ジョン・ハーシー『ヒロシマ[増補版]』(46-85)
ジョン・ハーシーとその著書『ヒロシマ』の名はヒロシマに関するドキュメンタリを見聞きする度に何度とはなく耳にしたものだが、これまでその内容を知ることはなかった。ふと気紛れでネットで検索してみると、法政大学出版局から翻訳が出版されていることが判り、さっそく取り寄せてみた。
ヒロシマ[増補版] 出版社: 法政大学出版局 |
『ヒロシマ』は原爆投下翌年の5月に広島を訪れた従軍記者ジョン・ハーシーが6人の被爆者にインタビューを行い、その体験を記したものだ。しかもこの体験記の発表の為され方は特異だった。知的階級を対象にしたアメリカの週刊誌・ニューヨーカー誌は通常多くの短編を載せていたのだが、1946年8月31日発行のものはハーシーの『ヒロシマ』の一篇が全誌を飾ったのである。この号のニューヨーカー誌は『ヒロシマ』のために発行されたのだ。その内容は反響を呼び、アメリカの100以上の新聞に連載され、さらには劇化されて放送される。さらには十数ヶ国語に翻訳されたという。日本ではインタビューを受け、手記も提供したという谷本清、そうして石川欣一によって翻訳され、1949年4月25日に出版される。
このドキュメンタリーは被爆したドイツ人宣教師クラインゾルゲ本人と、その紹介を介してハーシーが会った日本人神父(翻訳も行っている谷本)、医師2名、市井の女性2名が主人公となっている。
読後の印象は何とはなく違和感のあるものだった。清涼感があり過ぎるという感じか。インタビューの対象が宣教師や医師という使命感のある前向きな姿勢を持った人物を選んでいるのが原因だと思われる。それは英語ができる人間としてドイツ人神父と接触を行ったため、また、ハーシーの父親もまた宣教師であった(ハーシーは父親の赴任先の中国で生れた)ことも影響しているかもしれない。この6人の姿も真実かもしれないが、もっと苦しい思いをしている人たちの方が遥かに多いと思われる。
現在発行されているものは[増補版]であり、39年ぶりの1985年4月に広島を訪れたハーシーが6人のその後を取材し、その7月15日のニューヨーカー誌に25ページに渡ったて公開した『ヒロシマ その後』がつけ足されたものである。この文章は日本では同年8月1日から6日まで6回に分けて中国新聞に連載して以来、この書籍が2003年7月に発行されるまで、18年間眠ったままのようだ。これもどうしたものかと思う。
『ヒロシマ その後』で描かれる人生は様々だ。不幸な最後を遂げたものもいれば、そうでないものもいる。原爆症に翻弄されたものもいれば、そうでないものも。個人だけの問題を抱えたものもいれば、もっと大きなものを抱えたものも。
[増補版]になることで、さらに多くのものが見えてきたような気がした。
(07年7月7日追記)
取材を受けた6人は『アサヒグラフ 1952年8月6日号 原爆被害の初公開』にてインタビューを受けている。詳細な内容についてはこちらを。
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