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2014年1月の22件の記事

2014.01.31

ひと時の春のここち

 今日は本当に春を思わせるような日だった。

 朝の気温も9度近くあって、ハクキンカイロもなくていいかしらんと思ったが、ひとつだけ腰に当てて出勤した。空の様子もほとんど快晴に近く、秋晴れほどではないが、澄んでいた。

 陽がの登るのもだんだんと早くなり、家を出る頃には太陽の光が眩しくなり始めたので、サングラスを使い始める。基本的には日中の屋外ではサングラスを使うのだが、さすがに12月に入った頃からは帰宅時には当然、真っ暗になっているが、朝も陽もそんなに強くなく、平日は使わない。それが2ヶ月ぶりに復活である。

 一番嬉しいのが、職場を定時で出る頃はまだ陽が残っているということである。市民薄明という日没後、屋外で照明なしで活動できる限界の時刻と云うのが6時過ぎなので、夕焼けの空を見ることができる。

 暖かく明るいと本当に解放された気分になる。こういうことを感じると、北の方に住んでいる人の生活がどれだけ大変かと思う。窮屈な時期ははるかに長いのである。

 旧暦で云うと1月1日である。まだまだ寒い時期で、少なくとももう半月は辛抱がいる。これを乗り越えたら... 恐怖の異動の時期が待っている。

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2014.01.30

使えないシステム

 業務用システムをパッケージで導入するとろくなことがない。今は費用削減でパッケージであることが優先されるが、使えないシステムを使わされる人間の身にもなってみろ、ということになる。

 あたしが電算業務を担当していた頃は、パッケージではなく、委託開発をしていた。仕様についてすべてこちらで検討し、それをシステム構築を依頼していた。GUIではなくキャラクターベースの頃のオンラインシステムで、画面設計もすべてこちらで行い、この画面なら何桁のデータが表示できるか、設計図を書いてSEに仕様書として手渡していた。データベースのテーブルのレイアウトも最終的な決定はこちらで行い、管理項目を増やさないといけない場合は、どの箇所を読み替えに使うか、といったところまで考えさせられた。管理システムの入力項目についてもエラー要件設計もすべて考え、そういった仕様書は5、6cmの厚さになった。

 一般の部署の人間がいきなりその部署のシステムについて、プログラム以外について深いところまで関らせられる訳だから、勉強するというより、もともと素質があって好きだとかでなければ、通用しない。そういう人間はそんなにいないし、見つけられるとなかなか異動は困難である。あたしは7年いて、後任も同じかそれ以上長く残留させられた筈である。

 ということで、現場を知らないメーカーの人間が作ったシステムと云うヤツなのだが、動きはするものの、使えない。

 システムを作るのには、一般的な業務に関する制度について精通している必要がある。これは動くという意味で、最低限の話である。何をするのかはます、踏まえておくべきことである。次は、どう使うのかということである。これにはデータの取扱件数、データを扱う人間の数、データ処理の頻度を考慮する必要がある。役場で使われるシステムは法に則ったものが多く、全国共通なことが多いのでパッケージにし易いのだが、自治体の規模が異なると事務のやり方が全く異なってくる。規模が何十倍も変わると、事務のやり方の質が全く違ってくる。

 最近のシステムは昔のキャラクタベースとは異なって、随分美しく画面構成をしてくれるのだが、入力かコードによるものでなく、プルダウンメニューから選ぶようになっていたりする。いやぁ、実を云うと業務系端末でプルダウンメニューなんてあり得ない。コードを宙で覚えていて、入力を進めても、それでも時間が足りない時がある。それをAlt+↓でメニューが開くにしても、選ぶこと自体が馬鹿馬鹿しい。初心者にも使いやすいシステムをということであれば、コード入力の横にブルダウンメニューを設けて併用にすべきである。

 ユーザーは始めは素人かもしれないが、そのうちに慣れて、スピードを求めるようになるものである。それを初めから無視して、見た目判りやすいというのを目指したシステムは結果的に使いにくいものになってしまう。現場を知らずに作られたシステムほど痛いものはない。

 あたしがそのシステムが優れているかどうかを判断するのは、まずはキーボードだけで操作が可能であるように作られているかどうかと云うことである。あたしが作るものも基本的にはマウスを使わずに操作できることに留意し、おそらく9割の処理においてそれが可能になっていると思う。それはいかに業務的に使い易いかを意図したシステムであり、始終マウスを転がさなければならないようなものは、ただ単に作っただけの代物でしかないと思っている。

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2014.01.29

ブログラマの秘かな愉しみ

 職場の同僚から、使っているシステムが変更になるので、職員が作ってサブシステムとして使っていたAccessベースのシステムの帳票を作り直して欲しいという依頼を受けた。すでに雛形のある帳票で、それをそのままAccessのレポートとして移植すればいいらしい。帳票を一から設計するとなると、印刷される文言の桁数を調べることから始まって、随分と手間な作業になるのだが、雛形が存在するとなるとそのまま枠組みの寸法を計っていけばいい。データの出力については、その中でデザインすることになる。

 帳票の出来栄えとしては、雛形の生き写しのようにこしらえたので、完璧ですと感謝された。

 今回の帳票を作るにあたって、前の設計者は出力のケースごとにレポートと云われる出力設計を7つも作っていたで、こんな作り方があるかいと、2つにまとめてしまった。同じ様式なので1つにまとめるのも出来なくはないが、プログラムに一日はかかりそうでC/Pを考えて、2つにすることにした。同じ様式を7つ準備せずに、2つに纏めあげるように改造した理由は、手直しが簡単だからである。帳票に修正をしないといけない場合、7つに間違いなく同じ修正が出来るかと云うと、そう云う自信はない。一つだけを修正すれば事足りるのが一番良く、2つくらいなら許容範囲であると考える。

 あたしが使っているのはVisual Basic for ApplicationsというMS Officeのプログラミング言語で、Accessでプログラムを作るのに用いている。

 AccessというのはMS Officeのプロフェッショナル版には同梱されているので、ちょっとした事務所であれば、たいてい使うことができる。しかし、ツールとしてはそこそこ本格的なシステムを作ることが出来る。例えば、ホストコンピュータで動いているシステムにその機能を組み込むために改造を入れるとなると1億はかかりますよ、とい云われたものをスタンドアロンではあるけども、あたしが1ヶ月ほどの残業でサブシステムとして作ることができるのである。

