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2005年11月の46件の記事

2005.11.30

増村保造『大地の子守歌』(76)

クリックで拡大表示 夜、CATVで日本映画専門チャンネルをつけていると増村保造の『大地の子守歌』をやっていて、ついつい2時の映画の終りまで見てしまった。

 16歳の原田美枝子が演じるおりんは老婆と四国石鎚山の奥深くに住んでいた。この石鎚山の奥深くというのはまさに父親の里のことであり、舞台の昭和初期はどのような感じだったのかおおよその見当がつく。言ってしまえば、とにかく、山以外は何もなかったはずなのだ。面倒を見てもらっていた婆さんが死に、ひとりで生活しているおりんに伊予から来たと云う男がうまく言いくるめて、瀬戸内の島の女郎屋で女郎になることになる。

 おりんが病気で失明したあげく、島を逃げだし、四国八十八ヶ所のお遍路の旅に出るまでの話なのだが、決して退屈はしないものの、原田の突っ張り様と緩急のない話の進展で見終った時は「いったい何の話だったんだろう? ハァ?」という気持ちと疲れがどっとやってくる。一般的には評価的には悪くない作品のようだが、どうにもあたしには向いていないようだ。

クリックで拡大表示 この前後の作品というと長谷川和彦の『青春の殺人者』(76)等、原田は突っ張った感じばかりの作品しかなく、ちょっと鼻につくのだけど、美人といえばかなりの美人である。しかも知的系である。

 ここの写真は大分の湯布院で毎年行われている映画祭に、ゲストとして参加していた彼女をあたしが写したもの。映画祭にはサークルの合宿として毎年参加していた。作品上映後、その作品に関った俳優・スタッフを招いてシンポジウムを行うというのがあるのだが、『大地の子守歌』の上映について、原田が参加していた。湯布院映画祭第12回のもので1987年夏である。原田28歳の時であり、本当に美しかった。写真を撮るため、ゲストの座っている席まで数メートルのところまで近寄る必要があるのだけど、これは緊張した。でも、写さなければ何ともならないので、頑張って撮った数枚のうちの2枚である。夜は立食パーティがあって、交流できるのだけど、ちょっと話せるような雰囲気はなかった。サークル仲間はしっかり腕を組んで写真だけ撮っていたけども。

 この時、旦那さんの石橋凌がこっそり付いてきていました。前年はゲストで正式に参加していたんですが、参加者に挨拶するわけでもなく、ロビーで寛いでいる姿があったという程度でした。

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2005.11.29

餅つき

 このシーズンになると親族が集まって餅つきをしていたものだ。もう30年近くも以前の話なのだけど。

 父方は30数年前に山奥から出てきたという一族で、このあたりの農家よりも派手にこれらの行事をやっていたのではないかと思う。朝も早くから一家が集まる。7人兄弟だから、子供夫婦とその子が集まるだけでかなりの数になる。20人くらいで餅つき大会。山奥から出てきた割には200坪以上の屋敷を構えており、そこにある大きな倉庫で作業が行われていた。

 一斗缶で火をおこしてもち米を蒸す。これから餅つきと云うものが始まるのだが、餅につく前のおこわが何よりも好きだった。おばにお願いして、蒸したてのおこわをずいぶんと頬張っていた。それから昔から使っていたらしい桜の臼と杵で、餅をつく。数年後から自動餅つき器を使うようになったが、臼と杵でついたものと比べて粘りがなく、しかももち米の粒も残っていると云う代物で、それでついた餅はまったくおいしくなかった。2年くらい自動餅つき器はつかったろうか。その後は、親族が集まって餅をつくということはなくなってしまった。餅をつくのにはとにかく人手がいる。ひとりだけで臼にいくつも餅をつくということは不可能なのだ。子供の数が小人数になり、人手が少なくなると、やろうと思っても餅つきはできなくなる。母方の実家の本当に狭い家でも5人の兄弟が集まり、餅つきが何回か行われていた。

 つく量はかなりのものだったと思う。しかも種類が多い。当地は丸餅で、何も入っていないもの。大きさを変えて鏡餅も作る。餡の入った餡餅。餡にしても、甘い通常の餡と塩の入った塩餡がある。さらに、とうもろこしの砕いたものが入ったとうきび餅、よもぎ餅等々はすべて丸餅。そして砂糖とよもぎを大量に入れて、餅箱に厚さ3cmくらいに伸して入れる。これは餅が乾燥した後に、包丁で切り、かき餅にする。それはストーブの天井でよく焼いて食べたものだが、特に味しかった。こういったものを半畳くらいの大きさのある餅箱に最低でも各家庭4個ずつは持って帰っていたので、相当量をついていたと思う。朝の8時位から夕方まで餅づくりを皆で行っていた。

 その頃は正月には床の間や水回りには鏡餅を供えていたものだが、完全に風物からなくなってしまった。

 うちの子供は餅が好きである。今日も1kg250円という袋売りの餅を買って帰ると、さっそく焼いてくれといって、焼いた餅を頬張っていた。すでに食文化としてのみになってしまった餅。これからも食べることが出来ればいいのだけど。

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2005.11.28

プレゼント

 結婚祝にプレゼントを贈るように手筈を整えていたのだが、今日の午前中到着したらしく、本人がお礼を言いに来た。プレゼントの品そのものや、購入店の包装も良かったらしく、ひどく感激していた。購入店の roomelementのサイトではプレゼント用の包装サービス等についてまったく触れられておらず、結婚祝ということはコメントで述べていたものの、まったく期待していなかったので非常に有り難かった。

 それにしてもプレゼントというのは特殊である。贈ったのは砂時計なのだが、自分で買うということになると「絶対買わない」という者が多数を占めるのである。自分で買ったあたしはまるで馬鹿のよう。しかし、贈ってもらうと非常に喜ばれる。このあたりがプレゼントの要なんだろうな。自分では絶対に買わないけど、貰うと嬉しいということ。

