体調不良
仕事中に2度もトイレに行って水下痢ました。熱はなさそうなんだけども、調子は完全でないようです。
帰宅すると途端睡魔が。8時という恐ろしく早い時間ですが、本日は寝ることにします。
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仕事中に2度もトイレに行って水下痢ました。熱はなさそうなんだけども、調子は完全でないようです。
帰宅すると途端睡魔が。8時という恐ろしく早い時間ですが、本日は寝ることにします。
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復刊ドットコムでオンデマンド印刷による復刻本を入手する。
おそらく元本をスキャニングして、そのデータを印刷するといった方法で作られていると思うのだが、とにかく印刷が良くない。明朝が肉太になって、読めたものではない字面になってしまっている。30年位前のコピー機による出力レベルで、今ではコピーでもこんな風にはならないだろう。
こういうのを見てしまうと、今後、オンデマンドには手を出すまいと思ってしまう。ちなみに復刻されたのはこちらで、内容についての詳細は後日。
戦略論―間接的アプローチ B.H. リデル・ハート (著), 森沢 亀鶴 (翻訳) |
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『森へ行く日 THE DAY I GO TO THE FOREST』(92)に続く、舟越桂の二番目の作品集を入手。前作が92年までの全作品を収録し、今作ではそれ以降の00年までの全作品を収録している。
立ちつくす山―舟越桂作品集 舟越 桂 (著) |
『遠くからの声―舟越桂作品集』(03)(豊浦正明(写真))と異なって第一作品集と同様、ストレートな写真で構成されている。やはり作品をキチンと鑑賞するのには変な細工があってはダメである。一連の作品を知るのにはやはりベストな資料だろう。
ドキュメンタリ映画・藤井謙二郎『≒舟越桂 near equal funakoshi katsura』(04)で舟越本人が語っていたように、90年代半になると、それまでモデルに対して忠実な再現を行っていたものが、イメージを具現化した抽象的な表現も可能であると、多様性を持ち始める。顔に対する表現は相変らずリアルなものなのだが、顔の後ろにも顔があるとか、二つの頭が並ぶ、また、腕がパーツとして寸断された状態で取り付けられるといった実に抽象的な様相を持つ。映画では、その不可解なイメージに対して「一応、理屈は判っているんだ」と云っていたが、それでも全部が全部、意味として把握できていないものもあるようだった。
表現において制限と云う枷がなくなれば、作者には新たな価値を作ることが楽に出来るかもしれないが、あたしとしてはどちらかと云えば、抽象に走り始めた舟越の作品はあまり好みでなかったりする。簡略化された体とリアルな顔というスタイルが非常に面白く、その制限の中で微妙に個性を光らせると云う技術が好きだったのだが、あまり自由になられるとイメージの世界に逃げ込むような感じがあって、下手すると興醒めしなくもない。随分と微妙な領域に入り込んでしまったな、と思ってしまうのである。
まぁ、作品は作者によって作られるものだから、こちらはそれを静かに観ているしかない。
もうしばらくこの人の作品を探ってみようと思う。
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フタキンSkywalkerがO-Maruで車線へプレゼントしたかった。
だけど、O-Maruと大騒ぎへ削除♪
*このエントリは、ブログペットの「フタキンSkywalker」が書きました。
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久しぶりに船に乗る。と云っても役場の仕事で上船時間15分程度の島へ打ち合わせに行くため。
港まで10km。役場の車が使えなくて、通勤に使っているバイクで行く。近道で、今までバイクでは走ったことのない延長2kmほどの隧道を使ってみるが、片側1車線で、しかも港に近いということもあって大型輸送トラックがごんごん追い抜かしていくのでとんでもない。気温が2度ほどで非常に寒く、細紐のリュックタイプになるブリーフケースを背負っていたので、肩が痛いし、さらにすくんでくるので、2kmを走っているうち、何度、その場に停車したい気持になったことか。長い隧道は原付で走るものじゃない。もちろん、帰りは別の道を使った。
島から役場に通っている人はあんまり聞かないが、幾人かは島の出張所を勤務先として通わなければならない。いやぁ、たまに乗る船は風流でよいが、これが毎日だとやはり大変だと思う。島には高校もなく、高校の頃から島を出て下宿する人も多いようだ。台風がくると、どうにもこうにもならなくなってしまう。
しかし、足もとからずずずずと伝わってくるエンジンの振動は興奮を呼び起こすものである。あたしが船に乗る時は本土に行くものだったから、本土の発展への驚きがその振動に結びついているのかも知れない。今だに本土へ行くのなら、道路を使うよりも船を使いたいと思う。
一時間程度の打ち合わせを終えると再び船で戻ったのだが、生憎の雨。カッパを着込んで、役場までの10kmを走るのはかなり憂鬱だった。晴れてくれていりゃ、気分爽快だったものを。
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先日の『KATAN DOLL THE BOX』に続いて注文していた『KATAN DOLL RETROSPECTIVE THE BOX <DVD付>』が届く。まぁ、安くはないが、気になるところがあるから仕方ない。
これは1992年刊の『KATAN DOLL RETROSPECTIVE―天野可淡作品集』の復刻改訂版にあたるが普通版はソフトカバーで、この特装版は本体がハードカバーで函がついている。この写真が函になるのだが、可淡の描いた画がデザインされたものだ(クリックで表紙・背表紙・裏表紙を表示)。また、写真を撮った吉田良による作品解説・特典ブックレット「天野可淡の宇宙」と1995年にリリースされた150枚の写真を収めたCD-ROM写真集「カタンドール 天野可淡人形作品集」をDVDに再編集した特典DVD「KATAN DOLL DVD」が付く。
