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2012年1月の18件の記事

2012.01.31

落とし所の見極めこそが管理職の肝

 職場でトラブルがあった。今後、注意する、としか云いようのない、普通なら直接的に穴埋めの対応を考えないようなことだったが、我が上司は違った。ミスを犯した人間にことごとく、ミスを償うための行動を要求し、彼は半日それに費やした。

 ミスについては常識的レベルで、追求して意味があるかどうかという判断を行うものである。そのミスによって生じることの影響と、対策、今後の対応、これらを纏めて考察して、結果を導く。本来あるべき状態に戻すことができるのならそれがいちばんいいのだが、それに時間を費やしたり、不可能であったりすることがある。であれば、他のことに目を向けることになる。

 ミスを犯した部下からは、ミスそのものの訂正以外のことは云い出せないものである。責任の当事者であるからである。通常、管理職は部下の責任を負うべき存在であり、部下から問題の報告を受けた場合は、方策を指示し、自ら責任を負うものである。業務は様々で、時間配分のこともある。閑であればとことんそのミスを訂正すべき行動を行う価値もあろうが、そんなことはない。忙しさのあまりに起こしてしまったミスでもあった。

 管理職はそういう全体を見て、とるべき行動、いわゆる落とし所というところをいかに取りつけるかが部署に対する責任のとり方である。

 とことんミスを訂す方向に部下を進めた管理職は自分の責任を放棄したに近い。

 さらにミスを不確実な形で取り繕うというやっつけの決着を指示したようで、その信じられないくらいの出鱈目さは、場合によれば墓穴になり、いらぬ悶着を引き起こしかねないと思われる。世の中には凄い人もいるものである。

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2012.01.30

おおた慶文「ピアニッシモ -おおた慶文画集」(04)

 おおた慶文という画家のことをふとしたことで知り、ホームページのギャラリーを見て惹かれるものを感じた。

 これまで何冊も画集を出しているようだが、現在、唯一絶版となっていないものを入手する。

ピアニッシモ ― おおた慶文画集
ピアニッシモ ― おおた慶文画集

おおた慶文(著)
大型本: 55ページ
出版社: 愛育社
ISBN-10: 4750001902
ISBN-13: 978-4750001906
発売日: 2004/11
商品の寸法: 27.8x21.2x1.2cm

 なんだろうかと思う。彼は幾らかは若い頃の奥さん、また自分の娘をモデルにして描いているそうなのだが、ほとんどが想像の産物であるという。

 水彩画という透明感のある方法で描かれた絵で引き立たされるのは、どれも瞳である。少女の瞳がいづれも底知れぬ吸引力を持っている。

 この画集を見ていると、人の顔は最後は目になってしまうのでないかと思ってしまう。目が魅力的であれば、かなりの確率で彼女を美しく感じるのではないか。

 ただ扱われているのはすべて少女。ロリータ趣向というより大人の女性ではやはり透明感が出し難いためという気がする。。透明感があるといっても中性的な感じは全くなく、やはり女である。

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2012.01.29

もっと光を...

 日が長くなって日没が5時半過ぎになった。6時くらいまでは明るさが残っていて、定時に帰るとすると明るい中を帰ることになる。

 生活のなかで陽というのは思った以上に重要なのではないかと思う。

 暗い中を出勤し、暗い中を帰宅するとなると本当に気が滅入ってしまうと思う。地域差があって、北の方では今も4時半くらいの早くに日の暮れるようなところもあるようなのだが、精神的なものも地域によって違いがあるのではないか。暗くなるとどうしても行動に制限がかかりがちになってしまう。

 これからは1日に1分ずつ、日暮れが遅くなっていく。まだまだ寒さが残っているものの、心の軽くなってくる嬉しいシーズンである。

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2012.01.28

ハシシタの朝生

 ハシシタは顔を見るのが嫌なので、布団の中に潜り込んで聞いていた。もちろん途中で寝落ち。録画で聞く。

 ツイッターを見ると反ハシシタが散々な云われようで、確かにあの放送の内容は酷かった。

 しかし、この結果は初めから見えていたもので、ハシシタが政策論で議論しようとしても、相反する連中というと政策よりもハシシタの存在について危惧を感じている訳で、そもそもテーマが異なっているし話が噛み合う訳がない。一方的にハシシタに捲し立てられて、議論として負けてしまうのは必然である。

