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2007.07.14

中条一雄『原爆は本当に8時15分に落ちたのか-歴史をわずかに塗り替えようとする力たち』(01)

 当時、19歳だった著者は自らも爆心地から1.9kmというところで被爆したものの、擦り傷ひとつ負わず、また原爆症に苦しむこともなかった。しかし、中学校の教師をしていた父親は生徒の建物疎開の作業引率中に被爆し、行方は判っていない。また母親も建物疎開作業中に被爆し重症を受け、3ヶ月後に死亡している。

原爆は本当に8時15分に落ちたのか<br />
―歴史をわずかに塗り替えようとする力たち
原爆は本当に8時15分に落ちたのか
―歴史をわずかに塗り替えようとする力たち

中条 一雄 (著)
単行本: 222ページ
出版社: 三五館
(2001/06)
商品の寸法: 19 x 12.8 x 1.8 cm

 そういう境遇にある著者が同窓会に出席した時、「原爆投下は8時15分でなく、6分だった」という学友の話を聞き、周りからも15分ではないという主張もあり、自らも10分前という覚えもあり、果たして投下時刻8時15分は本当なのかという疑問を持つ。

 元新聞記者ということもあり、行動力に驚かされる。原爆被害を初めて世界に知らしめたノンフィクション『ヒロシマ』のジョン・ハーシーや原爆投下機エノラ・ゲイのポール・ティベッツ機長本人に投下時刻について照会を入れている。いずれも「空軍の公式ドキュメントにあるように」であるとか「8時15分17秒に投下し、爆発まで43秒かかり、16分きっかりに爆発」という回答だった。後にハーシーからは爆発時刻を16分に訂正したという連絡が入る(『ヒロシマ〔増補版〕』は15分のまま)。

 何れにせよ、正確な時刻は特定できない。後に時刻が15分に訂正されているものも多く、15分という本当とは思えない情報に束縛されていることに著者はいらだつ。いったいどこでこの時間が決まったのか。著者はその決着として、『広島・長崎の原爆災害』(79)

 エノラ・ゲイ号は二機の観測機とともに東北方面から広島市に侵入し、テニアン時間午前9時15分17秒(日本時間8時15分17秒)に高度9600mで原子爆弾を投下、43秒後に爆発した。爆発時刻については、このほか午前8時15分から18分にわたるいくつかの記録があるが、広島市は午前8時15分を採用している。

 というくだりから、広島市が勝手に決めてしまったとしている。

 ちなみにあたしはどのような経緯で爆発時間が15分にされたのか知っていた。広島の原爆災害については何がともあれ第一資料といえる広島市役所「広島原爆戦災誌(全5巻)」(71)を繙く必要があるだろう。この資料の第三巻が「第二編 各説 第二章 広島市内主要官公庁・事業所の被爆状況」となっており、広島市役所の箇所(p146)で<炸裂時間の公表>という表題がついて、次のような内容が記されている。(『広島原爆戦災誌』は一部写真・図版資料を除いて全文が平和データベースからPDFファイルでダウンロードすることで閲覧できます)

 役所に近い、千田町の自宅で、出勤しがけに被爆した野田益防衛課長は、八時四十分ごろ市庁舎に着き、防衛課をのぞくと、人影はなかった。少しして、迫田係長や中村正忠市長秘書などが来て、九人の人員になった。野田課長は、壁にかかっていた時計がはずれて、ぶら下がっており、ちょうど八時十五分を示して止まっていたのを見て、炸裂時間を知り、「六日午前八時十五分に炸裂した。」と公に報告した。これが炸裂時間の決定となった。

 合っていたのかどうなのかよく判らない時計が壊れてとまっているのを見て、爆発時刻としたと云う適当さに初めてこの文を読んだ時に驚いた憶えがある。市役所の一課長の報告で歴史的な(あくまでも日本国内の話であるけども)時間が決まっているのだ。まぁ、「公に報告した」とあるがこの公が何処なのかよく判らないし、本当にこの報告に基づいて歴史的な認識ができたのかも確定はしかねる。しかし、広島市としては時刻に関してはこういう経緯で確認され、決定されたと云う認識を持っていると云うことになるだろう。

 被爆者が蔑ろにされていると感じている、その象徴がこの時刻に対する疑問だったようだ。

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コメント

S62年刊行の“母と子で見る原爆を撮った男たち”に
は当日、江波測候所にあった日照計の記録紙の写真
(林重夫氏撮影)が掲載されていますね。

これを見ると炸裂の瞬間はやはり8時15分あたりでは
ないかなと思われます。

ただし同書後半にある関係者座談会では、16分20秒
ではなかったかという見解を民家を背景にした原子雲の
写真を撮影された松重三男氏が述べられており、当時
江波測候所所長であった北勲氏も同様の見解であった
との事です。


投稿: REV3 | 2011.01.11 18:41

REV3さん、初めまして。

人類史上の大きな出来事であるにもかかわらず、被害があまりにも大きすぎたため、その時刻すらはっきりしない状態になってしまったようですね。

16分20秒という説は初めて聞きました。

気象台の北勲さんが、そういう証言をしているのなら信憑性は高いでしょうね。気象台の時計なら正確でしょう。「空白の天気図」で時刻についてどのような記載がなされているかもう一度確認してみようと思います。

あたしは現在、機械式時計を使っているのですが、日にろ数秒は軽く狂うので、どうせならと3分間進めて時間に遅れないようにしているくらいです。当時の市井の人の正確な時間の確認はなかなか難しかったことと思います。

投稿: O-Maru | 2011.01.11 22:47

ぶしつけなコメント失礼しました。
こちらこそよろしくお願いいたします。

およそ30年以上前の小学生時分、修学旅行にて
国際文化会館の洗礼を受けて以来、原爆に関する
関心を持ち続けるものです。

さて、市井の人の場合、時計の管理はラジオ時報で
行っていたようです。松重氏の場合は、毎朝6時に
時報とともに針を合わせる事を日課としており
被爆当日もそれを行ったとの事です。

本書の奥付には、原爆災害記録者として29名の名
簿が記載されていますが、刊行されたS62年当時
でさえ、既に11名が物故者として記されています。
その後20年余りを経て、その大部分が鬼籍に入ら
れた現在ですが、未だ歴史の真実は見出せず我々が
置かれた危険な状況は変わらぬままです。

妙なイデオロギーを抜きにまずは、皆が関心を持ち
続ける事が大切な事と考えます。

今後も変わらぬご活躍を期待しています。それでは。


投稿: REV3 | 2011.01.12 20:15

こんにちは。

REV3さんは長崎で衝撃を受けられたんですね。あたしはマネキンで有名な広島の資料館です。修学旅行で長崎に行ったのですが、平和祈念像を遠目に見ただけで、会館の見学は時間の関係かありませんでした。

一応、「空白の天気図」を確認してみたのですが、北さんの爆弾炸裂時の様子についての上下段1ページ半(P54上段)にわたって詳細に記されているのですが、残念ながら時間を確認したといったような記述は見当たりませんでした。

原爆も悲劇のひとつですが、現在も殺戮は各地で続いていますし、どうしてこうもこういった事が続くのか、不思議で仕方ありません。

投稿: O-Maru | 2011.01.12 22:46

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