この特装版は復刊ドットコムや出版元のエディシオン・トレヴィル等でのみ、入手可能となっている。
カタンドール・レトロスペクティヴ―天野可淡人形作品集 天野 可淡 (著), 吉田 良 (写真) |
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速報によると彼の人が当確だそうで、まさかとは思っていたんですが、やはりそうなってしまったのですね。彼の人の発言はたかじんの番組等を見ていても、際立って浅はかで思慮というものに欠けていたように見受けられました。弁護士というのは所詮、知識に頼った職業であり、上っ面だけでも通用するんだと感心しておりましたが、それが今度は府知事であります。まぁ、大阪といっても大阪市や堺市は政令指定都市で独自にやっているので、府のウエイトはそれほど大きくはないのが現状ではありますが、やはり人材不足のひと言に尽きるのでありましょうか。非常に残念なことでございます。
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夜11時過ぎ、風呂に入ってからネットに接続すると通信速度が恐ろしく落ちている。通常の1/10程度の早さだ。このブログを表示しようとしても完全に表示されるまで1分近くかかる。まるで6、7年前の電話回線を使ってネットに接続していた頃のようだ。こんなのでは1ページの情報量の多くなった現在のサイトを閲覧することは出来ない。
PCを再起動させても状態が改善しないので、回線会社側で不都合が生じているのだろう。少なくとも明日くらいには修復されるだろうし、気長に待つことにしよう。
こういうこともネットをしていない人にはまったく関係ないのだろうな。時たま、携帯が繋がらなくなって大騒ぎになるが、あたしには全くなんの影響もない。気紛れで電話をかけてこようとしている人が困るくらいかしらん。
週明けの朝、職場のグループウェアのザーバー障害が生じて、メールが使えないと云う状況に2ヶ月に1回くらいある。これはかなりパニックになる。騒ぎになる前にサーバーを管理している課の職員から連絡が入るのだが、だいたいが始業後15分くらいで復旧するものの、これが半日も続くと随分と問題になる筈である。
自らで制御できないことに頼り切ってしまうと云うのは本当に怖い。
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15,000番目、20,000番目、25,000番目、30,000番目、33,333番目、34,567番目、40,000番目、44,444番目、50,000番目、55,555番目、60,000番目、66,666番目、70,000番目、77,777番目、80,000番目、88,888番目、90,000番目、99,999番目、100,000番目、101,010番目、111,111番目、123,456番目、130,000番目、131,313番目、133,331番目、140,000番目、150,000番目、160,000番目、170,000番目、180,000番目に訪問された方にプレゼントをしようと思っていたのですが、いずれもダメだったようです。31度目のトライで、今回は190,000のキリ番です。
読書グッズP-hookのプレゼントを希望される方はこの記事の "1万5千" を "190,000" に読み替えて、気に留めておいてください。
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注文しようか?と尋ねた時は、そんなもの観ないからいらない、と云っていたものの、いったんDVDが到着するとやっていたゲームをそそくさと止めて、2巻分一気に観てしまう小6の息子。この30周年メモリアルの「未来少年コナン」をNHKの放映(1978/4/4-10/31)で見たのは中学に入って間もない頃だった。
未来少年コナン 30周年メモリアルボックス 監督: 宮崎 駿 |
宮崎駿はどちらかというと嫌いな作家である。女性登場人物の神聖化が著しく、どうにも耐えられない。その他、現実と極端に乖離した甘々なところがどうにも虫酸が走ってしかたがないのである。
ただこのコナンに関しては、悪役のレプカだとかギガントと云う飛行要塞が非常に怪しく魅力的だった。悪役というとこのしばらく前に放映された『宇宙戦艦ヤマト』のデスラー総統もいるが、このレプカには敵わない。また伊武よりも曇った家弓の方がいい。
30年前の作品だが画像は非常に美しい。また、荒廃した近未来(とはいえ、今年の7月以降の話だけど)が舞台であるため、特定の時代が反映されていないこともあり、30年前に作られたと云う感じはまったく受けない。今後も抵抗なく新しい人たちに受け入れられ続けるのは、おそらく間違いないだろう。
あたしにとっては最後の一巻があれば十分くらいなのだが、まぁ、子供も喜ぶし、廉価になったBOXで購入も悪くはないと思う。
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週末からずーっと雨が続いていたので、晴れ間のでた今日はちょっと嬉しかった。出勤時には雪がちらついていた。この冬初めて見る雪である。寒さが本格的になるとバイクで走っていると目が刺激されて涙が出てくる。涙(なみだ)が出ないうちはそう大して寒くはないと判断している。この冬、涙が出たのは2回くらい。今日は雪が降っているものの、涙は出なかった。そんなに寒くなくっても雪は降るらしい。
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損している人も多いだろうけど、それと同額、得した人もいるんだよね。基本的に流通している金は一定なので、どこかが凹むということは、どこかが必ず膨らんでいる。
原油高もそうだけど投機筋に振り回される社会というのはやはりおかしい。これが資本主義の成れの果てなのなら、も一度どうあれば理想なのか見直す必要がある。
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きのうO-Maruの、夕凪へ特約したかった。
だけど、買い物するはずだったみたい。
でも、エピソードみたいな入手するはずだったみたい。
それできのうフタキンSkywalkerが、納得は相乗されたみたい…
それでO-Maruで遠慮するはずだったの。
だけど、カレーとか外食したの?
