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2006年7月の36件の記事

2006.07.31

旧街道

 週末に行ってみたのは四国山地の入り口の町。海に面する平野から、720m程の峠を超えるとそこの町に入る。親父の実家はさらにそこより30kmくらい山奥にある。

 親父の実家に行くには絶対、その峠を超えなければならないのだが、母親曰く、これが大変だったそうだ。もちろん、今は急勾配でカーブが多いものの、十分に整備されて、子供が車酔いする程度だ。しかし、40年程前はかなりのものだったらしい。父親の実家まで、バスで行っていたりしていたらしいのだが、道ががたがたでひどく、さらに狭さもあっていつ崖からバスが落ちるのかと気が気でなかったらしい。そういう噂を聞いていたのだが、実際、どのようなものか判らない。少し前に国交省がその道路のバイパスを作るというので、パンフを作製したのだが、そこに旧街道の写真があった。未舗装の砂利道でガードレールもないつづら折りの道が坂を登っている。ほとんど一車線分しかない。バスとの離合なんて考えられない。イヴ・モンタン主演のオリジナルの『恐怖の報酬』で辿る悪路に輪をかけたような感じだ。

 おそらく一番最初の峠を超える街道らしきものを知っているが、そこはすでに地元の林業でしか使っていないのではないかという状態になっている。たまに車で走ってみたりするのだが、全く走れないわけではないが、普通車一台が走るのにも左右を気にしないといけないし、そこを走る数回に一回は離合しないといけない状態に陥ったりするのだが、離合スペースがあって胸をなで下ろす。スペースがないようなところでかち合うと、カードレールもない3m程の幅員の道路を延々バックすることになる。こんな道を初めて走ったのは真っ暗な夜で、何も見えないからそこそこのスピードを出して走っていたものだが、昼間に走るとコンクリート舗装の道路の側はそのまま崖という無茶苦茶な状態が目の当たりで、どうしても慎重なのろのろ運転になってしまう。

 ということで、現在の国道のわき道に商店街があったりする。国道にまったく面していないので、まったく目につかず、地元民だけが使っているようだが、ちょっとしたスーパーがあれば事足りる程度なので、ほとんど開店休業のような状態。そういう商店街に限って、紐を張ってちょうちんやプラスチックの花を飾っていて、余計に侘びしさを感じさせる。田舎の寂れ切った商店街は山奥だろうと、やや郊外だろうと同じような飾り付けをしていたりしていて、不思議に感じる。

 しかし、その商店街の通りというのが結構長く、それが旧街道の名残であることに気づくのにはそんなに時間はかからない。昔はそれなりに人が往き来し、賑わっていたんだろうと思うとやはりなんともいえぬ気がする。商店もあり、道路拡幅できないため、そばの民家の疎らなところに大きな道路が作られ、そちらがメインになってしまい、やがて忘れられる存在になってしまう。当然なことと云えば当然なことなのだけど、やはり、やる瀬ない気分に陥ってしまう。

 地域というのは特に道路一本で大きく変わってしまうので、怖い。そういったものを見ているとやはり、人間がいなきゃ、何も始まらないという結果にも落ち着いてしまう。

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2006.07.30

樋口真嗣『ローレライ』(05)

 日本映画専門チャンネルで、『ローレライ』を観る。

 一応、これって戦争映画として見ていいのかな。長崎に次いで東京に落される第三の原爆投下阻止の話だから、SF(パラレルワールド)であったとしても、大東亜戦争が舞台になっているんだから、戦争映画だよな。

ローレライ
ローレライ

監督: 樋口真嗣
出演: 役所広司, 妻夫木聡, 柳葉敏郎, 香椎由宇

 この映画を見ている最中に思ったこと。NHKの「その時歴史は動いた」だったけかな、松平さんのやっている番組で結構、理解を助けるためにCGが駆使されているんだけど、なんだかそれを見ているような気分になってしまった。NHKの番組のものはそんなに作り込んでいないとは思うのだけど、不思議と印象的にダブるものがあった。

 軍人さんがひとりもいないからたるみっぱなし。戦争映画に出演するというので、昔の映画を見たりはしないのかな。鶴見辰吾がひとり頑張っていたようには見えたけど、かえって浮き浮きか。伊武雅刀はデスラー総統やスーネークマンショーでは散々お世話になったけども、シリアスな話には出てきて欲しくないな。新『白い巨塔』でも輪をかけて質を落すようなところがあったもんなぁ。

 話が面白ければ救いもあるだろうけど、ホンもまったくなってないし、観ててちょっと参ってしまった。

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2006.07.29

"テロ警戒中"

 天気がいいものだから、山まで車を転がしてみたのだが、山奥の国道の工事中箇所で「テロ警戒中」という看板を見かける。どうも工事の箇所ではすべて看板をかけているようだ。

 たぶん形式だけの看板を置いているだけなのだろうと思うが、それでも胸糞が悪くなってくる。うちの職場は役場なので、国民保護法とやらの対応についてのシミュレーションについて問題点はないかとかの回覧が来たりするのだが、叩き台が全くなっていなくてびっくりする。通常、テロを含む戦争等での敵地占拠においては、まずメディアを押さえるというのが基本になるが、放送局についての対策が完全に抜けていたりする。

 この国は何処まで本気なんだろうかと思う。格好だけなら意味がなく、費用の無駄だからやめた方がいい。ホント、訳判らめぇ、である。

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2006.07.28

レコードラック

レコードラック 実家に残してきたレコードを幾らか持ってきたのに加えて、今年の初めから頻繁にレコードを買うようになり、ついにストックが100枚を超えるようになってしまった。本棚は既に一杯であり、あふれた書籍はストレージコンテナーに突っ込んでおくという状態で、レコードを入れる棚もなく、そのまま床に置いていたのだが、それもいい加減スペースを取るようになってて大変なことになっていた。

 ということで、現状の書斎で棚を置くことのできる最後のスペースに、レコード用のラックを置くことにした。3段のラックで1段にレコードが100枚入るというもの。これもヤフオクで見つけたのだけど、送料込みで11,500円という価格。合板の組立式のものだが、蓋もあり、そこにレコードや雑誌を置く(飾る)こともできるというもの。ジャケットの焼けを考えると蓋がある方がいい。一方で風通しが悪くなり、カビが心配だけど。とにかくこのラックのおかげでクローゼット以外の壁はすべて埋まってしまって何も置くことができなくなってしまった。

 ざくっと今の手持ちレコードを入れると、一段と1/4くらいの量。レコードの購入はキリが無いので、ペースダウンさせるつもりなので、しばらくは自由に使えると思われる1と1/2段は書籍を入れることにした。床にダンボールに入れて転がしていたのがなくなる。床が少しは見えるようになって、少し嬉しいあたしがいたりする。

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2006.07.27

亀田なんちゃら

 最近、ボクシングをやっていると云う亀田なんちゃらというのをTVでよく見かけるのだが、どうも苦手で仕方ない。競技をするからには勝つと云うのはもっともなことだが、それだけしかないようで気持ちが悪い。品格が全くないというのがどうもいけない。

 そういう人物を人気があるからといって、国のキャンペーンとかに起用するというのもどんなものかとも思う。国の品もあったもんじゃないという感じだ。最低ラインの良識というのはあるのじゃないか。

 そして、そういう人物に仕立て上げた親父の存在。あれは完全に人間改造によるもの。ボクシングに携っていいるうちはいいかもしれないが、そうでなくなったらどうするつもりだろう。現役選手を降りても親父のようにコーチとかで人生を過ごすのだろうか。

 亀田なんちゃらをTVで見かけるたびに胸が悪くなるし、心も痛む。

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2006.07.26

3冊の手帳

 以前に手帳をまともに使ったことがなく、年末にお馴染の能率手帳を買ったことも何度かあったが、全ページ白紙のまま次の年末には捨てる結果になっていた。

 しかし、今は3冊の手帳を使っている。一冊は、MOLESKINE(モールスキン)。罫線の入ったただの手帳。毎日、デートスタンプを押し、何日に書き記したものか判るようにしている。一日に使うのは半ページから2ページ程度。日に1ページというのが大半で、出勤した日でまったく記入をしなかった日は今のところない。

 もう一冊は、同じくモールスキンの18 Month Weekly Planner + Notebook 2006-2007というスケジュール帳。この7月1日から来年の大晦日まで1年半使えるものになっている。

 最後のものはRhodia ロディアのメモパッドの#11。走り書き専用で、電話応対の時や会議に出た時のメモ取りに使っている。胸ポケットに入るサイズなので、機動性がいい。職場で人に呼ばれたら、これをポケットに突っ込むという習慣がついてしまった。

 この3冊の手帳によってうまく手帳が機能するようになった。まず、会議に出てもいきなりモールスキンに書き込まない。メモの段階で手帳に書き込みをしてしまうと所詮走り書きで、まず読めないし、断片的にしか書いていないので前後の繋がりは理解できない。後から内容の確認を行うような手帳に関しては、纏めてから記述を行うということが基本になる。ということで、会議のメモ書きにはロディア#11をメインに使う。以前の打ち合わせ内容を確認するためにモールスキンの携帯も必要になる場合もあるが、これはやむを得ない。何れにせよ、ロディア#11は胸ポケットに入るから、特に持ち歩くことを意識するようなものでもない。ロディアの走り書きを見ながら内容を纏め、モールスキンに読んで理解できる形で記入する。

 モールスキンは自由形式の手帳なので、日付スタンプを押していても、どこに必要な記事があるか判らなくなってしまう。概ねの日付でこのあたりというのは判るが、書き込みを読みながら探すのは非常に困難である。そこで、スケジュール帳にスケジュール管理と同時に、モールスキンに書き込みをした内容の表題のようなものを書いておく。スケジュール帳がモールスキンのインデックスのような役割も果たすことになる。日に5行くらいあれば、どうにかこうにかそれらの記入が可能である。また、このスケジュール帳は右のページが罫線のページになっているので、オーバーしてもこちらが使える。

 というような本格的な手帳使いになってしまって、手帳なしでは仕事ができなくなってしまいました。いやはや、今までどのようにやってきてたんでしょうね。

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2006.07.25

Interiors『INTERIORS(インテリアズ)』(85)

 Interiorはお気に入りのユニットのひとつなのだが、1stアルバムである細野晴臣・高橋幸宏によるYENレーベルの『Interior』(82)にはWindham Hillレーベルによるリミックス盤があると知り気になっていた。おそらく半年以上はヤフオクをメイン(廃盤探しはあそこがいちばん効率がよい)に探していたのだが、ここしばらくサボっており、掲示板でイイチョさんという方にInteriorsの『DESIGN』(87)というアルバムについて発言を頂いたのを契機に久しぶりに検索をかけると1000円即決で出品されているのを見つけてしまった。もちろん落札する(送料200円)。

Interiors/クリックで拡大

Interiors/INTERIORS(85)

 82年のオリジナルに対して、85年のWindham Hill版では「N.F.G」「COLD BEACH」の2曲が削除され、「Hoot Beach」が新しく追加されている。曲順もいくらか変更されている。既存の曲もリミックスが行われ、曲の印象が大きく変っているものもある。

 オリジナル版が好きだったのは、まったく媚びない音楽であったということがある。楽曲の多くはさびといわれるものを作って、受け入れられやすくするものだが、Interiorの曲というのは音の広がりと清らかさのみを極限まで追求したようなもので、その凛とした様はリアルな音としての音楽の存在を示してくれていた。それはいつまでも心から彼らの音楽が去ることのなかった理由でもあった。

 Windham Hill版を出すにあたって、完成度を上げるためにリミックスを行ったということだが、その結果、不自然に強調される音が増えることになり、あたしにはあまり好ましいものとは思えないものになっていた。たぶん、こちらから先に入れば、オリジナルは物足りなく感じるのかもしれない、といった、ダメダメというより、傾向の変化という類のものかも知れないという範囲ではあるが。このリミックス盤を聴いて、次のアルバム『DESIGN』に辿り着くというのが何となく理解できる。オリジナルの『Interior』から『DESIGN』への変化は唐突のような感じもするが、『Interior』、『INTERIORS』、『DESIGN』と聴くと当然のような気もする。まぁ、4人のメンバーから2人のユニットに変わったということもあり、方向性が明らかになったということなのかもしれない。

 幻のアルバムがまたひとつ減った訳だが、これが完全になくなるということはなくって、またまたほろりと出てくるんだよなぁ。なんだかねぇ。

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長崎市『長崎原爆戦災誌 第一巻 総説編 改訂版』(06)(BlogPet)

きょうフタキンSkywalkerは、長崎で地域っぽい印刷するつもりだった。
それにしてもO-Maruは印刷しなかったー。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「フタキンSkywalker」が書きました。

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2006.07.24

活字の大きさ

 30数年ぶりに読む『八月がくるたびに』(71)はさすがにこの年になると怖いというほどではなかったが、それでも枕元のスタンドの電気だけにしての就寝前の読書の対象にはできなかった。やはり背中が寒くなってしまう。

 それにしても現行版と比べると活字の大きさの小さいこと。今の本というのは昔に比べて妙に活字が大きくなっている。印刷自体が活字から写植へと文字の大きさを自由にできるように変わってきていることも大きな理由だろうが、それにしても社会全体が幼稚化しているのではないかという気がしてならない。

 いちばんショックだったのは、平成に入る前後に行われた新聞の活字の大型化だった。高齢者にも優しい新聞を目指すという触れ込みだったように思うが、それまでにも高齢者はごまんと居たわけで、とりたててそういう改悪を行う理由が理解できなかった。明らかに新聞の記事の量は数割減となり、質的にも落ちる結果となってしまった。原稿の量を減らすことによるコスト削減という意味合いもあったのかもしれないが、各社がそれに追従するとなると完全に新聞の質が落ちることにつながる。

 雑誌のAERAでも同じようなことが行われ、おそらくほとんどの雑誌もそのような変更を行ったはずである。今となってはどの雑誌にもそんなに変わりはないからだ。

  こういった社会の幼稚化は何がもたらしているのだろうか? また、幼稚化する前とはいったいどのような状態だったのだろうか? こういうことに思いを巡らしてみるもの面白いかもしれない。

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2006.07.23

おおえ ひで・作 篠原勝之・え『八月がくるたびに』(71年初版)

 先日、現行版のおおえひで『八月がくるたびに』(01)を手にして、これは『八月がくるたびに』でないと思い、1971年初版ものを取り寄せる。当時、定価600円だったものが500円(+送料150円)。

八月がくるたびに
八月がくるたびに

おおえ ひで 作
篠原 勝之 絵
単行本: 123ページ
出版社: 理論社 (1971)




(クリックで拡大表示)