 人物の評価は所詮感覚的なものから発せられると思う。理論ではないと思う。そういった感覚が鈍るととんでもない連中が蔓延る。感覚をもっとフラットにして、シビアにみることを心がけなくてはならない。

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2012.01.27

暗いトイレ

 職場で経費削減のため休憩時間中の電気消灯を始めてすでに5、6年になるのだが、当地でも原発の完全停止が行われ、さらに電気の節電が行われるようになった。

 エレベーターは数台ある箇所については一台を終日停止。もちろん時間外は一台のみの運用である。

 さらにトイレの照明について節電を行うということで、動体センサー設置により照明のオンオフを行うようになった。

 これは別な意味で助かるもので、時間外になるとトイレの照明は消灯し、使用時のみ点灯するというルールになっている。残業時、トイレに行こうと思うと廊下の照明も消されているため、トイレの電気のスイッチが手探りしてもなかなか見つからなかったりする。それが自動で点灯するのだから、暗闇での苦労が解消される。

 しかし、センサーの関知後、消灯するまでの時間がおそらく3分くらいで、ちょっともたつくと、小便中に真っ暗になってしまう。センサー自体はトイレひとつに3箇所くらいあるようなのだが、それでも真っ暗になって手を振っても感知してくれず、真っ暗のまま済ましてしまわなければならない。個室でも同じような感じらしく、途中で明かりを落されることしばしばらしい。

 一方、女子トイレは長めに時間が設定されているらしく、困ったことはないという。

 不便という程のことではないが、トイレに入る時はちょっと注意が必要になった。

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2012.01.26

原子力規制庁

 原子力規制庁というのが新設されるらしいのだが、このネーミングには心底驚いた。

 なんか本気で国政を行うつもりはないんじゃないのと、真剣にがっかりさせられる。

 何をするかというのはレベル的に期待を微塵もしていないのだが、せめて名称くらいは名前負けと云われるくらいのまともなものにして欲しかった。

 能力もなければセンスもあるはずがないということ。この名前を見る度にムカつくことになる。

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2012.01.25

因果は巡る

 昨年の夏、うちの部署に配属された新採用の職員が自殺した。遺書はなく、動機は判らない。職場での人間関係は決して悪いものではなかったが、報道によると5ヶ月間の残業は300時間、亡くなる前月はひと月で110時間あったという。

 同じ部署ではあるものの、担当が異なるので残業の状態までは知らなかった。

 あたしの経験からするとその残業時間はべらぼうに多いとは感じない。新採で配属された所は最低でも月60時間、平均して80時間というところだった。大体120時間を超えると時間外が本給程度になるのだが、それが年に数回あるところや、月200時間くらいになるところもあった。おかげで生活費には困らなかったが、家庭が壊れてしまって、今に至っている。今は残業もうるさくなって月80時間超えると理由書を書いて、年400時間になると健康診断を受けなければならないとかなって、以前とはだいぶん異なってきている。

 遺族はついに労災認定の申請をし、補償、謝罪を求めることにしたようだ。

 うちの部署は苦情対応のようなことが多く、職員がよく潰れる。毎年何人かは精神的に疲れてしまって、長期療養に入る。肉体よりも精神的に過酷な部署で、そもそも新採のような社会経験の少ない者を配置すべきでないところなのに、何人も配属させる人事の考え方は理解できない。生活保護課についてもバカのように何人も新採を置いている。

 このような部署で明らかな理由は判らないものの、新人を死なせてしまうというのは問題で、職場のあり方として本当に問題はなかったのかと追求を行うのが所属長の役割である。それを遺族に知らせるかどうかは別としても、今後の業務遂行においては重要なことだと云える。

 実際に所属長が行ったことは、そういった人はいなかった、ということにすることだった。彼からは新採職員の死について全く語られていない。異常なことである。自分に責があると意識して意図的に避けているのか、まったく関係ないこととして無視しているのか、その真意は判らない。もちろん、遺族に対しても大した対応はしていない。

 今回の遺族の訴えるという動きについても所属長からは何も発せられていない。昨日、課長の帰宅した後の残業時に報せが入って、その場にいた副長が残業していた職員に対して、騒がずに落ち着いて行動し、メディアから意見を求められても答えるな、という指示があったらしい。それ以降の指示は何もない。

