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2007.09.28

30年の積ん読
<人間以上>

 何だかんだといいながらも最相葉月の『星新一 一〇〇一話をつくった人』は10日以上前に読了したのだが、故人の遭遇したと思われる出来事を一貫した想いもなく、支離滅裂な解釈によって連ねただけの伝記を咀嚼することは今だに出来かねている。しかし、SF界での星のポジションの高さを、我々40年代半ば以降の読者が再確認するのには十分な材料になった。

 SFが市民権を得るまでも細かく描写されており、SF小説翻訳家の矢野徹も普及に尽力を尽くしたひとりであったと知る。矢野徹の本訳本と云えば、一冊だけどうしても読了できず、かれこれ放置しているものがある。

人間以上
人間以上

シオドア・スタージョン(著)
矢野 徹(翻訳)

文庫: 380ページ
出版社: 早川書房
発売日: 1978/10
商品の寸法: 15.2x10.6x1cm

(表紙を拡大表示)

 ハヤカワ文庫SFなのだが、奥付を見ると初版第一刷のようである。もう30年程前のあたしが中学一年の時に購入したもの。この小説もやや長いが、特に長編が苦手と云うことはなく、パールバックの『大地』もすでに読んでいた。しかし、文体的にどうにも馴染めず、30ページ程読んでは投げてしまうのが常だった。積ん読とは云え、完全な積ん読ではなく、過去に3回ほど読了に挫折していた。

 この読み難さはどこから来ているのだろう。英語による小説で過去形で語られる場合、逐語訳であれば、「○○した」とか「○○だった」という形になる。しかし、日本語では過去のことを語るにしても、全てがすべて過去形にはならず、実際には現在形も交じる。下手な翻訳では素直にすべてが過去形で語られ、恐ろしく疲れることになる。

 そういうことが原因しているのかしらんと思っていたりもしていたのだが、Amazonでの評価を見ると、もともと前衛的な判り難い小説であるらしい。まぁ、あたしは凡人な人間だから、そのような小説に途中で挫折してもおかしくはない。なんか知らないけども一安心する。

 20年ぶりくらいに再び読了に向けて頑張ってみるが、いつまでたってもここに感想が記されなかったら、それはまたまた失敗したと云うことである。

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