタビューで描かれる。これらのインタビューは、ヘブライ語、ポーランド語、英語、ドイツ語の各言語で行われるのだが、フランス人監督のランズマンは英語、ドイツ語は話せるものの、ヘブライ語、ポーランド語は話すことができない。通訳をつけてインタビューが行われるのだが、ありのままを撮るということで、通訳のやりとりもそのまま編集されず流される。実をいうとその間が非常に長く、観ることに疲れてしまうのだ。

 ということで、この映画をすべてテクスト化した書籍をオークションで落札(1000円(+送料340円))する。

SHOAH ショアー
SHOAH ショアー

クロード ランズマン





(クリックで拡大表示)

 何について話されているのかというのは文字の方が理解しやすい。ページ数は500ページ近くあるのだが、素人のインタビューを起こしているだけなので、長い語りはなく、また、字幕のように細切れに記述されているためにページが増えているだけである。

 その内容については、再び。いま、ようやく第一部を見終えたばかりだから。

 この映画は第一部がWOWOWかNHK衛星で7、8年前に放送されたことがある。続きがあるというのを知っていたが、あたしが見逃したのか、プログラムに乗っからなかったのか、TVでは観ることができず、とても悔しい思いをしたものだ。

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2006.06.18

DVDソフト2

 先日、DVDが160枚収納できるキャリングケースを買ったが、結局、すべて収納できていなかったので、もう一つ買ってくる。

 TWENTY FOURや刑事コロンボのBOXをまだ収納していなくて、これらだけでも58枚ある。こういったBOXモノはそのままBOXに入れておけばいいじゃないかという言い方もできるかもしれないが、箪笥の肥やしになってしまう可能性が高くなるので、すぐに手に取れる状態にしておいた方がよい。

 ER緊急救命室のソフトシェルBOXがシーズン1からシーズン9まであるのだけども、これは半分くらいは片面1層の両面仕様になってて、袋に入れる訳にはいかないので、すべてをケースへの収納から除外したのだが、それでもケースは残すところ25枚ほどのスペースがあるだけである。ということは、160*2-25+9*6は最低あるということで、349枚ですか。いや、我ながらちょっと異常ですね。

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2006.06.14

PRE HIKASHU『1978年春 LIVE・PART2 』(78)

 しばらく待っていると、やはりオークションで出品のあったPRE HIKASHUのライブCDのパート2。パート1は3月末の落札。今回は定価1800円を1280円(+送料200円)で。

1978年春 ライブ・パート2
1978年春 ライブ・パート2

PRE HIKASHU


 さっそくmp3に変換してPCに取り込んで聴いてみるのだけど、奇天烈なライブなので50分間ノンストップは今日のような疲れている日にはなかなか聴こうという気になれず、すでに聴き慣れたパート1を聴いてしまう。

PRE HIKASHU
PRE HIKASHU

PRE HIKASHU

 このアルバムの「1978年夏」という19分あまりの曲が心地よい。完全なミニマルミュージックで単調な音階が延々繰り返し演奏されるのだが、すでに虚ろになっている頭の中で気持ちよく響くのだ。トランス状態になるというのか。こういう音楽もたまにはよい。

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2006.06.11

東雅夫編『文藝百物語』(97)

 一緒に注文した加門七海の『怪談徒然草』は発注後在庫なしでキャンセルされたにもかかわらず、ごく普通に届けられたのが東雅夫編『文藝百物語』だった。

文藝百物語
文藝百物語

 タイトルにもあるように百物語なのだが、東京の古びた旅館でホラー作家、井上雅彦、加門七海、菊地秀行、篠田節子、霜島ケイ、竹内義和、田中文雄、森真沙子の8人によって実際に行われた百物語を収録したもの。文藝と冠がついているのがよく判らない。一応、作家によるものだからか?

 旅館では電話の使用を始めとして、部屋からの出入りを一切禁じることにより結界を張ったという。部屋の四隅には盛塩。本書では99話の怪談が収録されているが、実際には130程の怪談が語られたと云う。それで、異変が起ったかというと何事もなく、書籍が発行されてからも(文庫本化あとがきによる)参加者に異常はなかったらしい。まぁ、健全な百物語なのである。

 ということで、結論からいうと各話はそんなには怖くないし、8人の参加者が適当に話を序でいくものだから、構成的な面白さも特にはない。どちらかと言えば、ちゃんちゃんと云う印象である。

 しかし、文庫本化される前のこの書籍は伝説化していたと云う。というのは、この中の霜島ケイによる「三角屋敷の怪」という話が、本人も住んだことのある東京某所の三角マンションにかかわるもので、現代の呪術実験が間違いなく、しかも悪意を込めて行われているという、ちょっと薄ら寒くなるような内容なのだ。家相の悪い三角地に三角のビルを建て、そこに人を住まわして、屋上で術を行い、地下に何かを飼っているという。誰が何を目的でそんなことをしているのか判らないが、それに気づいた人間にもいろいろ攻撃をしかけている。

 この話をもっと詳しく語ったのが、加門七海の『怪談徒然草』の最終章でもある。加門は霜島がそこに住居していた当時、遊びに来るように招かれたことから、そのマンションに係わることになるのだが、その語りから、企みをしている人間の執拗さがうかがわれ、怖い。しかも、直接的な形で関ってくるのではなく、術を使っているようでなおさら不気味である。真剣に怖いとは思わないけども、世の中にはいろいろなことがあるのだな、とつくづく思う。

 一番怖かった本はやはり、新耳袋の第1夜と第2夜かな。さすがにこの2冊だけは夜に読む気にはならない。

新耳袋 現代百物語〈第1夜)
新耳袋 現代百物語〈第1夜)


新耳袋 現代百物語〈第2夜)
新耳袋 現代百物語〈第2夜)

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2006.06.07

加門七海『怪談徒然草』を精読

 ざっと読み終えたものの、興味深いことがそこかしこに書かれていたので、付箋紙を片手に再読。こういった本の読み方は始めてである。まぁ、そのくらい面白かったということだ。

怪談徒然草
怪談徒然草

加門 七海 (著)

 どちらかというとホラーというより、文化としての術であったり、それを基にする霊の出現(それがあってこその術なんだけど、段々反対のようにも思えてくる)があったりで、非常に興味深いのだ。

 興味深かったことをいくつか断片的(纏めて)にあげてみると、

・病弱だったわたしが寝ていると背中から引きずり出されるような経験をし、一晩中、母親に抱き締めて貰った。それ以降、わたしは元気になった。安倍晴明の伝説にも、身固めの術といって青年貴族を一晩抱き締めて取り憑かれた死霊から守るというものがある。

・「大丈夫な人は大丈夫だし、それで憑かれちゃう人は憑かれちゃうし。運の問題かなって思いますもん。」

・葬式で塩を撒くのは亡くなった人が憑いてくるからというよりも、死の雰囲気に対して。こういう穢れは伝染するもので、江戸末期には葬式後、使用人が出歩いたため村中に死穢が伝染したという記録がある。葬式の後には、斎場でなにか一口でも食べて、それを持ち帰らないことでお清めを行う。

・悪い土地で新築の家の骨組みにお札を貼り、上からコンクリで塗り固めた。絶対に剥がれないように...

・しりとりは魔除けになる。終りのないものやそういう図形にはあの手のモノは入れない。回文にも呪術的な意味がある。

・素人は術を使ってはいけない。術には厳密な作法があり、それを守れない場合は自分に降り懸かってくる。遊び半分で九字を切るのは怖い。

・いきなり来る幽霊はほとんど性格が悪いだけ。ほぼ愉快犯みたいなもの。一番怖いのは本人に因果がある場合。

・普通の霊は本名で呼んでくる。生霊はペンネームで呼んでくる。

・三角形の土地・建物はよくない。三角に枝分かれをした股のところは、神か魔が宿る場所。ダウンジングロッドに使う木がなぜY字をしているか、川の分岐点に神社がある理由は三角形であることにある。

等々。

 著者である加門という人は専攻は明らかにされていないが、多摩美の院卒らしい(ちなみにあたしの弟も多摩美出身で一級建築士をしている)。卒業後、美術館の学芸員になり、その後に作家になったと云う。伝奇関係の著書も多く、文献資料による調査もかなりのものではないかと思われる。知識に裏打ちされた体験の披露は、現象の咀嚼も楽しくなるものである。

 それにしても文化と云うことがいかに重要かと知らされる。しりとりの話を聞かされると、どう考えても日本語でしか通用しない。それが霊に対しても通用するのだから、不思議なものである。日本の文化の中で生きていた者が死んで霊になるんだから、その霊に対してはその文化に纏わる術が有効と云うことなのか。いわゆる「ことわけ<言分け>」に纏わるものばかりで、本来、世界共通とも思われる生理的な「みわけ<見分け>」に関するものが少ないことが不思議である。

 この本については非常に楽しめたけども、フィクションについてはどうだろうなぁ。絶対的に面白いだろうと断言できないところもある。


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2006.06.04

映画のモノラル音声

 先日、購入した市川準監督の『トニー滝谷』のDVDなのだが、収録音声はモノラルだった。2004年製作の非常に新しい作品なので意外だった。最近のDVDというと5.1chは当たり前になりつつあって、さらに加えてdts版音声も収録されていたりする。そういう中でモノラルというのは、どうしてもスぺック的に劣ると云う気がしてしまう。

 今時、DVDにする際にわざわざスペックダウンすることはないと考えられるから、オリジナルからモノラルなんだろう。

 映画のステレオ音声というのは考えようによっては非常に難しい。音楽なら定位置でステレオ録音しても全くおかしくはないのだが、映画の場合、人の台詞をステレオで収録することを考えた時、カット割が激しい場合、位置の管理が難しくなる。カットの通りの位置で音声を捉えてもよいはずだが、あまりにそれに忠実になると聞き取り難くなるはずである。普段、映画を観ていてあまりそういう感じにならないのは、台詞のパートに関してはかなりモノラルに近い状態で収録し、効果音・BGMをメインにステレオ化しているのかもしれない。DVDソフトの5.1chサラウンドシステムでは台詞を中央のスピーカーから流すというシステムになっている。

 それにしてもサカモトの音楽までモノラルにしてしまうのは勿体ないという気はする。

 映画の神様のタルコフスキーの映画もすべてモノラル。最近、ロシア本国の会社が何本かの作品をデジタルリマスターしたうえで、音声を5.1ch化したDVDをリリースしたが、妙にこってりとした音声づくりで嫌気がさすものだった。やはりオリジナルの意図したものとは異なるというのが明らかである。当初、5.1ch化した音声のみでリリースしたものだから、購入者から避難を受け、すぐにオリジナル音声を加えたもので再リリースし直していた。