 部下に対しての危機管理は異常なほどに杓子定規にうるさく、あまりに制限するため業務遂行が不可能になってしまった職員が思い余って「じゃ、どうすればいいんですか」と尋ねたところ、その口のきき方はなんだ、と怒鳴った所属長。後一年で定年を迎えるようなんだけど、ようやく所属長になってこんなことになって気の毒というか、これまでやってきたことの積み重ねからやっぱり逃げられなかったね、というか。

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2012.01.24

末期的番組"朝生"

 すでにこの数年つまらなくなってしまって、適当にしか見ることのできなくなった田原総一朗司会の”朝まで生テレビ”だが、今週末はハシシタを扱うらしい。

 いろいろ取り上げられているが、そんなに大した人物かと思う。

 騒ぎ立てるのは実に旨いが、それだけの実績を実際にあげているのか。非常に疑問である。

 優れた人間は人知れず動き、その実績により注目を浴びるのではないか。

 本当に賢い人間はそもそも敵を作らず、静かにうまく事を進めるものである。

 田原のレベルもしれていることだし、新しい司会者を据えて番組を新装してもいいのではないか。そう云えば、たかじんの番組も旬は過ぎてしまって、出演者の交代がそろそろ必要。最近は通して見るのが辛くなってきた。

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2012.01.23

存在感のない男

 職場の同じ係の女の子のすぐそばで作業をしていると、立ち上がった彼女に突っ込まれそうになって驚いた。彼女自身も驚いている。

 「ここにO-Maruさんがいるとは思わなかった。びっくりした~~~」

 確かに彼女の真横という視界の外ではあるものの、手を延ばせばすぐに触れられるような距離に数分間いたんだけど。

 あたしの気配がまったくなかったという。彼女に存在を気づかれて驚かれたのは、初めてではない。そうして、ここまで気配を感じない人は初めてという。

 あたしの影が薄くなってしまったのかしらんと心配にもなるが、もともと天然の彼女の為せるものかもしれないとも思うのである。あ、それに相性が悪いというものあるかもしれないな。

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2012.01.22

いまどきのPCオタク

 あたしはPCオタクかどうかといわれるとそんなことはないと思っている。PCをつかい初めて16年強。仕事を楽にするためにマイノートPCを買ったことから深く関わり始めるのだが、初めの数年はPCが目的だったという感じもあったが、それ以降はそんなにそのものにのめり込んでないと思う。

 うちの下の子は土曜日だけで日曜日は遊びにこないことが多いのだが、珍しく今週はやってきて、やはりネットサーフィンに興じている。

 最近の調べものはPCの歴史である。Windows3.1がどうのこうの、8インチフロッピーがどうのこうのと云っている。あたしがPCを使い始めた頃の話である。さすがにPC98あたりまでは遡って調べ切れていないようだが、Windowsの歴史は概ね判ったようだ。

 この前はDOSプロンプトで何かをしようとして、結局、挫けたしまったようだ。10数年前だと知っているとそれなりに価値のあるコマンドもあったが、今さらである。今、DOSを使っているというとMP3のエンコードの時くらいか。あれもバッチで勝手に処理されているだけだけど。

 3.5インチフロッピーでシステムディスクを動かしたいと云ってきたが、98あたりのインストールディスクは探せばあるかも知らないが、今となってそんなものを変に起動させると訳の判らないことになりかねない。当然のように却下。しかし、今使っているPCはFDドライブもないし、すっかりレガシーディバイスになってしまった。

 それにしても歴史を探ろうというのはなかなかの気合の入りよう。昔なら書籍を当らなければならなかったのが、ネットですべて拾えるというのは、幸せであると思える反面、やはり不幸でもある。

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2012.01.21

食い過ぎの一日

 もともとさっぱりした朝マックは好きなのだが、卑しいので今日と明日だけ配布されるというハンバーガー無料券目当てにいつもよりひとつ多い、3つのバーガーを注文してしまう。400kcal*3近いカロリー。

 昼過ぎて下の子が遊びに来る。朝飯を食っていない子供、腹が減ったというので、ラーメンを作ってやる。あたしは食えない。

 子供と外出。途中、バタピーをおやつに買う。困ったことに2袋まとめ買いしてしまうのだが、結局、二人で2袋をほとんど食ってしまう。一袋1000kcal。

 夜、8時近く、子供、飯を食いたいという。すき家に行って、ふたり定食を食う。あたしはハンバーグ定食のご飯大盛。1000kcal超え。

 ふたりとも今日は食い過ぎたと反省。あたしは普段の1.5倍超えのカロリー摂取だった。週末はヤバい。

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2012.01.20

死ぬかと思ったライト

 実際に死ぬ訳ではないのだけど、死ぬかと思ってしまうような出来事があった。

 書斎机の椅子に座って、背の方に置いているTVを眺めているといきなりアームライトが落ちてきて、右足の甲を直撃した。予測していなかった突然のことで、しかもなお、綺麗に落ちてきたものだから、激痛に驚いて、死ぬかと思ってしまった。

