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2011.09.06

若い者の死

 昨日はいきなり涼しくなったこともあり、風邪気味で体調が思わしくなく、一日休暇を取ったのだけど、寝る前にメールを確認すると「葬儀のお知らせ」という嫌なタイトルのメールが入っていた。以前は、こういった通知は紙で回覧されていたのだが、今はメールで配信される。また、配信は個人ではなく部署のメールに一括送信されるため、普段は個人でこういったメールを受信することはない。

 嫌な予感を持ちつつ、メールを開けると、4月の新採用でうちの部署に配属された職員の死亡と葬儀の案内が記されていた。

 彼とは係は違うものの日々の業務で一日に数度は会話をかわす間柄だった。トイレで一緒になると大抵、何かしら軽く話をしていた。彼の死については「急逝」としかなく、その原因を知ることは出来なかった。

 地方紙のサイトを見ても死亡交通事故についての情報はなく、また、お悔やみ情報が見つかったものの、単に会場の情報が記載されているだけだった。

 長身でありながらも威圧感の全くない、飄々とした笑顔の印象しかない大学新卒の若者だった。

 今日、出勤して同僚に死因について尋ねても、身内からは知らされていない、ということだった。死因を探るというのは下世話な話だが、やはりよく知る者の最後が気になるというのはどうしようもないということである。しかもガッコを出たばかりの普通なら死とは程遠い存在の若者のことである。

 隠さないといけない死因にはろくなことがない。

 自殺でなければ良いのだがと思った。

 老衰であれ、病死であれ、事故死であれ、それは神の思し召しであり、迎え入れられたのだと思っている。大抵の死はその人の寿命であり、現世での修行の終了だと思っている。いい人ほど早く死ぬというのは、何となく判る。しかし、自殺は逃避の結果である。どんなに絶望を背負っても、耐えるということしか、本来は許されてない。

 仕事を終えて御通夜に出る。親御さんの希望もあり、なるべく多くの人に葬儀に出て欲しいということで、全員が全員、日中の葬儀に出られないため、部署のほぼ全員が御通夜に出席した。

 あたしの子供でもおかしくないような子の死を見なければならないのは本当に辛い。今日は仕事をしていても本当にやり切れなくて、実際に部署は一日、御通夜のような雰囲気が漂っていた。それほどにやる瀬ない雰囲気があった。

 坊主の読経、そして焼香も終わり、父親の挨拶があった。亡くなった彼と同じ年代の人たちは、絶対に親より早く死なないで欲しい。肉体的、精神的にも注意を払って生活して欲しい、と述べた後、「しんどいことがあるのなら、それを云う勇気を持って欲しい」という言葉で挨拶を締めた。やはり、彼は自殺したのである。

 仕事で悩んでいたのか、と云うと、そういう気配はまったく感じなかった。決して楽ではない仕事を担当していたが、それで押しつぶされているという印象は全く無かった。それとも仕事以外のことで悩んでいたのだろうか。

 亡くなった彼の顔は穏やかなものだったが、やはり、馬鹿野郎という言葉を浴びせたくて仕方がなかった。どうしても、可哀相に、とは云えないのだ。馬鹿野郎、馬鹿野郎、馬鹿野郎という言葉しか出てこない。

 自殺は本人だけのことではなく、想像以上に周りを傷つけることにもなる。絶対にやるべきではない。

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