 現実問題として自分の部屋においても似合わないから、大枚ははたけない。だから、絶対に自分では買わない。でも、少なからず惹かれるものではある。という心理がここにある。初めから買うつもりでいるものを贈るのは喜ばれても単に懐の負担が減ったというだけのことで、本当のありがたみは少ない。自分的には無理という諦めの境地を切り拓いてくれるプレゼントこそが有意義になってくる。

 となると、やっぱり一番効果的なプレゼントというは、手っ取り早く高価なものを、ということになるんだよなぁ。

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2005.11.27

pyloneer「P-hook」通販開始

 記事pyloneer「P-hook」 で紹介したP-hookですが、先月から通販が開始されていたようです。店舗販売を行っているCOPYRIGHTのwebサイトで取り扱われており、6箱セット2100円(税込)から購入できます(店舗販売は1箱より)。興味ある方はサイトを覗いてみてください。

 この P-hook は毎日使ってます。とはいえ、本来の使い方ではありません。手持ちブタさんな時に、この輪っかを指に填めて、パチンパチンと弾くのがとてもいいのです。紙製とはいうものの、ほとんどプラスチックと変らぬ弾力性を持っていて、弾き具合がなんともいえません。

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ハクキンカイロ(ハンディーウォーマー)(BlogPet)

前は、白金で欲しく家族とか、広い釣り吉の隣の同僚にそのうちのひとつを買取って貰ったよ
道具とナショナルカイロを使ったことがいい
職場で道具とナショナルカイロに飛びついて、こちらを使ったハクキンカイロはよく出来た、O-Maruはいるものの、繰返し使える道具のようなものとして扱えるのが嬉しい
とか思ってるの。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「フタキンSkywalker」が書きました。

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トリトンカフェ・パブリッシング『peep paper VOL.2』(02)

 部署は違うものの半月ばかり毎日ふたりきりで残業をして、作業をしたことのある女の子が先日結婚したというので(水臭いことに事後報告だった)、以前に買った 5minutes sandglass を贈ることにした。プレゼントとして貰っても決して悪い気分がしないものだと思っている。週明けに届く予定らしく、彼女の反応を楽しみにしている。

 この砂時計を作った神戸にあるトリトンカフェというショップは本も出版している。peep paperという本で3巻既刊なのだが、どうやら出版元が倒産したらしく、それ以降は出ていない。そのなかのVOL.2が「時計」というテーマで特集を組み、その中で 5minutes sandglass に関しての記事もあるということで、取り寄せてみた。


peep paper〈VOL.2〉time

トリトンカフェ・パブリッシング (著)
単行本: 143 p ; サイズ(cm): 21 x 15
出版社: ギャップ出版 ; ISBN: 4901594540
VOL.2 巻 (2002/06)

5minutes sandglass この砂時計については8ページ、見開きで4枚が割かれていた。あの砂時計はこの本のテーマを「時間」にするということから作ることになったらしい。完全なオリジナルもので、日本では東京葛飾にすでに2社しかない(しかも兄弟がそれぞれを経営)砂時計製造工房のひとつに頼んで作ってもらっている。砂時計の製造はガラス管を加工して作るもので、完全な手作り。砂の量は実測で確認し、1分につき±1秒内で調整をしている。また「砂の直径1に対して、穴は6必要」なのだそうだ。

 この砂時計の画像をとなりの同僚に見せると「インテリアとしてはいいけども、使うとは思えない砂時計に6000円は出せない」と言っていた。なにをなにを。砂がさらさらと落ちていき、積るのを眺めているだけで心が落ち着くというものなんだけどね。これは経験した者しか判らないと思うけど。特にこの砂時計のような筒の長いものは砂の落ちる様がさらに優雅になる。

 本自体は非常にグラフィックで美しい。STUDIO VOICEやSwitch、Hot Wiredといった雑誌をこれまで買ったことがあるが、いずれも購入の契機はグラフィック的に優れていたからに他ならない。そして内容も充実していたので購入を続けていた。が、残念なことにpeep paperはコンテンツが今ひとつ、その割には価格が異様に高いという問題がある。中途半端なコンテンツはどうも頂けない。本文にまったくこだわらず、眺めているだけで本当に心地よい、写真集のようなデザインコンテンツのものでも良かったのではないかと思ったりもする。年一回の発行で、本当は雑誌を作りたかったんだろうなと思う。それでもなんなのはなんなんだよなぁ。何だかんだと云ってもデザインはコンテンツに勝つことは出来ない。

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2005.11.26

建築業界

 最近、某設計事務所の違法設計のことで問題になっているが、よくある話なのではないかと思う。一戸建ての欠陥住宅はよく番組で取り上げられているし、それならビルディングにそういうのがあってもまったくおかしくない。しかも費用が大きいので施主が何らかの形で経費削減を求めるのは当たり前だろう。

 映画の『タワーリング・インフェルノ』は地上135階の超高層ビルの電気配線の質を設計より落して施工するということで、落成式の当日に火災を起こし、バベルの塔にしてしまうという話だが、根源は同じである。


タワーリング・インフェルノ


 大きなお金が動くところでは見えないものが実に多い。規模が大きくなればなるほど、その傾向は顕著になる。そして実害も大きくなる。

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2005.11.25

試験

 実は来週末、昇任試験があるにもかかわらず、全く勉強していない。もう10数年も試験勉強をしていないと今更できなくなる。どうも実践的な勉強でないとやる気がでないのだ。

 これまでの実務というと勉強ばかりだった。どちらかというと電算というルーチンワークが少ない仕事を長らく担当しており、毎年の法改正では改正文(条文)を読み解いて電算仕様の変更をしていた。解釈が間違うと新聞ネタになりかねないし、また、システムが動かないと業務が止まってしまう。はたまた部署が変ると税務署との格闘もあり、これも死闘に近いものがあった。

 そんな訳で今となっては何に使うか判らないものを丸暗記するような勉強は出来なくなってしまった。職人に大切なのは目の前にある問題をいかにやりこなすかということだったりする。