 コーディングの面倒なものは、正直いって、以前作ったものをコピーしてベースとし、使いまわしている。業務系のデータベースシステムは大抵が似通ったシステムになる。こういった処理展開は以前、あそこで使ったな、ということでコードを丸々コピーして、根幹を残して修正を行う。だから、以前に作った大きなプログラムはデータを抜いて常に手元においている。画面設計が50くらいあるプログラムでも、どのような処理を何処でしているかはほとんど覚えている。

 自分の仕事で使っている中に前いた職員がタックシールを作るプログラムがある。データはそのまま使っているのだが、その他は全部作り直してしまった。使えたものではなかったからだ。タックシールを作るとなると、印刷する前にどれを出力するのか確認したいものだが、そういった画面はなく、住所等の入力画面に印刷の有無のチェックボックスがあるだけというもの。作った職員は直接のユーザではなく、頼まれて作っただけらしいのだが、気持ちよく使おうと思える代物ではない。これはあまりにも酷すぎる。

 画面の上の1/3は入力フォーム、その下は入力されたデータの一覧といったような画面を作る。新規登録は入力フォームで行うのだが、下段のデータ一覧には印刷対象として選択するチェックボックスがあり、そのチェックボックスにチェックを入れると、上段の入力フォームにデータが表示され、データの確認と修正が出来る。また、印刷対象のみの一覧表示をするボタンや、印刷チェックをすべて解除するボタンも設ける。そんな感じで使えるものにする。

 さらにデータの入力について住所の入力は面倒なので、日本郵便の郵便番号データダウンロードのデータを取ってきて、郵便番号を入れれば、町域まで自動入力出来るようにする。このデータは毎月更新されるので、月初にデータを取り込んでおけば、住所入力に間違いが生じることはない。10万件ほどのデータからの抽出になるが、さすがに瞬時ではないものの、2、3秒程度である。

 この住所の自動入力について、市部については都道府県名を入れないことにしている。しかし、町村についてはその前に郡名のデータがついており、都道府県が先頭にないとなんとはなく収まりが悪い。東京23区についても、いきなり区名で来ると違和感があるので、やはり東京都新宿区といった表記にしたい。そういった判別を加えての出力も、4行ほどの式を加えることで十分に対応できる。

 システムの内部処理について判らない人は、帳票の美しさのみに感動する。それでもいいんだけどね。まぁ、趣味でコードを書いているような人間は自己満足だけでリアルな使い勝手の良さの極限を求める。商売人には負けない自信はある。

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2014.01.28

そろそろ新しいPCが欲しい

 PCがいい加減動かなくなった。HDDへのアクセスが悪く、ソフトの立ち上がりが悪い。HDD自体の動きが悪くなってきているのか、しょーもないソフトの入れ過ぎでスワップがひどくなっているのか、正直云って判断がつかないのだが、日本語入力中に処理が中断されるのはかなり辛い。

 HDDの寿命は3年から5年だと思っている。以前は、そのタイミングでノートPCのHDDをさらに容量の大きいものに換装して、OSのセットアップを行って使っていた。

 ノートPCは初めからB5サイズのものを使い、それ以上の大きさのものは使ったことがない。キータッチのしやすさや、持ち運びを考えるとどうしてもこのサイズになる。昔のノートPCというのはHDDの換装をし易いような作りになっていて、東芝のDynaBookなどはネジを2つ外して蓋を開ければ、即、HDDが抜けるような構造になっていたのだが、それも弁当箱のような厚みを持っていた頃の話である。この10年くらいのPanasonicのLet's noteのDVDドライブを内蔵したような機種になると、筐体を開けてHDDを取り出すのは、解体の様子をカメラに逐一撮りながら作業を進めなければ、もとに戻すことは不可能であるらしい。そういうのはこの歳になると面倒になってくるもので、ヤフオクとかでお駄賃をあげて作業を依頼していた。

 前に使っていたLet's noteは20万近くする高級な機種であったが、今はもう4万程度のacerの安物を使っている。ほとんど通信端末としてしか利用していないので、そんなにスぺックは必要ない。本当はビデオテープを取り込んでデータ化してDVDにするとかと云った処理も行いたいのだが、どうやら肝心のビデオデッキがダメになっているようなので、どうしようかという感じだ。

 HDDの調子が悪いだけではなく、キーボードも壊れつつあって、一番よく使う↓キーは完全に死んでしまった。キートップを外して掃除しても復活しない。キーの下のスイッチ自体がダメになっていそうである。仕方がないから、PgUpしてから↑して、目的の行にカーソルを合せている。また、幾つかのキーがかなり押込まないと反応せず、おかげで文章が誤入力されたままになることが少なくない。

 PanasonicのサービスセンターではLet's noteのキーボードだけを保守部品として注文が出来、何度か、注文をした。ノートのキーボードの交換は実に簡単で、5000円程度で入手出来たので、交換後は真新しいPCを触っているようで実に気持ちがよかった。更に古いキーボードは故障部分とか消耗具合を明記してオークションに出せば、それでも2000円くらいで勝ってもらうことが出来た。

 という具合で、あたらしいものを購入しようかどうしようかを検討中。このブログはPCで書いているのだけども、これが容易くスマホで出来れば、PCなんて要らないかもしれないと思っている。最近は職場のPCから一切のデータを抜くことができなくなっているから、風呂敷残業で自宅でオフィスソフトを使うこともない。Accessで業務上のデータベースアプリケーションを作っていた時は、家でもコードを書いていたりしたいたのだが、もう、そういうこともない。

 OSは7か8という事から、検討しなければいけない。あぁ、XPがまた使いたい。

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2014.01.27

訃報 永井一郎

 永井一郎が亡くなったという報せはやはりショックである。我々の年代と云うと、この人ほど馴染みのあって、お世話になった声優はいないんではないかと思う。富山敬が亡くなった時もショックだっだが、同レベルでの衝撃である。

 本当に本当に昭和が遠くなりつつあると思う。あたしにとって筒井康隆が亡くなると、完全に昭和が終わったという気持ちに襲われるのではないかと思う。

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2014.01.26

結果良ければ、すべて良し、か

 ものごとについては重要なのは結果であり、経過、動機については、二の次であるというこどよく云われる。処世術でも知られているマキャヴェッリも国家の根本的な改革を行う際、「結果さえよければ、手段は常に正統化される」と述べている。

