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2012.09.13

8mm映画創造の方へ 映画を超えて(14)

8mm映画創造の方へ 映画を超えて
V 永遠なるイメージへ(4) (IDE vol.40 1989:p107-108)



カタルシスというもの

 アインシュタインは、<美>を求めた。しかし、湧いてくる<イメージ>というのは、必ずしも美しいものとは限らない。カフカの『変身』に描かれているのは「不条理」というものだ。また、山野が『3/4ドキュメント』で描こうとしたのは、やるべきことが見えてこないという「虚無感」である。しかし、これらもまた<イメージ>であることは間違いない。「醜さ」というのでは決してなく、いわば「悪夢」的に迫ってくるこれらの<イメージ>が僕らにもたらすのは何だろう。また、このような<イメージ>が湧いてくるというのは、貧困な精神のためなのだろうか。
 僕らには痛みという感覚がある。この感覚、ないと大変なことになる。時たま、遺伝的な疾患で痛みという感覚のまったくないという人がいる。盲腸炎なんてのは、痛みでわかるのだけども、でも彼にはわからない。彼にとって日常生活というのは大変なもんで、常に注意してなければ昔の人のように盲腸炎一つであっけなく死んでしまったりする。だから痛みというのは、そこに疾患があることを教えてくれる唯一の警報機なんです。
 痛みが体の歪みを示してくれるのなら、心の歪みを示してくれるのがこの「悪夢」のような<イメージ>です。体が鈍っていると痛みは感じない。痺れた足をいくらひっぱたいたって、ちっとも痛くはない。心の歪みにしたって同じです。鈍った心は歪みを感じない。そしてそのままほっておくと折れてしまうというのは明らかです。澄んだ心、優れた知性によってこそ、歪みは見出だされるのです。つまり、<イメージ>によって真実が示されるのです。
 アリストテレスが『詩学』でいいだしたことだけども、精神の浄化を意味する<カタルシスkatharsis>というのがある。これは、悲劇の与える恐れや哀れみの情緒というのは、観客がそれを味わうことによって、日頃心に彰積していたそれらの感情を放出させ、心を軽快にするというのです。もっとも<イメージ>によって明らかにされる意識下の歪みが複雑になってくれば、単に一時的に感情を放出し、スッキリするだけにはいかなくなってくる。さらにそこでいかにその歪みを理解し、その原因となるものに対処、克服し、<本質>・保たれるべき理想状態に向うかという問題が起こってくるのです。
 また、このような歪みを示してくれる<イメージ>というのが存在するというのは、いうまでもなく人間にはあるべき姿があり、無意識のうちにそれを望んでいて、またそれを実現させる力を持っているということです。


<イメージ>は偉大なる財産

 これらのことが<イメージ>に隠されている意味です。
 また同時にこれらは、数千年前に描かれた絵もが、なぜ僕らの観賞に堪え、さらには感動をも呼び起こし得るのか、ということの理由でもある。
 <イメージ>が<イメージ>であるかぎり、僕らには他人にそれを提示することしかできない。つまり、僕の<イメージ>が何を意味するかを知っていたとしても、たぶん僕自身そのすべてを知リ得はしないだろうけども、誰にも教えられないのだ。直観として悟り、理解してもらうしかない。
 もっとも、何事に関しても、ほかの誰かに何かを教えるというのはもともと不可能なことだ。なにかを強制することは可能かもしれない。しかし、理解を強いることはできない。僕らにできるのはそれを理解するに到った僕らの遭遇した事実、それを提示することだけだ。
 また、タルコフスキーが言っている。「傑作は、天才性を主張する作品のなかから、必ずしも識別されうるとも、されないともかぎらないままに、機雷敷設区域の警戒標識のように、世界中にばらまかれている。われわれが吹き飛ばされないのは、単なる幸運からだ!」。これはどういうことか。僕ら自身まだまた発展途上にあるってことだ。あらゆる意味で。
 そうして、死の一週間前に書き上げた著書の最後で彼はこう言い残した。「問題のすべてはわれわれが想像上の世界に生きており、われわれ自身がこの世界を創造しているということなのだ。それゆえに、われわれ自身、世界の欠陥にかかわっているが、その利点にかかわることもできたはずなのある。最後に、読者を完全に信頼して打ち明けよう.実際人類は芸術的イメージ以外には何一つとして私欲なしに発見することはなかったし、人間の活動の意味は、おそらく、芸術作品の創造のなかに、無意味で無欲な創造行為の中にあるのではないだろうかと、と。おそらく、ここにこそわれわれが神の姿に似せてつくられている、つまリ、われわれに創造する力があるということが表明されているのである」

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