見えなくなったもの
昨日から3日間に渡って市内の神社で「春を呼ぶ祭」といわれている祭が行われている。参道から一般道に渡って1kmほどが完全に車両通行止めになり、800店あまりの露店が並ぶ。参拝客は今年は45万人が見込まれていたようだが、このシーズン、そういった人混みに出掛けるというのは風邪を貰いに行くということに外ならず、あたしは好んでいかない。この祭で名物として売られているのが、縁起飴と呼ばれているいわゆる金太郎飴である。もともと硬いのだが、舐めていると口の中で溶けて柔らかくなる。しかし、柔らかくなったといって噛んだりすると歯にくっついて、差歯などあるとそれが抜けてしまったりして大変なことになる。祭には行きたくないが、その飴をお土産に買ってきて貰うのはとても嬉しい。
子供のころは、親に連れられていったものだが、参道に連なる露店の中に目を引くものがあった。ひとつは傷痍軍人の姿。昭和40年代半ばの話で、戦後20数年、戦争の痛手からまだ立ち直れない人が居たということだった。同時はまだ戦争の影響を受けていた人は多くいた。祭の帰りに川沿の土手を通るのだが、河川敷にはバラックのスラム街が数百メートルに渡って残っていた。
そうして、見世物小屋。呼び込みの口上はなかなか面白かったが、小屋の前に飾られている見世物の絵は怖かった。牛女、蛇女といった見世物があった。牛女に関しては、逆関節の障害があり、どうしても四つんばいになってしまう、そんな人が見世物になっていたらしい。胡散臭いダークな感じの露店であったが、それなりに人が集まって小屋の中を覗き込もうとしていた。
今ではこういう光景はまったく見られないだろう。なんか妙に綺麗になってしまって、のっぺらぼうになってしまったような感じがする。社会の暗部というのは必ずあるものだが、それがまったく目につかないというのもおかしな話だ。見えるうちはいい。見えなくなるとそれが実は深刻化している可能性が高いこともある。
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