 イラストがすべて入れ換えられている。初版で用いられたイラストは愛蔵版の現行版では一切用いられていない。

 その外にも現行版とは大きな違いがある。

 現行版の冒頭には、はじめにという1ページがある。

  ---------------------------------
   はじめに

  だれが どうして?
  だれが どうして?
  こどもが おとなになり
  また そのこどもが おとなになり
  ・・・・・けれど こどもたちは
  おとなたちに たずねるでしょう。
  だれが どうして?
  ---------------------------------

 こんな文章があり、その下にはものが激しく燃えている上をB29とおぼしき飛行機が飛んでいるのを描いたペン画。これが現行版の始まりになる。

 しかし、初版では右のような(クリックで拡大表示)口絵でそれが表現されている。クマさんの挿し絵が異常なほどに圧巻で、心の奥に刺さってくる。そして、最後のページの「8月が くるたびに・・・」というひと文がさらにそれを忘れられないものにする。あたしがこのシーズンになると悩まされる理由だ。

 現行版を申し訳程度の訴えかけ方に変えてしまったのはどうしてだろう。そして、最後の「8月が くるたびに・・・」のひと文を削除してしまった理由を知りたい。

 初版で発行者の小宮山量平は「解説にかえて」という文章を巻末に載せている。

「事実として、この作品を幼い人たちの読む本とする場合、「原ばく問題」として生々しく心をうずかせる状況があるのです。(中略)たんに、被爆のむごたらしさをリアルに複写する「リアリズム」でもなく、ましてや、作品のつらさを甘くカヴァーするのでもなく、むしろ率直に、「原ばく問題」そのもののこわさを、きびしく表現するのが正当なことではないだろうか?──と。(中略)ここに一冊の本があって、もしもこどもたちが、この本とめぐりあったならば、そこには「原ばく」のつらさやこわさが、きっちりと描かれている──そういうきびしい本を、こどもたちこそは、まっとうに受けとめてくれると信じるのです。(後略)」

 口絵の調子で本文でも、山端の被爆者写真がコラージュで用いられたり、印刷が鮮明でない分救われているが、重々しい現実直視のものになっている。

 手元にあるものは71年7月第17刷となっている。71年が初版でいつ第一刷を出しているのか知らないが、年内に17も印刷を重ねているというのはかなりの反響を呼んだのだと考えられる。

  この本に衝撃をうけた人は少なからずいるようで、復刊ドットコムでも復刊リクエスト投票が行われ、また、コメントも数多く寄せられている。戦争が自国でもあったと云う記憶が淡れつつある今こそ、このような本の存在が貴重になると思われる。

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2006.07.22

長崎市『長崎原爆戦災誌 第一巻 総説編 改訂版』(06)

『長崎原爆戦災誌 第一巻 総説編 改訂版』/クリックで拡大表示 先日、長崎原爆資料館に注文しておいた『長崎原爆戦災誌 第一巻 総説編 改訂版』(06)が届けられる。本体価格5,000円(書籍に価格の記載なし)、送料840円。 発行日は平成18年3月31日と前年度末の日付になっているが、販売は5月になってからのようだ。

 長崎の戦災誌は昭和48年7月に着手し、今回改訂となった「第一巻 総説編」を昭和52年3月31日に発行して以降、昭和60年3月30日発行の「第三巻 続・地域編 終戦前後編」まで足かけ12年で全5巻を発行している。今回の改訂は被爆60周年記念事業ということで平成16年4月に着手した。

 改訂版と初版の大きな違いは83ページの増ページである。内容の変更については初版を読み込んでいる訳でもなく、よく判らないが、長崎新聞ではこのように報じている。巻頭グラビアの写真の一部入れ換えが行われていると同時に印刷自体美しくなっている。また装丁も同じ会社が印刷を担当しているということもあってか、ほとんど差がない。背は革装で表紙のクロスの色がちょっと明るい緑になったくらいだ。

 それにしても発行部数が1000部とはあまりにも過小評価していないだろうか。少なくともその倍の発行は必要であると思うのだが。

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2006.07.21

おおえひで『八月がくるたびに』(2001年版)

 夏が来て、8月が近づくと決まって頭をよぎるのが「八月がくるたびに」というフレーズであり、そして、その言葉を思うたびに体が強ばってしまう。それは小学校3年生以来、30年以上続いている。だからこれからのしばらくは、実に嫌なシーズンなのである。

 「八月がくるたびに」というのは児童文学作品のひとつのタイトルであり、そのタイトルからも想像がつくかもしれないが、あの原爆を扱ったもの、長崎で被爆した少女の話である。

 小学3年生の時、ふと学校の図書館で読んでしまった本なのだが、物語自体はほとんど覚えていない。にもかかわらず、その印象は強烈に残っている。何が強烈って、イラストがとにかく怖いのである。被爆者の遺体写真が用いられた挿し絵は当然のように洒落にならないほど恐ろしく、本文をまともに読むに至れなかったというのが正直なところかもしれない。「八月がくるたびに」という言葉は、そのままそのイラストの怖さに結び付き、その言葉を聞いたり思い浮かべるだけで恐怖するようになってしまっていた。

 そんな風に毎年夏になるたびに、記憶の彼方から脅かされ続けられる本なのだが、絵を書いたのが誰か知ろうとも思わず、数十年を過ごし、つい最近、その絵を書いたのが"ゲージツ家"のクマさんこと、篠原勝之だと知るに至った。あの人があんな絵を描くとは想像だにしなかった。

 そこで「八月がくるたびに」を注文してみた。

八月がくるたびに
八月がくるたびに

おおえ ひで 作
篠原 勝之 絵
単行本: 193ページ
出版社: 理論社 (2001/06)
ASIN: 4652005121

 手もとに届けられた本はどう見てもごく普通の児童文学もの。イラストはうまへた風のもので、これといったインパクトのかけらもない。ほとんど忘れていた物語は、20年前のことを回想するというスタイルで、肉親の死、自らの怪我、原爆症として後から追いかけてくる死など、原爆の凄惨さを余すところなく子供にも分かり易いよう見事に描いているものだったが、あたしがこんな本に怯えるはずがない。おかしい。どう考えても別の本としか思えないのだ。試しにGoogleでググって見ると、次のような発言が発見できた。

  ----------------------------------------------------------------------
   575 :さく・え/ななし :2006/03/22(水) 01:56:13 ID:???

    絵本ではないかもしれないけど、学級文庫にあった「八月がくるたびに」
    タマゴにマチバリを刺してそこから流れた液に子供の写真をコラージュしてたり、
    とにかくコラージュがシュールで怖かった。
    あとでその挿絵を担当したのが「TVタックル」等でおなじみだったクマさん
    こと篠原勝之だった。飄々としたハゲのおっちゃんぐらいの印象しかなかったもので
    けっこうビックリした。
  ----------------------------------------------------------------------

 これこれ、たぶんあたしが読んだのはこれ。やはり怖い本で間違いない。今、流通しているのは最近になって作られた愛蔵版というヤツのようで、どうも世相も考えて内容を緩くしたのではないかと思われるフシがある。広島の平和資料館のマネキンだって、以前と比べるとドギツさがなくなってきている。脅しによる平和教育はよろしくないと云う判断に傾いてきているのだろうか。

 旧版の情報は得られず、試しにヤフオクで検索してみると、あたしが読んだと思われる発表当時の71年の初版というやつが新装版に並んで出品されておりました。オークションなのでいつまで閲覧できるか判らないけど、こちらがあたしが30数年前に読んだものになります。大人になったあたしがちらりと見ても、やはり怖い絵本に見えます。

 現行版を購入したばかりにもかかわらず、71年版を某所で見かけてしまったので注文してしまいました。30数年間来の悪夢の克服の時が刻々と近づいていております。

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2006.07.20

大橋弘『1972 青春 軍艦島』(06)

