iPhone 3G
何かこの新しいケイタイが随分と注目を浴びているようだが、この軽薄短小はどうにかならんもんか。
あんな小箱になんでもかんでも任せてしまう、依存してしまうと云うあり方はどうにも我慢ならん。恥を知れとあたしは云いたい。
所詮、誰かの作ったものの範囲の中でしかわが身を置くことのできない者の情けなさを、彼らは自覚しているのだろうか。
あの機械に限定はしないが、ケイタイを街角で耳に当てている人間の多さよ。どれだけの必要があって、その会話を行っているのか。
さて、囚われないことはそんなに難しいことなのだろうか。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
この記事へのコメントは終了しました。
コメント