 あたしが書斎机で愛用している電気スタンドはLUXO ラクソ S2334Wというもので、すでに15年くらい使い続けている。確か購入したのは通販生活を通じてだったと思うが、それまで使っていた、やはりアームライトが壊れてしまって買い替えたものだった。

 高校入学のお祝として書斎机を買ってもらった時から、アームライトを使っている。アームライトというものを知ったのは小学校の図書館で使われているのを使った時だった。シンプルな構造でなおかつ光の位置を自由に変えられるというのが非常に気に入って、いつか自分の部屋でも使いたいと思ったものだった。

 この手のライトはなかなか壊れるものではないし、飽きも来ないので、30年間で一度だけ、しかも壊れてやむを得ずの交換だった。

 このライトが足のうえに落ちてきたのだが、これはライトが壊れてしまったからではない。このライトの机への取り付けは机の端にクランプを取り付けて、そこに設置するという仕組みになっていて、そのクランプが流んで机から外れたため、ライト本体も落ちてきたのだ。このライトの素晴らしい所は、下向きに引っ張れば、机の横に敷いてある布団に入っていても読書用に使える。しかし、頻繁に上下に大きく動かしているとライト取り付けのクランプが弛んでしまうのである。

 カタログ重量は1.4kgあり、すべての重量がかかったというわけではないのだが、痛いことは痛い。幸いにも足の置き方によっては多少の痛みがあるものの、脹れるということもなく、歩けるので助かった。

 この愛用のライトなのだが、どうやら生産中止になって入手ができなくなっているらしい。以前は定番中の定番と云われていたものだが、それでももうお役目ごめんとなったようだ。このライト、スイッチなんて単なる溝の入った棒で、部品が外れたのかと思ってしまうほど飾り気のないものなのだが、電気コードがダメになるまでは壊れようがないという感じの作りが好きで仕方ない。あたしの代くらいは十分に使い続けることのできる代物だと思う。

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2012.01.19

イーストマン・コダックの破産

 今日、イーストマン・コダック社が米連邦破産法11条の適用を申請したらしい。

 コダックは学生時代にお世話になった会社である。あたしは映画研究会に所属していて、映画三昧の5年間を過ごした。映画を観るだけではなく、自主製作も行っていて、これが2年間ガッコに余分に通わなくてはならなくなった原因でもあった。

 当時の映画の自主制作はビデオではなく、8mmカメラを用いていた。今ではほんの小さなデジタルカメラでも動画撮影機能がついていたりしていて、簡単にビデオ撮影ができるのだが、あたしが学生だった四半世紀前はようやくホームムービーカメラが出始めたという頃で、親がどこぞの市会議員をしているという後輩のひとりがようやく持っているという感じだった。ビデオのレンタルが始まったのもこの頃で、レンタル料が800円くらいしてて、狂ったように毎晩のように借りて映画を観まくっていた仲間に感心していたものだった。

 撮影用の8mmフィルムはフジフィルムと件のコダックのものしかなかった。フジはシングル8という製品名で、コダックはスーパー8といった。このふたつはまったく異なったカートリッジで、シングル8はテープを巻いたものがふたつ並んでいるという細長い薄い形をし、スーパー8は一巻のフィルムを縦に並べた大きさの厚いものだった。

 このカートリッジの形状から判ると思うのだが、フジのシングル8はオーディオのカセットテープのように送り巻き戻しが自由にできるようになっていて、高級なカメラを使えば長時間の二重露光も可能だった。映研で所有していたシングル8用カメラのフジカZC1000は高機能で、特撮を使うような作品を撮る連中は必然的に、フジのフィルムを使うことになっていた。

 コダックのフィルムはと云うと、二重露光はシーン変換に用いるオーバーラップが5秒くらいしかなかったと思う。

 しかし、フジとコダックのフィルムはひと目で判るくらいの特徴があって、フジはとにかく青みがかる傾向があって、露出が足りなければ真っ青という絵になってしまっていた。それに対してコダックはやや赤みがあるものの暖かい鮮やかな発色で、条件が揃えば、美しい、という色を捉えることができた。

