因果は巡る
昨年の夏、うちの部署に配属された新採用の職員が自殺した。遺書はなく、動機は判らない。職場での人間関係は決して悪いものではなかったが、報道によると5ヶ月間の残業は300時間、亡くなる前月はひと月で110時間あったという。
同じ部署ではあるものの、担当が異なるので残業の状態までは知らなかった。
あたしの経験からするとその残業時間はべらぼうに多いとは感じない。新採で配属された所は最低でも月60時間、平均して80時間というところだった。大体120時間を超えると時間外が本給程度になるのだが、それが年に数回あるところや、月200時間くらいになるところもあった。おかげで生活費には困らなかったが、家庭が壊れてしまって、今に至っている。今は残業もうるさくなって月80時間超えると理由書を書いて、年400時間になると健康診断を受けなければならないとかなって、以前とはだいぶん異なってきている。
遺族はついに労災認定の申請をし、補償、謝罪を求めることにしたようだ。
うちの部署は苦情対応のようなことが多く、職員がよく潰れる。毎年何人かは精神的に疲れてしまって、長期療養に入る。肉体よりも精神的に過酷な部署で、そもそも新採のような社会経験の少ない者を配置すべきでないところなのに、何人も配属させる人事の考え方は理解できない。生活保護課についてもバカのように何人も新採を置いている。
このような部署で明らかな理由は判らないものの、新人を死なせてしまうというのは問題で、職場のあり方として本当に問題はなかったのかと追求を行うのが所属長の役割である。それを遺族に知らせるかどうかは別としても、今後の業務遂行においては重要なことだと云える。
実際に所属長が行ったことは、そういった人はいなかった、ということにすることだった。彼からは新採職員の死について全く語られていない。異常なことである。自分に責があると意識して意図的に避けているのか、まったく関係ないこととして無視しているのか、その真意は判らない。もちろん、遺族に対しても大した対応はしていない。
今回の遺族の訴えるという動きについても所属長からは何も発せられていない。昨日、課長の帰宅した後の残業時に報せが入って、その場にいた副長が残業していた職員に対して、騒がずに落ち着いて行動し、メディアから意見を求められても答えるな、という指示があったらしい。それ以降の指示は何もない。
部下に対しての危機管理は異常なほどに杓子定規にうるさく、あまりに制限するため業務遂行が不可能になってしまった職員が思い余って「じゃ、どうすればいいんですか」と尋ねたところ、その口のきき方はなんだ、と怒鳴った所属長。後一年で定年を迎えるようなんだけど、ようやく所属長になってこんなことになって気の毒というか、これまでやってきたことの積み重ねからやっぱり逃げられなかったね、というか。
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