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2005.11.24

睡眠

 風邪気味なのか何なのかよく判らないけど、時間があると寝てばかりいる。休日だった昨日も半日寝て過ごした。夜も夜更かししないで、12時すぎには寝ている。こうもこんこんと寝ていられるのは、睡眠が必要だからだろう。今日も早く寝よう。

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2005.11.23

最近の気持ち悪いもの

 生理的に受け付けられないのが杉村太蔵。なんでこんなのが国会議員になるかなぁ。若い若くないというのは、あまり気にしないつもりだが、気持ち悪いというのはどうしようもない。この気持ち悪いと云う感覚がどこから来ているのかよく判らないけど。彼を広告塔にしようとしている自民党はもっと気持ち悪く感じる。だったら国外脱出しかないか、とかとも思うけど、日本ほど治安のいい国もないんだよね。

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ブログのコメントで

 イヤなやつのひとつとして、ブログのコメント機能を生かしておいて、他の人からコメントを貰ってもまったくコメントしないヤツ。貰ったコメントをまったく相手するつもりがないのなら、初めからコメント欄を殺しておけよ。記事を読んでいる連中だけで勝手にやれと思っているのか。どうなんだろう。まぁ、そういうブログは巡回から外すわなぁ。

 昔、馴染みのあった人を見かけたのだけど、そういうことで失望。まぁ、そういう人なのだから仕方ない。

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2005.11.22

ハクキンカイロ(ハンディーウォーマー)

Zippo ハンディウォーマー 寒くなるとやはり暖が欲しくなる。使い捨てカイロというものがあるが、途中で中断出来ないし、ゴミが出るというのであまり快く感じられなかったが、代わりになるようなものがなく、やむを得ずしばらく前まで使っていた。

 おととし頃から流行っているらしいZippoのハンディーウォーマーというのを昨年の秋に知り、それ以降使っている。Zippoの銘が入っているが、昔からあるハクキンカイロである。Zippoのヘビーデューティーさとハクキンカイロのシンプルなつくりが引き合わせたのだろう。Zippoのオイルも割高にはなるけども、カイロのベンジン代わりに使える。Zippoとしては、またとない販促商品となる。

 中学の頃、白金触媒を使ったハクキンでないカイロを使ったことがある。当時、ハクキンカイロの存在を知っていたが(ともによく見ていたけども、すでにハクキンカイロは煉炭並のレトロな存在だった!)、どちらかと言えばモダンなつくりのナショナルカイロに飛びついて、こちらを使っていた。当然、ベンジンを使うことになるのだが、中学生というワルガキ時代、ベンジンを使って火遊びし、もう少しで火事をいかしてしまいそうになることもあった。やがて温まらなくなり(火口がダメになってしまった)、そのままどこかに追いやったまま行方知れずになってしまった。

 25年ぶりに手にするカイロだが、やはりいい。毎年火口の交換はいるものの、繰返し使える道具のようなものとして扱えるのがいい。職場で見せると年下の連中は全員、初めてみるということだった。昨年、家族全員分を購入したのだが、家族には不評で2つが箱も開けない新品のままで年を越してしまった。夜釣りの好きな釣り吉の隣の同僚にそのうちのひとつを買取って貰ったのだが、想像以上に温かいし、コストパフォーマンスも良いということで気に入ったようだった。

 ハクキンカイロはよく出来た、おそらく愛されるべき製品なので、Zippoの名を借りつつも復活しつつあるのが嬉しい。

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2005.11.21

記事の質

 今日の朝の9時頃、記事のひとつの「W.ユージン・スミス, アイリーン・M. スミス『写真集 水俣 MINAMATA』(82)」へのアクセスが集中していた。WEB検索によるアクセスで40あまり。いずれのキーワードも「ユージン・スミス」「水俣」「智子」「母親」といったものだった。驚くことにリモートホストはすべて同一。某市の学校ネットワークからのアクセスだった。智子の写真が非公開になったことについて授業をうけ、それについてインターネットで調べていたのだろうか。

 この記事については検索の上位に位置されており、非常に責任のあるものになってしまっている。決して、無責任に書いた記事ではないものの、検索して辿り着いたひとにとって価値のある情報になっているかどうかは自信がない。子供が学習で調べていたのならなおさらである。他の記事にも、下らない内容の割にはヒット率が高いものがあり、非常に頭が痛い。ブログ=日記=適当、というような図式はあってもかまわないけども、知らぬ間に資源になっていたりする。このあたりのことは自覚しておいた方がよさそうである。

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ミスタードーナツ

 ミスタードーナツは嫌いではない。カミさんがダスキンからミスタードーナツの年内有効のVIP CARDを貰ったということで、カミさんよりお店に行くことの多いあたしが持っていた方がいいということで、預かることになった。カードの特典は一回につき10個まで105円(税込)で購入できるというもの。回数は問わないらしい。だから、職場の同僚にも申し出があればいつでも貸与する旨知らせておいた。

 さっそく仕事の帰りにミスタードーナツに寄って、家族にひとりふたつづつのドーナツを買う。

 ドーナツは旨いのだが如何せん高過ぎる。一個100円でも十分に高価で、ドーナツを買ったのが半年以上ぶりになるのは所帯持ちにとっては当然のことである。しかも毎度のようにキャンペーンをここは行っている。キャンペーンで買わせるというのが商法なのかもしれない。しかもそんなに安いとは思えないものが多く、ドーナツの単価のかさ上げがこれによるものなのかと思うとかなり複雑な気分になる。おそらく100円でも十分に元がとれているのだろう。

 色んな不祥事があった所為なのか、価格が高過ぎるためなのか、市内の店舗もいくらか閉店となった。おまけなんぞどうでもいいから、今の半額くらいで気軽に食したいものである。