 市川もタルコフスキーもどちらかと云えば映像の方の強い人。音声の二の次なのかもしれないと思ったりもする。とはいえ、ステレオがモノラルよりも優れているかと云えば単純にそうでもないとも思う。現実に近い状態で再生されるハイファイが本当に理想かどうかというと絶対にそうであるとは断言しかねる。問題は、作り手の意図である。調べているとどうやらキューブリックもステレオ嫌いだったようで、遺作以外はオリジナルはモノラルで撮られているらしい(DVDは大半が5.1chリミックス済)。

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2006.06.03

霊感と無痛症 / 加門七海『怪談徒然草』(02)

 昨日、わざわざ書店まで買いに行ったというのが加門七海という人の『怪談徒然草』。もう10年くらい執筆活動をしているような人らしいのだが、最近まで知らなかった。まだ全部を読んではいないのだが、学生時代、中国を40日ばかり旅行し、あの上海の列車事故の前日に被害者となった一行にあったと云っていることから、あたしと数歳違いの同年代の人らしい。

怪談徒然草
怪談徒然草

加門 七海 (著)

 著書は本人の体験談を語った後、それに関して数人で対談といった作りになってて、それが4回の構成になっている。この本は最後の章が目的で買ったのだけど、それ以前に、霊体験のすさまじさにびっくりする。

 霊感が強い人は当たり前のように見えるらしいのだが、霊感のないあたしからするともう「なんなの、それ」という感じ。さらに、人間と同じように悪いヤツもいれば、そうでないヤツもいる、らしい。付き合い方を注意すれば、大ごとにはならなさそう。我々だって、ヤッちゃんに絡むのは端から無謀と云うヤツで、むしろ見かければ上手くその場から離れた方が賢いと云える。

 体験談を読んでいると、「君子危うきに近寄らず」でとにかくヤバいところからは逃げるようにしているのがよく判る。見えるだけでお祓いをするという能力がないから、なんの手の打ちようのないのだ。彼女はそうやって、あっちの人たちとうまくやり合っている。

 この本を読んでいると、霊感の全くないあたしたちは実はとても危険な状態に晒されているのではないかとかと思ってしまう。霊感がある人は事前に危険を察知でき、それを避けることが可能だが、我々は何も知らずに良からぬ事態にいてもおかしくはない。よく云えば「知らぬが仏」で悪く云えば無痛症である。無痛症はとてつもなく恐ろしい疾病だが、そういう一面を常に抱えているのかもしれないと云う気もする。

 他人の霊体験とかを完全否定する人もいるけど、あたしはやはり彼岸は存在すると思うな。何とはなくだけど。


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2006.05.30

あと50年生きなければならない人達へ / 板倉文『BU・SU/麦子』(87)

 市川準の『トニー滝谷』(03)をみ、チャクラの『CHAKRA』(80)を聴いたので、市川準の監督デビュー作で板倉文が音楽を担当している『BU・SU』(87)のサウンドトラッが聴きたくなった。すでに廃盤で、オークションで落札した。2000円(+送料160円)。

BU・SU/クリックで拡大表示 いきなり帯のコピーに目が釘づけになってしまった。

 『あと50年生きなければならない人達へ』

 インパクトのあるコピーだ。この映画は映画館で公開当時見たのだが、こんなコピーがつけられていたとはまったく記憶がなかった。実を云うと、映画の物語すらまともには覚えていないのだ。富田の演じる女の子が、置屋で芸者をやりつつも、高校に通って、文化祭で八百屋お七を演じることくらいか。この映画にもイッセー尾形が出演しているらしいのだが、それもまったく覚えていない。

 それにしても、普通の神経では口にできないような言葉がコピーになっている。もちろん、肯定的な意味での応援がそこではなされていたはず、なのだが、このおおっぴらさにあらためてびっくりしてしまう。余談。『あと50年』からすでに19年。富田はあたしより4歳年下だから、いまのあたしは『あと27年』。長いのか短いのか。今までの感じだったら、あっという間なんだろうな。

 音楽は板倉にしては随分と固め。こんな音楽を背景に演技が出来るのかしらん、という気もしてしまう。ドラマ的では決してない。ちなみにチャクラの小川美潮が西尾美汐名義で團伊玖磨の『花のまち』を唄っていたりもする。

 もう20年近く前のことにはなるものの、どう記憶を絞っても、やはり内容を再構築できずにいる。あたしとしては本当に珍しい。

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2006.05.29

学生と革カバン

 BREE ブリーのELCH エルクを使い始めてひと月。それまではユニクロの2000円のディバッグを6年くらい使ってて、違和感があったのが、大分、板についてきた。

 革カバンというと非常に大層な気もするが、よくよく考えてみると、小学校、高校は間違いなく革カバンだった。

 小学校は言うまでもなく、ランドセル。あたしもごく普通にランドセルを使っていたが、3年生の時に新設校に移った際、ナップサックというナイロンリュックを使用するように指導された。まぁ、ナイロンなのでとにかく軽かった。ナイロンが裂けてダメになるまで使い、小学校最後の半年に再びランドセルが復活した。

 中学校は白地の帆布の掛けカバン。これが非常にダサいカバンで、カバンには大きく校章なんかか入ってたりする。今もあれを使っているのだろうか。雨の日、傘を持ってなかったりするとカバンの中身、全部がびしょ濡れになっていた。