*このエントリは、ブログペットの「フタキンSkywalker」が書きました。
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製造元でしか発売していないんかな、通販では全く流通していないドキュメンタリ映画のDVDをオークションで落札する。
「≒(ニア・イコール)」という変った芸術家を追うドキュメンタリシリーズがあるらしく、「≒森山大道」、「≒会田誠」に続く第三弾が、この「≒舟越桂」である。
先に買った書籍でみる舟越の顔は怖い。三島由紀夫の眼つきを悪くしたような感じで、残念ながら写真でみる限りは神経質そうな印象が否めない。
ドキュメンタリは一体の人形を作り始めて完成するまでを追う。純粋な製作期間は1月くらいだったけかな。日付がクレジットされる。完成して、タイトルがつくまでにもうしばらく。その間の様子が1時間40分に渡って描かれる。
舟越は気さくによく喋る。顔は怖くなくはないけども、口笛を吹きながら彫っているのをみると単なるおっさんにしか見えない。
あの人形の作成過程も興味深いし、また、舟越の気楽な喋りもなかなか奥が深い。あの印象深い目の作り方や、頭の形のとり方については驚きがある。とにかく彫って彫っての作業ばかり。いやはや、お疲れ様だと思う。
作っている姿は本当に作業姿。疲れるとTVを眺めたり、全然特殊ではない。舟越桂・豊浦正明(写真)『遠くからの声―舟越桂作品集』(03)は?
とにかく肩に力が入らず、でも引込まれるようにして見入ってしまった。ラストの舟越氏のスケボー技。驚いた。本人曰く、「コワイ人だと思われているらしい」。笑った。
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生命保険の更新時期が来て、そのまま更新するか切り換えるかの判断を迫られる。
プランを適当に作ってきたので、フンフンと適当に聞いていた。まぁ、更新だと高くなると云うし、安い新プランでもいいかと一瞬は思ったのたが、内訳をよくよく見るとあまり好ましくない。介護保険に連動した保険なんてつけられていて、これが高い。要介護2以上で適用されるらしいのだが、公的介護保険は65歳以下では加齢疾病でないと適用されないし、重度な要介護状態でも適用などと基準が曖昧である。それを若年にも大幅に適用する、といった振れ込みなので、実に危険な売り込みの仕方である。
という訳で、一からプランを見直しすることにした。セールスの女の子に話を訊いてもちっとも要領を得ないし、このままだと生保会社の思う壺にはまってしまう。
詳細を詳しく見ると、まぁ、生保もうまくプランを作っているもので、より良い保障を得ようとすると、あれもこれもと特約をつけないといけないような仕組みにしている。こうやって更新ではなく、新規に取り込んでいって利益を増やしているのだなと思う。
車の損保は毎年webでプランを組んでいるのだが、あれもしょっちゅう変更があり、被保険者に不利にばかりなっているような気がしてしかたがない。
どうすれば被保険者からお金がふんだくれるかの工夫がよく判るので、暇つぶしであるのなら、カタログを読むのも面白いかも知れない。
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増刷が早まったのか、納品に半月かかるとあったのがとっとと到着する。前版と比較して新規収録項目1万と総収録項目数が24万と増えたようだ。ざっと見比べても細かなところでいろいろ書き直しが行われていた。第五版は542MBのCD-ROMなのだが、新版では3.27GBのDVD-ROMになっている。全体で6倍の情報量になっているが、動画等のマルチメディアの質の向上が容量に大きく関っているようだ。
広辞苑 第六版 DVD-ROM版 出版社: 岩波書店; 6版 |
DDwinでも前版同様、何の支障もなく利用可能だ。前版についてはデータの重複となる部分が多いが、微妙に記述も異なっており、単純なプラスαではない。従って、今後も第五版を削除せず、両版併用するつもりである。
電子辞書は紙辞書と比べると必要項目しか見ないので価値が半減する、といった意見があり、あたしもそう思っていたが、これは一重に使う環境によりけりである。例えば辞書ソフト検索ソフトのDDwinであれば、表示の設定に<連続表示>というのがある。これをオフにすれば、検索で見つけ出した項目だけが表示されるのだが、オンにすれば画面をスクロールすることによって前後の言葉を読むことができる。紙と比べると一覧性はよくないが、似たようなことは可能である。
電子データにして何が凄いかというと、串刺し検索が可能であるということである。あたしは現在、次の辞書ソフトをDDwinで一元で使っている。
広辞苑第六版
広辞苑第五版
新辞林・ワープロ漢字辞典
日本語辞典(現代国語、外来語)
国語大辞典
日本語大辞典
漢字源
研究社 新英和・和英中辞典
ニューセンチュリー英和・新クラウン和英辞典
デイリーコンサイス英和・和英辞典
ランダムハウス英語辞典
日経BPデジタル大事典 2001-2002年版
故事ことわざ・慣用句辞典
類語実用辞典
用字用語辞典
手紙実用文辞典
世界大百科事典
日本大百科全書
マイペディア
PDD百科辞書
PDD人名辞典
歴史DB
岩波 生物学辞典 第4版
これらの辞典・百科辞典が一気に瞬時にして一覧検索出来るのは本当に素晴らしい。紙ベースではどのくらい時間がかかるだろうか。というよりも、それらを置いておくスペースに困る筈だ。自宅の書斎では不可能ではないかもしれないが、職場の1畳も与えられない所ではまず絶対不可能である。それがPCを使えは可能となる。これは凄い。
その他にも「現代用語の基礎知識」などもあるが、ソフトの編集方法によっては組み合わせて使うのに向いてないものもあり、残念ながらほとんど使用していないものもある。
これだけあれば大抵のことは判るのだが、それにしても費用はかなりかかっているはずだ。辞書の類だからいったん購入すれば、最低でも5、6年は改訂がなく、それほど買い換えは行っていないが、20万近くの投資はしているだろう。ハードでも電子辞書という器機があるが、ほんとうに使い倒すつもりなら、自由度の高いPCでEPWING規約の辞書ソフトを使用することが一番である。
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大田洋子はどうやら本格的な私小説作家であるらしい。この書籍に描かれるものはすべて身近で起こったことだと考えるのが自然である。第二巻に収録の『人間襤褸』に出てくるエピソードが、自分の弟の話として『世に迷う』に詳細に描かれる。私小説は読む者もその重みに辛くなるものだが、書く方はさらに辛いはずである。
大田洋子集 (第3巻) 単行本: 418ページ |
それにしても昭和の臭いそのものの小説である。あたしが子供の頃もかなり猥雑な人間関係が繰り広げられていた。今では人間の繋がりがほんの線のようになってしまい、あるのかないのか、あってもどうでも良いようなものになってしまっているが、以前はもっとあからさまな生々しいものだったような気がする。
近所のおんぼろ借家に1、2才年上の子がいたのだが、捨て子をひらって来て育てられているというもっぱらの噂だった。確かに兄弟とは身なりが異なり、みすぼらしい傷んだ服を着せられていた。まぁ、当時は破れた肘や脛にあてを当てて着続けるというのが普通だったので、誰もが今と比べるとロクな格好をしていなかったものだが、それでもその姿は目についた。
夕方まで一緒に遊んで、暗くなったので帰ろうとしても、その子は広場のすぐ横の家には一向に戻ろうとせず、家の前の未舗装の道端にしゃがみ込み、砂をいじって遊び続けていた。小学4年生くらいになっていたから、すでに見境のない年代ではない。家に入ることが出来ない事情があったのだろうと思う。
とにかく扱われ方が酷いので、通りを超えて向うの家並みに住んでいたにもかかわらず、うちの母親が「どうにかできないものか」と云うようなことを話にいったことがあるくらいだった。
そのうちし損なって余っていた花火の火薬を集めて遊んでいるうちに、爆発を起こしてしまい、件の子は失明してしまったという話を聞いた。通りを隔ててお互いの家があるので、いつも遊んでいると云う訳ではなかったが、それ以降、その子を見かけることはなくなってしまった。確かお姉ちゃんもいたと思うのだが、同様に見かけることはなかった。おそらくその事故から間もなく、引越しでもしたのだろうと思う。
いつもはにかみ笑いを浮かべた、薄汚れた黒い顔が忘れられない。あたしにとってあの顔が昭和である。
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ヤフオクで1,000円(+送料160円)にて取得。いやぁ、廉価で手に入れられてつくづく良かったと思う一冊。
遠くからの声―舟越桂作品集 舟越 桂 (著), 豊浦 正明 |
豊浦正明という写真家は知らないが、残念ながら、あまり好きなタイプの写真を作らない人のようだ。フィルムのエッジまでプリントする。フィルムに傷を付けて加工する。色のバランスを崩してカラープリントする。といったような、小手先だけの写真ばかり。オーソドックスでも対象を見透かしてしまうような怖さを持った鬼海の写真を見ていると、この著書の写真家は残念ながら写真というものを持て余してしまっているような気がする。
写真の間に桂氏の制作中に書いたと云う直筆の抽象的なメモが挿入される。さらに装丁があのナルシスト祖父江バカときている。
企画の段階で失敗したと云う書籍か。舟越桂『森へ行く日 THE DAY I GO TO THE FOREST』の方がはるかに好感が持て、見応えがある。
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モラタメ.netでサンヨー食品株式会社『サッポロ一番 袋麺4種20個セット』を試してみた。毎月1日はモラタメ.netでは「ラーメンの日」になっているから、ここに続いての登場だが、今後も出てくる可能性は高い。それほどあたしは袋ラーメンを日常食としている。
サッポロ一番は本当に癖がない。チャルメラはオリジナルの味ははまるんだけど、新味はどうしても頂けない、というところがあるのだが、サッポロ一番は優もなく不可もなくで、結構素直に受け入れられるのではないかと思う。特に好きなのはとんこつ味のヤツで、これにたっぷりニンニク摺りおろし(ハウスのチューブのヤツね)をどっぷり入れると最高に味しい。
今朝は珍しく早く起きたので、この袋麺を作って食った。お湯を沸かし始めて、食べ終えるまでに10分間。もしかするとカップ麺より早く食えているかも知れない。このモラタメ.netだと、20袋で630円。1袋32円。このコストパフォーマンスは凄いものである。近所のディスカウントでは安くても5袋189円、1袋38円だもんなぁ。
しかし、ここ10年は朝飯を食わない生活をしていたので、午前中いっぱい腹がもたれて仕方なかった。慣れないことはすべきではない。一日一食がベスト!