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2005.11.20

ホットケーキミックス

 ここ数日、カミさんの鬱がひどくなってて寝込んでしまい、子供にも飯を作ってあげられない状態になっている。仕方ないから、あたしが何かを作ってやろうと思うのだけど、冷蔵庫は卵がひとケースあるくらいで、空っぽの状態。棚をみるとホットケーキミックスがあったので、ホットケーキを焼くことにした。

 カミさん曰く、「ホットケーキなんて焼いたことあるん?」 確かに結婚して以来、インスタントの袋ラーメンくらいしか作ったことないのだけど、高校時代なんて週末の半ドン帰りには、お昼から悪友の野郎とふたりで台所に立って何かを作ってましたよ。何が切っ掛けか判んないけども、グラタンだのなんだのってね。その悪友の家というのがガッコから15kmくらいあって、帰り着くまでに腹が減るというので、比較的近いあたしの実家でそういうことを始めたのかもしれない。まぁ、食材も詰め襟の学生服のままで近所のスーパーに買いに行ってましたわ。

 ホットケーキは小学生用のレシピでしょ。ホットケーキミックスを使うのがなんか違和感があって、小麦粉&(ベーキングパウダー or 重層)というのが基本でしょう。小麦粉はふるいにかけてから使う。ベーキングパウダーがない時は重層を使うのだけども、これを入れ過ぎるとからくなって食べられなくなる。小学4、5年生のうちに経験すべきことでしょう。

 とにかく息子がうまいうまいと食ってくれたので嬉しかった。

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フィルムマラソン3(1989.10.7)(BlogPet)

そういえば、O-Maruが
招待券当選メールの時代は当日券に交換する必要があるのだが、その列がかなりなもので数100人は並んでいた。
っていってたの。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「フタキンSkywalker」が書きました。

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フィルムマラソン4(1990.9.8)

 1990年の夏に車を廃車にする事故をした。120km/hで路肩に突っ込んだという事故で、シートベルトをしていなかったため、顔面強打し、顔面の陥没骨折した。おかげで人相が変ってしまったが、骨折に関する治療は出来ず、30針くらいの傷が治るまで用心で半月ばかり入院した。入院途中、夜間、病院を抜け出して、映画館の常連の集まりに参加して戻ると、看護婦が勢揃いで待っていてひどく怒られた。翌日、早々に強制退院させられた。

クリックで本文が開きます このフィルムマラソンはおそらく事故った後に行ったものだと思う。実をいうといつ事故っていつ退院したかまったく覚えていない。が、紹介記事を書いているし、編集もしているように思うから、その前のことになるんだろうと思う。

 この回はスニークプレビューをやっており、覆面していたのは『ニッポン無責任時代』。パンフレットもPDFではちゃんと中程に記事を入れてあるが、実際には上映後に一枚ものを追加で手渡している。

 2年前の夏に開館した映画館が、この年の文化の日11月3日限りで閉館することが決まり、周知されていたことが新世話役の挨拶から読み取れる。たった2年と3ヶ月だけ存在した映画館。人間の情熱と努力は必ずしも報われるとは限らない。現実は厳しい。

 フィルムマラソン4上映作品

  幕末太陽傳
  サクリファイス
  ニッポン無責任時代
  機械じかけのピアノのための未完成の戯曲
  ロザリー・ゴーズ・ショッピング

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2005.11.19

冷え込む

 ずいぶんと寒くなってしまった。今日のような休みの日は、日中からとにかく布団から出たくなくなってしまう。かといって電気ストーブをつけると暑い。

 職場でも作業着の上着を羽織ることが多くなったが、余所の部署に行くと暑かったりして、汗をかいたりする。同じフロアでも向かいの部署は暑いということがある。行く先ごとで上着を着るか脱ぐかしないといけない。しばらくは調整の必要な面倒な時期が続く。

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2005.11.18

25,000番目のお客様は...

 15,000番目、20,000番目に訪問された方にプレゼントをしようと思っていたのですが、いずれもダメだったようです。3度目の正直で、今度は25,000のキリ番です。

 プレゼントを希望される方はこの記事の "1万5千" を "2万5千" に読み替えて、気に留めておいてください。心よりお待ちしております。

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 今だに夢を見る。たばこを吸ってしまって、ドキッとする夢。

 開始日時 2004年 10月 5日 15時 0分
 経過時間 1年 1月 13日 3時間 54分経過
 吸わなかった煙草 572箱 19本
 浮いた煙草代 154696円
 (原価 66292円 たばこ税+消費税 88404円)
 延びた寿命 23日 20時間 57分

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2005.11.17

沢田研二『2005 コンサート greenboy』

 帰り間際、隣の20歳の同僚が「行きますか?」とくれたメールの印刷。今日、ジュリーのコンサートがあるらしいのだが、招待券応募の当選メールの印刷したものを受付で見せるとフリーで入れるらしい。当たったら親にでもやろうというような冷やかしで応募すると当選してしまい、20そこそこではジュリーを知っている訳はなく、どうも行くという適当な人もいなかったらしく回ってきたのだ。

 樹木希林の腰を振りながらの「ジュリ~~ィ!」のドラマネタは当たり前だし、熱中したという訳ではないけど、学生時代、一時期よく聴いていた頃があった。その日の話で唐突だったが、職場のすぐそばの会場でもあるし、有り難く印刷を頂いた。

 市内では中程の大きさになるホールでキャパは2000人。このホールが9割入りになっていた。来場者の8割半は女性だった。しかし、招待券当選メールの印刷は当日券に交換する必要があるのだが、その列がかなりなもので数100人は並んでいた。席は2階席だったのだが、雰囲気的に2階席は招待客のような雰囲気だった。その数650席程。