 高校は革カバン復活。黒い学生カバン。ランドセルは確か牛革ものを買ってもらった覚えがあるのだが、こちらは合皮のクラリーノだった。本革だとどのくらいしたのだろう。おそらく馬鹿にならない額だと思う。今使っているエルクなんて、あの学生カバンをもっと簡単にしたつくり。このページを見てもらえれば判るのだけど、学生カバンは本当に細かく作られている。

 まぁ、本革のいいカバンを持っている奴に限って、中の芯(マチ)をぜんぶ抜いて、表と裏の革だけを合わせてしまってペッチャンコにしてたものだ。さらに表に蝋を塗ってテカテカにしてたような気もする。あたしはその正反対で、英語のある日なんぞ(ほぼ毎日だが)、コンサイス英和、なんちゃら英和中辞典、なんちゃらイデオム辞典、ついでにコンサイス和英辞典という感じで、辞書を持ち歩き、とうぜん、国語のある日なんぞも、数冊の国語辞典を持っていた。20cmの厚さの学生カバン+手持ちカバンということで、自転車通学ならではだった。自転車の荷台にカバンをくくるのも面倒なので、横につける横カゴを愛用していた。カバンをそのまま上から落せば収納出来たから実に楽だった。

 そんなことを思い出して、今はどうなのかと見わたすと、少なくともあの黒い学生カバンというのは今はまったく使われていないことに気づき、びっくりする。学生カバンって、高校生の象徴だったはずなんだけど、リュックやらスポーツバッグみたいなのばかりになってしまっている。通勤途中にいくら目を凝らしても、学生カバンを発見することはできなかった。

 親の負担を減らすためか、そもそも学生カバンが格好悪いと云うのか。あたしたちが愛用していたものが姿を消してしまうと云うのは淋しいものである。

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2006.05.24

市川準『トニー滝谷』(04) その2

 昨日届いたDVD『トニー滝谷』を今日も観る。

 市川準というとやはり映像美の作家である。特に印象深かったのが、『ノーライフキング』で子供たちが本当のリアルを発見するシーン。映像だけで、世界が光り輝いているのを見事に見せてくれた。フォトジェニックというだけの問題ではなかった。世界に対する驚きの息遣いがそこにあったように思う。

 『トニー滝谷』は光の中の世界。光の中といっても、人間が光を背から浴びると、逆光になって鮮明には見えなくなる。そんな、光だ。7割が室内のシーンで、その背後にはいつも大きく窓が切り取られている。

 DVDには映像特典として村松正浩によるメイキング「晴れた家」が収録されている。これを見ると、この映画の撮影がいかに特殊だったのかが判る。室内のシーンは、少なくとも10箇所はあるように思われるのだが、そのほとんどが横浜市内の空き地に設けられた、黒布のテントを天井にし、左右の壁だけをつくっただけという簡易なセットで撮られている。だから、異なるシーンを撮るためには壁を取り替え、小道具を配置し直すという1時間程度の作業時間で済んだりもする。セットの正面の空間に常に大きな窓が設けられていたのは、壁がない状態で単に風景が生の状態で見えているだけというのが実際だったようだ。

 極めて特異な撮影の仕方をし、実験的とも捉えられかねないのだが、あたし的にはごく普通に観ることができた。だから、後からメイキングでその手法を知らされてびっくりした。

 メイキングは観ない方がよかったのかもしれない。映画の舞台裏を知るとこは少しも必要ないからだ。場合によると悪い影響をもたらすこともある。しかし、こういった方法を採らなければならなかったのは、何割かは低予算で映画製作をしないといけないということもあったはずだ。制限された中で最大の効果を発揮する方法を見い出す。それも芸術の芸術たる所以のひとつではないかとも思う。表出の技術の問題だ。今回、市川は間違いなくそれに成功している。

 そして今回の坂本の音楽は、あまり表に出てきていないことに評価する。

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2006.05.23

市川準『トニー滝谷』(04)

 昨日の昼に注文したのに、今日の夕方には到着。ここは本州ではない田舎なのに、この早さは一体なんなんだ。便利なことこの上ないのだけど、異常さがかえって目についてしまう。

 ということで、市川準の「トニー滝谷」を観た。

トニー滝谷(05)
トニー滝谷(04)

監督: 市川準
出演: イッセー尾形, 宮沢りえ, 西島秀俊

 やー、市川さんの作品って、一作目「BU・SU」、「会社物語」を劇場で観た後に「ノーライフキング」、そして途中から「大阪物語」を衛星放送で観た程度なのだけど、それらの作品のまんまに「トニー滝谷」も作られていた。とても安心した。

 この人の作品というのは前半は非常にクールに突っぱねた感じで作られる。ダメダメ人間はダメダメそのもので描くのである。非常に淡々とした描き方。今回の作品はその最たるもので、孤独を常に感じている人間を描いているものだから、余計にそれが際立つ。村上春樹の小説を原作にしていて、かなり忠実なつくりになっているらしいが、十分以上に市川の世界になっていた。

 回想部分の場面展開に特徴があって、左から右にドリー移動して物陰に画面が遮られて、そのまま右に画面移動しながら物陰から次のシーンが現れる。こういった画面展開は映研時代の先輩の映画でもやってて、そん時は、撮影で失敗をして、最初のシーンが右に移動して消えるのだけども、次のシーンは左へ移動して現れるという訳の判らない維ぎになってしまって、件の先輩は頭を抱えていた。画面展開のこの特徴でリアリティーが喪失し、全体を漂う孤独に対する閉塞感が増す。

 小説にかなり忠実であるということなのだが、最後の数分は映画のみの描写が加えられているらしい。というか、この数分間こそが市川映画の真髄でもあったりするのだ。結局、市川は村上の小説を利用して、いつものテーマを撮ったのだと思う。