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モラタメ.netでハウス食品株式会社『ビーフマサラカレー』『チキンマサラカレー』を試してみた。以前にも試す機会はあったのだが、家族にしっかり食べられてしまっていた。
市販のカレーというとお子様向けというイメージがあって、あまり好きではないのだが、このレトルトカレーについては辛さも充分にあっていい。辛口、中辛ということになっているが、ともに辛党でもその表記が間違いでないと認めてもよいようなものとなっている。ココイチの10倍カレーがやはり好きなあたしだが、このレトルトカレーが自宅に常備されていれば、文句なしにそれを食うだろうと思う。
しかし、ネックになるのは価格である。外食するのを考えると遥かに安いのだが定価が一袋300円というのはちょっと高い。行きつけのディスカウントに並んでおらず、店頭価格は判らないのだが、半額でもちょっと迷ってしまいそう。レトルトは限りなく98円であって欲しい。
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散髪に行く。本当は「そろそろ、残業しようかぁ」と会議の開催に向けて係長が云ってきたのに付合わないといけなかったのだが、今日はちょっと、と、とっとと定時で帰り、床屋に行ってきたのだ。
前回、切ったのが7月1日だから、6ヶ月半ぶりである。
前髪が鬱陶しくなってきたというよりも、横髪が鬱陶しくて仕方なかった。女性のようにそのまま横髪を垂らす訳にはいかず(2席となりにはそういう輩もいるが、あたしは遠慮する)、後ろへとジェルで固めるのだが、それでも垂直に垂れてくる。太い直毛な髪は長くなると本当に扱いが悪くなるのだ。さらにこれから本格的に寒くなる時期で、長髪での入浴は髪がなかなか乾かず、湯冷めに結びつく。
とまぁ、そう云う訳で思い切り切ってきたのだが、ヘルメットを被るといきおい隙間風が吹き込むようになってしまい、何だか悪い風邪を引きそうだ。それにしても半年分の髪を切るのに1時間強、床屋のオジサンも本当にご苦労である。少なくとも1/3くらいは仕事量が増えているはずなのに同じ料金なのはなんだか申し訳ない。1ヶ月辺り500円弱。小市民としては納得の単価である。
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オークションは安くものを手に入れることに使うことが多いのだが、やはり廃盤ものの入手を頼ってしまうこともある。
あたしが過去に手に入れたものがとんでもない落札価格になっているのに驚く。
定価が4,200円(税込)のゲルニカ『GUERNICA IN MEMORIA FUTURI-ゲルニカ20周年記念盤-』を6,000円(+送料210円)で落札した時は、決して安くないと思ったものだが、それが最近では14,000円あたりでの落札が続いている。定価より10,000円上乗せでの取得。
軍艦島もので最近は特に見かけることの少ないむらかみゆきこ『軍艦島グラフィティ―おもいでのさんぽみち』(は、運良くAmazonのマーケットプレイスで入手したのだが、取得価格は3,500円(+送料340円)という定価1,575円の倍以上。しかし、驚いたのは1年振りくらいにヤフオクで見かけたのが、最終価格16,499円で落札されていた。2,900円というもともとから2倍という高めの開始値だったが、10倍以上になるのはさすがに異常である。
欲しいものは欲しいからなぁ。手にとって自分の経済力に似合ったものであればいいんだけど。鬼海の最近、絶版になったものも、それまで中古で半額で売り出されていたものが倍とかの価格がつけられ始めている。怖いもんである。
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フタキンSkywalkerはなかみたいな出版ー!
*このエントリは、ブログペットの「フタキンSkywalker」が書きました。
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と、後れ馳せながらも『広辞苑 第六版』を注文する。もちろん書籍版ではなく、DVD-ROM版である。PCに入っていると日に数回はDDwinで引くことになる。
広辞苑 第六版 DVD-ROM版 出版社: 岩波書店; 6版 |
発売から数日なのにすでに即納ではなく、2週間待ちとかになっている。非常に人気があるらしい。
前の第5版もCD-ROMの電子媒体で購入した。新聞広告で見かけて、発売間もなくに買った。あれから10年というので、そんなに経つのかと思ったり、たった10年か、とかとも思ったりする。それにしても百科辞典の『世界大百科』とともに毎日のように使わせて貰っているコンテンツである。『世界大百科』は昨夏、書籍版で改訂新版が出されているのだが、電子版ではリリースされないのだろうか。
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名刺なんて貰うばかりで自分のものを差し出すことはほとんどないのだが、時たま、呉れ、と云われると机の抽出しの奥底から作ってもらった時のプラケースを探し出すという発掘作業が必要となる。ぺいぺいとは云え、これでは社会人としてやはり情けない。以前に就職祝として貰った財布と名刺入れは、財布がダメになった後、名刺入れが財布(カード入れ)代わりになり、事実上、名刺入れを持たない状態になっていた。
ありきたりの名刺入れでは面白くないので、いろいろ物色していて見つけたのが、DURAM(ドゥラム)というブランドのカードケースである。縫い糸がアクセントになったケースで、ちょっとカジュアルな感じがするのが気にはなるが、ナチュラル(無染色)のヌメ革と云うこともあり購入することにした。
実際に届いたものは販売しているサイトにある画像以上に白いものだった。先日購入したALBERO(アルベロ)のブックカバーもナチュラルのヌメ革だったが、これは初めからあたしの肌の色よりも黄土色に近いものだった。DURAMのカードケースはBREE(ブリー)の革カバンElch エルク並のピンクがかかった色白さである。材質の感触もBREEによく似ている。BREEの革は色付きがよいので、このカード入れも期待が出来そうだ。
