訃報 安岡章太郎
あたしは活字中毒で、何かを読んでいる時が一番落ち着く。最近はスマホなどというものがあって、ネット上に書き散らされた文書を読むだけで膨大な時間を費やしてしまっているのだが、以前はとにかく本を買い込んでいた。
部屋には5、600冊の文庫本があるのだが、この大半は中高生の時に買って読んだものである。中学の時はひどいもので、通学路に10畳くらいの小さな本屋ができたもので、親の財布からくすねた金で毎日のように文庫本を買っては読んでいた。
怪獣映画から入って、星新一、筒井康隆、小松左京のSF小説を読み漁った後は、エッセイの面白さに取り憑かれた。この3人は皆、エッセイストとして優れていて、日常の光景を切り取って、思考をめぐらせるという文章は親しみやすいだけでなく、実に刺激的でもあった。
そこで馴染みになるのが、遠藤周作、北杜夫、吉行淳之介、安岡章太郎、なだいなだといった作家だった。彼らの小説と云うのはほとんど読んだことはなく、ひたすらエッセイがかりを読んでいた。昭和20年代後半から活躍していた作家で、読んだエッセイと云うのはおそらく10年以上遅れて読んだことになるのだろうが、当時、文庫本で手に入れられるものは大半揃えていたのではないかと思う。
これらの作家ですでに生きているのは筒井康隆となだいなだくらいになってしまった。彼らかすっかり過去の人になってしまいつつあるのが俄に信じがたい。皆、オトナで、早々に色んな世界を見せて貰ったような気がする。いい教師だった。最近はどのようなエッセイが読まれているのだろうか。
この頃からはほとんど小説と云うものは読んでいない。エッセイほどのエンターテイメントを感じなかったからだ。読んだのは夏目漱石くらいか。彼の長編は大学に入ってから読んだ。
そうそう、先のアルジェリアの事件で被害にあった日揮の広報部長が、星新一を彷彿させる風貌でドキリとした。愛する星新一の最期を思うといつも胸が痛む。
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