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2006.09.05

見つからないモノ

 いくら探しても見つけられないものがある。

 それはあたしが中3の時だから、既に26、7年前のことになる。すっかり秋も深まった文化の日のことだった。

 あたしはかなり街中に近いガッコに通っていた。ガッコが街中に近いといっても、あたしは校区の外れに住んでいたから、あたし自身はそんなに街の子ではないが、かといって田舎の子でもない。中3の途中で同じクラスの女の子が引越ししたのだが、転校はせずに電車通学になった。結構、遠方に引越しした。ガッコから少なくとも10kmは離れたところだ。公立なので通常は転校になるのだが、おそらく卒業も間もないしということで教育委員会に特別に許可をとったのだろうと思う。

 女の子はかなりのべっぴんさんだったので、悪友が集まり3人程で彼女の家に押し掛けようということになった。それが中3の文化の日だった。

 住所は知っていたが、地図も持たずにおおよそ「あっちの方向」というだけで、自転車をひたすら漕いでいた。今となっては訳の判らない馬鹿カギである。しかし、その途中で彼女の家の近くにあると目星をつけていた理科の教諭の家を見つけたり(挨拶しようとすると留守していたが)して、まんざら的外れでもなかったのはなかなかのものだったが、それでも彷った。

 途中、山すその小路を走っていて、何とも云えぬ光景を目の当たりにした。

 実に天気のいい、青い空の広がったいわゆる秋晴れの日だった。昼前のことでまだ空気が青みがかって澄んでいた。そんな中で、道の側の田ん圃では乾し藁が燃され、実にのどかな香ばしいにおいを漂わせ、そうして、すぐ側の農家で飼われている鶏が、柵の外のこちらに向けてコッココと鳴いていた。これだけで十分、既に懐かしくなった日本の光景ということで、感動しまくっていたあたしだったが、さらに、すぐ向うで本当に小さな木造の幼稚園の小さな庭で運動会が行われていた。孫に声援を送るじいさんやばあさん。皆が歓声をあげている。

 当時でも街中ではもう既に見ることのできない、典型的な田舎の光景を目の当たりにして、本当に凄いと思ったものだ。今でもあの雰囲気は忘れることができない。清んだ秋晴れ、藁の燃える臭い、鶏の鳴き声、運動会の声援、この4つが強烈に鮮明に感覚に残っている。

 結婚してから住んでいるのが、その光景に遭遇した地区である。同地区といっても両端どうしで3、4kmの間はある。久しぶりにあれがどのあたりだったのか、記憶を辿ってバイクを走らせてみたのだが、全く検討がつかないでいる。そのあたりのはずの界隈は完全に田ん圃がなくなってしまい、住宅しかない。幼稚園もそれらしきものが見つからない。27年前にして既に奇蹟のような界隈は完全に姿を消してしまっていた。

 その後、結局、自力で女の子の家は見つけることができず、電話して迎えに来て貰ったんですがね。「まぁ、食いねや」と彼女に出されたコーヒーとケーキをなんとも気恥ずかしく頂いて、帰路、夕日の中をのこのこ自転車漕いで、文化の日のクソガキ3人の冒険は終りました、とさ。

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