作りとしてはハンドメイドと云うこともあり、多少の歪みがある! が、使って行くうちに革がヘタってきて、多少の歪みも歪みでなくなるので、気にしない。さらさらとした感触のいい手触りがどう変わるのか、本当に楽しみである。
ちょっと調べると、このケースを作っているDURAMの中川さんというひとのブログを発見。この名刺入れに関する言及もあり、嬉しくなる。作り手が気に入っているものを持つというのは気分がやはりいい。
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車で隣町を走っていたら、国道沿いに巨大な施設が建設中である。本当に大きく、野球場でも作ってんのかと一瞬思ったのだが、昨日のニュースを思い出した。200程の店舗が入るという近隣の県のブロックでは最大の商業施設が出来るらしく、どうもその工事現場らしかった。ただでも休日の夕方には渋滞になりがちの国道なのだが、駐車場5000台という施設が完成するとさらに酷いことになるだろう。
それにしても最近大型店が多くなってしまった。日本もアメリカ式の車社会になったということだろう。田舎は特にその傾向があるんだろうな。
30年位前なら家の近所には歩いて行ける小売店というのが必ずあったものだが、今はそれが一掃されて、車が20台くらいは置けるようなそこそこの規模がないとやって行けないようになってしまった。客も多い大きい店舗の方が品の回転もよく、いつ仕入れたのか判らないようなものが陳列されないので安心なのだが、それでも車がないと買い物もし難いというのは世知辛い。代わりにコンビニが乱立するようになったが、残念ながら、あれは生活のための買い物をする所ではない。
大型複合店舗というと目的以外の店にも立ち寄るということで各店舗が相乗効果を上げるということを期待されていると思うのだが、実際どこまで売り上げを伸ばしているのだろうか。百貨店の食物屋の名店街程度ならざざっと見渡すことができるが、もう数十店となるとどうでもよくなるのではないかと思う。また、目的の買い物がある場合、移動距離があると嫌になるものでもある。平屋の大きな店舗は効率が実に悪い。
とにかくあたしは人混みが嫌いで、少しでも人間が多いと人酔いするタイプである。最近ではやや大きい通りの先頭で赤信号を待っているだけで車酔いするようになってしまった。体のどこかが悪いのかも知れない。今春にはその店舗が完成するらしいが、あたしが訪れるのは果たしていつになるのやら。
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廉価になってたのでエレコムのフー・ウエストクッションを買ってみる。
とにかくあたしは姿勢が悪い。椅子に座っている時はどうしても背を曲げてしまう。あれも喫煙と似て習慣なのだろうと思うのだが、どうしても最初の一週間というのがダメである。
エレコムのフー・ウエストクッションは姿勢を強制的に矯正するクッションだ。使ってみるとなかなか強烈に背の曲がりを正してくれる。また、Hという形で背の収まりも非常によい。
バスケットタイプの車のシートはなかなか姿勢を保つことができず、普段は腰痛などはないのだが、2時間も運転していると間違いなく腰が痛くなって、停車して伸びをしないといけない。車にも良さそうだ。
とにかく肩凝りが酷いのでこれで少しでも軽減できればいいと思っている。
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家で飼うのなら別に知ったことないんだけど、職場で生き物を飼うのは勘弁して欲しい。
初めは丸い金魚鉢水槽だったのが、いつの間にか一辺が最低でも30cmはある発泡スチロールの箱になった。それがでんと柱の陰に置かれているキャビネの上に居座って、なかを何やら淡水魚が泳いでいる。部署の関係者が何を考えたのか、家の近所で捕まえたといって、メダカを持ってきたことからそれは始まった。
メダカなんて飼育が簡単なようで、なかなか殺さずにいるのは難しい。せっかく貰ったものでムゲには出来ないなんて、その係の連中が魚が死ぬと別のものを補充して、常に発泡の箱の辺には魚の死骸が放置されていたりする。
でかい箱に入っているから水もなかなか替えられるものでもない。年末年始の休み中に水が黒く淀んで全滅していたが、それでも何か新しく持って来ている。
今日なんて親指よりもひとまわり大きいようなずんぐりむっくりした魚が死んでいて、テッシュが敷かれた上に放置されている。あたしはそのすぐ横のプリンタを使っているのだが、視界に入ると気持ち悪く吐きそうになるので、顔を外らしながら作業をしないといけなかった。
安らぎのない職場だけど、そういうのって、あたしにとってはかえって酷いんだよねぇ。この半年、本当に辛抱している。
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役場で飲むと云ったら、あたしの場合ひたすらブリックスのドリップバッグである。これを午前と午後と各々一杯ずつ、ブラックで飲んでいる。家に帰ってすぐに一杯、寝る少し前にもう一杯作って、飲み残しを朝に飲んでいる。コーヒーがほとんど水代わりと云う生活である。
しかし、たまには違った飲物も飲みたくなる。週一回はたいていコンビニに行き、グレープフルーツジュースを買う。そして二週間に一回コークも。
役場では課員から毎月給与天引で徴収している課内費でお茶、インスタントコーヒー、砂糖、クリープを切らさないよう買っている。たまに砂糖、クリープを使うことはあるがインスタントコーヒーはここ数年すでに飲まなくなって、また、お茶もそんなに飲むこともなく、恩恵をちっとも受けていない。コーヒーは嗜好があって、全然ダメな人いるに違いない。たまには全く違った飲物も買ってもいいんじゃないかと思うのだが、課内費の会計管理をしているもののなかなかやろうと思えない。