マキアヴェッリ語録
マキアヴェッリ語録

塩野 七生 (著)
単行本: 218ページ
出版社: 新潮社
ISBN-10: 4103096276
ISBN-13: 978-4103096276
発売日: 2003/07
商品パッケージの寸法: 20.2x15.2x2.4cm

 「勝てば官軍、負ければ賊軍」も同様な意味なのだが、これは負け犬の云う言葉である。現実として負けた者は発言権をなくし、勝者に屈するしない。勝った相手がどんな卑怯な手を使っていても、そのことによって、この勝ったという事実を覆すことは出来ない、ということである。理屈で世間は動くわけではない。

 しかし、卑怯な手を使って得られた勝利は必ず、奪い返されると思ってもいい。真っ当な方法で得られたものでも、もちろん次なる勝敗を求められるだろが、卑怯な手段を用いた勝利は一層の憎しみを買い、奪還が望まれる。

 結果良ければ、すべて良し。勝者になるのは簡単かもしれないが、それを維持するのはさらに難しい。

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2014.01.25

大雨の報せ

 外から風の音が聞こえてくる。夕方近くから天気が悪くなって雨が降っていたりするんだけど、さらに天候が悪くなりつつあるようだ。

 実を云うと少し前に、スマホが警報音とともに豪雨予報をひらっており、間もなく、21mm/hの雨が降るらしい。これが1時間続けはかなりの雨量になるのだが、10分の範囲の雨量で、それ以降は0.7mm/hとなり、やがて止むらしい。

 こういった予報は自宅にいる時はそんなに意味はないが、外出時には有り難い。

 これもスマホを持っている人間のみの恩恵で、そうでない人は知る由もない。

 こういう格差というのはなんだろうなと思う。3.11の時にすでにこのようなサービスがあれば、生き残れる人そうでない人は明確に差がつけられていたろう。

 あたしのスマホはキャリアによる通常契約のものではなく、MVNO(仮想移動体通信事業者)であるIIJのデータ通信サービスを使ったもので、音声通話は出来ないが、それ以外の機能を月1000円かからない費用で維持している。貧乏なので、DoCoMoとかは利用できないのである。

 スマホとやらをこれ以上普及させるのはどうかと思うのだが、この不公平感もなんともいたしがたい。

 雷が遠くで鳴っていたものの、どうやら予報とは違って、雨は降らずに外れたようだ。

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2014.01.24

生かすも殺すも言葉

 人間のやりとりがあるところでは、どうしても何らかの衝突が生じる。それをお互いが明らかにして、敵意を見せるとバトルになる。

 ニフティサーブのような個人の特定できるIDを使用したパソコン通信でもバトルはしばしば発生した。シスオペと云う掲示板を管理する人間がいたものの、発言メンバーを制御出来なかったり、あえて放置したりすることもあった。手に負えない発言者には利用制限を行い、排除を行った。また、名誉毀損の裁判に持ち込まれたケースもあった。

 あたしはそのようなことが存在すると知らずに、パソコン通信で発言を楽しんでいたのだが、ある人の発言に対してレスをしたため、バトルになってしまった。ネットをやり始めて3月くらいのことだったと思う。その人というのは、ニフティのパソコン通信をしていた人なら大抵の人が知っているという、猫が好き♪氏だった。自然環境フォーラムのシスオペをしていて、パソコン通信の早い時期から活動をしているような人である。

 この人のやり方と云うのは、自分の意見を批判するような人に対してはことごとく反論を行って論破し、言論を封じてしまうというものだった。基本的に自分と考えを異とするものは許せない、といったような態度で、その議論には大して意味のあるようなものではなったと思う。この時はあたしもオーバーヒートしてしまったと記憶している。ログを残していないので詳細は判らないが、ニフティが発行していた機関誌のコラムでこのバトルが取り上げられていて、新人さんをあまりいぢめちゃいけない、なんて書かれていたから、傍目にも余程、ひどいものだったはずである。

 まぁ、あたしはそこでバトルに惨めにも負けてしまったのだが、それに臆することなく、そこで親しいメンバーを作って、あたし以外の本土のメンバーは実際に集まり、あたしはチャットで参加と云うオフ会をするなんてこともあった。

 それ以降、ニフティのパソコン通信が廃止になるまで10年近く利用を続けてきたのだが、バトルに巻き込まれたのは、その後、1回だけである。話が平行線になると判ると早々に離脱することにしていたのだが、相手はそうもいかないようでメールで「調子に乗るな」なんていうようなことを云ってきた。もちろん放置である。こういう表舞台以外のところで、なにやかにやと云ってくる輩が一番気持ち悪い。

 今ではネットも際限なく大きくなり、常にどこかで炎上と云われるものが生じているが、パソコン通信のような管理された中ではそれほど頻繁でもなく、バトルウォッチャーと云われるひとが提供してくれるバトル情報をもとに、火事場見物をするのが通であった。炎上は複数の人間による袋叩き行為で、いわゆる一対一のバトルとは趣向がことなり、えげつないのひと言に尽きる。

 バトルについてはそんな感じで馴染みのあるものなのだが、最近、ひどいものを見かけた。これは実はバトルではなく、撹乱が目的での発言かもしれないが、夜通し、人間の体力を最大限使って、同じことを延々と主張するといった行為は初めてみた(リンク先の表示が化ける場合は、エンコードを日本語(シフトJIS)に設定してください)。どういう生活をしている人なのか判らないが、普通の社会人の生活とは違ったような生活を送っているのだろう。凄いものを見せて貰ったと思う。

 先の論客の猫が好き♪氏だが2年程前に53歳で食道がんで亡くなったらしい。彼のブログを見ると、亡くなる半年前には首の筋肉を冒され、その痛みのためにモルヒネを服用していたようであるし、病院に薬を取りに行った際、急遽、入院となり、その一週間後に亡くなったという(娘さんによる死亡報告)。散々痛めつけられたバトラーでもこんな風に亡くなると、やはり可哀相に思うのである。

