紙
最近、エドワード・ゴーリーの絵本(おとなの絵本)が面白くて、いろいろ集めようと考えているのだが、もし、彼のイラストが磁気データで入手できたとすると、書籍を手に入れるのを止めようと思うかどうかと云うとやはり止めないだろうと思う。
なんかPCの画面というのはホンキであると云う気がしないのである。薄っぺらくてどうにも好きになれない。青空文庫であるとか、著作権の切れた昔の著書についてはフリーで入手できるにもかかわらず、ほとんど興味がおこらない。PCで読む文章というのはあたしにとってやはり一時的な消費物でしかないという印象がどうしても拭えないのである。
ケイタイ小説というのが非常に人気であるらしいが、まったく関心がおこらない。あの小さな画面に描かれる文字による世界はどうしても納得いかない。
媒介が違うだけというふうに捉えるかも知れないが、媒介は意外と描かれる世界を左右し、また、同じ世界でも媒体によって印象を左右するものでもある。
今やさすがに大きな百科事典を紙で持とうとは思わないが、それでもやはり紙で手にできるものは紙で欲しいと思う。手の感触や文字を追う視線の動きは紙でしか得られないものである。
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