 宮沢りえ、髪型が「ローマの休日」のヘップバーンそのもの。あんまり似合ってない。正面からの図は、デビュー当時(「1999年の夏休み」)の深津(水原)絵里のよう。

 そうしてやはり昨日と同じく、『いつもの習慣で目を瞑っていちゃ、いけない、と思う。』のだった。

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2006.05.21

日曜の夕方の楽しみ

 中学校から大学に入るまではラジオは生活の友だった。今でこそ、書斎机の上に液晶TVがあって、通常のTV放送やDVDがいつでも見られるが、当時はラジカセだけが頼りだった。

 ラジオというと勉強時のBGMであって、受験勉強の多かった中学・高校時代は深夜放送やらよく聴いていたものだが、大学に入ってからは家にまともにいることもなく、ほとんどラジオを聴かなくなってしまった。それから20年あまりが経つ。

 以前、よく聴いていた番組というと云わずと知れたオールナイト・ニッポンなのだが、NHK-FMのはかま満緒司会の「日曜喫茶室」も好きで、日曜の午後をゴロンとしながらよく聴いていたものだ。ラジオというのは、「乍ら」がよく似合う。というか、乍らでないとやはり手持ちブタさんになってしまう。今の余暇の過ごし方というと、活字文化やら映像文化に対して時間を消化することが多い。これらのことは、今ひとつ、ラジオをBGMにするということに馴染まないのだ。もっとも、それ以前に部屋にラジオがないという話もあるのだけど。

 昔のラジオというと、合皮の妙にしっかりしたカバーの付いたものが多かったなと思い出す。小振りということはなくて、やはり大きめ。存在感が妙にあった。

 今、唯一、ラジオの聴くことのできる空間というと車である。車にラジオは非常によい取り合わせである。車を運転しながらのラジオを聴くと、何とも云えぬ「乍ら」快感を味わうことができる。ここ最近、この快感をあらためて実感し、久しぶりに週末になるとラジオを聴くために車を転がすようになってしまった。環境問題を考えると決して好ましいことではないんだけどね。

 それでお気に入りの番組というと、日曜の午後5時からやっている日産提供の「あ、安部礼司 BEYOND THE AVERAGE」というFM番組。安部礼司というサラリーマンを主人公にしたドラマで、安部礼司、つまり、「アベレージ(aberage:平均)なサラリーマン」という主人公の名前からして語呂合わせのふざけたコメディードラマなのだけど、何とはなく聴いてしまうのだ。最近は、この番組を聴くために日曜の夕方には車を出して、街を流している。

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2006.05.19

イッセー尾形の一人芝居

 イッセー尾形の一人芝居がNHKで放送されているのを見た。10年ちょっと前にはよく放送していたように思うのだけど、最近はちっとも見かけなかった。あたしが見逃していただけか。数年前、当地でも彼の一人芝居が催されたが、観に行くことにはならなかった。生で見るのはそれなりに素晴らしそうだが、VTRとかで繰り返し見ることでいろんな発見があってそちらの方が似合ってたりする。彼の芸は本当に細かいのだ。

 彼の一人芝居は嫌いではなくって、大好きなのだが、しかし、時たま、なんとも云えぬ寂しさの雰囲気に襲われたりする。ひとりで芝居をしている事によるものなのか、イッセー尾形と云う人間があまりにも生真面目な人間でそれがふと垣間見られるためか。

 一人芝居は虚構芝居の最たるもので、芸の極みでもある。一から十までをそこに作り上げないといけないと云うプレッシャーは相当な物でないかという気がする。それが時たま見えてしまうと云う気がするのだ。

 イッセーも歳を食った。アホなお巡り役で笑いをとっていた頃がなんだか懐かしい。

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2006.04.24

DVDソフト

 映画のDVDソフトがいい加減多くなってきたので、先日、DVD本体とカバーを除いてケースを別にまとめるとダンボール2箱になってしまった。処分するつもりが、まだ部屋の片隅に置かれている。カバーばクリアファイルに入れて保存、DVD本体は不織布のホルダーに入れ、ダイソーで買ったホルダーに閉じていたが、5冊くらいになってばらついてきたので、ひとつにまとめるべくエレコムの160枚収納可能なCD/DVDケースを買ってきた。

エレコム CD/DVD用キャリングケース 160枚収納
エレコム CD/DVD用キャリングケース 160枚収納

 色気のない収納ケースで一枚のシートに片面4枚、両面で8枚DVDが収納でき、それが20枚ある。それなりに順番を考えたりして入れていたのだが、途中でどうも足りないような気配になり、あえて隙間を空けているところにもディスクを突っ込んだのだが、結局、10数枚は入らなかった。他にBOXモノがあって、50枚はある。

 となると、うちに一体何枚のDVDがあるのかということになる。ざっと、230枚は下らない? ちょっとゾッとしてしまう。

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INOYAMA LAND『DanZinDan-PojiDon』オリジナルアルバム(LP)(83)

 先月、INOYAMA LAND(イノヤマランド)の『DanZinDan-PojiDon ダンジンダン・ポジドン』の廃盤CDを入手したところだが、ヤフオクでオリジナルのLPが出品されていたので落札する。CDもなかなか出てこないので、もうしばらくお目見えできないのかと思っていると、1ヶ月ばかりで入手できた。落札価格は1800円(+送料290円)と一応、定価(2200円)以下の価格。