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2014.01.23

幻熱

 ここんところ、朝の出勤時の気温が1℃前後と云う寒さで、防寒には気を使う。原付で20分くらいの通勤で、あっという間ではあるのだが、暖かいに超したことはない。毎月積立定期の集金にくる銀行の女子行員は、コタツを背負ってバイクに乗りたい、と云っていた。そう云えば、コタツはもう何年も入っていない。

 あたしが防寒に使っているのはUSBヒーターリボンのついたネックウォーマーと、ハクキンカイロ3つである。これがあるとマイナスくらいになるまでは革のハーフコートを出さなくても済む。ハクキンカイロは熱量が高いので使い捨てカイロとは比にならない。24時間は発熱が持つし、オイルがなくなる頃は爆熱になって、注意しなければ火傷をしそうになるくらいだ。

 3つのカイロを用いるのだが、ひとつはカイロベルトを用いて肩甲骨の間を温める。もうひとつは腰。スラックスのベルト通しにカイロ袋を閉じる紐を引っ掛けて固定する。最後のひとつはカッターシャツの胸ポケットだ。この3点で手足の局部的な冷たさは避けられないものの、全身的な寒さは感じずにいられる。

 そうやってこのシーズンは通勤を行っているのだが、不思議なことにカイロで熱していないところも熱を感じたりすることが頻繁にある。感じる箇所と云うのはだいたい決まってていて、右足の太股の外側である。スラックスを穿いて、右ポケットのあたり。いや、感覚的には右ポケットにもカイロを入れているような感じがあって、ポケットを探ってるのだけど、何も入ってなかった。そういう状況なのである。

 この幻の熱源を感じることは珍しいことではなく、頻繁に感じている。熱知覚の神経が誤作動を起こしているんだろうなと思う。

 寒さがえらく厳しいがまだ1月の下旬。あと3週間あまりは冬の本番の寒さである。洗面所の温度は10℃台。10℃を割り込むんだろうか。そうなると朝の支度やシャワーが本格的に辛くなる。

 でも、こういう季節の風物があると云うことは、ほって置いてもこの先を期待させてくれるわけで、実に日本と云うのは心憎い風土を持っているのと思う。冬来りなば春遠からじ。この寒さを楽しむのも乙なことなのかもしれない。

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2014.01.22

最近入荷の積ん読素材-タルコフスキー「鏡」

 このBDを購入してすでに一週間超えているのだが、結局、まだ観れていない。下らないことで忙しくしているので、時間を取って観るということは出来ず、寝る前に寝床に入って眺めたりするものの、ものの5分もかからずに寝入ってしまう。恐ろしく寝入りが良い。

鏡

監督: アンドレイ・タルコフスキー
出演: マルガリータ・テレホ, イグナート・ダニリツェフ, ラリーサ・タルコフスカヤ, アッラ・デミードワ, アナトーリー・ソロニーツィン
リージョンコード: リージョンフリー(全世界共通)
ディスク枚数: 1
販売元: IVC,Ltd.(VC)(D)
DVD発売日: 2013/12/20
時間: 106分

 この作品は、あたしの生涯ベスト1ムービーという位置づけにある。初めて観たのは自分の企画した上映会だったのだが、その時の衝撃は凄まじいものだった。タルコフスキーが実体験を基にして作ったという作品なのだが、実にリアルに映像を体感することが出来たのだ。映像を観るという感じでなく、体験している光景がそこにあるという実感を強要してくるシーンが幾つもあった。これは恐るべきことである。

 すでにDVDを持っていが、それはどこか海外のサイトから取り寄せたもの。Amazonではなかったような気がする。日本で発売されたDVDも同じ製品でリージョンフリーのものが各国で発売されていたようだ。もちろん、日本語字幕もあった。

 上映を行ったということだけではなく、その他にもいろいろあった作品でもあった。

 あたしは別の人が主宰する上映サークルのメンバーになっていたこともあった。当時、地元の出版社による月刊の就職情報誌があったのだが、その中の映画紹介のコーナーをそのメンバーが輪番で書いていたことがあった。あたしは担当の初回にこの「鏡」を紹介し、"自分が死んだ時に棺桶に入れてもらいたい作品である"なんて感じに結んだのだが、メンバーのひとりからはどうして映画紹介に死んだ時のことを書くんだ、理解できないと、散々、責められた記憶がある。

 その記事か掲載されてしばらくして、そのさサークルの集まりにひとりの女の子がやってきた。短大を卒業して間もない子らしいのだが、映画紹介を読んで、この記事を書いた人に会いたいと出版社の編集部に問い合わせし、それで主宰者の了承のうえ、集まりに顔をだしたらしい。

 それなりに親しく皆で遊ぶようになったのだが、これが随分と変わった子で「蛸さんが畑にいって、お芋さんを食べるんですぅ」なんていう話をする。どう見ても天然の子で、訳の判らんことを思いついて言っているんだろうと、皆で茶化していると、これは本当のことらしかった。困ったのは、夜に電話がかかってきて、幽霊が体を触ってきて困るのでどうにかして欲しい、という。あたしは当時から怪談話は好きだったが、そういった幽霊を追い払う術など知らない。そういった体験はよくあるようで、特にその時は酷かったらしい。仲間うちのひとりがお祓いの呪文のことを以前していたのを思い出し、彼に連絡するように伝えた。

 霊感が強いようで、皆でドライブしていると、いきなり、ギャーと叫んで、道のまん中に人が立っていると云い出す。皆、見えないの?と尋ねてくるが、もちろん誰も見えない。ドライブの帰りも同じ場所を引き返して通ったのだが、今度はその道のまん中に立っている人のところに車が突っ込んでいって、自分の体を通り抜けていったという。もう完全にパニック状態に陥って、皆から「うるさい、黙れ!」と罵られる。あたしの人生の中で、いわゆる霊感のあるという人が身近にいたのは彼女だけである。

 どうやらあたしに好意を持ってくれたようで、何かにつけて、付き合ってくれ、といったようなことを云ってきたのだが、残念ながら付き合ってもいい人間とそうでない人間がいる訳で、冷たくするしかなかった。ある日、「それではさようなら」という電話があり、それらというものの二度と姿を見せなかった。

