下の子の自転車
下の子は来年、中学に進学するのだが、まだ自転車を持っていなかった。子供は高機能自閉症で、知能の遅れはないのだが、人とのコミュニケーションが苦手なところがある。さすがに大きくなるとやりとりに問題のあるようなことはないが、小さい頃はややマイペースに行動してしまうことが多かった。傍目には落ち着きがないというのが第一の印象で、そのような状態では自転車には乗せられないというのがカミさんの判断だった。
あたしはこのあたりは緩くて、道路を横断する時に車が来ているかいないかの確認が問題なくできるようであれば、乗せてやるべきだと考える。何が大事か判り、それが守られれば、制限はすべきでないと思っている。
今年の正月にようやく実家のじじばばに自転車を買ってもらって、正月休み中に数日間練習をしたようだ。あたしは仕事があるので早々に自宅に戻ったのだが、子供はひとり残って、自転車の練習をしていた。自転車は2日くらいで乗れるようになって、さらにもう一日乗ってみるという感じで、完全には乗れていないから、もう少し練習をしてから引き渡すという話になって、それから2ヶ月近く自転車はお預けの状態になっていた。
この週末に、自転車を引き渡して貰うというつもりで、実家に行く。子供も自転車に対する恐怖は全く無いようで、近所を走り回っている。走り始めにちょっとばかり前輪がブレるというのが気になったが、特に危ないという感じはない。土日と練習をして、それから、実家の軽トラで積んでいって貰おうと考えていた。
翌日、親父は「まだ練習が足りないから持って帰らせるわけにはいかない」などと云う。あたしとしてはもう十分と思うくらいである。確かに自転車に乗り始めて一週間も経っていないし、完璧であるとは云えないかもしれないが、逆に云うと、どうあれば完璧であると云えるのか、完璧を待たなければ何もしていけないのか、という話になる。
子供の希望は、家まで自転車で乗って帰りたい、途中、イオンに寄ってゲームをしたい、ということだった。このルートは郊外から市街地にはいり、さらに郊外に抜けるといった道順で、8kmくらいになる。直線で行くとそんなにはないのだが、大きな橋が自転車では走れないような高架になっていて、遠まわりする必要があった。行けると思うのならやってみろと云って、許可する。
下の子は地理には詳しいので道に迷うようなことの心配は一切ない。しかし、子供は携帯を持っていないので、連絡の取りようがないし、車で子供の自転車の後をそのまま追うことは出来ないので、念の為にイオンの近所の別の商店で落ちあうようにして中間確認をすることにした。
夕方3時過ぎに実家を子供が出発してから20分くらいしてから車で出る。待ち合わせをしていた店に辿り着くと、子供もちょうど到着する。そこは実家から6kmくらいあるのだけど、30分強かかっていた。これからイオンに行くけども、6時には帰るからねと云う子供と分かれる。6時は日没の時刻で、この時間ならまだ明るく問題はないはずである。
自宅に帰って子供が帰ってくるのを待っていたのだが、6時過ぎて日が暮れても帰って来ない。もう暗くなって、ライトをつけないと走られない状態だ。6時半近くになってようやく帰ってくる。どうやら帰りもぐるりと遠まわりをして帰ってきたようだ。総走行距離は11kmくらいになっている筈である。怖いもの知らずと云うか、気合いの入ったヤツである。
まぁ、こういった挑戦に釘をさすつもりはない。出来ることをするのは当たり前で、進歩はない。今までやったことはないが、まったく不可能というわけではない、と思われることをやってみることに進歩がある。仮にそこで何かあれば、その人生はそういうもんなのだと思う。死なないやつは何をやってを死なないし、死ぬやつは家で寝ていても死ぬ。それくらいの覚悟で見守っている。人間の成長を促すというのには、とにもかくにも何も云わないことに耐えるということが出来なければならないと思う。
子供に、次はどこに行きたいかと尋ねると、あの恐怖の窓峠に行きたいという。さすがにそれは無理だからダメと禁じた。
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