血は争えない
この年末年始は下の子とは30日から5日までほとんどずっと一緒にいたのだが、上の子と一緒にいられたのは、2日の夕方から3日の夕方の2日間だけだった。
上の子はこの冬、大学受験でセンター試験も間近である。補習の多いガッコのようで、土曜日は午前中は授業があるらしい。あたしの頃は、土曜日は半ドンだったので、同じような感じでガッコに通っているということになる。あたしも補習は平日の通常の授業+1限あって、終了は5時くらいになっていたと思う。そして、夏休みは希望者のみだが、大学での講義より長いひとコマ100分の授業が午前午後に各々2コマずつの計4コマ。お盆休み以外は、ガッコに通い続けて、2学期に入って始まった通常の50分授業を恐ろしく短く感じたものだった。
しかし、年末年始に関して補習を受けたような記憶はないのだが、上の子に関しては30日まで補習授業があり、さらに4日の土曜日からも補習授業が始まるという。それは当たり前に、その中の1、2日しか父親に付き合ってジジババの家に行こうという気にはならないだろう。
あたしは別居をしているから必然的ではあるのたが、子供の勉強と云うのをみたことがない。上の子の通っているガッコは変っていて、年度の終わりに通知表を生徒に渡すのではなく、父親宛てに郵送してくるのだが、実を云うと一度も封筒の封を切ったことはなく、そのまま玄関に放置している。
そんな上の子が受験するというのはあたしの出身駅弁大学の数学科だという。化学科でもいいんだけど、数学の方が面白いかな、ということだった。
自分は文学士らしいのだが、受験申請の直前までは物理学科受験を希望していたし、高校1年の頃は数学科に進むつもりでいた。ロジックの世界は明確で、答えを導き出した時の快感は相当なものである。しかし、言語の、言葉を績ぐという人間の能力は謎に満ちていて、こちらの方に対する興味が強かったので、結局、文学科と云うところに行ってしまった。
実家に子供を連れて行った時、数学の教科書も持って来ていた。中学の算数に関しては、大学に入って家庭教師のアルバイトでずーっと教えていたので、今でもすぐに勘を戻すという自信はある。そんなに面倒なことはしなくても、日常でも連立方程式くらいは訳に立つというようなシーンはよくあり、式を解いては実務に役だたせていた利する。しかし、高校の数学の教科書と云うともう、全く判らない。こんなものをやったっけ、という感じである。数学もひととおりIIIまでやっているはずなのだが、見覚えが全くなくなっていた。30年間の完全なブランクは、思った以上に大きかった。
まぁ、大学は行ってもいいし、いかなくってもいいと思っている。行けは知識というより、手段が深くなるので、行った方が良いのだが、大切なのは生きていく糧を得ることが出来るということだと思っている。いい大学に行っても、生活できなくては意味がないしね。
取りも直さず、子供が自分と同じようなことに興味を持って、それに進もうとしているというのが、なんとも云えぬ感じである。下の子見た目はカミさんとそっくりだとあたしは思っているのだが、上の子はあたしと似ていると他人からよく言われていた。しかし、ルックスが似ていると云うことに今ひとつ実感がなかったのだが、やはり根底的なところから似ているのかもしないと思う、今日この頃であった。
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