 軍艦島に纏わる新しい書籍が出ていた。軍艦島が閉山になる1年半前に島にわたり、日雇労働者として半年を過ごした27歳のカメラマンの記録。もともと軍艦島に渡ろうというつもりはなく、長崎での放浪の生活のあげく金がなくなってしまったから、労働条件の良い軍艦島に渡っただけだった。

1972 青春 軍艦島
1972 青春 軍艦島

大橋 弘
単行本
出版社: 新宿書房
(2006/06)
ASIN: 4880083569

 著者が住んでいたのは日本で一番最初のコンクリート住宅の30号棟。非常に貴重な体験をしたものだと思う。

 写真とともに17編の文章で軍艦島の様子が描かれる。実際に労働者として働いていたカメラマンの手によるものなので、極々日常の軍艦島をみることができる。炭鉱夫でなく、地上労働を行っていたので、いわゆる炭砿労働の辛さというのは見えてこないが、男だけでなく、女性も肉体労働に多くついていたという事実も知る。若い男とおばさんが逃げたり、朝から5合の焼酎を呑む溶接工のおじさんがいたり。火事があって死人がで、その葬式が風変わりであったこと。写真は人間のごく普通の生活の場であった軍艦島を見せてくれる。ただやはり閉山間際ということもあって、人が随分と減っているいう雰囲気がすでに写真に漂っている。

 後藤 惠之輔・坂本 道徳『軍艦島の遺産―風化する近代日本の象徴』に引き続き、廃墟でなく生きていた頃の軍艦島を描くものが出版されるというのは非常に好ましい。著者は今回、32年ぶりに当時撮影した1000枚ほどのネガからこの写真集をつくったが、また30年後に作り直してもいいという。その時は軍艦島の記録というより、昭和の記録という意味合いの方が強くなりそうな気がする。

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2006.07.19

岩波書店『日本の写真家23 山端庸介』(98)

 ふとしたことでこの本の存在を知り、Amazonのマーケットプレイスで入手した。1700円(+送料340円)。岩波書店による日本の写真家の作品を集めた全40巻+別冊1巻の全集ものの一冊。日本の写真家にも興味深い人が少なくないので、全集で揃えてもいいかもとか思ってしまったが、この一冊を手にして、98,000円というのはあまりにも高過ぎると感じ、一気に馬鹿な気はどこかへ行ってしまった。何と言ってもページ数が少なすぎる。

岩波書店『日本の写真家23 山端庸介』(98)
岩波書店『日本の写真家23 山端庸介』(98)

大型本: 71ページ
出版社: 岩波書店
(1998/07)
ASIN: 4000083635

 広島の松重美人(よしと)(1913-05)と云えば、長崎の山端庸介(1917-66)となる。

 松重は中國新聞社のカメラマンで広島に原爆が落ちた日、市内で5枚の写真を撮る。自宅(理髪店)の荒れた部屋とそこから見える道向かいの倒壊した消防署、御幸橋西詰で2枚、そして皆実で罹災証明書を書く負傷した警官、それが人類史上唯一の被爆当日の記録となった。彼はそれ以上シャッターを押すことができなかったのだ。

 山端は海軍の従軍写真班員として大陸等で撮影を行った後、福岡の西部軍報道員に任命される。原爆が長崎に落されたのはその3日後のことである。広島と同じ「新型爆弾」使用の情報が入るや否や、状況を記録し報告するように命じられる。9日の午後3時に博多を出た山端は10日の午前3時に長崎に着き、14時間あまりで114枚の写真を撮り、博多に戻る。

 山端の写真には有名なものが何枚かがあるのだが、防空壕から顔を覗かせて微笑む少女やおにぎりを持ったまま佇む母子は特に印象深い。しかし、前者は結婚式の当日だったはずなのに親族の都合で式が延期され、さらに被爆してしまったという少女であり、その微笑みは山端が笑ってくれと頼んだものだった。後者はもともと食べる気力もないのに無理におにぎりを持たせたとも聞く。

 松重は自分自身、被爆者であり、山端はそうではない第三者であるという違いもあるだろうし、松重はたまたま居合わす結果になってしまった一方で、山端は上司より命じられた業務であり、またその重要性を認識していたという違いもある。非常に対照的な二人の写真家とその作品を見て、写真というものの捉え難さをますます実感してしまう。

 この本の解説で朝日新聞社『アサヒグラフ 1952年8月6日号』で山端の写真がまったく使われてないことを知る。

 ナガサキ以前の1940年の従軍写真も数枚掲載されているが、大判のカメラを使っているのか、非常に美しい鮮明な写真である。長崎での写真は構図が特殊なものが多く感じられるが、これらの写真は開放的で実に素直である。

 前に、長崎原爆戦災誌第一巻総説編の改訂作業が行われていることを記事にしたことがあったが、ネットで調べてみるとどうもこの5月には作業が終り、改訂版の発行が行われていたようだ。販売は長崎原爆資料館事務室でしか行っていないようだが、遠方からでも注文が可能。実際にメールで在庫の有無を問い合わせてみると、7/19現在、在庫があるという回答で、代金5000円を現金書留で資料館に送付すると、着払いの宅配便で送ってもらえるらしい。口座振込ができない、さらに発送は着払いというお金のやりとりに融通が利かない辺りいかにもお役所で、手間と費用がかかるのだけど仕方がない。今日の仕事の帰りに郵便局に行って、しっかり現金書留で代金を送っておきました。週末か週明けには改訂版を手にすることができるでしょう。新聞の記事では発行予定部数1000部ということなので、すでにどのくらい捌けているのか判らないけども、はやくに問い合わせをしておいた方がいいだろう。

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2006.07.18

日本以外全部沈没

 左京の「日本沈没」が33年ぶりにリメイクされたと思ったら、筒井ちゃんの「日本以外全部沈没」も映画化されていたんですね。これはまったく知らなかった。

 はじめて小説を読んだのは中学の時か高校の時か覚えていないけども、筒井ちゃんも随分アホな小説を書いたものだと思ったものだが、これが映画化されるなんて夢にも思っていなかった。「原典 小松左京」となっているのが笑わせる。まぁ、左京の「日本沈没」があってのネタ小説だから左京に敬意を払うのは当然。

 監修が実相寺昭雄。彼の作品は怪しさが漂うのが常なんですが、「日本以外全部沈没」が怪しい? 監督は別の人のようだからそのまま作風が反映されるとは限らんでしょうが。

 これ、当地のような田舎にも来るのかなぁ。筒井ちゃん原作で何本か映画化されているんだけど、まともに全国公開されたのは「時かけ」くらいじゃなかろうか。でもって、筒井ちゃんファンでありながらいまだに観ていない映画も多くあったりする。

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60,000番目のお客様は...(BlogPet)

フタキンSkywalkerは、O-Maruはキリはプレゼントしないです。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「フタキンSkywalker」が書きました。

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2006.07.17

5時5分(4時5分)

 「5時5分、5時5分」と連呼するテーマ曲の番組があって、それのフレーズが今だに耳について離れない。おそらく35年くらい前の番組だと思う。白黒の画面が目に浮かぶのだが詳細は覚えていない。

 ネット検索するとどうやら「4時5分」が正しいようだ。4時5分から始まるので、そういう歌詞になっているのだが、これが時たま1時間遅れの5時5分から始まることもあり、その時はちゃんと「5時5分」で歌われていたとか。この1時間遅れのもので覚えてしまっていたのかもしれない。