DANZINDAN-POJIDON
DANZINDAN-POJIDON

イノヤマランド






(クリックで画像を拡大表示)

 このアルバムはしばらく聴かないと良さの判らないものだった。いったん馴染むと素晴らしくよい。LPとCDを聴き比べてみると、CDの方が音の切り分けが鮮明な感じがした。CDはREMIXでもしているんだろうか。

 このアルバムに興味を持ったら、音は恐ろしく悪いがライブ盤である『1984 PITHECANTHROPUS』(02)もやはり聴いておきたい。

 ヤフオクで入手したアルバムでレビュー出来ていないものがかなりの数になった。音楽は本以上に消化が難しいのではないかと思う。理由はそれだけではないけど、しばらく、ヤフオクの落札は休止の予定。と言いつつ、ついさっき、一件、CDに入札を入れてしまったりするのだけどね。

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2006.04.21

ヤン・デ・ボン『TWISTER ツイスター』(96)

 仕事の帰りにコンビニに寄ると見かけてしまい、ついつい買ってしまう。以前から、欲しかったDVDなのだが、なかなか廉価にならず、購入に至らなかった。数年待って、やっと買うことが出来た。

TWISTER(96)
TWISTER(96)

監督: ヤン・デ・ボン
出演: ヘレン・ハント, ビル・パクストン

 竜巻の研究者が竜巻に観測装置を飲み込ませようとして、四苦八苦するという極々単純な、物語があってないような映画なのだが、何とはなく好きなのだ。竜巻のCGがスゴいとか、そういうことでなくって、主演のヘレン・ハントがとてもいいということ。父親が竜巻でなくなった体験から、竜巻を解明することを使命として、竜巻に体当たりするという、いわば攻撃性トラウマを持つ女性を彼女が演じるのだが、まぁ、その凛とした様子が非常によいのだ。はまり役中のはまり役という感じですな。突っ走る女性が描かれていても、ヤン・デ・ボンの映画では何故か嫌味にならない。たぶん、人格がないからなんでしょう。そういうのが判ってても、やはり ヘレン・ハントは輝いている。

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2006.04.16

Interior『Interior(インテリア)』(82)

 以前に記事にしたInterior『Interior(インテリア)』(82)がヤフオクに出品されていたので落札。送料込みで600円。すでに持っているアルバムだが、盤がかなり傷んでいたのだ。

 落札したものはジャケット・ライナーノーツも非常に綺麗で、当然、盤も綺麗。さっそく、ほとんどノイズのない状態でPCに残す。CDでも再発売のないアルバムは本当に困る。

Interior/クリックで拡大

Interior/Interior(82)


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2006.04.15

坂本龍一『左うでの夢』(81)

 坂本龍一のアナログ盤のソロアルバムが同一出品者によって何枚かオークションに出品されていたので、複数枚同時に落札する心つもりで入札した。正式に落札出来たのは、結果的に『左うでの夢』(落札価格310円+送料340円)一枚だけだった。

左うでの夢(81)
左うでの夢(81)

 龍一の3rdになるアルバム。龍一を知ったのはもちろんYMO以降になるが、78年の『千のナイフ』を除いてしばらくはリアルタイムで追っかけていた。あたしは小遣いも少なく、アルバムに関しては無断で新聞配達のアルバイトをしていた親友がすべて購入し、それをテープに録音させて貰っていた。ということで、あたしはオリジナルをほとんど持っておらず、今、再収集のようなことをやっている。

 彼のアルバムの中では異色なのではないかという気がする。彼の音楽はどちらかと言えば冷たい。寒色系の音楽が多い中、このアルバムはやや暖色系の印象がある。糸井重里の歌詞がシュール。1曲目の『ぼくのかけら』のドラム(というより太鼓か)が、年に一度は頭の中で聴こえてき、久しぶりにちゃんと聴きたいと思っていたアルバム。

 龍一の1stになる『千のナイフ』も実は一緒に送ってもらった。このアルバムは当初、『左うでの夢』等と一緒に出品されていたが、後で出品取消された。出品者さんとのやりとりでふとしたことから無償で譲ってもらえることになった。この出品者さんには非常に感謝している。

千のナイフ(78)
千のナイフ(78)

 このアルバムを聴くのはおそらく24、5年ぶりになる。アルバムタイトルにもなり、YMOでも定番となっていた『千のナイフ』が第一曲目。アレンジこそ多少違うものの、あの『千のナイフ』には変わりない。『Grasshoppers』は初めて聴いた時、インパクトがあって、そのタイトルは決して忘れることはなかったのだけど、聴き直してみて、こんな曲だったかと思う。名ピアニスト高橋悠治との共演。ラストは『The End Of Asia』。これもYMOでは定番になっている曲。シンセサイザーが多用され、この後、YMOに発展するのは必然的なような気がする。

 2nd『B-2 Unit』は以前からCDを購入し、すでにごく普通の一枚となっていた。まぁ、これがいちばん実験色が強いのだけど、『Thatness And Thereness』とかも好きで購入を急いでいた。

B-2 Unit(80)
B-2 Unit(80)

 他に何枚も龍一のアルバムは持っているのだけど、彼の音楽は閉塞感が強い。メロディーライン、和音が美しいものの音楽が抜けず、うちに籠るような傾向がある。ずーっと聴き続けていると、段々憂鬱になってくる。こういうのって、もしかしてあたしだけ?