 サクラというか席埋めは泉谷しげるのコンサートでも経験があった。20年程前、ドラマの主題歌に使われてロックバージョンの「春夏秋冬」が流行ったことがあったが、その時のコンサートがそうだった。しょっちゅう顔を出していた映画館に行くとスタッフに、良かったらいってやってくれ、とチケットを手渡されたのだ。ガラ空きの会場は感じが悪いし、どうせならタダでもいいから人を多くしたいという主催者の判断なのだろう。泉谷のコンサートはそれでも4割入れで、泉谷は「テメーラ、このヤロー。馬鹿にすんじゃねーぞ。もっとダチを呼んで来いよ」と観客に唾をはいていた。

 今回のコンサートでジュリーは「昔、来た時はガラガラでもう来ることはないと思っていたんですが、今日はこんなに来て頂いてびっくりしてます」なんてことを言ってて、とても悲しくなった。今も昔も本当は変わりはしないのだ。変わったのは通信手段で、短期間で手間をかけず人の操作を行うことができるようになっただけなのだ。

 かつて麗人と言われていたジュリーは、2階席からはダルマに足をつけたような丸っこいのが走り回っているようにしか見えなかった。彼をTVで見かけなくなって20年経つがこの変わりようはやはり淋しいものがある。年齢も57歳で、うちの部長クラスの年代、部長が舞台で走っているのを想像するとどうしようもなく痛々しい。とはいえ、あの艶のある声はまったく衰えていなかった。

 たぶんかなりの歌唱力で歌っていると思うのだが、低音利かせ切った爆音で、まともに聞き取れない。コンサートに行くといつも思うのだが、なぜ、音量ばかりで聴かせるつくりにしないのか。音量は確かにノリには必要かもしれないが、すべてぶち壊している。音楽を聴くつもりなら、会場に行くよりもライブCDを入手した方がよい。コンサートは珍獣を見に行くようなものかと思ってしまう。

 観客のひとりに和服姿の女性がいた。1階席のノリノリの場所にいて、ずーっと立って一緒に手拍子したり、踊っていたりする。あんな格好で汗かくと後が面倒だと思うのだが、とにかく目立つというのが大切だったのだろうか。感心しながら、2階から小さな姿を見ていた。

 体力の関係もあってか1時間半でひとまず終了。特にこれといったトークもなく、ずーっと歌い続けて、いきなり「サヨウナラ」ときたから唖然としてしまった。一応、アンコールで15分ほど。ラスト曲はお馴染の「TOKIO」だった。誰でも知っている曲があるとそれなりに乗って終われる訳だが、あまりにもいかにもという感じもあって、半分シラケないでもない。トリにあまりにも有名な曲を持ってくるのはやはりよくないのかもしれない。

 あたしの好きな「晴れのち BLUE BOY」は歌われなかった。ちょっと悔しかった。

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爆睡

 昨日はちょっと仮眠するつもりで9時すぎに横になったら、朝まで寝てしまった。実は月曜日も体調不良で1日日中はずーっと寝ていた。こんなによく寝れるもんだと感心する。

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2005.11.16

5人の巨匠 Five Great Masters of Motion Picture(1990.5 - 9)

 映画好きの常連連中の中にはセミプロがいたりする。新宿の西早稲田にACTミニシアターという50席ほどの名画座がある(あった?)のだが、ここでスタッフをしていたと云う人がUターンしてきていた。どうやら家業を手伝わないといけないらしく、やむを得ず戻ってきたのだが、戻るからには地元に必ず映画館を作るのだという。まずは実績を作らないといけないということで、有志で上映団体を結成することになる。映画館の常連の一部が、こちらにも携わることになった。主催は当時30過ぎのニィちゃんだった。

 会場は当地にあるラフォーレ原宿の支店のミュージアム。ラフォーレの運営室が文化活動を進めるためにミュージアムを無料で貸し出すということをしていたが、それもなかなかうまく行かず、この頃にはすでに有料化していたように思う。ここの某スタッフには学生時代から何かにつけてかわいがられていて、映画関係のイベントがあった時にはお声がかかったり、さらには打ち上げにもただでしら~と呼んでくれていたりした。会場としては知名度的にも申し分なく、他に適当なところは見当たらなかった。

 映画館を作るという希望とともに、まず企画されたのが「5人の巨匠」という5回シリーズもの。ここの上映団体では5本毎にシリーズ化し、それに伴いパンフレットも作ることになった。パンフレットの製作担当はあたしで、チラシは当時20歳過ぎの女の子。見れば一目了然で感性が全く異なる。お互いの領分に口出しをすると収拾がつかなくなるので、ともに批評は避けていた。表向きは随分とアンバランスであったが、内部もまたアンバランスなところが少なからずあった。

 パンフレットの表紙の写真はオルフェの監督であるジャン・コクトーのポートレート。表紙にできるような写真がないものかと、書店で写真集を漁っているとポートレートばかり集めた写真集にコクトーのものがあった。さっそくその写真集を購入し、印刷に回すべく、ページにそのままはさみをいれた。ちなみにこのパンフレットの印刷は印刷業をやっているハハを通して、印刷屋に依頼したのだが、印刷屋の卸値でやってもらう代りに、あたしがトンボを切ったりしてそのまま印刷屋に持ち込める状態の版下をすべて作った。いつも締め切り前はひとりで徹夜だった。サイズはA5である。

 5人の巨匠 上映作品

  オルフェ
  忘れられた人々
  カビリアの夜
  処女の泉
  どん底

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2005.11.15

ジャパニーズ・シネマ・パラダイス(1990.4.28)

 映画館常連客による次の企画は、日本映画特集。3年目の留年のつもりが、担当助教授により強引に単位取得させられ、就職先のないまま大学を追い出されて間もない頃のことである。

 このパンフはB4サイズの薄青色紙を二つ折りにした一枚もの。しかし作ったのはあたしではなく、別の人。持っているチケットも着券しておらず、そのままである。企画にまともに参加した記憶がないし、上映を見に行った覚えもない。一体何があったのだろう。企画の内容からして先導指揮をとったのは映画館スタッフの某氏だと思われる。番外的な任意参加の企画だったのかもしれない。