 この番組はNHKの『受信相談』という番組らしい。歌詞は検索でも完全なものが見つからず、あたしもこのフレーズ以降はどうも続かない。しかし、外に遊びに行って帰ってくるとこの番組が始まるという感じで、いかにも夕方の番組だった。

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2006.07.16

映画「日本沈没」公開

 昨日から、映画「日本沈没」の公開が始ったということで、"日本沈没"のキーワード検索でここに辿り着く人が多くなっているようだ。今月の始めくらいから目につくようになってきて、今日はかなりの数になっている。今年の邦画でも注目の一本になっているんだろなぁ。あたしは出演者に興味が湧かないので、観に行かない可能性の方が高い。

 それよりも驚いたのが、「日本沈没 二部」が発表されていたこと。今月の7日のリリースになっているが、映画公開にあわせてのことだろう。

日本沈没 第二部(06)
日本沈没 第二部(06)

小松左京・谷甲州 著
単行本: 466ページ
出版社: 小学館 (2006/7/7)

 小松左京・谷甲州共著ということだが、小松も加齢(75歳)で単独で長篇を書上げる体力がなくなってしまったようだ。当初から二部執筆の構想があるというのは知っていたが、こんな形でリリースされるとは思ってもみなかった。谷甲州という人はSF作家らしいが今まで知ることがなかった。何れにせよ、近いうちに購入して読んでみようと思う。

 これからCATVの日本映画専門チャンネルで旧作を観ます。

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2006.07.15

暴力

 すぐ隣のアルバイト君はケンカ空手で有名な極真空手の道場に通っているという子なのだが、それを聞きつけた同じ部署の若手が「鍛えているんだろ」と言って胸元を殴った。結構鍛えているようでびくともしない。「平気ですよ」なんて言うもんだから、調子に乗って10数発連続して思い切り殴っている。

 すぐ側でその様子を目の辺りにして、もう少しで吐きそうになった。本人が平気といおうと、力任せに人間を殴っている様子は実に気分が悪い。殴られる本人はどうか知らないが、殴っている人間の神経があたしには判らない。そういうことをして愉快なのだろうか。彼の精神構造にまず疑問を感じてしまう。

 人を傷付けようとする行為がいかに狂気じみて、そして見苦しいものか実感した。本人が平気だから、であろうと、あいつが悪いから、だろうと結局やっていることは同じで、その行為そのものが醜いと云える。

 まぁ、あたしは格闘技一般をまったく受けつけないのは、そのあたりの相手を傷付けて(ルール内で)なんぼのものというのが根本的にあるからだろうと思う。胸を殴るボコボコと云う音は本当に気持ち悪い。

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60,000番目のお客様は...

 15,000番目、20,000番目、25,000番目、30,000番目、33,333番目、34,567番目、40,000番目、44,444番目、50,000番目、55,555番目に訪問された方にプレゼントをしようと思っていたのですが、いずれもダメだったようです。11度目のトライで、今度は60,000のキリ番です。

 プレゼントを希望される方はこの記事の "1万5千" を "60,000" に読み替えて、気に留めておいてください。心よりお待ちしております。

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2006.07.14

Put a liitle fun in your day!
TESTPATTERN『APRES-MIDI』(82)

 細野と高橋によるYENレーベルで中間音楽としてリリースされたInterior『Interior(インテリア)』(82)そしてイノヤマランド『DANZINDAN-POJIDON(ダンジダン・ポジドン)』(83)の外にもアンビエント系のアルバムが出ているというのを知った。比留間雅夫と市村文夫によるユニットTESTPATTERN(テストパターン)の『APRES-MIDI アプレミディ』(83)である。オリジナルアルバム(LP)は83年リリース、90年にはCD化されるがいずれも廃盤。オークションでひと月ばかり待ってようやく落札。2400円(+送料400円)だった。

APRES-MIDI/クリックで拡大表示 デザインが本業である比留間雅夫によるジャケットは2人の黒人タップダンサーの踊っている写真があしらわれているが、中身は純然たるテクノ系音楽。アルバムタイトルApres-Midiは仏語で"午後のコーヒー"を意味する。テクの系といってもハードなピコピコ系ではなく、なんとも云えぬのんびりしたような曲が続く。限りなくイージーリスニングを目指したような感じだ。そのアクのなさというのは、ライナーノーツにおそらくコピーとして書かれている"Put a liitle fun in your day!"にぴったり。まさしく「あなたにステキなひと時を」なのである。

 A面の5曲はボーカルものでB面の5曲はインストルメンタルである。ボーカルは細野風のぼそっとした声で歌われる。本当に聞き流すという感じの曲だが、なかなかこれが気持ちいいのだ。『YEN卒業記念アルバム』(85)でTESTPATTERNの曲として収録されているのはA面のラストの「Modern Living」。これを初めて聴いた時は、正直つまらないと思ったりもしたのだが、このアルバムで通して聴くとそれなりに味があっていいのだ。アルバムは曲の構成が命だったりするし、そういう意味では一曲だけを抜き出すと曲の善し悪しが判り難いということがあるかもしれない。

 B面の一曲目の「Ring Dance」という曲があたしにとってはかなりインパクトがあった。フレーズを繰り返すミニマルミュージックなのだが、リズミカルな音楽の中にポーンという弾けるような音が入ってて、これが蹴鞠をしてて鞠を蹴った時の音をイメージさせるのだ。この曲を聴くと公家さんが蹴鞠に興じているシーンがついつい目に浮かんでしまう。

 どれもこれまでに聴いたことのない曲風で新鮮だ。リリースから20数年が既に経っているが、まったく時代を感じさせない。タイトルとおり、午後をゆっくり過ごそうという時には、おそらく頻繁にかけることになろうかと思われる。ちなみにTESTPATTERNがリリースしたアルバムは残念なことに、この一枚だけである。

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2006.07.13

日々の雑感

 梅雨のなか休みなのかどうか知らないけども、ここんところよい天気が続いている。今日も晴れ。

 仕事を定時に引けてから、その足で海に行ってみる。自宅は平野の山すそ近くにあって、海に行くのには全く反対の方向になる。それでもまぁ、25分くらいバイクを走らせればいいのだからそんなには遠くはない。海岸の近くのコンビニで軽食と飲み物を買って、砂浜の側にあるペンチでゆったりとする。

 まだ学校も休みでないのでほとんど人はいない。泳ぎを練習しに来ているとおぼしき父娘、砂浜を歩くアベック。砂浜を測量する5、6人の作業チーム、そして、男3人と女1人のグループ。この4人のグループが変わってて、自転車で来ていたから高校生くらいなのだろうか、一人はタバコを吸っていたから大学生くらいかもしれない。何れにせよ、未成年と思われる集団だった。海で泳いでいたが、防波堤に上がり話を始めた。泳ぎを止めたようだ。あたしはずーっと余所見をしていて、ふとそちらの方を見ると女の子が何かTシャツの下にパンツの様なものを皆の前で穿き、そしてさらにジーンズを穿いていた。皆の前で着替えをしていたのだろうか。男3人と女1人というのがそもそも変な取り合わせなのだが、その光景はさらに不思議なものだった。

 薄い雲が出ている程度の晴れ。山側には立派な入道雲があって、すっかり夏の空。あたしは昼間の屋外では必ず濃いグリーンのサングラスをしているため、青が映えて本当に美しい。しばらくミルク色の海しか見ていなかったが、今日の海はすっかり群青色をしていた。