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2006.04.14

USB Sound Blaster Digital Music PX

 CD化されていないアナログ盤もあり、盤の劣化に対応するため、早々にPCに録音保存しておきたいと思っていたが、我が愛機(Let's note CF-W2)のマイク端子はモノラル入力しかできず、これまでは実行できずにいた。入手し難い盤を聴きまくっているので、いい加減、録音をできる環境を作らないといけないということで、USB接続の外付サウンドボードをお昼休みに買いに行く。本当はRoland製のものが欲しかったのだが、1万円弱し、その店頭にもなかったので、Creative製のものを買う。おそらくネットで買うのより、2000円くらい高かったはず。田舎のリアル店舗で買うと本当に品はないし、高くつく。

USB Sound Blaster Digital Music PX
USB Sound Blaster Digital Music PX

Creative 外付けサウンドボード

 いろいろ付属ソフトがついているけど、いつものように使えない。製品は純粋に入力のインターフェイスとしてのみ使って、録音や編集については今まで使っているフリーソフトでそのまま処理する。この製品については高音の伸びが悪いという批判があるが、確かにそういう傾向はあるものの、目的を果たすのには全く問題なく、十分だった。

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2006.04.11

INOYAMALAND『1984 PITHECANTHROPUS』(02)

 先日、入手したINOYAMALAND(イノヤマランド)の『DANZINDAN-POJIDON(ダンジンダン・ポジドン)』(83)なのだけど、やはり聴いているうちに良くなってきた。耳に馴染むと云うのか、単調な繰返しに何とはなく心がやすらぐ。

DANZINDAN-POJIDON
DANZINDAN-POJIDON

 今回新しく手に入れたのは、そのINOYAMALANDによる1984年、ピテカントロプスでのライブ演奏音源。1201円(+送料160円)での落札。かなり淡々として演奏をしており、スタジオ演奏のオリジナルに比べて大きな違いはなく、ちょっと粗いといった感じか。しかし、ああやって、淡々と演奏をするというのはどういう気持ちになるのだろうか非常に興味ある。聴く側にとっては音楽が音楽でなくなりそうな瞬間があったとしても、奏者からすると決してそんなことがあってはならない。アンビエントのライブとはとても不思議。

1984 PITHECANTHROPUS
1984 PITHECANTHROPUS

1984 ピテカントロプス

 プレ・ヒカシューが即興演奏と云う"場による音楽"だったが、こちらは完全なるレールの上。こういった変化はどうして起こったのか。

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2006.04.09

EPO祭り

 ヤフオクで一括でエポ(EPO)のアルバム(アナログ盤)が出ていたので、落札する。2nd『Goodies』を除く、1980年の1st『DOWN TOWN』から1986年の『PUMP! PUMP!』までの一連の8枚。『VITAMIN E・P・O』がダブってしまったが、落札価格1000円(+送料550円)とずいぶん安かったので、まずはOK。

 EPOは1stの『DOWN TOWN』をリリースした時、まだ19歳。日本女子体育大現役でのデビューで、82年の『うわさになりたい』の頃に中退したようだ。『オレたちひょうきん族』のエンディングに『DOWN TOWN』が使われて、いちやく有名になったはずだが、どんな学生生活を送っていたのだろう。想像できない。

 何枚か軽く聴いてみた。

DOWN TOWN(80)
DOWN TOWN(80)

 すでに26年前の作品になるが、まったく古さを感じさせない。ストレートな歌い方は爽やかそのもの。シンプルさ故にか大人の歌を感じさせるものがある。

JOEPO~1981KHZ(81)
JOEPO~1981KHZ(81)


う・わ・さ・に・な・り・た・い(82)
う・わ・さ・に・な・り・た・い(82)

うわさになりたい

VITAMIN E・P・O(83)
VITAMIN E・P・O(83)

ビタミンEPO

HI・TOUCH-HI・TEC(84)
HI・TOUCH-HI・TEC(84)

ハイ・タッチ-ハイ・テック

THE BEST STATION JOEPO 1980-1984(84)
THE BEST STATION JOEPO 1980-1984(84)

 ベスト盤であるにもかかわらず、単に既成の曲を集めただけでなく、ちゃんとリミックスしたり、アレンジを変えたりして、ベスト盤の枠を超えた一枚。『くちびるヌード・咲かせます』は高見知佳が資生堂CMで唄った曲。知佳の可愛らしいイメージがあって、EPOのボーカルではちょっと太すぎるかも。でも、名曲には違いない。

HARMONY(85)
HARMONY(85)

ハーモニー

PUMP! PUMP!(86)
PUMP! PUMP!(86)

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2006.04.03

鈴城雅文『原爆=写真論-「網膜の戦争」をめぐって』(05)

 興味深い写真論を知った。

 写真論を始めると非常に難しい。写真は現実に存在するものを対象にしているが、それが現実そのものかどうかはっきりしない。スナップ写真と芸術写真と呼ばれるものはどう違うのか。各々を個別に論じていれば、完全な袋小路にはまってしまい、論を捨ててしまうことにもなりかねない。学生時代に読んだ、ロラン・バルト、J・デリダのこの著名な思想家の著した写真論は、いずれも思索を放棄してしまっているように思えた。

原爆=写真論―「網膜の戦争」をめぐって


原爆=写真論―「網膜の戦争」をめぐって

鈴城 雅文 (著)

単行本: 197 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 窓社 ; ISBN: 489625077X
(2005/06)