 すでに15年も前のことなのだが、これ程すっぽりと記憶から抜けているのも珍しい。

 ジャパニーズ・シネマ・パラダイス上映作品

  椿三十郎
  丹下左膳余話 百万両の壷
  赤西蠣太

 ちなみにこの回のタイトルの元ネタになっている『ニュー・シネマ・パラダイス』は、あたしのもっとも嫌いな映画の一本である。

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2005.11.14

適材適所

 適材適所というものがあるが、これについて、ふと思った。適材適所というのは本人が判断するものではなく、あくまでも第三者が判断するものなのでは。なんらかの嗜好性があったとしても、別のもので他人に長けているなら、そちらが優先されるのはやむを得ない。組織における適材適所というのは絶対的でなく、相対的な素質の価値判断がなされる。

 いやぁ、新年度に向けての異動希望調査があったりするんだけど、異動が段々嫌な不得手な方向に進められているような気がしてならないのだ。まぁ、100余りの部署を羅列されて、ここに行きたいと言えるほどの判断能力とふてぶてしさを持ち備えていないから、お任せモードにしているあたしが悪いといえば悪いのだけど。

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2005.11.13

寒くなった

 ずいぶんと寒くなり、横になってTVを見るのもそのままだと辛くなってきた。しかし、上に掛けるような適当なものがない。仕方ないから、暴れる息子を強引に抱き寄せて、暖をとる。息子は猫代わり。

 寒くなったからということでもないが、ココイチのカレーをとる。前回は6辛で留めておいたのだけど、今度は最辛の10辛で注文する。結果は想像通り、「それほどでも」だった。しかし、辛いと食が進む。5分もかからないくらいの、普通の倍くらいの早さで食べ終えてしまった。

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朝刊(BlogPet)

昨日、O-Maruが
フィルムマラソンを参加する時は、少なくとも1本は女性を呼べるものを入れておくというのが鉄則になっていた。
って言ってたけど…

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「フタキンSkywalker」が書きました。

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フィルムマラソン3(1989.10.7)

 前回から3月おいての開催。四半期に一回の開催予定の心づもりでいたのか、その場の雰囲気でそうなったのか覚えていない。ペース的には非常に早い。

 あたしの役割は集まった人たちをいかに楽しませるかということにあって、自分がどうしたいというのは特になかった。あるとすると、趣味で集まったん十人の人間を制御しないといけない。中には自分の好きな映画を貶[けな]されたと、瞬時に立腹し、そのまま帰ってしまうものもいるのだ。土台無理な話である。自然と出来るグループには何処にも属さず、さらにどこを閉めておくか判断する。それがメインの仕事だったような気がする。

 この回はいわゆるマル美映画特集。フィルムマラソンを企画する時は、少なくとも1本は女性を呼べるものを入れておくというのが鉄則になっていた。当時の文化的流行は女性が作っていたからだ。これはおそらく今でも同じ。あの頃から男が不甲斐なくなってしまっていた。今はヨン様がブームだが、あの時はルパ様(ルパート・エヴレット)だった。調べてみると今でも映画出演しているようだが、ルパ様という呼び名はまったく耳にしなくなってしまった。

 パンフレットの裏表紙のカット。たぶん、前回のトリュフォーとモローのものに気を良くして、何かいいものをということで書いてもらったのだと思うのだけど、今回は今ひとつ。こういうワンポイントははまらないとダサダサなので難しく、余程いいと思わない限りはやらない方が無難である。

 いったん、この企画の終了をもってあたしは会の世話役を下りるのだが、替わりの男というのがひどかった。発言がない人がいるが、アルコールが入ればそんなことはなくなると、アルコールを持ち込みはじめたのだ。おかげで毎回宴会のようになってしまった。アルコールがあれば気が大きくなって、もろもろの発言が可能になるというのは実に短絡的で、馬鹿げた発想だ。しかも、自家用車で来ている人には飲酒運転を助長しかねない。止めるように要請したが、一向に止めないので彼には立入禁止を命じた。世話役を下りたと云えど替わったばかりで、それなりの信頼はあり、その処置に対して周りからは反対意見はなかった。

 このイベントから2週間ほど後の10月23日によくない事件が起った。社長夫妻が事故死したのだ。海沿いの国道を自家用車で走行中、ガードレールの切れ目から車ごと海に転落し、そして溺死した。映画館は88年7月末に開館したのだが、経営がほとんど軌道にのらず、経営不振が続いていた。開館から1年過ぎたころにはすでに「いつ閉館するのか」という雰囲気があり、そして、この事故だった。実情を知っている人間には、残念ながら保険金目当ての自殺としか思えなかった。社長は苦労をしたのか、重い病気の経歴があるのか、50半ばという実年齢より10歳は老けて見える人で、ロビーに置いてある自販機でコーンスープを買っては、いつも最後に残ったコーンを缶を振りながら仰ぎ飲んでいた。経営は社長の知り合いという人に引き継がれ、映画館自体もこれまでどおり存続することになる。

 フィルムマラソン3上映作品

  双頭の鷲
  デッド・ゾーン
  バーディ
  ライトハンド・マン

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野長瀬正夫『詩集 小さなぼくの家』(76)

 物語詩集とでも言うべき詩集。ぼくは小学6年生。家族は定年間際のお父さんとしっかり者のお母さん。10歳以上年の離れたふたりのお姉さんはすでに嫁いで家にはいない。上のお姉さんには子供がもうすぐ産まれる。34の詩からそんな家庭の穏やかな様子が描かれる。


詩集 小さなぼくの家

野長瀬 正夫 (著)

141 p ; サイズ(cm): 18
出版社: 講談社 ; ISBN: 4061470051

 何年かに一度、思い出して読む本。贅沢な生活をしてはいないけども、家族の温かい結び付きが生きる糧になっているような家庭の話。清貧の極めとでもいう感じかもしれない。お互いがお互いを思いやる気持ちが快く、たまに涙が零れそうにもなる。

