福田須磨子『われなお生きてあり』(68)
子供の姿を見ることが出来ないと云うのはさすがにストレスになる。この2日間、さすがのあたしも鬱気味になり、仕事を休む。電話に出た上司が半切れになってて、明日には絶対仕事に復帰しないといけないような雰囲気。
ということで、積ん読素材のひとつであった福田須磨子の『われなお生きてあり』を一気に読んでしまう。そこそこの量があるものの読ませてくれる実体験談で、こう云っては何なのだが、楽しませて貰えた。
われなお生きてあり 福田 須磨子 (著) |
長崎に住む23歳の須磨子は勤務先の学校で被爆するのだが、幸いにも傷を負うことはなかった。爆心地に近い実家で両親と姉をなくし、ひとりきりになってしまう。近隣の親戚を頼るものの、対応は冷たい。更にそこに疎開させた貴重品はほとんど返してもらえず、文無しに近い状態である。そんな彼女は生きていくために、色んな商売に手を出し、周りからはアネゴと慕われる。アネゴと呼ばれるように人情味があるのだが、それが徒になって、いつも人に騙されて損ばかりしている。
浅はかと云えば浅はかなのだが、それよりもバイタリティが勝っていて、なんとも生き延びている。
大陸から引き上げて来た姉ともしっくいいかず、姉は長崎から大阪へ嫁いでいく。それでもカリエスを患う青年を実の弟として面倒見たり、知り合った中年男性の連れ子のことが気になり、結婚してしまったりしている。
30半ばまでは原爆の惨状があったり、決して明るくはないのだが、とにかく明るく能天気に生きようとする須磨子の行動が頼もしいのだが、10数年後、原爆症が出始めてからは、雰囲気が変る。彼女はひたすら真っ当に自分の生活を成り立たせようと頑張るのだが、まったく働かない夫が病身で内職をする彼女の足を引っ張る等、目を当てられない状態に陥る。
原爆から22年間の生き方がこと細かく描かれるのだが、戦争による貧困からの脱却の難しさや突然、発症する原爆症の怖さを知る。
大田洋子の小説も同じく原爆体験を扱ったものだが、とにもかくにも恨みが目につき、見苦しい。恨めるうちは余裕があることなのだなと、『われなお生きてあり』を読んであらためて思った。本当に生きようとしている人間は未来だけを見つめているものだ。
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