 6時過ぎに着いて、日が暮れるのにもうしばらくはある7時に帰途につくまでの1時間あまりを何もせずにぼーっと過ごす。海には入らないので、シーズンに入りかけの人気の少ないこの時期の海が一番好きだ。秋も悪くないのだが、日が暮れるのが早いのでなかなか楽しむ機会が少ない。

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2006.07.12

Panasonic SV-SD370V

 日曜日の夕方はFM番組「NISSAN あ、安部礼司 BEYOND THE AVERAGE」を聴くという習慣がしっかり身についてしまった。初めて聴いた時から、おそらく一回も欠かさずに毎週聴いているはずである。ただ問題なのはラジオが車にしかなく、車に乗ってしか番組が聴けないこと。こんなおちゃらけ番組のために一時間車を転がし続けるというのは、環境にもあたしの財布にも悪い。カミさんが車を使うといえばもちろんダメになってしまう。

 ということで、FMラジオを漁ってみたのだが、なかなかこれというのがない。それでオーディオプレヤーも対象に入れて見つけたのが松下の製品。

Panasonic SV-SD370V
Panasonic SV-SD370V

SDオーディオプレーヤー

海外対応FMステレオチューナー&
 ボイスレコーダー搭載

 メディアが交換可能というのがひとつの利点。2Gまでの制限があるが、内蔵メモリに限られるよりかは自由が利く。充電池(USB・ACアダプタ充電)、乾電池(ただし外付)稼働というのも大きい。ファィル管理では現役で使っていた初代東芝GIGABEATより劣るというのがあって、GIGABEATがいかに優れていたかというのを思い知るが、かといって不自由極まりないとも言えず、まぁ、及第点。サイズは遥かに小さくなったものの、GIGABEATですら5Gの容量があるものの、その何分の一かの容量でしかないのでメインに使うことはないかもしれない。とりあえずFMを聴くためのもの。

 通販を使うともっと安く手に入れられたのだが、今週末までには必ず手もとにおいておきたいということで近所のヤマダ電機で購入。単体が11,400円、512MBのSDとのセットが13,800円。セット売りのものを買ったが、実に割高な買い物になってしまった。

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2006.07.11

ココログ大規模メンテナンス(7/11-13)は成功する? 失敗する?(予測)

 2日間のメンテナンスに入る前の"最後っぺ"です。

ココログ大規模メンテナンス(7/11-13)は成功する? 失敗する?(予測)





締切:2006年07月13日14時00分
Powered By クリックアンケート



13日22:30 追記

アンケートの結果です。

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ココログ大規模メンテナンス(7/11-13)は成功する? 失敗する?(予測)
もちろん成功して、サクサク使えるようになる。 (68票) 27%
失敗ともいえぬ、許容範囲で使えるようになる。 (59票) 23%
機能的に使用できない状態で終了公開される。 (20票) 8%
メンテナンスが期間延長される(失敗?)。 (77票) 30%
こんな下らないアンケートには答えられない。 (29票) 11%

コメント一覧
2006年07月11日14時18分29秒
お名前:正佳to管理人
コメント:
メンテの延長はあるでしょう。今まででも必ず延長されたし。
そもそもブログがここまで普及するとは予測していなかった事が発端でしょう。ついでに変なランク分け。
少なくともプロキシエラー出現とレスポンスタイムが最悪時の半分くらいになればそれで良しと私はしておきます。

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 メンテナンスは予定よりやや早く終ったようですが、結果はしばらく使ってみないと判らないです。ただ、すでに処理が重くなってきている気配はありますが、一時的なものかもしれません。

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宮沢賢治『銀河鉄道の夜』(24-33)

 DVDは在庫もあったようで、一週間程前に届けられてきた。5歳の息子に見せるといたく気に入ったようで、週末とかだと2回は見せろとせがまれる。

銀河鉄道の夜(85)
銀河鉄道の夜(85)

杉井ギサブロー(監督)
別役実(脚本)
細野晴臣(音楽)

 あたしはやはり宮沢賢治の世界というのは判らない人間のようだ。繊細というか、詩的というにしてもどこか壊れているようにしか思えないのだ。理解をすっかり超えてしまっている。映画『銀河鉄道の夜』の最後は、『春と修羅』(22)の「序」の冒頭が用いられ、常田富士男が朗読している。


  わたくしといふ現象は
  假定された有機交流電燈の
  ひとつの青い照明です
  (あらゆる透明な幽霊の複合体)
  風景やみんなといっしょに
  せはしくせはしく明滅しながら
  いかにもたしかにともりつづける
  因果交流電燈の
  ひとつの青い照明です
  (ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

  これらは二十二箇月の
  過去とかんずる方角から
  紙と鑛質インクをつらね
  (すべてわたくしと明滅し
   みんなが同時に感ずるもの)
  ここまでたもちつゞけられた
  かげとひかりのひとくさりづつ
  そのとほりの心象スケッチです


 宮沢の作品というのはまさにイメージ的にこの20行あまりに集約されるかも知れない。が、あたしにはこの域にはどうしても入り込めないのである。

 細野晴臣による音楽は確かに素晴らしいのだが、あらためて映画を観直すと音楽と映像が完全に乖離しているとも取れなくはない。映画において音楽は決して劇伴である必要はないと思うのだけども、実は双方共に微妙に歩み寄れていない作品であるという印象もぬぐい去れない。細野の音楽は映画に先行して作られているような感じがあるのだが、あまりにも独立してて、映像を受け入れないところがどうしてもある。

銀河鉄道の夜(85)
銀河鉄道の夜(85)

細野晴臣


(クリックで拡大表示)

 『銀河鉄道の夜』にはタイタニックのエピソードがあるが、当時からすでに伝説の事故であったということに驚かされる。タイタニックの海難は1912年4月のことで、1896年8月生まれの宮沢が16歳の時に起ったものだが、それから12年後に執筆開始される物語に挿入されることになる。生前に公開されなかったとはいえ、実際の事故がモチーフのひとつとなったのは非常に珍しいことだと思う。(ウィキペディアによるとタイタニックの海難事故は事故から1ヶ月後には米国で映画化されているようだが。)

 宮沢賢治についてふと思う、不思議なこと。宮沢賢治は宮沢と姓だけで呼ばれることは少なくて、たいてい「宮沢賢治」とフルネームで呼ばれるような印象があるんですけど、これはどうしてでしょう。

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2006.07.10

ココログ障害に対する@niftyの対応は?

 久々にアンケートを作ってみました。こういうのって数字にしないと判んないんだよね。関係のある人は投票してみてください。詳細がわからない人は「【特設】ココログレスポンス問題お知らせブログ」を参照のこと。

ココログ障害に対する@niftyの対応は?



締切:2006年07月18日18時00分
Powered By クリックアンケート



18日23:30 追記

アンケートの結果です。

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ココログ障害に対する@niftyの対応は?
理解できる (49票) 21%
理解できないが、料金の返還は必要ない (20票) 9%
理解できないし、料金の返還も必要 (161票) 70%

コメント一覧
2006年07月10日22時07分05秒 削除
お名前:aho_nifty
コメント:
あまりにも杜撰な管理・対応のいい加減さ!
このトラブルは「nifty側の重大な過失」以外のなにものでもない。常識的な思考回路を持っていれば、返金に応じるものなのだが・・・
niftyはNTTドコモを少しは見習え!

2006年07月10日23時08分04秒 削除
お名前:ぽんた
コメント:
うわあ間違えて「理解できる」クリックしちまったw

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2006.07.09

さすがにこれは...