 今の時代の人が読むとどのように感じるのかなぁ。あたしらの年代だと何もない頃を過ごして、理解できる世界だと思うのだけど、もので充ち満ちた時代を生きてきた者にはどのように写るのか。やはり懐かしく感じるものだろうか。

 そして、素直であること。自分たちは心の中に純粋さを持っていることを自覚しないでもないが、それを表す術を失っていることが多い。そのことをこの作品によって振りかえさせられる。

 アマゾンではマーケットプレイスにて入手可能だが、版元ではおそらく絶版。いい作品に限って絶版が多い。今の出版界はどうかしている。

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2005.11.12

フィルムマラソン2(1989.7.8)

 このようなイベントは幾度となくやっていると何をやったのか完全に忘れてしまう。作ったパンフを10数年ぶりに読み返していて、この回は上映順を変えることで2館で同時にやっているのに驚いた。そんなに人は入ってなかったと思うんだが。映研でやった中には、客の入りが良過ぎ、スタッフ(部員)は全員立ち見というのがあった。あれなんて奇跡に近い。「○○人入らなかったら、次はないからね」 何時もそうやって脅されていたっけ。

 映画館の常連客による初の企画だった。常連客が集まって、週一回談話とかするというのが基本だが、これだけでは段々つまらなくなる。こういったイベントの企画開催がとてつもない求心力となる。とは言え、日程の決定から作品の選定等の延々の打ち合わせ、会議が続くから、それが嫌で抜けていた人も少なからずいたのは確かだが。何れにせよ、この集まりに参加したのは60人は下らないと思う。いちばん多い時は30人を軽く超え、座る場所の確保が大変だった。

 パンフレットの裏表紙は潰れていて断定はしかねるのだが『突然炎のごとく』の監督のトリュフォーと主演のジャンヌ・モローのスナップショットだったと思う。表紙の絵を書いた女の子が配したのか、あたしが配したのか覚えていないけども、とてもチャーミングでワンポイントとして非常に好きなカットだ。

 フィルムマラソン2上映作品

  エリザとエリック
  突然炎のごとく-ジュールとジム
  さよなら子供たち
  気狂いピエロ
  人生は長く静かな河

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2005.11.11

ドル高トレンド

 為替相場のトレンドが数年ぶりに変ったらしい。円高ドル安だったのが、円安ドル高傾向にシフトした。

 為替というか外貨預金をはじめたのは2年前の夏だった。ちょうど著しい円高の始まった頃で、1ドル118円の今と同じくらいのレートの時にドルを買ったのだが、見る見るうちに円高になり、110円くらいまでになってしまった。使う当てのない独身時代からのへそくり200万弱をつぎ込んでいたが、あっというまに含み損が10万くらいになってしまった。円高は進む一方だったが、資金を通貨間でやりとりしてその年末には含み損の解消に至ることができた。

 外貨をはじめたのは時計のためである。機械時計を買ったのはいいが、5年くらいに一度はオーバーホールに出さないといけない。その費用がだいたい5万円くらい。年に1万ということになるのだが、できれば意識しないで捻出できればいいのだが、ということで高利子の外貨預金をはじめたのだった。まだ含み益でしかないが、2年と2ヶ月で25万くらいになり、オーバーホール代としては十分以上のものになってしまった。

 ドル高トレンドというと円をドルにして持っていると価値が上がり、いずれドルを円にした時に利益が出るということなのだが、こういう場合、とにかく仕切り時が大切になってくる。為替で儲けようとする時は何れにせよ、仕切りの問題なのだが、これまでのように持っていて時を待つという状態でなくなったので随分と辛い。ひたすら耐えるというのに慣れてしまってて、さらに何も考えなくてよかったから楽だったのだ。

 外貨預金をするんであれば、とにかくソニーバンクでしょう。新生銀行とかの高利子が目につくと思いますが、絶対に手を出すべきじゃありません。

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2005.11.10

フィルムマラソン1(1989.4.15)

 映画ファンにとってお祭りのようなものが、フィルムマラソンだ。夜半から始まって4~5本の映画を上映し、朝か明け方に終るというもの。通常料金の少しの割増しで、倍以上の本数が見れ、たまにスニークプレビュー(覆面試写会)などもあったりする。フィルムマラソンを定期的にやっている映画館は特集を組んでやるものだから、特集によっては、あたしの場合は海を渡って広島の映画館サロンシネマまでよく見に行っていたものだった。

 映画ファンにとってフィルムマラソンに観客として参加するのは当然、楽しいのだが、それに増して、それを企画するのはそれを上回る喜びがある。作品を見て楽しんで呉れている観客を見るのはやはり嬉しいのだ。

 このフィルムマラソンはタルコフスキー・フィルムメモリアルを開催した映画館でのもの。常連客の集まりをつくり、映画館を盛り上げるため、「常連客の集まり」を作るための企画だった。初回の企画なので、映画館のスタッフ(映研OB)と映研のメンバーの一部だけで企画している。映研は映研主催で別の映画館で年一回、フィルムマラソンをやっていた。この館でのフィルムマラソン企画はしばらく続く。

 このパンフレットはB6サイズで、厚手の紙に両面コピーしてステープラーで綴じるという簡単なもの。写真なんか網かけもせずに何かからそのままコピーなので、完全に潰れている。それでも見てもらった人の手もとに何かを残してあげられるし、何もないよりかはいい。これも結局、最後まであたしが編集していたのだけども、こんな簡単なものでもなかなか原稿が集まらず(〆切破りの人が実に多い!)、いつも泣かされたもんです。表紙のイラストは、サークルの後輩の中学校教育課程美術専攻の女の子が最後まで担当してくれました。タルコフスキー・フィルムメモリアルのタルコフスキーのイラストを書いた人の後輩にもあたる子です。