 あたしは監督作品を一本しか残さなかったが、もちろんコダックのフィルムを使って撮った。

 当時、8mmフィルムを使っての撮影というと、一巻が200秒の3分20秒しかなく、フイルム代・現像料で2000円くらいしていた。平均して1カットが3テイク、30分ものを撮ろうと思うとフイルム関係だけで最低でも6万くらいの費用が必要だった。サークルでの自主製作なので監督が一番出すものの、スタッフも費用を負担することになる。資金の調達のためにはいかにサークル内でスタッフメンバーを集めるかということも重要だった。

 あたしは大学に入って4年間はかなりのめり込んで製作にかかわっていたのだけど、その頃は大阪にコダックの現像所があって、現像に出して一週間くらいで戻ってきていたのだが、学業に戻る頃には日本国内の現像所は閉鎖されて、ハワイとかに送られていた筈である。ラッシュ(現像されたフイルム)をなるべく早く見るというのは製作において重要なのだが、半月以上かかって忘れた頃に撮影具合を確認するというのは最悪といっても良いくらいだ。後輩たちは苦労したろうと思う。

 コダックのフイルムは8mmだけでなく、トライXという銀塩カメラのモノクロフイルムも愛用させて貰った。このフイルムはやや粒子が粗く味があるのに加えて、長尺のものをカメラ屋が短く切って安くでカートリッジ売りしたようなものもあって、ほかのものを使うことはなかった。もちろん、自家現像し、これが楽しかった。

 コダックはデジタル化に乗り遅れ、このような事態に陥ってしまったようだ。カメラももうフイルムは特殊な時代に入って来てしまっているのだろう。何とも云えぬ寂しさを感じる。

 コダックの破産申請は再生が前提なので、再び、何かを見せてくれることを期待している。

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640,000番目のお客様は...

 15,000番目、20,000番目、25,000番目、30,000番目、33,333番目、34,567番目、40,000番目、44,444番目、50,000番目、55,555番目、60,000番目、66,666番目、70,000番目、77,777番目、80,000番目、88,888番目、90,000番目、99,999番目、100,000番目、101,010番目、111,111番目、123,456番目、130,000番目、131,313番目、133,331番目、140,000番目、150,000番目、160,000番目、170,000番目、180,000番目、190,000番目、200,000番目、210,000番目、220,000番目、222,222番目、230,000番目、234,567番目、240,000番目、250,000番目、260,000番目、270,000番目、280,000番目、290,000番目、300,000番目、310,000番目、320,000番目、330,000番目、340,000番目、350,000番目、360,000番目、370,000番目、380,000番目、390,000番目、400,000番目、410,000番目、420,000番目、430,000番目、440,000番目、450,000番目、460,000番目、470,000番目、480,000番目、490,000番目、500,000番目、510,000番目、514,926番目、520,000番目、530,000番目、540,000番目、550,000番目(560,000番目は忘れてました)、570,000番目、580,000番目、590,000番、600,000番、610,000番目、620,000番目、630,000番目に次ぐ77度目のキリ番プレゼントで、今回は640,000番のキリ番です。

 読書グッズP-hookのプレゼントを希望される方はこの記事の "1万5千" を "640,000" に読み替えて、気に留めておいてください。

 肝心のカウンターですが、タイトルの右上に灰色で非常に判り難く居ります。シンプルなのが好きなので、カウンターはこのくらいの存在感があたしの好みです。

 なお、カウンターを気にしていなくても、キリ番を踏んだ人にはメッセージが表示され、見落とすことはない設定を施しています。

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2012.01.18

大量のCDをリッピングする

 使っているGalaxy SのMicroSDカードは16Gあったのだけど、百科辞典データで6Gをデフォルトで食っていると、残りはそんなにあるものではない。なんだかんだとデータを入れていると、残量が500Mくらいになってしまったので、32Gのカードを調達する。

 class4というそんなに早いカードではないが、辞典データやら音楽ファイルで使うのなら、特に支障はない。それでも2000円半ばという値になっていて、安くなったものだと思う。7、8年前は250MのUSBメモリが1万2千円くらいしていた。更に10数年前は40Mのカードメモリを3万くらいで買ったこともあった。

