ああでもない、こうでもない
ものごとには得手不得手があるのだろうけど、方法とその結果が15分で見え、形にするのにアルバイトの子に作業させても半日ちょっともあれば十分かなと思えることを、あたしのアドバイスを受けつつ3日もかかって処理をしているのを眺めて、本人はそれなりに愉しみながらやっているような気配はあるものの、リテラシーの問題なのか、その他の問題なのかよく判らないのだが、10数年前ならあたしもそう云う感じだったのかもしれないと、こういった個人差が出るのは非常に不思議に思うのだが、同じ役場でも部署によって、更には担当によってやってる内容はまったく異なっている訳で、それまでの経験と云うのは本当に運としか云いようがなく、この人とあたしのどちらが異質な環境にあったのかとふと思ったものの、こういう考えを巡らせるのはあまり意味のないことなので深く考えたりするのは止めにしたのだが、結局、あたしが最初の15分で下した案を嬉しそうに見ているのを見ると、まぁ、喜んでもらえればそれでもいいかなと思いはするのだが、そんなに簡単に下した判断で処理が行われるのはいかがなことかと云えなくもないが、判断の多くは直感によるものであり、必ずしも熟考の挙げ句、見い出したものが良いとは限らない訳で、冷静になって振りかえるといびつでひとり苦笑せざるを得なかったりすることもあるのだが、そのどちらとも付かないこともままあるので、ここで短絡的に結論を出すつもりはないのだが、やはり「見えた」と思える瞬間は嬉しい訳で、この瞬間のために難問に取組むのだが、例えば、システムのプログラムを組む時なんぞは、9割は淡々と処理を書くだけのことなのだが1割は技術的に新しいことに挑むことになり、それが実は全体の時間の7割やら8割を占める非常に苦しいながらも最後の輝かしい瞬間を得るための道のりを楽しむ過程であり、それが本業でないあたしにとってはやや、道楽的に携っているような罪悪感はよく持っていたのだが、そういったなかで培ったスキルはすべてのことにもあてはまる訳で、素早く見通しを立てると云う技術は何よりも重要であり、そういう意味では大抵のことは淡々とやっていると云うことになり、まぁ、ああでもない、こうでもないとやっているのを見るとある意味、そちらの方が幸せなのかなとも思うのである。
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