格差はあって当然
なんて、しばらく前の元首相が今だに云っているらしい。何なんだろうね。大義名分でも「格差は悪」と云うのが国のお偉いさんっていうもんじゃないだろうか。格差、つまり貧富の差が起こるのを認めて、一体何か良いことがあるんだろうか。
虚業をビジネスチャンスだと云いのけ、日本の未来を握っているというような云い方もしていたなと思い出した。原油の先物取引で一部の者が巨額の富を得ているだろうが、大半の者はそのとばっちりを受け、混乱し、損害を被っている。こういうのも彼の人には然るべきものなんだろうな。
あの人の復活を望む人も居るようだけど、尻ぬぐいをさせるために引きずり出すというのはいいかもしれない。まぁ、直感の鋭い人のようだから、今さらノコノコと出てくることはないだろうけどね。
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コメント
>格差、つまり貧富の差が起こるのを認めて、一体何か良いことがあるんだろうか。
能力のある人間が、努力すれば裕福な暮らしができると希望をもって日々行動できる。
能力のある人間が、怠けると、能力のない人間のように悲惨な生活を強いられると危機感を持つことによって、国民が勤労の義務に従って、安易に他人のせいにせず努力をすることを実現できる。
能力のない人間が、その能力に応じた所得しか得られないことによって、より一層の努力を促すことができる。
これをもって良いことと呼ばずに何と呼ぶ?
投稿: | 2008.09.29 19:42
コメントありがとうございます。
現在、格差社会ということで問題になっているのは不当に格差ができてしまっているということだと思うんです。
その顕著な例がワーキングプア。人間、必ずしも能力(知恵)があるとは限らず、肉体的な労働につかないといけない人もいます。それで身を粉にして働けど、一向に人並みの生活が出来ない、というのはおかしくないですか。
その一方でその他人の労働をうまく金に変えて自分の懐に入れていたりする人もいる訳です。
金を儲けて何処が悪い、と言っていた人がいましたが、他人を幸せにして手に入れたお金なんでしょうかね。
我々は日々、労働の対価としてお金を手に入れている訳ですが、それって他の誰かを幸せにすることで得ているようなお金でないと良くないと思うんです。
ノブレス オブリージュ(Noblesse Oblige)というフランスの言葉があって、貴族の義務、つまり、身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があり、「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」ということをいいます。貴族といわないまでも、各々の人間は能力を持ち、それを他の人にために遂行され、正当に評価されるべきであると思っています。
現在の様相はあまりにも極端になっていると思います。
投稿: O-Maru | 2008.09.29 20:56