 Galaxyはメインの音楽プレーヤーになってしまっていて、ここに手持ちのCDを可能な限り放り込むことにした。4Gくらいデータのあったものに週末、6、70枚のCDを新たにリッピングして、6.5G、2200曲くらいになった。余程(よほど)聴かないものを一割くらい残して終えたつもりが、本棚を見渡すと更に7、80枚くらい積んでいるのを発見してしまった。もうしばらく作業をしなければならないようだ。

 あたしはDVDもそうだがCDもレンタルというのをしない。もちろん今やっているようにそんなに質を落さずにコピーも出来なくもないのだが、それでもどうにもレンタルはできない。ただ、定価では高過ぎるので、ほとんどが中古品である。書籍でもそんなに気にしないのだが、DVDやらCDだと劣化がないので新品である必要がない。ライナーノーツも日本語であることが望ましいが、輸入盤が安ければそちらに転んでしまう。

 このCDもすべて自分で買ったのかというとそうでもない。親しくしていた人が東京に越す時に、こんなのが好きでないかなと50枚くらい纏めて置いて行ってくれたものもある。その多くが愛聴盤になっている。

 最近はダウンロードでの購入方法がメジャーになってきていて、あたしも数枚のアルバムをそうやって購入したことがあるのだが、いずれもダウンロードのみの販売しかしていないものである。

 ファイルで音楽を買うなんてもってのほか。音楽の神様に怒られてしまう。レコードがなければ、CDでも仕方ない。でもファイルしかないなんて、丁重に音楽を扱うことが出来なくて、不幸の入り口に立っているようなものである。

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2012.01.07

冬の煙

 相変らず下の子は土曜日には遊びに来るのだが、以前は午前中から来ていたのが、ここしばらくは昼を過ぎてからとなって、ちょっとばかり週末のライフスタイルが変わってきた。

 久しぶりに午前中にひとりで出かけて、朝マックをドライブスルーで買う。マフィンはパンとしても好きなのだが、普通にパンとして買っても4個入りで150円近くするから、朝マックのソーセージマフィンの100円はたまらなく高いとは思えない。コンビでコーヒーをサイズMにして、更にホットケーキパンのグリドルソーセージで、340円。たまにだと悪くはない。

 郊外の国道を走っていると少し先を白い煙が道路まで漂っていた。田ん圃の多く残っているところで、田で何かを焼いているのかもしれない。稲刈りのシーズンになるとあちこちでわらを焼いて、町中が白くなったりする。

 信号待ちをしながらその煙を眺めていたのだが、だんだん濃い煙になって、そのあたりは真っ白になって前がまったく見えなくなってしまっている。野焼きにしては不自然な濃い煙である。

 信号待ちを終えて車を進めるとその煙も道の進行方向に向かって広まっている。

 先の車の影から、マフラーから異常な量の煙を吐いてる軽自動車が見えた。車の出す煙であたりがすっかり白くなっていたのだ。今までに見たことのないような強烈な煙である。

 2ストロークのバイクというと潤滑材のオイルを燃しながら走っているので、煙を吐きがちで、あたしのバイクもえらい迷惑をかけることが多いのだが、乗用車でそこまで煙を出すというのは異常である。どこかに故障があるのだろう。その車が突然止まるのも恐いが、まさしく煙幕を張られることになる後続車も危険である。間もなく、件の車は交通量の多い国道からわき道に外れたが、珍しいものをみた。

 冬場の寒い頃には車の排ガスも白くなる。今の車は高性能になってそんなに煙が出ないようになったが、あたしが小学生の頃の40年近く前というと、煙を吐きながら車が走るというのは冬の朝のいつもの光景だった。登ったばかりの朝日を逆光に、車から吐き出される白い排ガスは映え、更に残される鼻をさす匂いはよくも悪くも刺激的なものだった。今でも鮮明に覚えている懐かしい光景である。

 煙ではないけども、自宅もしっかりと冷えているようで、一日に数時間しか使わない台所では白い息が見えたりする。寒さはこれからが本番である。 

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2012.01.03

Facebook

 さすがに年末年始は企業のメールが少なくて、ほとんど確認する必要がない。消防のメールサービスは出動状況を知らせてくれ、これはバイブレーターで特別に判断がつくようになっている。正月も当たり前のように出動しているようで、メールで火災場所を確認しようとするとFacebookからメールが届いていた。