 すでに20年も前の話になるのだが、この映画を見るとそんなことも思い出してしまう。

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2014.01.21

本日入荷の積ん読素材-「日本の民家一九五五年」「独裁者のためのハンドブック」

 2冊の書籍を購入したのだが、よく判らない取合わせになってしまっている。

 「日本の民家一九五五年〈普及版〉」というのはタイトルの通り昭和30年の日本の民家を撮った写真集である。日本の伝統的な農家が多く撮られている。本当は特装版という2000円程高いバージョンが欲しかったのだが、この写真集について知った時にはすでに売れ切れ状態で、1年くらい出まわるのをまっていたが、結局、重刷はなく、泣く泣く普及版の購入に至る。

日本の民家一九五五年〈普及版〉
日本の民家一九五五年〈普及版〉

二川 幸夫 (著)
ペーパーバック: 144ページ
出版社: ADAエディタトーキョー; 普及版
言語: 英語, 日本語
ISBN-10: 4871404927
ISBN-13: 978-4871404921
発売日: 2012/12/26
商品パッケージの寸法: 36.2x25.4x2.2cm

 先週号のAERAの書評で紹介されていたもの。内容的にも面白そうで、速攻で注文。独裁者がのさばる謎を知りたい。

独裁者のためのハンドブック
独裁者のためのハンドブック

ブルース・ブエノ・デ・メスキータ (著), アラスター・スミス (著)
四本健二 (翻訳), 浅野宜之 (翻訳)
単行本: 384ページ
出版社: 亜紀書房
ISBN-10: 4750513318
ISBN-13: 978-4750513317
発売日: 2013/11/15
商品パッケージの寸法: 18.8x13x2.5cm


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2014.01.20

Skype会議をする

 Skypeというインターネット電話サービスがある。最近は、これをつかうことが多い。このサービスによってインターネット経由で固定電話や携帯電話に電話をすることができるだが、これが携帯電話を使うよりはるかに通話料が安いのである。ただし、こちらから電話をする際に相手には電話番号が表示されず、表示不能と表記される。それで問題ないのなら、発信はSkypeを使うのがいい。一番の問題はこちらには電話番号がなく、電話を受けられないということである。発信専用のサービスである。

 それ以外にもSkypeは、PCやスマホで双方にこのソフトを入れていれば、無料通話することができる。ここ数年、ねとらじというインターネットラジオを聴くことが日常になっているのだが、このラジオ配信を複数のパーソナリティで行なう場合は、大抵がこのSkypeを用いて、各自自宅にいながら会話をして配信を行っている。

 今までグループでこのソフトを使ったことがなかったのだが、あるネットラジオのDJより突然連絡があって、某怪談師を紹介してくれと頼まれる。そのDJと話をしたのは無料通話では始めてであったし、しかも5時間と云う長さになったのも呆れものだった。しかも、今度はSkype会議のホスト役をやれと云うのである。

 その怪談師には早々にメールで連絡をし、スケジュール的にOK連絡を貰ったのが昨日のことだった。

 たぶん出来るであろうと踏んで、3人での会話に挑んだのであるが、何のトラブルもなく、進めることが出来た。最近のソフトは判りやすく作られていると思う。

 夜の9時40分から始まって、お開きにしたのが2時半。あたしは喋るのが苦手だし、喋ることもないので、おふた方の会話を聞くばかりだったのだが、なかなか楽しいひと時だった。技術の革新には本当に驚く。

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2014.01.19

SNSというもの

 最近、ネットでの活動について観察する機会があって、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の面倒さを思い知る。

 あたしがネットに入ったのは、ニフティ-サーブのパソコン通信からだった。当時はまだインターネットは整備されておらず、パソコン通信によって情報のやりとりをしていた。ここではフォーラムと呼ばれる各々の専門をもった場が設けられ、その中にメンバーが情報を交換する会議室というものがあった。某巨大掲示板と同じような仕組みなのだが、名無しでなく固定IDでの参加、および、各会議室には管理を行うオペレーターがいた。あくまでも何かしらのテーマが主体であって、人と人との繋がりはその結果のようなものだった。個々の繋がりに対するサポートは特になく、メールサービス等で行う必要があった。また、メンバー同士の慣れ合いはむしろ禁じられていて、特別に設けられたフリートーク会議で行う必要があった。

 やがてインターネットが普及し、このパソコン通信は廃れてしまった。以前は、詳細な生の情報が得られるのは有償の会員制巨大パソコン通信によるものが一番であったが、いつの間にか、通常のサイトであったり、無料巨大掲示板によっても情報が取得することが出来るようになり、パソコン通信、および、閉鎖された会議室での情報交換はなくなってしまった。

 それに変わって現われたのがmixiといったSNSや、ブログと云ったような個人での情報発信が出来るようなシステムである。mixiは人と繋がりを重視したネットワークサービスで、当初は招待制がとられており、招待されなければ参加できなかった。つまり、外部からの参加は排除するというようなつくりで、仲間同士であることが優先されていた。

 あたしは閉鎖されたような空間がどうしても嫌いで、mixiにはまったく興味が持てなかった。以前のパソコン通信も狭い世界だったが、当時はその外の世界と云うのが存在しておらず、パソコン通信を利用するしかなかった。そこで、あたしか利用したのは巨大掲示板であったり、ブログであったりした。風通しの良さが気持ちよく、たまに親しくなれるような人もいて、無理のないところがよかった。

 しかし、mixiでしか情報が得られないのものが出てきて、止むを得ず、参加することになるのだが、その中の人間関係と云うのはかなり凄まじいものだった。ここでは友達関係を持つというシステムがあって、それによってお互いの詳細を知ったり、個人的な情報発信を参照したりすることが可能である。

 様子をみているとこの友達関係を作ったり、絶ったりすることに皆、敏感になり、関係に異常にこだわるような世界が存在していた。ソーシャルネットワークなのでリレーションは非常に重要な要素ではあるのだが、やりとりする内容ではなく、関係に注目するのは本末転倒である。そういったことで40、50歳の連中が騒いでいるようで、何とも痛々しい。

 こういった関係は作る切るといったことが明確になるのは実はよくないのではないかと思う。実生活で考えると、親しいということは明らかになっても、絶交と云うことは余程喧嘩でもしない限りは明確にしない。あえて間をおいてグレイにしておくというのが大人のやり方なのだが、SNSの世界は所詮機械の世界、簡単にスイッチを入れてしまうらしい。

