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2006.07.24

活字の大きさ

 30数年ぶりに読む『八月がくるたびに』(71)はさすがにこの年になると怖いというほどではなかったが、それでも枕元のスタンドの電気だけにしての就寝前の読書の対象にはできなかった。やはり背中が寒くなってしまう。

 それにしても現行版と比べると活字の大きさの小さいこと。今の本というのは昔に比べて妙に活字が大きくなっている。印刷自体が活字から写植へと文字の大きさを自由にできるように変わってきていることも大きな理由だろうが、それにしても社会全体が幼稚化しているのではないかという気がしてならない。

 いちばんショックだったのは、平成に入る前後に行われた新聞の活字の大型化だった。高齢者にも優しい新聞を目指すという触れ込みだったように思うが、それまでにも高齢者はごまんと居たわけで、とりたててそういう改悪を行う理由が理解できなかった。明らかに新聞の記事の量は数割減となり、質的にも落ちる結果となってしまった。原稿の量を減らすことによるコスト削減という意味合いもあったのかもしれないが、各社がそれに追従するとなると完全に新聞の質が落ちることにつながる。

 雑誌のAERAでも同じようなことが行われ、おそらくほとんどの雑誌もそのような変更を行ったはずである。今となってはどの雑誌にもそんなに変わりはないからだ。

  こういった社会の幼稚化は何がもたらしているのだろうか? また、幼稚化する前とはいったいどのような状態だったのだろうか? こういうことに思いを巡らしてみるもの面白いかもしれない。

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