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2012.09.03

8mm映画創造の方へ 映画を超えて(4)

 四半世紀前の原稿なので、当然、電子データは存在しない。冊子をOCR変換して掲載している。

 前使っていたPCにはOCRソフトが入っていたんだけど、今使っているPCにはインストールしていない。androidのスマホにはOCRソフトが入っているのだけど、スマホのカメラで撮った原稿ではやはり綺麗ではなく、PCに接続したスキャナーで画像を取り込み、ファイルサーバーサービスにファイルを保管。そこからスマホでダウンロードして、OCR変換。テキストファイルとしてサーバーに保存して、PCで手直し。そして、ブログに掲載なんていうことをしている。

 なんたか面倒そうな作業をしているように思われるかもしれないが、それ程でもない。スマホのOCRの変換率85%くらい。悪くはない。


8mm映画創造の方へ 映画を超えて
I 映画の始源「映像」へ(3) (IDE vol.40 1989:p91-92)



不可侵的な映像=イメージ=

 僕の描きたいといっていた"自分自身の頭の中にある世界"、っていうのはかなり抽象的な言い方なのだけども、これは"僕自身の視覚という感覚による世界"というものであって、またこれはさらに<イメージ(心象)image>という言葉に言い換えてもいいだろう。
 つまり、僕は、僕の持っている視覚感覚による不可侵の世界を描きたいと思っていたのだ。しかし、ここで描けるというのは、それを創る場合自分の感覚、唯一それだけだ。他人の感覚なんかじゃ決してない。他人の感覚ってのはそもそもわかりっこあるはずないから。映画っていうのは、結局は誰かの視覚的感覚世界をフィルムの上に置き直したものにしかすぎない。
 また、僕の映画を創るという喜びは、一つ、どこまで完璧にそれが再現できたかによる。自分の感覚だから、他人にはわからないかもしれない。もっとも、分かってもらえるに超したことはないけど。だけども、分かってもらえない、もらえるという問題を云々いう前に、まずは、それを表現し得たかという問題が待っている。それを解決できていないうちは、他人がどういおうと、自分の感覚となっていないから何ともいえない。たとえ、共感しましたといわれても、自分のそれじゃないから、何と答えていいのかわからない。ただ未完成ですとしかいいようがない。よい映画を創るためにはまず自分自身に厳しくなくてはならない。
 再び、ルーカスのことに戻るんだけれど、僕には残念なことにルーカスが何を考えているのかわからない。彼は、寛徳に彼が持っている奇抜なアイデア(おそらく誰にも受け入れられるような表面的なもののような気がする)で映画を創れといっているのだろう。こうやれば絶対面白い、多くの人間にウケるぞ。そうなれば、映画というものは単なる商品でしかなくなる。そこには主体性のカケラもない。大衆によって消費されるためだけにそれは創られる。そして、それはあくまでも時代背景のによってしか存在し得ない。また、彼は映画を信じていないだろう。映画の持っている真の力というものを見定めてはいない。
 僕の思っている映画というのは、ある人間から真に発せられた確かな不可侵の<イメージ>が映画・映像的に相応しく描かれたものであって、さらには普遍的な人間性から発せられたものとして永遠のものになり得る、というものだ。あらかじめいっておくけども、<イマジネーション(想像)imagination>と<イメージ>はまったく違うものだ。<イマジネーション>には、空想という意味も含まれ、意識的.理性的なものが関与してくる。ここでいう<イメージ>は、無意識的に現われたものだけをいっている。


その他の映像媒介

 <動く映像moving picture>による芸術形式には、映画の他にも主なものにビデオなどがある。
 この二者の違いというのは、おそらく、再現形式(一方がスクリーンで、また一方はブラウン管を通してである)というより、再現される映像そのものの性質にあると思う。それは光学的素材か、磁気的素材かの材質的な違いによるもののだ。映画・フィルムによる形式では劇場効果(同時体験)というものがよく問題とされるけども、それはあくまでも産業形態による副次的なもので、まずは素材的特質それ自体をみる必要があるだろう。
 また現在では、映画のハイビジョン(heigh denfinition television)化が進みつつある。根本的にはフィルムに頼らず、撮影にはビデオを用い、それをフィルムに落とし映画館にかけるとというやリ方だ。したがって、映画館で観られるものが全てフィルムによるものだというのは間違いになりつつある。それがダビングされるにしろ、されないにしろ、フィルムで撮ったものこそがいわゆるフィルムによる作品なのだ。3D映画というのが一時期はやったが、これもまたフィルムとはまったく別のメディア・表現媒介と考えた方がいいだろう。これらは、同じ画集に収められた、油絵と水彩画の関係というものに似ている。
 これらの媒介に関する諸問題は数多くあるけども、今回はこれに関してはあまり触れず、まず映像そのものの創造をみていこうと思う。

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