冗長であるということ
毎週、ラジオで2本のトーク番組を聴いている。一つめはNHKFMで日曜日午後0時15分から2時までの1時間45分の番組、「日曜喫茶室」もしくは「トーキング ウィズ 松尾堂」である。もともと「日曜喫茶室」が毎週あったのだが、昨年度から月末の日曜だけ「トーキング ウィズ 松尾堂」となり、今年度からは「日曜喫茶室」が月末だけとなった。「日曜喫茶室」は30年の長寿番組だがホスト役も高齢になり、終了はしないものの、負担を減らすと云うことにしたのだろうと思う。もう一つは土曜日夕方のTOKYO FMの「Suntory Saturday Wating Bar AVANTI」。一時間番組で5人のゲストの会話が聴ける。
「日曜喫茶室」に関しては時間オーバーを除いてほとんど編集のない状態で放送されているらしい。ゲストは毎週2名で各々のゲストについて30分ほどづつ話を聞いて、残りは皆で話すると云うような感じだ。ゲストひとりの持ち時間は30分以上ということになる。「松尾堂」も大体似たような構成になっている。
「AVANTI」は正味50分強の番組で5名のゲストなのでひとりあたり7~8分くらい。各々別個に録っているので、内容的には小ぢんまりとしている。
「AVANTI」については編集でインタビューの面白いところだけを抜いて聴かせてくれるので、聴いているうちは非常に面白い。しかし、番組が終る頃には初めの人の話の内容を全く思い出せないのだ。間違いなく、興味深く「ふんふん、へー」といったような感じで聴いていたはずなのに、何も残らない。これは見事な現象である。
一方、「日曜喫茶室」はいくつかは数年経っても忘れずに内容を憶えていたりする。ひとり40分程度の時間があるから全部が全部興味を引くと云うことはあり得ないのだが、それでも時間的な余裕があるからインタビュアーと一緒にいろいろ考え事をしているのかもしれない。
情報を得ると云うことは非常に大切なことかもしれないが、その得方によっては身に付くが、そうでないことも少なからずあるということらしい。
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