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2006.08.20

我れバリウムに勝利せり

 寝ていると回っているはずの扇風機が止まっており、部屋の暑さに目が覚めてしまう。時刻は10時半。今日は6時に起き、日本映画専門チャンネルで『白い町ヒロシマ』(85)を観てから二度寝していたのだ。暑さですっかり重くなってしまっている頭を巡らせ、ようやく10時から12時まで工事のため、停電になるというチラシが賃貸のエントランスに張ってあったことを思い出す。

 起きるや否や昨日からのバリウムの糞詰まりに対応すべく、夜半に下剤を何錠か飲んだのが効いたのか、便意。そこそこ激しいものでトイレに入る前に幾らか出てしまったような気もする。便座に座るとバリウム栓があるにもかかわらず、明らかにさらに幾らか出る。しかし、力むと完全にバリウムの固まりが栓になってしまって、まったく出なくなってしまう。究極の糞詰まりである。

 この状態というのはまさしくラムネを想像するとよい。少しの傾けならビー玉が栓をすることなく、ラムネが出るが、それは少量でしかない。ラムネを多く出そうと瓶を大きく傾けるとビー玉が完全に口を塞ぎ、一滴もラムネは出なくなってしまう。

 力まずに少量ずつなら今の状態でも排便は可能であるが、もちろん下剤による柔らかい状態であるというのが絶対条件となる。この状態を維持しながら生活するのは非常に困難である。我れはここ数年来やや下痢気味が続いているのだが、それでも絶対的にそれを継続するというのは不可能であると考えられる。従って、この状態から脱するためには直接行動に出て、バリウム栓を粉砕するしかない。

 バリウムを粉砕するのにいちばん作業のし易いタイミングは、バリウムが栓をしている時である。そうでない時は、まずバリウム塊は奥深くにあり、しかも位置が固定されていないため、衝撃を与え難い。栓となった場合は最も手近かにあり、しかも堅く固定されている。だが、堪え難い痛みのため我れが汗を流しているいちばん苦しい状態でもある。しかし、戦いに勝つためには努力を怠ってはならないのだ。

 ここで指を使うという豪者もいるようだが、指はあまりに太過ぎであり、そうして感触的にもおそらく耐えられないものがあると思い、我れは更に堅く細い代用物を用いる。

 中を突くとやや柔らかい塊の向こうに固い塊が存在していた。固いといっても完全に固まっているという状態ではなく、掻き回すと壊れるのが感触的に伝わってくる。これがおそらくあの憎きバリウム塊に違いないのだ。その塊を執拗に突き、捏ねくり回す。塊が大きく崩れるのがこもった中で判る。バリウムによる糞詰まりで胃腸科を訪ねるとすると、このあたりの処置を医師の指によって行われるようだが、他人に任せるより、直接的な感触で制御が可能な自らで行うのがいちばん無難ではないかという気がしてならない。塊の状態や使用する用具によっても素人処置には危険が伴う可能性があるが、我れは医師に依頼するのはおそらく馴染めない。これはあくまでも疾病・障害に値するものなので、羞恥心は特にないのではあるのだが。

 バリウム塊が大きく壊れたと感じた時、一気に内容物が外に流し出される。バリウム栓が完全に崩壊したのだ。

 バリウムにようやく勝利したのだが、こちらの損傷もあるはずである。夜半に試みた時は栓が取れなかったものの、かなりの出血が観察された。今回は幸いか不幸か、停電中の戦いであり、薄暗いトイレの中では戦闘の結果を確認するに至らなかった。一回の水洗によりすべてが流されたのも幸いだった。集合住宅では水道はポンプによって給水され、停電中、水は使えない。タンクにあった水だけで処理できたのも、大きな勝利といえよう。

 昨年は、カリンという音をたてて、バリウム塊が飛び出したものだが、それは5日育成のもの、日にちが浅いと中途半端に大きく柔らかいようだ。

 無駄な戦を避けるべく、来年、バリウムを飲む際には、半固体の白い物が出るのを完全に見届けようと思う次第である。

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