今日は珍しく昆布茶が飲みたくなってしまった。昔はいつも昆布茶の缶が家にあったように思うが、今はめったに見ることがなくなった。喫茶店でコーヒー一杯で何時間も粘っていると厭味でこの昆布茶を出されたものだ。
昆布茶もアラレ入りのノーマルなヤツと梅昆布茶があった。アラレは入れると旨いのだが、なかなか面倒で、いつの間にかそれだけを食べ切っていたりしたような憶えがある。そういう意味では梅昆布茶は癖がない。
女の子がインスタントコーヒーが切れたというので役場の売店に行くついでに、梅昆布茶を買ってきてもらった。
いつもの見慣れた缶ではなかった。どうも地元のお茶屋が作っている商品らしい。しかし、昆布茶は湿気ると使えたものでないのでやはりしっかり缶に納められている。
梅の果肉がしっかり入った梅昆布茶で旨い。しかし、塩分が利いているので飲み過ぎは禁物である。と云いつつも、続けて2杯飲んでしまった。本当に懐かしい味。心も体も温もって、なんだかホッとする。
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今、大田洋子の『夕凪の街と人と-一九五三年の実態-』(55)を読んでいる。被爆した大田はいったん広島を離れるが、その後の見るために今も広島で生活している妹を訪ねる。小説のような体をとっているがルポルタージュである。『半人間』で神経を患った大田が基町・原爆スラムで生きている人達の生きざまを見て歩くさまは、どうしようもなく、ピリピリし、痛々しい。
こうの史代の『夕凪の街 桜の国』は大田のこの小説のタイトルに由来し、大田の投影である主人公・篤子は夕刻にはきまって原爆スラムを包む夕凪の暑さを嫌っていた。
大田洋子集 (第3巻) 単行本: 418ページ |
広島市からするとスラムは好ましくないもので、スラムのある場所を緑地化しようとしている。しかし、生活の場のない者たちは、水道、便所のないところであるものの、そこにしがみ付いて生きていかなければならない。
原爆スラムはさらに20年近く存在し続けるのだが、こういった所に生きていかなければならない忘れられた人々は存在する。
13年前に起こった阪神・淡路大震災について、罹災地がどのように復興していくのか非常に興味をもって報道を見ていたのだが、半年程度で地方からはその様子を知ることができなくなってしまった。幾つのも町が壊滅してしまうと云う災害で復興も随分と大変だろう。どのように行政は街を蘇らせるのだろうか、と見守っていたのだが、結局、何も知ることが出来ない。時たま、いまだによくない生活を強いられている人たちのことを見聞きしたりする。
こうやって取り残されている人たちがいると思うとやはり胸が痛くなる。もっとも戦災、天災だけでなく、社会情勢によってもそれは生じる。見えないところにいる人たちのこともたまには想像してみたい。
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きょうはO-Maruと休みみたいな対応したいです。
だけど、O-Maruで北向きとか製作しないです。
*このエントリは、ブログペットの「フタキンSkywalker」が書きました。
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ここ暫くのこのブログのカウンターを見ているとなかなか興味深い。
27日までは特に変化がない。しかし、28日からそれまでの3/4くらいにガクッと落ちる。落ちたままを30日までキープ。それから、31日から4日までが27日の3/5くらいまで落ち込む。
休み中はのんびりとインターネットでもするのかと思っていたら、完全に家を空けてしまってるかのようだ。見事にアクセスに反映されてて感心する。
5日辺りから増え始め、6日の日曜にはほとんどいつもの状態に戻っている。多くの会社は4日も休みだったんだね。
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今日の夕暮れは美しかった。あたしが外へ出たのは5時過ぎ。いつもの安部礼司を聴こうと思って車を転がしたのだが、なんとも云えぬ夕暮れだった。
綺麗な夕暮れというと夕焼けが綺麗だとかそういうことがほとんどなのだが、今日は雲一つない空が暗くなっていくものの地平に微かな赤みが残り、その鈍いグラデーションが何とも云えなかった。雰囲気は夕暮れというよりも夜が白みかける前の早朝の感じだ。なかなかこういう光景は見られない。
夕暮れというとモヤのかかったような状態になることがある。夏の日が多いと思うが。あれもとても好き。特にそんな中を路地裏とかを走っている時はどこかに彷い込んだような感じがして、夢を見ているようになる。
明日からは完全に平常に戻る。まぁ、頑張ろう。
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オークションで落札した。公共図書館の除籍本で表紙にはバーコードのラベルがあり、その上に「除籍済資料」なんていうスタンプが押されている。図書館の本は大抵そうだが、この本にもビニールフィルムによるカバー処理が施されていて、カバーの下の表紙を見たりとか、使われている紙を触ってという装丁を愉しむことは出来ないのだが、ほとんど貸出がなかったのか15年前のものにしては恐ろしく美品だった。落札価格は定価5,000円に対して510円だった。
森へ行く日 ― 舟越桂作品集 舟越 桂 (著), 落合 高仁 |
天童荒太の『永遠の仔』の表紙で舟越の作品が有名であるというのをあちこちで見かけるのだが、あたしはこの小説のタイトルはドラマ化された時に見かけた程度で、内容も何も知らなかった。あたしが舟越の作品を認識したのはAERAの記事ではなかったかと思う。いつ頃か知らないが、インパクトがあり、オークションでふと見かけた時には入札していた。
この作品集は91年までの作品を集めたものらしい。楠で作られた人間の上半身像がほとんどである。
いずれの像も無表情で遠くを見据えている。一体だけ、白髪の白人男性がやや笑みのような表情らしきものを持って作られており、一般的な彫塑からすると普通なのだが、舟越の作品としては異質である。そのくらい、舟越の作る人間には表情がない。