 今使っているココログのことだが、サーバー不調で週末からまともに使える状態ではない。今までも処理が遅いとかといったことは日常茶飯事だったが、今回はあまりにもひどい。

 @niftyは【特設】ココログレスポンス問題お知らせブログというブログを設置して、障害についてアナウンスしているが、この週末の状態は誰にとっても酷いらしく180余りのクレームがつけられている。このクレームに対して、アナウンスがあったのは数日後の本日で、しかも障害発生日時というのが「2006年7月9日(日)12:35より」ということらしい。大手企業というのはこのようなものなんでしょうかね。

 11日からまるまる2日間メンテナンスがあって、記事を投稿できないらしいですし、なんだかブログも面倒になりつつあります。

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2006.07.08

野谷久仁子『手縫いで作る革のカバン』(04)

 革製品好きが高じてこんなものも買ってしまう。革の小物が欲しいと思っても工房で頼むと少なからず費用がかかるからだ。材料費の何倍も作業費がかかってしまう。手縫い程度で済むものなら自分でも形には出来そうな気がする。

手縫いで作る革のカバン(04)
手縫いで作る革のカバン(04)

野谷 久仁子 (著)
大型本: 95ページ
出版社: 日本放送出版協会
(2004/09)

 これを見ていると切り抜く本とかのペーパークラフトの本を眺めているような気になってしまった。ペーパークラフトは型紙をそのまま切り取って組み立てることになるのだが、革製品の作製は革に型紙を写すという手間が加わるだけで、基本的には同じような感じがある。

 革商品にはそこそこ詳しくなっていたが、この本では基本的な革についての知識がまず解かれていて素人には非常に参考になる。3つの作品の制作方法の詳細を示すことで基本的な技術を取得し、そしてさらに18個の作品のチェックポイントにより、特殊なテクニックを身につけるという構成になっている。前半はすべてカラーで眺めるだけでも美しい。また革カバンの表面をあしらった装丁も面白い。本本体はソフトカバーになるのだけど、造本も写真集を思わせるようなスタイルをとってて、これもいい。

 この本を見ていると自分に革製品の作製は不可能ではないと思ってくるのだが、如何せん、費用が馬鹿にならない。基本的な工具だけで最低で1万円強、材料となる革素材を購入するとなると万単位でかかる。ネット通販を調べていると半裁(動物一頭の革を左右で分割したひとつ)で2万5千円から3万円はかかる。3、4万円で市販されているようなブリーフケースは半裁でおそらく1.5個は作れそうなので、素材だけでいうとそんなに高くはないのだけど、一気に使い切る量でもないし、管理が大変だ。スペースは必要になるし、収納する場所ではカビを生やしかねない。

 まぁ、革素材は近所の革工房で分けてもらうということで、MOLESKINE 18 Month Weekly Planner + Notebook 2006-2007のカバーでも作ってみたいと思っている今日この頃である。

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2006.07.07

開店休業

 今日のうちの係の状態。

 係長、人間ドックによる特別休暇。職員ひとり、朝から一日休暇。お昼から職員とアルバイトが各ひとりずつ休暇。歯医者に行くからと職員ひとり3時から時間休。

 まとまった連休はないけども8日も夏期休暇があるとこんな日が多くなってしまいます。

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2006.07.06

日本手拭い

 日本手ぬぐいを購入する。家ではそうでもないのだけど、職場では日本手ぬぐいばかりを使っている。洋タオルでもいいのだが、日本手ぬぐいはスペースも取らないし、机の抽出しに放り込んで置くのには何かと申し分ない。

 日本手ぬぐいというといろいろ図柄が入ったものが多いのだが、「染の安坊」という浅草に店舗を持つ日本手ぬぐい専門店のサイトを見ていると本染無地手拭いというのがあったので、さっそく3本ほど注文してみた。一本500円と通常のものの半額以下だった。

 色は紺色系、エンジ系、鼠色系というごく無難なものばかり。発送されたものを手にすると、日本手拭いというのは柄物であるという認識になってしまっているのか、どうも手拭いには見えなくて、ちょっと違和感があったりもする。

 このシーズン、汗ふきに使うのが大半なので、色落ちしてシャツを汚さないようにと使用前に洗うとやはりかなりの色ぬけがあった。そこそこ洗って、色落ちがなくなるのを確認して、干す。

 洋タオルと異なるさらさら感がとにかく何ともいえない。無地の日本手拭いは薄っぺらい出来損ないのマフラーの感じがあるかも知れない。次はシンプルな古典的な柄物を買ってみようと思う。

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2006.07.05

ミサイル7発

 拉致という問題はあるものの、今朝のミサイルについては他国に明らかな損害を与えるつもりがないというのは十分に見て取れると思うし、そんなに脅威に思う必要はないのではないかと思っている。

 それにしても戦争を引き起こして、街ん中に実弾をガンガン落して平気でいる連中が、海に落したミサイルをとやかくいうのはおかしくはないか。危険人物が他の危険人物を差して「危険だ危険だ」と騒いでいる光景は本当に馬鹿馬鹿しい。

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2006.07.04

AERA 1000号

AERA 1000号 定期購入している雑誌は書店から職場に配達して貰っているのだが、今週号のAERAは1000号になるらしく、ちょっと感慨深いものがあった。

 AERAは創刊号から読んでいて、1000号に至るまで、別冊を除いて買い損ねたのは10冊に満たないのではないかというくらいの愛読者である。ここ数年のAERAはニューズウィークリーというより、家庭や男女のあり方を読むような編集偏向(悪い意味での)がこの5、6年続いており、正直、面白いとは言えなくなりつつあり、どのタイミングでやめようかと思いつつもなかなか出来ず、購読を続けているという状態だ。それでもおそらく週刊誌としては人気を保っているはずだし、1000号と聞くとやはり見直さないわけにはいかない。

 創刊の頃、あたしは大学5回生。空きコマがままあり、同じく留年の決まった学友と週に何日かは決まった時間を大学の近所にできた喫茶店で過ごしていた。そこであたしの買ったAERAを読み回すというのがいつもだった。自然の素朴さを強調するそのお店は、材木を切り出したテーブルと丸太を使った椅子というインテリアでなかなか気に入っていた。あたしがいつも注文していたのは、コーヒーと蒸しポテト。素朴なメニューだが廉価で、しかも飽きがこず、気に入っていた。そんなに会話があるというわけではないのだけど、そいつといると云うのが何とはなく嬉しかった。

 第19巻33号通巻1000号。もう19年もあれから経つ。

 喫茶店は卒業後間もなく、店を閉じた。できた当初から客が少なく、結局、軌道にのらなかったようだ。友人は卒業後、生保会社に入社し、当然のようにお付き合いで保険に加入させられた。彼は支店長代理になったにもかかわらず、左遷され、退社した。「保険については俺がずーっと面倒みさせてもらう」と云っていたにもかかわらず、浪人時代にアルバイトでしていた中距離運転手を再び始めたという。他の学友はアイツとは縁を切ると冷たく言い放っていたが、あたしはそんな気にはなれなかったが、退職したという噂を聞いて以来、逢ってはいない。住んでいる本州から家族を連れて、家族旅行がてら営業に来ていたものだが、あの子らは今も元気にしているのだろうか。

 20年あまりというと長いものと感じるかも知れないが、実際にはあっという間のことだった。

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一週間の早い理由(BlogPet)

