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2014.05.07

心のなかの空虚を見たとき

 日々の生活を送っていると心の中に空虚を見てしまうことがある。家庭のことであったり、仕事のことであったり、対象はいろいろではあるが、満たされず、何とも云えない気持ちになってしまうことがある。ここでそのまま深く思い悩んでしまえば、うつ病に陥る。

 しかし、自分の置かれた状況はそんなに悪いものなのか、見つめなおしてみる。くじつなものとして

 大きな病気を患い、明日を迎えるのが難しい状態なのか。夜、眠る時に寒さや雨風をしのげないのか。明日食うものがなく、空腹と戦う必要があるのか。これらの状況について問題があるのなら、確かに深刻な事態であり、思い悩む必要もあろう。しかし、たいていの場合は、生死に係ることではない。

 冷静になって自分の置かれている状況を見てみると、決して悪くないものだと再確認する。生かされていて、とりあえず、明日の朝の陽を見ることができるのだ。これは感謝するに値することである。

 とはいうものの、淡々とした日々であり、将来的にも期待できるようなことはない。とにかく生き続けているだけである。

 自分の周りには何もなく、本当に空虚なのか。もう一度、周りを見直してみる。自分の心の安らぎを与えてくれるものは本当に何もないのか。

 ほんのささやかなことでいいから、安らぎを与えてくれるものを探してみる。好きな作家の小説であったり、写真集であったり、映画であったり。すこしでも安らぎを感じたなら、それを確実なものとして捉える。そして、忘れないようにして、心のなかに刻み込む。

 意図すれば、この余も捨てたものではない、と感じることができる。

 だまし騙しであっても、死ぬまでを生きながらえることができれば勝ちである。さらに微かながらでも笑顔を保ち続けていくことができれば大勝利である。

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