8mm映画創造の方へ 映画を超えて(1)
あたしは学生時代、某駅弁大学の映画研究会に所属していろいろ遊んでいた。当然のように映画を撮り、あまりに熱中したため、センセからは2年間立て続けて「評価しない」という評価をされて余分に学籍をおいた。あたしの場合は、映画を撮るだけではなく、映画とは何か、芸術とは何かと云う根本的な問題にも囚われていて、それについて考えて続けていた頃でもあった。
88年5年生の時にサークルの機関誌に「8mm映画創造の方へ 映画を超えて」という文章を掲載した。B5判に上下段28ページになる文章である。そろそろ学生と云う本業に真剣に取組まないとマズイという雰囲気もあり、サークルに対する卒論のような感じでもあった。後輩に常々、「遊びは中途半端にするな。中途半端なら単なる穀潰し。遊ぶのなら本気でやれ」と云っていたが、その結果でもある。
8mm映画創造の方へ 映画を超えて
序文(IDE vol.40 1989:p86-87)
1.映画を創ろうとするものは、他人に観てもらうということを考えながら作品を創ってはならない。
2.映画を創ろうとするものは、あえて理論を知る必要はない。特に、モンタージュ論は学んではならない。
3.映面を創ろうとするものは、既成の映画を多く観る必要はない。特に現在創られているものは観ない方がよい。
4.映画を創ろうとするものは、まず何よりも、同じ視覚芸術である絵画・写真などに、慣れ親しむべきである。
映画のことから考えていくと、ひとまず5年間でこんなことに行き当たってしまった。ずいぶん多くのことを書いてしまった。断片的に持ち出すのは面倒だし、取っておくのはもったいないから、行き当たったことすべて(といっても65%ぐらい)を一気に書いてしまった。ゴメンなさい。といっても、文献など参考にしながら書いていると途中で新たな疑問が絶えずでてきたから、それはまだ草稿、覚え書きのようなものでしかない。おそらく、完全稿なんていうのはできはしないだろうし、またできたとしてもそれはベンを折るときだから、いつまで経ってもこんな感じのままでいたいと思う。
いま、映画が好きかどうか尋ねられるとずいぶん困るんじゃないかと思う。いや、もしかしたら嫌いなのかもしれない。僕にはよくわからない。とにかくどっちでもいいことだ。映画を探っているうちにずいぶん多くのことが発見できたから。
取り敢えず、映画を創ろうと思っている人には右に挙げた4ヵ条を望みたい。しばらく前から、本当の映画を創るためには、このような方法しかないと思うようになっていた。
あらかじめ言っておきたいのは、映画に憧れてはならないということだ。決して映画に関心を示してはならない。映画よりもフイルムを直視することが大切だ。フイルムは限界を知らない偉大な道具だ。道具を扱うのは僕たち自身、そしてまた道具によって何かを創っていくのも僕たち自身だ。結局、映画は何も与えてくれないのだ。今僕たちの見直さなければならないのは、フィルムと僕ら自身じゃないだるうか。いまではもう僕らは、映画に関して創造と生産を取り違えているところまできている。ひどく馬鹿げたナンセンスなことだ。
また、4ヵ条の中の「まず何よりも、絵画・写真など、その他の芸術に親しむべきである」に関しては、峡画を創る創らないに係わらず、映藤を観賞する全員に当て嵌まるもので、取リ敢えずは心に留めておいて欲しい。
今回の内容に関して、とりわけ伊藤敬君との雑談というものがモヤモヤしていたものを多く明らかにしてくれた。強引に持ち掛けた話題に快くのってくれた伊藤君に感謝したい。
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