 便利なようでやはり諸刃の剣である。簡単に繋がりを求めて、こういったサービスを利用するのは極力止めた方が良いように思う。

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2014.01.18

試験

 今日は上の子がセンター試験だった。日が暮れてから、小雪が舞っていたが、日中は幸いにも気温が低いものの天気が崩れるということはなかった。30年前のあたしの時は、共通一次試験という勿体ぶった名称だった。この手の基本試験が実施されて4年目くらいだった筈だ。

 子供の試験についてはそんなに気を揉んでいない。気にしても仕方がないからだ。親父は、あたしの試験の度に胃を悪くしていたようだ。もともと胃潰瘍で入院するような人なので、精神的に弱いのだろうと思う。

 一応、試験が終わった夕方に電話を入れると、まずまずで、しまった、ということはなかったようだ。一番苦手とする英語も、全滅と云う感じではなく、そこそこは出来たのではないかと話だった。

 テストなんていうのは運でもある。あたしのクラスメートに糞真面目なヤツがいた。試験と云うのは何時もよくできていて、クラスでは常に1、2番だった。彼はあたしと同じ駅弁大学を受けたのだが、見事に不合格となって、私学に入った。何がともあれ、受からなければダメ、というのが試験である。

 しかし、仕事を始めると日々が試験なようなものだ。失敗するとクレームがすぐに入る。正解と云う答えがない状態で、トラブルをおこさないようにやり抜くというのはなかなか難しい。日々は適当にやり過ごして、試験の日だけ失敗しないように頑張ればいい、という感覚が判らなくなる。

 まぁ、これからの2ヶ月が人生に大きく影響はするものの、それによって決定される訳ではないので、そんなに神経質になって過ごすこともないと思う。ガッコで決まるような人生なら大したことはない。

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2014.01.17

貴様のアカウント

 なんか凄いメールが届いた。


差出人:三菱東京UFJ銀行
件名:【本人認証サービス】

************************************************************************
         三菱東京UFJ銀行Eメール配信サービス
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2014年「三菱東京UFJ銀行」のシステムセキュリティのアップグレードのため、貴様のアカウントの利用中止を避けるために、検証する必要があります。

以下のページより登録を続けてください。


<うんちゃらURL>


――Copyright(C)2014 The Bank of Tokyo-Mitsubishi UFJ,Ltd.All rights reserved――


 <うんちゃらURL>は踏んでいないのだが、おそらく口座番号とか暗証番号を入力させるようなサイトに飛ぶのだろうと思う。

 しかし、"貴様のアカウント"という表現が凄い。日本語のいまひとつ不自由な人が作った文面なのだろう。自国外を対象に適当に金儲けをしようと企んだのだろうか。この貴様が「お客様」とかであれば、多少はリンクを踏む人がいたろうけど、残念なことた。日本人ならまず絶対に「貴様」と書かれたメールは相手にしない。

 ちなみにあたしは三菱東京UFJ銀行に口座を持っていない。

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2014.01.16

氷点下の朝

 昨日は氷点下、今日は0℃に近くまで冷え込んだ。寒ければ、着込めばいいのだが、そうも簡単ではないものもある。

 普段使っているハクキンカイロを2つから3つに増やして、出勤に望んだのだが、原付のセルが回らない。バッテリーが寒さで弱ってしまって、ギュルルルギュルルルと超スローにエンジンを回すだけ。エンジンが起動するとは思えず、このまま回し続けていると、完全にセルを回せなくなるのは目に見えている。キックでエンジンをかけようとすると、錆ついているのか、全く動かない。お手上げの状態である。

 仕方がないので、別居中のカミさんに電話をして、送ってもらうように頼む。カミさんのアパートは500m位のところにあるので、そんなにはかからない。それも、起きていれば、の話ではあるが。体調が悪く、起きられないこともあって、そういう時は2時間くらいは待たなければならない。幸いにもすでに起きていて、15分くらいでやってきて、始業前に出勤することが出来た。

 今日は昨日と比べて少しは気温が高かったので、エンジンはかかるだろうとたかをくくっていたら、昨日より更に酷い状態で、速攻、諦めて、カミさんを呼ぶ。

 バッテリーは一昨年の冬に交換したのだが、充電ではなく、交換にすることにした。弱ったバッテリーはあがり癖がつくので、充電も頻繁にバイク屋に依頼することになる。仕事に出ている間に、バイク屋に連絡をいれて、バッテリーの交換と後輪のタイヤ交換を依頼しておいた。後輪は1万km弱の走行で溝がなくなってしまっていて、車道の荒れに敏感に反応し、走行に危険を感じていた。バイク屋には即日、対応して貰ったのだが、1万8千円の支出。ちょっと痛かった。

 カミさんに迎えに来て貰った帰りに、子供たちも呼んで4人でラーメンを食いに行く。4人で外出するのは半年ぶりくらいか。出勤中、カミさんは近々別居を解消することを考えているようで、どのように居住を構えたらいいか聞いてきた。一番のちびが中1であるとは云え、4人で2LDKでは確かに生活できない。

 今週末は上の子がセンター試験を受ける。そういうことで、試験会場である志望校への自宅からの道順を確認する。自宅を出て、角を3つ曲がれば到着するような場所。地元で公立のガッコに入ってれれば、親としては実にありがたい。

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2014.01.15

810,000番目のお客様は...

 15,000番目、20,000番目、25,000番目、30,000番目、33,333番目、34,567番目、40,000番目、44,444番目、50,000番目、55,555番目、60,000番目、66,666番目、70,000番目、77,777番目、80,000番目、88,888番目、90,000番目、99,999番目、100,000番目、101,010番目、111,111番目、123,456番目、130,000番目、131,313番目、133,331番目、140,000番目、150,000番目、160,000番目、170,000番目、180,000番目、190,000番目、200,000番目、210,000番目、220,000番目、222,222番目、230,000番目、234,567番目、240,000番目、250,000番目、260,000番目、270,000番目、280,000番目、290,000番目、300,000番目、310,000番目、320,000番目、330,000番目、340,000番目、350,000番目、360,000番目、370,000番目、380,000番目、390,000番目、400,000番目、410,000番目、420,000番目、430,000番目、440,000番目、450,000番目、460,000番目、470,000番目、480,000番目、490,000番目、500,000番目、510,000番目、514,926番目、520,000番目、530,000番目、540,000番目、550,000番目(560,000番目は忘れてました)、570,000番目、580,000番目、590,000番、600,000番、610,000番目、620,000番目、630,000番目、640,000番目、650,000番目、660,000番目、670,000番目、680,000番目、690,000番目、700,000番目、710,000番目、720,000番、730,000番目、740,000番目、750,000番目、800,000番目に次ぐ90度目のキリ番プレゼントで、今回は810,000番目のキリ番です。

 読書グッズP-hookのプレゼントを希望される方はこの記事の "1万5千" を "810,000" に読み替えて、気に留めておいてください。

 肝心のカウンターですが、タイトルの右上に灰色で非常に判り難く居ります。シンプルなのが好きなので、カウンターはこのくらいの存在感があたしの好みです。

 なお、カウンターを気にしていなくても、キリ番を踏んだ人にはメッセージが表示され、見落とすことはない設定を施しています。

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2014.01.14

最近入荷の積ん読素材「家族喰い―尼崎連続変死事件の真相」

 年末30日に入手したものの、実は全く読めていない。

家族喰い―尼崎連続変死事件の真相
家族喰い―尼崎連続変死事件の真相

小野一光 (著)
単行本: 288ページ
出版社: 太田出版
ISBN-10: 4778313828
ISBN-13: 978-4778313821
発売日: 2013/10/30
商品パッケージの寸法: 19x12.8x2.8cm

 しかし、北九州の事件といい、どうしてこんなことが出来るのか判らない。人を苦しめて、金銭を奪って幸せになれるのだろうか。極端な話、金があっても幸せになれるとは思えないんだけど。金がなくっても、人を幸せに出来れば、そちらの方がはるかに幸福を感じると思う。

 世の中には理解の出来ない人がいる。

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2014.01.12

ゴーストタウン

 昨日、下の子が遠出をしたいといい始めたのが、午後3時を回ってからだった。この時間になると、もう3時間も経てば真っ暗になる。遠出をするのなら、暗い中を走るのはつまらないし、明日の午前中から行こう、と一日ずらした。

 ということで、本日、その遠出とやらをやったのだが、家を出たのはそんなに早くない10時過ぎ。たまに早朝のまだ暗い時間帯からドライブに出掛けたりすることもあったが、昼過ぎには運転疲れして帰ってくる、というもの、もひとつヘンな感じがある。やはり、9時とか10時に出掛けるのがいい。

 またまた子供は辺鄙なところを希望しているので、フューエルメータが最後のメモリで点滅しているということもあって、いつもは1000円分しか給油しないのを珍しく10リッターで給油する。普段は燃費を優先して車体を軽くして転がしているので、そういう給油の仕方は珍しい。

 今日、走った山間部の町は昔は何度か走ったことがあったのだが、この20年近くは御無沙汰していた。山間なので特に変わったことはなく、だらだらと山道が続くばかりだった。子供はその町に行ってみたいということだったが、これといった目的はなく、そのまま、その町をこえて、うちの県が3つの地方に分けられるうちのひとつのなかで最も大きい町に行くことにした。

 ずーっと山道を走っていたのだが、トンネルが現われ、それを越えると街なかだった。景色がいっしゅんにして変わったので、びっくりした。川端康成の雪国どころのレベルではなく、驚いた。山中からJRの駅前に一瞬にして飛ばしてしまうのは乱暴過ぎる。ま、そういう小さな町でもあるということなのである。

 70年の人口が11万人だったのが、現在は8万人強。過疎がだいぶん進んでいるところである。連休中日という日なのに、アーケードのある商店街にはほとんど人がおらず、店も半分くらい閉まっている。道路はしっかり整備されているが、休日の早朝のような感じで、ブロックごとに設置されてある信号が無用のように思えて、信号待ちがひたすら煩わしかった。

 町が寂れていくということはこういうことなんだと感じる。もともと家屋が少なければ、小さな集落としてそんなに違和感を感じることはないのだが、立派なビルが立ち並んでいるのにもかかわらず、ひっそりとしているのは、なんとも不気味な光景である。

 うちの町はかろうじて人口は微増し続けているのだが、中心地はと云うと、昔のような活気は全くなくなってしまった。郊外のショッピングモールに完全に人を奪われてしまっているのだ。1000台の車が駐車出来るとなると、どうしても勝手がよく、そちらに流れてしまう。以前のアーケード街では人にぶつからない様に注意しなければならなかったが、今はそんな必要はない。ショッピングモールでは人の多さに目が舞って酔いそうになる。

 どのように町が変わっていくのか。この10年で決定的な変化がありそうな気がする。

 今日のドライブでは220kmほど走ったのだが、朝に給油した10リットルだけで戻ってくることが出来た。信号のない山道を走ったにしても、燃費が良すぎ。

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2014.01.11

訃報 淡路恵子

 女優の淡路恵子さんが亡くなったという。死因はやしきたかじん氏と同じ、食道がん。

 この疾病はかなり質が悪いらしい。部位的に症状の出にくいところで、リンパに近いところなので転移しやすい。症状が現れて、疾病が判明するのは他のところに転移したガンによる症状によるもので、すでにかなり進行しているとのこと。咽頭に影響が及んだ場合は、発声に支障が生じるので、声かれが長く続くようだったら、この疾病を疑って検査をすることが大切だそうだ。

 しかし、この淡路さんというひとの作品はほとんど見ておらず、どのようなひとだったのか具体的には思い浮かばない。昭和50年代以降の作品でも何本か、彼女の出演作を見ているはずなのだが、それでも判らない。

 食道がんは飲酒、喫煙が最大のリスクとなるようなので、愛飲家、愛煙家のひとは注意してください。あたしは高校の卒業式の日、下校時、友人宅で麻雀をした時からタバコを吸い始め、19年と半年間吸った後に中断した。煙草代が高騰して負担が厳しくなったのと職場の分煙で吸うのが面倒になったからである。それもすでに10年近い。酒は下戸で、もともとが嫌いだから、一切、飲まない。ということで、食道がんのリスクはかなり低い生活を送っているようだ。