表情の有無は何処で判断されるかというと頬の肉の盛り上がりだろう。笑うと大抵の人間はここの肉が盛り上がる。ここが平坦であると表情が無いように見て取れてしまうのだ。大学時代のサークルの先輩にかなり美人な人がいたのだが、頬骨が発達していなかったのか、頬が痩けており、笑っても頬が盛り上がることがなかった。美人ではあったが、今ひとつ魅力に欠ける笑顔しか持たなかった。先の白髪男性は唯一、この豊かな頬を持つ人物だった。
それと大きな透き通った眼球も。木の彫刻でありながら、リアルな目が埋めこまれており、目を引く。ひとがたにとって目は重要で、天野可淡の人形も特徴のある目を持ち、その作り方は秘密とされているらしい。
首から下はひたすら表情を付けずに簡略化し、メインとなる頭も顔の中心の目と鼻周り以外は粗削りという作りが、ここまで生々しい透明感を与えるというのは感嘆である。購入するとなると一体どのくらいになるのか判らないが、あんまり家には置きたくないと思う。
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本日から新年の仕事が始まる。車の量が少ない。4日も休業している会社が多いのだろうか。賃貸の車は年末から7割方出払っていたが、今朝も少ないまま。皆、帰省とかで自宅を空けているのだろう。ちなみにあたしはずっと体調不良で年末は鼻水が止らず、30分置きに鼻を拭っているという感じだった。2日くらいから調子を取り戻したが、それでも外出しようと云う気にはならなかった。
正月明けの役場は完全に冷え切っており、一向に暖かくならず、底冷えする。普段は底冷えなんてなく、むしろ暑いくらいの棟なのだが、それでも年始の数日間は寒さを我慢しなければならない。棟によっては全く暖房の効かないところもあって、全員が足もとに持参の電気ストーブを付けたりするものだから、ブレーカーが落ちるということがよくあった。夏はとことん暑く、冬はとことん寒いと云うその部署には結局4年間いた。さすがにその後はどこに異動になっても、周りがどうのこうの云っていても、環境としては何の問題も感じない。
月初の処理がいくらもあって、それを片づける。年が平成20年になっているので、日付を記入する時には何度も確認をしながらやっていた。なかなか新しい年には慣れないものである。
年末もそうだったが年始の雰囲気の余りない部署である。
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そこかしこで「すごい」という評判が書かれていたので手に入れて読んでみる。スリラーなのかと思うとそうではなかった。単なる少女虐待話である。
あの女子高生コンクリート詰め殺人事件がそのまま再現されているかのような物語で非常に気分が悪い。描かれている、軽い虐待がエスカレートし、激しく、ねちねちしたものになっていく様はリアルな経過なのかもしれない。実はこの物語自体も実際にあった事件をもとに発想を得て書かれたようである。
隣の家の少女 ジャック・ケッチャム(著),金子 浩(翻訳) |
しかし、実話に発想を得て、残虐な小説を書くというのはどういう事だろうと思う。コンクリ事件は映画化された時、凄まじい非難を浴びたものだが、その作品はその事件そのものを描いたものであり、発想を得たと云うのとはまた異なる。事件に対する製作者の理解・態度がストレートに問われることになる。それに対して、発想を得たと云うだけなら、趣味に戯れることが可能である。
趣味としてはかなりの悪趣味としか云いようがない。
この物語から得られるのは特に何もなく、読み終えるまでの3時間程度を潰せる、いや、潰してしまうということになろうか。
まぁ、悪趣味に走るのなら「終わらない夏休み」くらいまで徹底してやればいいのだ。ここまでくると素直に受け入れられるものがある。もっともあたしは一日目で十分になって、読むのを止めてしまったけどね。
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大田洋子集全4巻がオークションに出品されていたので、落札した。この全集は82年に三一書房から出され絶版となった。復刻版が日本図書センターから出版されているが、価格も結構なものでなかなか手が出なかった。すでに三一書房版を第一巻のみ入手済みだったが、全巻で8,000円(送料別)と廉価の出品で迷わず入札し、落札した。届いたいずれの巻も函の背が多少傷んでいる程度で、中は一度も読まれたことのないかのような美品だった。
大田洋子集 第ニ巻 人間襤褸 大田 洋子(著) |
原爆当日から翌年までのある一家に纏わる人物たちの物語が『人間襤褸』である。襤褸は"らんる"と読む。ボロ布のようになった人間ということだろうか。被爆当時の描写は井伏鱒二の『黒い雨』やそのベースにもなっている『重松日記』と比べると遥かに生々しいものである。被爆者でもある大田洋子が罹災の様子を初めて描いた『屍の街』とはかなり様相が変わってきている。ルポタージュ風に当日のことを一人称的に描いてきたものが、原爆に纏わる人間模様というものに移行している。
この小説の後半では原爆による悲劇を描きつつも意図してか意図せずそうなってしまったのか男女の話がメインとなる。中には大田洋子の投影と思われるような女性の心理も詳細に描かれ、第一巻で読み知った著者の神経の複雑さを再度思い知ることになる。こういった複雑怪奇な女性心理を小説で読むというのは初めてのことのような気がする。原爆に対することより、自らを制御できない女性のことが気になって仕方のないようになってしまう。
『人間襤褸』は300ページ弱の作品なのだが2日間で一気に読み終えてしまった。語り口もうまく、読むのは簡単なのだが、多くの要素が絡まり咀嚼の非常に難しい作品でもある。
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面白いゲームであることの第一鉄則はルールが簡単であること。このゲームも単純な割には燃えてしまいます。右端がちょっと隠れていますが、すべてのコマが表示されています。
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