巨大地震翌日
やはり被害は甚大で、壊滅状態になっている町も幾つかあったようだ。通信手段が完全に閉ざされているから、情報が全く入ってこない。
津波の恐ろしさは過去の三陸地震による津波で知られているのだが、この災害が明治29年、昭和8年とすでに過去のものとなってしまっていたのかもしれない。地域によっては地震の直後に津波が襲ったというところもあるようで、それでは逃げようがない。三陸海岸という東北3県の太平洋に面する海岸の名称が定着したのは、明治29年の津波被害を報道する際に用いられたためだという。
この津波の対策として、岩手県旧田老町(現宮古市)では昭和25年に総延長2.5km、高さ10mに及ぶ巨大防潮堤を作り、昭和35年のチリ津波では三陸海岸を中心に日本では142名の犠牲者を出したものの、田老町では人的被害は皆無だったようだ。しかし、今回の地震ではこの防潮堤も全く意味をなさなかったようで、地区は壊滅してしまっている。
旧田老町の状況を知ろうと思って辿り着いたのが、当地で漁師をしているという人のブログである。地震の時は漁船を沖に出して、難を逃れたようだか、陸に帰ると町も自宅もなくっなっていたという。
原発の脆弱さも露わになってしまった。電力がないため、炉心冷却装置が働かず、炉心溶融が始まったという。これも最悪の状態は避けられたようだが、施設の爆発事故が起こって2時間後の記者会見でも詳細が知らされないというのは、東電に問題を感じる。非常事態だからこそ悪い情報も早めに流して、最大の対応を取るべきではないのか。こういった状態での隠蔽は無駄な時間を費やすだけで、対応が遅れることによって被害を増大させることになる。東電へ、原発への不信感は強くなってしまった。
以前に当地でちょっとした地震が休日にあって、休日出勤していた職階の幾らかが直後に帰宅したということで首長が激怒したということがあった。人的被害のほとんどない地震だったが、大きな地震になればなるほど、役場の職員は身内を省みず、対応しなければならない。今回の地震でも辛い思いをしている自治体職員は多いと思う。警官が55名行方不明という報道。国民の命を守るために犠牲になったのに違いない。公務員叩きをする人が多いが、逃げることが許されない職務であるという事も知っておいて欲しい。
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コメント
非常事態であるからといって職務の範囲を個人の判断に
委ねるのは組織として間違っていませんかね。
上長は何をやってたんでしょうかね。
ま、ウチも似たようなもんですが。
投稿: REV3 | 2011.03.13 23:44
自衛隊員も30数人行方不明となっていたから、もしかすると一般の人たちと同じよう罹災したのかもしれない。
南三陸では防災無線を担当していた25歳の女性職員が波にのまれたという報道が今日ありました。持ち場を死守したという訳ではないけども、結果的にそうなってしまった。
役場に入る時には、お前らは民間への代わりのない仕事をするのだから、そのつもりで立派にやれ、と教育されたものです。
ある部署にいた時は風水害の対策で深夜に招集がかかって、台風の嵐の中を出勤していたものだけど、それも当たり前。
まぁ、死んじゃうのは馬鹿だけどね。
http://www.youtube.com/watch?v=EZMqVTPhHzI
投稿: O-Maru | 2011.03.14 21:29
来週、復興支援で岩手に派遣です。
本日の電話会議で決定しました。
民間とは言えども、指定公共機関の端くれなので。
東北の支社長からは、何も用意できないから手弁当
で来いとのありがたいお言葉をいただいてます。
今後望んでも得がたい経験となる事でしょう。
行ってきます。
投稿: REV3 | 2011.03.14 22:30
お疲れ様です。
おそらくかなりこき使われることになると思います。
程度が程度でないですから。
体に気をつけつつ、
地元の皆さんのために頑張ってきてください。
よろしくお願いいたします。
投稿: O-Maru | 2011.03.14 23:10