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2014.01.09

血は争えない

 この年末年始は下の子とは30日から5日までほとんどずっと一緒にいたのだが、上の子と一緒にいられたのは、2日の夕方から3日の夕方の2日間だけだった。

 上の子はこの冬、大学受験でセンター試験も間近である。補習の多いガッコのようで、土曜日は午前中は授業があるらしい。あたしの頃は、土曜日は半ドンだったので、同じような感じでガッコに通っているということになる。あたしも補習は平日の通常の授業+1限あって、終了は5時くらいになっていたと思う。そして、夏休みは希望者のみだが、大学での講義より長いひとコマ100分の授業が午前午後に各々2コマずつの計4コマ。お盆休み以外は、ガッコに通い続けて、2学期に入って始まった通常の50分授業を恐ろしく短く感じたものだった。

 しかし、年末年始に関して補習を受けたような記憶はないのだが、上の子に関しては30日まで補習授業があり、さらに4日の土曜日からも補習授業が始まるという。それは当たり前に、その中の1、2日しか父親に付き合ってジジババの家に行こうという気にはならないだろう。

 あたしは別居をしているから必然的ではあるのたが、子供の勉強と云うのをみたことがない。上の子の通っているガッコは変っていて、年度の終わりに通知表を生徒に渡すのではなく、父親宛てに郵送してくるのだが、実を云うと一度も封筒の封を切ったことはなく、そのまま玄関に放置している。

 そんな上の子が受験するというのはあたしの出身駅弁大学の数学科だという。化学科でもいいんだけど、数学の方が面白いかな、ということだった。

 自分は文学士らしいのだが、受験申請の直前までは物理学科受験を希望していたし、高校1年の頃は数学科に進むつもりでいた。ロジックの世界は明確で、答えを導き出した時の快感は相当なものである。しかし、言語の、言葉を績ぐという人間の能力は謎に満ちていて、こちらの方に対する興味が強かったので、結局、文学科と云うところに行ってしまった。

 実家に子供を連れて行った時、数学の教科書も持って来ていた。中学の算数に関しては、大学に入って家庭教師のアルバイトでずーっと教えていたので、今でもすぐに勘を戻すという自信はある。そんなに面倒なことはしなくても、日常でも連立方程式くらいは訳に立つというようなシーンはよくあり、式を解いては実務に役だたせていた利する。しかし、高校の数学の教科書と云うともう、全く判らない。こんなものをやったっけ、という感じである。数学もひととおりIIIまでやっているはずなのだが、見覚えが全くなくなっていた。30年間の完全なブランクは、思った以上に大きかった。

 まぁ、大学は行ってもいいし、いかなくってもいいと思っている。行けは知識というより、手段が深くなるので、行った方が良いのだが、大切なのは生きていく糧を得ることが出来るということだと思っている。いい大学に行っても、生活できなくては意味がないしね。

 取りも直さず、子供が自分と同じようなことに興味を持って、それに進もうとしているというのが、なんとも云えぬ感じである。下の子見た目はカミさんとそっくりだとあたしは思っているのだが、上の子はあたしと似ていると他人からよく言われていた。しかし、ルックスが似ていると云うことに今ひとつ実感がなかったのだが、やはり根底的なところから似ているのかもしないと思う、今日この頃であった。

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2014.01.08

訃報 やしきたかじん

 昨夜、3日にやしきたかじん氏が亡くなっていたという報道があった。昨年、TV復帰したと思ったらすぐに療養に戻ったので、これはマズいんだなと感じていて、そんなに驚くということはなかった。

 彼が亡くなったのは食道がんが原因だったらしいが、あたし自身、この秋までこの病気を抱えているのではないかと思っていた。実をいうと一昨年の秋くらいから喉に食べ物がつっかえるような感じがあった。それが段々ひどくなり、小さな物だとすんなり喉を通らず、引っかかるようになり、口に戻ってくるようなこともあった。麺を食っても、麺が喉の狭い隙間をぬるぬると通っていくのがあからさまに感じられた。千切ったキャベツを食べると喉を通らずに引っかかって、飲み込むのに苦労するという感じだった。

 本当は早々に病院に行って検査を受けるべきなのだけど、仕事の忙しさに感けて1年間、放置していた。喉の引っ掛かりがひどくなって、食事するのが憂鬱になってきたので、病院に行ったのが、10月の終わりだった。

 まぁ、人間死ぬ時は死ぬ時であるし、聞いたところによると死んだ後の世界は決して悪いところではないらしい。死ぬつもりがなくて、あれよ、という感じで死んでしまうのはどうかと思うが、死ぬことが判れば、それなりにそれまでの時を過ごすことも出来るわけで、生活が自滅的にグジャグジャになる前に病院に行って見ようと決心したのだった。

 その日は午後に歯医者の予約が入っていたので、夕方から早引けするのではなく、一日の休暇にして、午前中は胃腸科に行き、内視鏡を飲んでみることにした。

 医者に、一年前から喉がつまる症状があると伝えたら、なんで、一年も放置するんですか、と呆れ返られた。嗜好品について尋ねられたので、一日6杯分くらいのコーヒーを飲んでいると云うと、飲み過ぎだ、と云われる。とりあえず、内視鏡を飲むことになった。

 内視鏡での検査は、綺麗な食道です。ということだった。全く異常はないらしい。

 しかし、その前日の夜もパスタを食べる時、つるつると喉の狭い隙間をゆっくりと通っていく感じがあり、正常ではなかった。しかも、食事をとっていない時でも喉のあたりがグリグリとつっかえる感覚があり、大きな異物が喉の中にあるのが否めなかった。

 そのことを伝えると、医師は、そんな筈はないんだけどなぁ、といいつつ、漢方を処方してくれた。半夏厚朴湯という薬で、これを一週間も服用していると、喉の違和感は完全になくなった。あたしの症状はストレス性の梅核気とかヒステリー球と云われるもので、食道がんのような深刻な疾病ではなかったようだ。

 そういうこともあったのだが、やはりお迎えがくる時は、素直に静かにそれに従い、ジタバタしないつもりである。死とは避けることが出来ないものだし、溺れて暴れるようにもがいても、却って水を飲んで苦しいだけである。静かにそれを受けとめるといずれ命を落すことは明らかだが穏やかに最期を迎えることが出来る。いずれ死ぬということを意識していれば、死ぬこともそんなに怖くはない。ま、いつ死ぬかは神様にしか判んないんだけどね。

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