午後ネットで賢い程度をあくびすればよかった?
時間は、ネットで賢い程度をあくびすればよかった?
ネットで賢い期間と、大きい自分などを就寝したかった
健康を害さない程度に睡眠時間が長くなった
 最近、本当に一週間(特に平日の5日)と云う期間から2/
3日が除かれるとすると、今月に入った辺りから2/
3日が2時間半という時間になる
これは起きていると云うことに慣れるまでは、ネットで賢い程度をあくびすればよかった?
時間は、一週間(特に平日の時間を自ら奪っていると云う感じ)
時間は、本当に一週間が恐ろしく早い


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「フタキンSkywalker」が書きました。

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2006.07.03

煙草の値上げ

 知らぬ間に煙草が値上げされたらしい。20~30円くらいの値上げだというから、しばらく前まで吸っていたキャスターは300円になったんだろうと思う(JTのサイトで確認すると20円値上げの290円になっていた。なんと半端な金額だろうか!)。煙草を吸っていた頃は極力1週間1カートン(10箱)に収めるように頑張っていたので、一日の煙草代が430円ほどになるという計算だ。価格改定前が1箱270円で一日あたり385円。一日の負担が50円弱増えるとなるとこれは随分痛いはずである。

 3年か4年前に値上げされた時には手持ちの叩けるだけのお金を使って、8カートンほど買いだめした記憶がある。あの時は20円ほどの値上げだったから、まとめ買いで1600円くらい支出を押さえられたことになる。職場のロッカーに放り込んで吸っていたが、持ったのは2ヶ月あまりでしかなかった。

 それにしてもJTの社員ってどう思っているんだろうなぁ。健康を害する商品を販売していると世間に冷たくされながらも、製品開発を進めて売り上げをあげないといけない。煙草の他にも医療、食品の事業も行っているらしいが、そんなに簡単なことではないだろう。傍目にも何ともいえない企業であったりする。

 ちなみに現在の喫煙中断状況。7月1日からの価格(および税金)改訂は考慮されておらず、270円のままでの計算。

  開始日時 2004年 10月 5日 15時 0分
  経過時間 1年 8月 28日 4時間 29分経過
  吸わなかった煙草 890箱 17本
  浮いた煙草代 240529円
  (原価 103075円 たばこ税+消費税 137454円)
  延びた寿命 37日 2時間 51分

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2006.07.02

ヌメ革のエイジング

 以前に購入したALBERO(アルベロ)のメガネケースだが、ショップがしばらく品切をおこしていたものが再入荷したようで、ついつい2つ目を買ってしまった。

ALBERO(アルベロ)のメガネケース/クリックで拡大 写真の左は今回購入したもの。写真ではやや色が濃くなっているが、白ヌメ革でベージュ色。右のものは今年の2月の半に購入したもの。右のものはもともとは新品のものと同様、ベージュ色だったが、4ヶ月半使っているうちに色付き、すっかり飴色に近くなってしまった。この変色はヌメ革の中でも早い方なのではないかという気がする。

 新しいヌメ革は扱いがとにかく厄介である。表面加工がほとんどされていない状態で紙のようにざらつき、油ばんだ手で触ると、そのまま指紋がシミになって残ってしまうのだ。ヌメ革の加工をする職人も手袋を施す等しなければ、商品にできるような製品は一切作ることができないに違いない。手についた油でさえそうなのだから、水やら零してしまうとかなり落ち込む結果になってしまう。

 しかし、しばらく日に当てたり、丁寧に使っているうちに色が濃くなってくる。表面の色が濃いめのベージュになった頃には、滑らかではなかった表面がつやつやとなっている。革の内部から油が表面に出てきて、その油で表面がコーティングされるらしい。この頃にはもう指紋のシミがつくようなことはなくなり、さらに、革の手触りもしっとりという感じになり、革全体に柔らかみがでる。これが、ヌメ革を使い始めて知る革の顕著な変化の面白さである。とにかく使い始めて10日くらいのこの変化には驚嘆してしまう。

 今使っているものは、BREEのブリーフケースElch エルクのようにお湯拭きをしたりしていたが、これも革のによって善し悪しがあるようで、ALBEROのメガネケースの革素材にはどうも相応しくなかったような気もする。写真でははっきりわからないと思うが、かなりシミのまだらな状態になってしまっている。それで、完璧なエイジングを施してみようともう一つ同じものを買ってしまったのだが、これはもう、ビョーキの状態である。

 Elchなのだが、昨日、表のフタの目立つところに大きな鮮明なシミを発見する。書斎に遊びに来ていた息子がシャーベットの滴を零してしまったくさい。多少の汚れはすでについていて、気にしなくてもい~じゃんといえば、い~のかもしれないが、やはり目のつくもので一か八かでお湯拭きを試みた。そうして、乾いた後は期待通りすっかりシミがなくなってしまっていた。ただお湯拭きをしたあたりが広範囲に渡って薄いまだらになっているのがよく見れば見て取れるが、やがて全く判らなくなるのは明らかである。革の大敵は水であるが、このようなのを見ていると面倒ではあるけども、そんなに怖いとも思わない。BREEの愛用者がヌメ革が好きなのもよく判るような気がする。

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2006.07.01

MOLESKINE 18 Month Weekly Planner + Notebook 2006-2007

 最近、仕事ですっかりモールスキン使いになってしまったのだけど、日付スタンプを押しているとはいえ、スケジュール関係を一覧するのには非常に勝手が悪い。toDoリストという意味合いだけでなく、今の仕事は年次処理ばかりなので事前準備の時期を誤るととんでもないことになる。そのためにも、翌年度の参考にするためにスケジュール帳があったほうがいい。

18 Month Weekly Planner + Notebook 2006-2007
18 Month Weekly Planner + Notebook 2006-2007

July 2006 - December 2007

planner/クリックで拡大 ネットでたまたま見つけたのが、今使っているモールスキンが新しく発売した18ヶ月間ダイアリーというもの。事もあろうに今年の7月1日から来年の大晦日までという一年半期間のもので、数日前に注文すると具合よくダイアリー開始日の7月1日の今日、手にすることができた。

 ダイアリーでいろいろなことを管理している人がいるが、A5のサイズのものでも欄の少なさであたしの場合は全てはまかない切れないに違いない。ダイアリーではスケジュールのみと割り切る方がどう考えても吉である。モールスキンというと防水の堅表紙が特徴だが、今回の製品は200ページとやや厚いためかソフトカバーになっている。もちろんゴムバンドは健在である。

 それにしてもこのダイアリーは面白い。右の写真をクリックすると拡大写真が表示されるが、それをよく見ると月の満ちかけの具合が載っている。また、日によっては欄の右端に太陽のマークと記号がある場合がある。この記号は国の略号で、このマークがある日は祭日ということらしい。7月7日に日本の"J"の記号が入っていて、日本での祝日扱いになっているが、これは17日の海の日の誤植のようだ。祝日は44か国に対応しているらしく、こんな表も用意されていたりする。

 2007年版の12ヶ月ダイアリーは9月に発売されるそうだが、価格は同額という噂を聞く。12ヶ月の方が区切りがいいかもしれないが、1年半くらいの長さであっても差し支えないというか、冊数が少なくてまとまりが良さそうな気がする。ちなみに現在のモールスキンのラインナップはこれ。ストーリーボード・ノートブック、日本でいう絵コンテ帳もあったりするのだが、楽譜と比べると遥かに利用者が少なくて捌けないと思うのだが、どうなんだろう。学生時代にこんなものがあったらもちろん愛用してましたよ。間違いなく。

 通常のモールスキンと二重管理になるが、他のダイアリーよりは勝手がよさそうだし、一日数回は繰ることになりそうだ。

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