 『原爆=写真論―「網膜の戦争」をめぐって』に関していうと、ヒロシマ・ナガサキで撮られた写真をもとに写真が論じられる。原爆投下直後にたまたま撮られたきのこ雲の写真から、軍の広報係として原爆の災禍を意図的に撮ったもの、そして、継続する災禍を撮り続ける者が出くわした状況等、原爆に纏わる写真を通して、写真とは何かが論じられる。

 写真とは何かと簡単に云うが、それは、写真を撮る者の問題でもあり、更にはそれを観る者の問題でもある。これらがすべて絡めて論じられて、ようやく本当の写真論になる。

 原爆写真をターゲットにすることによって、これらの問題を一気に論じることが出来た。他にこれ程の題材は思いつかない。論者は原爆写真に注目したことで、すでに成功を約束されたようなものだった。

明るい部屋―写真についての覚書(80)
明るい部屋―写真についての覚書(80)

ロラン・バルト(著),花輪 光(翻訳)

単行本: 157 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: みすず書房 ; ISBN: 4622049058
新装版(1997/06)

視線の権利
視線の権利(83)

J.デリダ(著), M.F.プリサール(写真)
鈴村 和成(翻訳)

単行本: 199 p ; サイズ(cm): 21 x 15
出版社: 哲学書房 ; ISBN: 4886790240
3巻 (1988/07)

(クリックで拡大表示)

 抽象的な哲学的言い回しの著書を読むのは久しぶりで、咀嚼には時間が係るかもしれないが、じっくりつきあってみようと思う。

写真ノート
写真ノート(84-88)

大辻 清司 (著)
単行本: 327 p ; サイズ(cm): 21 x 15
出版社: 美術出版社 ; ISBN: 4568201306
(1989/05)

(クリックで拡大表示)

 写真論で面白かったのは、アサヒカメラに連載されていた大辻清司の『写真ノート』。写真家の日常的な思索がまとめられたもので、著者の素直な率直な写真に対する態度は、写真の奥深さがあらためて再認識され、もう一度、我々が写真と真摯に向き合う機会を与えてくれるものである。

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2006.04.02

キネマ旬報社/キネマ旬報映画総合研究所『映画検定』

 キネマ旬報社とキネマ旬報映画総合研究所が「映画検定」というのを実施するらしい。所詮映画は娯楽だと云ってしまえばそれまでなのだけども、リュミエール以降これまで110年あまりに渡って形づくられ続けたもの、その体系的な概略を知っておくと云うのは非常に意義のあることである。美術的な作品の価値は最終的には享受者の感性によるものではあるが、表現者の才能を正当に評価しようと思うのなら、どうしても歴史を辿っておく必要はある。こういった観客の成長はこれから作られていくだろう作品自体にも大きな影響を与える。

 地方に住んでいるため、おそらくわざわざ出向いていって受験することはないと思うが、試験の内容は次のようなものらしい。

4級

20代、30代の若い世代の方を対象とし、90年代以降の作品を中心に、映画史では欠かすことの出来ない古典や、監督、俳優、簡単な映画用語を含む、基礎知識を問う。映画ファン入門コース。

3級

映画全般を通して、映画史に欠かすことの出来ない古典、多くの観客を集めた作品、映画会社、監督、俳優、スタッフや簡単な映画用語についてを問う。映画ファン初級コース。

2級

映画全般を通して、映画史に欠かすことの出来ない古典のみならず、B級作品、カルト作品も対象とし、映画についてのあらゆる角度からの問題を問う。映画史、映画用語、興行関連なども対象とする。映画ファン上級コース。

1級

映画全般を通して、あらゆる映画をあらゆる角度から問う。また映画史、映画用語、興行関連など映画周辺の知識についてもより深いレベルで対象とする。映画ファン達人コース。

 これだとおそらく一番難しそうなのは4級あたりかもしれない。あたしが取り立てて映画を見なくなったのは、90年代半ば少し前からだし、そのあたりにいる若者より作品を知らない可能性が高い。

 大学の映研時代は映画の歴史から理論等々ひととおり勉強したつもりはあるし、エポックメイキングな作品は極力見たつもりである。また、映画館に入り浸っていたので、あの業界のことは少なからず知っている。そういう意味では、どの程度まで一般的に映画に精通しているのか確かめてみたい気持ちもあったりする。2級くらいは欲しいところだがどんなものか。

 何れにせよ、映画がかなり下火(映画館興業で)になってきた頃にこういうことをやろうというのは、映画雑誌の老舗が微かでも映画の復権を期待し、目指しているということなんだろうか。

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2006.03.29

PRE HIKASHU『PRE HIKASHU プレ・ヒカシュー』(77-78)

 今は巻上公一がリーダーであるヒカシューしか知られていないが、もともと巻上が自分の主催する劇団の音楽を山下康に依頼し、さらに井上誠を紹介した際に結成されたのがヒカシューだった。後に巻上らがメンバーとして加わった時に、正式にヒカシューというバンドになった。ということで、本来、ヒカシューはイノヤマランドに限りなく等しい。

PRE HIKASHU
PRE HIKASHU プレ・ヒカシュー

PRE HIKASHU

 PRE HIKASHU、つまりヒカシュー以前というアルバム。実は、もともとのヒカシューの音源を集めたものだったりする。HIKASHU は、後にPRE HIKASU と表記を変えるが、このあたり、PREとそうでないことの意識をしているのかもしれないような気がする。

 CD2枚組みなのだが、一枚につき3曲。井上誠の多重録音ものと山下康を含むライブものだ。ライ