6歳未満脳死判定
昨日、国内初となる6歳未満からの臓器提供が行われたようだが、複雑な心境である。亡くなったのは男児らしいが、両親は少しでも死んだ子供の体がどこかで役に立って、生きていて欲しいと願ったのだろうと思う。
あたしは生体死を前提とした臓器移植は反対である。そうではない角膜、骨髄移植については賛成で、ドナー登録もしているが、腎臓をひとつ残せば問題はないといったケースを除く、臓器移植が認められるのに非常に違和感を感じるのである。
やはり人が死ななければ出来ない、という事は、脳死判定が出来ようが出来まいがやってしまうのは拙いと思う。実質的に人の死を誘うことを前提に行われることは、それが可能でもやってはいけない事ではないか。
核利用についても、人間が完全に制御できるものではないし、運用においては携わる人間の健康を害することが絶対前提となる。
踏み入れてはならないと思われる領域に、いとも簡単に立ち入ってしまう。それを決定する人たちは何の違和感も感じないだろうか。出来るからするのか、それとも金のためか。過ちの綻びは段々と大きくなる。早いうちに誤りに気づくべきである。
| 固定リンク
« オウム事件の終焉 | トップページ | 渇水気味 »
「報道」カテゴリの記事
- ドローン問題(2015.04.23)
- 大塚家具騒動(2015.03.27)
- 航空事故(2015.03.26)
- 著作権法リッピング違法化(2012.06.18)
- 6歳未満脳死判定(2012.06.16)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント