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2012.09.12

8mm映画創造の方へ 映画を超えて(13)

8mm映画創造の方へ 映画を超えて
V 永遠なるイメージへ(3) (IDE vol.40 1989:p105-107)



理論に<美>を見出だすアインシュタイン

 作家そのものではないけども、天才物理学者のアインシュタイン、彼に関して非常に興味深い逸話が幾つか残っています。アインシュタインは<美>に対する執着が激しく、理論においてでさえ、もし<美>が感じられなかったならば、一言「醜い」といって見向きもしようとしなかった。また、彼がそれを嫌うだけでなく、他人がそんな醜いものに喜んで携わっているのが理解できなかったという。また、優れた理論や仕事の最高の賛辞というのは、正しいという言葉ではなく「美しい」という言葉だ、ともいった。そうして、<美>こそが論理物理学の重要な研究を導く原則だというのだった。
 彼の従事していた理論というのは、「ある物事に対して、原則・法則をよりどころにして筋道を立てて考えた認識の体系」というものです。だから、理論というのは認識そのものでもある。いままで<イメージ>の話をしていたのだけども、<イメージ>というは決して意識の外にあるのではなくって、必ず意識されたものです。したがって、<イメージ>というのは、認め確認されるもの、認識されうるものともいえるでしょう。理論家の脳裏には常に理論化される前のある物事に対する<イメージ>があるというわけです。理論家というものの作業というのは、第一に事物に関する<イメージ>を掴み取り、さらに第二にそれを、この場合、原則・法則をよりどころにした筋道ですが、フォルム・形へと置き直していくということです。これは、画家が絵を描くという作業と全く同じです。
 アインシュタインが理論に<美>を求めたというのは、1つは、<イメージ>がいかに理論として筋道を立てて具象化されているかという点だろう。たとえもともとあったその<イメージ>がいくら素晴らしいものでも、デッサンの下手な絵からそれを伺い知るということはからっきし不可能だから。理論化する場合は特に注意しなくてはならない。今僕はこうやって理論化の真似ごとのようなことをしているのだけども、正直な所、途中辻褄(つじつま)の合わないところが幾つも現われ、絶えず修正を強いられている。ということは、もともどあった<イメージ>というのが歪んできているわけだ。だから、この文章というのは全体的に何を言っているのか分からないということからの「醜さ」が十分にあり得る。まず、その<イメージ>が確かなこと、そして具象化の技術の完壁さが必要なのです。


<本質>は<美>を呼び起こす

 第二に、おそらくこのことをアインシュタインは言っていると思うんですが、その<イメージ>自体のことです。アインシュタインは、納得でき、理に適っていると思われる理論でさえも、「醜い」といったそうです。つまリ、彼はその理論から再びその理論のもととなる<イメージ>を再生し、その事物に対する<イメージ>、それ自体を「醜い」といったのです。たとえば誰かが『この世はすべてお金だ。お金さえあれば、楽に自由に暮らせられる』といったとする。これは彼のこの世の中に対しての<イメージ>です。さて、どう感じるか。僕は、「醜い」と感じます。たぶん多くの人がそうでしょう。アインシュタインの持った「醜い」という印象はこれと同じです。彼が「美しい」と感じた理論というのは、いうまでもなく<本質>をついたものだからです。「美しさ」の中には常に秩序が保たれている。そうしてそこには、自然の保たれるべき理想的な形態・真理があるのです。事実、彼以上に自然界をうまく示し上げた人は現われていません。
 ここでも例の知性の問題が係わってきます。たとえば「この世は○×だ」というとしよう。ここには○×というわけの分からないものがある。僕らの理解を超えている。これは「美しい」ということはまずなくて、かといって、「醜い」かというとそうでもない。ただ単に分からないということです。こういった「醜い」とか「美しい」という直感・印象は如実に自分の知的レベルを反映しているんです。
 アインシュタインに話は戻るんだけども、彼の携わってきたのはあくまでも物理学という数式上の投界です。だから彼は事物を数式的に見ていたわけだ。彼の「相対性理論」なんていう偉業というのは、事物の<イメージ>を数式というもので捉える視覚的能力に長けていたことによる。その能力がただならないものだったというのは彼に理論が<イメージ>として見え、それに<美>を求めたということでも明らかだ。それと、物事を直観的に把握し見極める力、知性である。いうまでもなく彼は人並み外れた天才です。
 彼の研究によリ、原子爆弾が開発され、ヒロシマとナガサキに投下された。そこで多くの人間が死に、彼は苦しんだ。この苦しみというのは、『マリリンとアインシュタイン』(ニコラス・ローグ、1985)という作品に見事に描かれている。彼にとっての<美>というのは単に事物の現象の数式化においてだけでなく、人間の在り方においてにも見出だされていた、そして周知の通り、彼は核兵器廃止・平和運動に尽くさざるを得なかったのです。

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