 中学が一緒で、高校は別になったものの付き合いのあった友人から友達リクエストが入っていた。大学は余所の土地へ行き、就職もそこでしてしまったようで、この10数年音信不通になっていた。

 Facebookは基本的に実名登録なので、昔の知り合いを探し出すことができ、本当に便利である。mixiは単なる仲良しクラブで、どうにも馴染めない。実用という面からするとやはりfacebookということになってしまう。

 facebookでは、同じ職場の登録者とかも表示されていて、元同僚と現在、向かいに座っている同僚が表示されていた。二人ともこの正月休みの登録のようだ。ちなみに中学の時の同級生も昨日、登録したばかりのようだった。

 正月休みはまったくTVを見ていないのだが、なにかの番組でfacebookの紹介でもされていたのだろうか。

 友達リクエストはまったく見知らぬ人からも来るが、これは遠慮させて貰っている。一応、連絡先も掲載しているし、さすがにホイホイと知らせる気にはならない。ネット上では友達の友達は、友達とは云いかねる。商売でもしていれば少しでも顔を売るということで、そうでもないんだろうけど。適当な人と繋がるのはツイッターの方が向いている。

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2012.01.02

今年の正月

 この年末年始は、子供2人を連れて、実家で過ごす。実家といっても車で20分もかからないところで、大したことではない。下の子は毎週末遊びに来ているのだが、何かにつけて実家に行きたがり、月に一度は泊まって帰る羽目になる。

 上の子にあったのは数ヶ月ぶり。土曜日もガッコがあるらしく、休みが一日だけだととにかく来たがらない。今回は、30日にお下がりのイヤホンを与えることで呼び出して、正月に実家に行くことの約束を取り付けた。

 紅白の裏番組を見るから行けないということを大晦日に言い始めた上の子だったが、実家でも紅白を見る予定はないということで、チャンネル問題は無事に回避。上の子も実家に素直に行くという。カミさんはひとりでアパートに居残るようである。

 子供らのすることと云えば、TVは乍ら見で、とにかくネットである。今住んでいるアパートにはPCもWiFi環境もない。下の子が毎週、あたしの所に訪れるのもそれが目的である。

 以前はチャンネル争いがあった訳だが、今は各々がPCに向かっているという感じで、これもまた淋しい光景である。

 1日は昼から近場の山麓に雪を見に行ったのだが、雨が降っているものの、雪にはなっていなかった。気温も6、7度では雪にはなり難い。

 実家に戻ると今晩も泊まっていけと云われる。今朝までは親父が、2日の朝に開催される駅伝の中継を見るし、お袋は山歩きに行くため、同じく朝8時に家を出るから、今晩の飯を食ったらとっとと帰れ、と云っていたのが、いつの間にか泊まることになっていた。

 飯の用意をするのは面倒だし、子供と過ごせられるので、そのまま泊まることにする。

 2日の朝は、上の子は遅起き。1日は大晦日から朝方までTVをひとりで見ていたらしい。いつも早々に寝てしまう子だったので、さすがに高校生にもなると変るのかと思う。しかし、いまだに炭酸飲料はダメなようで、マックでも注文するのはオレンジジュースというのが可笑しい。

 昼前には実家を出て、再び、雪を見に行く。昨晩はかなりの荒れ模様で、風も強く、あられのようなものが降っている音が何度も聞こえていた。

 思い切って峠を越えた隣町に行く。やはり雪は降っていたようで、全体的に雪を被っている訳ではないが、陰になるような所ではしっかり積雪が残っていて、雪を触らせることが出来た。住んでいる平野部では積雪することがほとんどなく、積雪するとパニックになるので、これ位の接し方がいい。もう一度くらいは見せてやりたいと思っている。

 近所のお寺に初詣に行きたいと、下の子がひとりで行く。三が日で10万人近くが参拝するようなところで混雑が激しい。人混みは嫌いなので、上の子と近所のコンビニに車を置いて待っていたのだが、一向に帰ってこない。30分以上戻ってこないので、上の子が様子を見に行ったのだが、いないようだ。再び、探しに行くと下の子は迷わずにしっかりと戻ってくる。屋台でクジを引いたり、おみくじを引いていたので遅くなったらしい。探しに行った兄を探しに行き、さらに10分くらいしてふたりして戻ってくる。

 何かしらんあっという間の2日間だった。やはり子供と別に生活するのは淋しいものである。

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