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2014.01.19

SNSというもの

 最近、ネットでの活動について観察する機会があって、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の面倒さを思い知る。

 あたしがネットに入ったのは、ニフティ-サーブのパソコン通信からだった。当時はまだインターネットは整備されておらず、パソコン通信によって情報のやりとりをしていた。ここではフォーラムと呼ばれる各々の専門をもった場が設けられ、その中にメンバーが情報を交換する会議室というものがあった。某巨大掲示板と同じような仕組みなのだが、名無しでなく固定IDでの参加、および、各会議室には管理を行うオペレーターがいた。あくまでも何かしらのテーマが主体であって、人と人との繋がりはその結果のようなものだった。個々の繋がりに対するサポートは特になく、メールサービス等で行う必要があった。また、メンバー同士の慣れ合いはむしろ禁じられていて、特別に設けられたフリートーク会議で行う必要があった。

 やがてインターネットが普及し、このパソコン通信は廃れてしまった。以前は、詳細な生の情報が得られるのは有償の会員制巨大パソコン通信によるものが一番であったが、いつの間にか、通常のサイトであったり、無料巨大掲示板によっても情報が取得することが出来るようになり、パソコン通信、および、閉鎖された会議室での情報交換はなくなってしまった。

 それに変わって現われたのがmixiといったSNSや、ブログと云ったような個人での情報発信が出来るようなシステムである。mixiは人と繋がりを重視したネットワークサービスで、当初は招待制がとられており、招待されなければ参加できなかった。つまり、外部からの参加は排除するというようなつくりで、仲間同士であることが優先されていた。

 あたしは閉鎖されたような空間がどうしても嫌いで、mixiにはまったく興味が持てなかった。以前のパソコン通信も狭い世界だったが、当時はその外の世界と云うのが存在しておらず、パソコン通信を利用するしかなかった。そこで、あたしか利用したのは巨大掲示板であったり、ブログであったりした。風通しの良さが気持ちよく、たまに親しくなれるような人もいて、無理のないところがよかった。

 しかし、mixiでしか情報が得られないのものが出てきて、止むを得ず、参加することになるのだが、その中の人間関係と云うのはかなり凄まじいものだった。ここでは友達関係を持つというシステムがあって、それによってお互いの詳細を知ったり、個人的な情報発信を参照したりすることが可能である。

 様子をみているとこの友達関係を作ったり、絶ったりすることに皆、敏感になり、関係に異常にこだわるような世界が存在していた。ソーシャルネットワークなのでリレーションは非常に重要な要素ではあるのだが、やりとりする内容ではなく、関係に注目するのは本末転倒である。そういったことで40、50歳の連中が騒いでいるようで、何とも痛々しい。

 こういった関係は作る切るといったことが明確になるのは実はよくないのではないかと思う。実生活で考えると、親しいということは明らかになっても、絶交と云うことは余程喧嘩でもしない限りは明確にしない。あえて間をおいてグレイにしておくというのが大人のやり方なのだが、SNSの世界は所詮機械の世界、簡単にスイッチを入れてしまうらしい。

 便利なようでやはり諸刃の剣である。簡単に繋がりを求めて、こういったサービスを利用するのは極力止めた方が良いように思う。

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