 フィルムマラソン1上映作品

  サン・ロレンツォの夜
  アナザー・カントリー
  汚れた血
  セント・エルモス・ファイアー

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2005.11.09

朝刊

 先月の初めから朝刊のない生活をしている。今は症状が随分と緩和してきて、数日に一回寝込むという感じなのだが、先月くらいまでカミさんの欝の状態が悪く、全く起きられず、新聞も山のようになって手を付けられなくなっていた。代りに片づけようとすると怒られ、このまま新聞紙が増えるのは耐えられないと、カミさんは新聞をとめてしまった。

 新聞は家で飯を食う時の楽しみというか、新聞を読みながらでないと飯を食った気分にならない程だった。新聞をやめた頃から、カミさんの調子が良くなって、新聞の山も片づけられたものの新聞は留められたままだ。TVも通常番組はほとんど見ないから、テレビ欄が見れないという不自由さはほとんどないが、ニュースも必ずみるという訳でもなく、世間の状態にかなり疎くなりつつある。

 新聞がないという生活は、新聞を読み始めて以来、30数年になると思うが、初めてである。おそらく禁断症状がでるんじゃないかと思っていたりもしたが、それ程でもなかった。人間というのは狭い環境でも充分生きられるんだなと知る。そりゃ、数十年前までは小さな村から一歩も出ずに一生を送ったという人も少なくはなかった。国政だの知っておかないといけないことは確かにあるが、多くのどうでもいいようなことも習慣で不必要に取り込んでいたのかもしれないという気もなんとなくしている。

 今となっては、いちばん現実的なのはPCを捨てるということかな。これができれば申し分ない。

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2005.11.08

届いた買ったDVD

 注文していた『ER 緊急救命室』の7・8シーズンが品切になっていて、注文から1ヶ月目にして発送されてくる。DVD12枚分。

 先日、ヤマダ電機で『ゴッド・ファーザー DVDコレクション』5枚組が6000円引きで売っていたのを見かけ、やっぱり買いに行ってしまう。

 さすがに手もとのへそくりが怪しくなってきた(泣 TWENTY FOUR も積ん読状態だし、どうしよう...

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ムービー・フィルム

 ここにアップした画像は、映画のフィルムを35mmのカメラ用フィルムをスキャンする要領でスキャンしたもの。通常にスキャンしたひとコマ分を縦に向きを変えているだけである。

 今やカメラで一般的な35mmフィルムはそもそも映画用のフィルムを流用したもので、異なるのはフィルムをどの向きで使うかだ。カメラがフィルムを横に使うのに対して、ムービーは縦に使い、面積が1/2になる。左の方に茶色の帯が見られるが、これは音声情報を光学的に記録しているトラックで、本来のサウンドトラックである。

 これは上映中のフィルム事故によって寸断されたものから、特別にもらったもの。自分たちで大学の講堂なり、どこかの会場を借りて映画の上映をよく行っていたが、フィルムが変に絡まったりするとフィルムがリールに上手く収まらず、そのあたりに溢れまくることがあった。すぐに映写機を停止させないととんでもないことになる。扱っていたのは8mmや16mmフィルムだったが、それでも厄介だった。これが一般映画館でのフィルムになるとそれは恐ろしい事態が生じる。ムービー・フィルムというのは一秒間に24コマ映写される。恐ろしく早いスピードでフィルムが繰り出させて、上映が行われているのだ。この時は、途中でフィルムが焼けてしまって、それ以降のフィルムが宙に送り出されるというような状態になっていた。

 『ニュー・シネマ・パラダイス』の頃はフィルムが可燃のセルロイド製で、火気の扱いは厳重だった。84年にはフィルムセンター(東京国立近代美術館)で夏の猛暑によりセルロイド・フィルムが自然発火し、多くの貴重なフィルムが焼失するという事件もあった。そういったことの名残か、役所の教育委員会あたりで16mm映写機を借りようとすると必ず、講習を受け、その認定証のようなものを提示しないと貸し出ししてもらえない。実際には5分もあれば、見よう見まねで十分、映写機を使いこなせるようになるし、セルロイド製でなくなったフィルムを燃やすことは何年に一回もなかったりするのだが。

 とはいえ、映画館の映写機のランプの発熱は放熱用の煙突があったりするくらい凄いもので、フィルムが燃えることはそんなに珍しくない。そんな場合は映写機の異常を示すアラームに、幾ら早く現場に向かえるかということになる。最近のシネマコンプレックスは、構造的に各映写機間の往き来が楽にしているだろうけど、おそらくひとりかふたりの技師だけで回しているはずで、かなりのストレスにはなっているはずである。昔の単館がメインだった頃は、技師というのは随分とのんびりしていたものだった。

 そんな訳で、床一面に溢れ、一部絡みあって寸断し、修復不可能となった断片を数コマもらったというのが、これである。ちなみに字幕はフィルムに直接、文字を刻み込むというような感じでつけられている。どのような機械を用いて処理されたのか想像もつかない。何れにせよ、タイミング合わせとか気の遠くなりそうな調整もありそうだ。

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2005.11.07

喫煙中断中

 浮いた煙草代がどうやら15万円を超えたようです。

 開始日時 2004年 10月 5日 15時 0分
 経過時間 1年 1月 1日 10時間経過
 吸わなかった煙草 556箱 10本
 浮いた煙草代 150255円
 (原価 64389円 たばこ税+消費税 85866円)
 延びた寿命 23日 4時間 30分

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アルフォンソ・キュアロン『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(04)

 『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』のDVDが廉価(1500円)で出ているのを近所のサークルKで見かけたので、ヤマダ電機に買いに行ったのだが品切、結局、サークルKで買う。


ハリー・ポッターとアズカバンの囚人

監督: アルフォンソ・キュアロン
出演: ダニエル・ラドクリフ, ルパート・グリント


 このDVDの購入を希望したのは息子。スターウォーズとハリー・ポッター、マトリックスシリーズを特に気に入っていて、どちらかというと息子にせかされてDVDを買うことになる。ただし、通常リリースでは高価で、しばらく待つと廉価になるのが明らかなので、発売から1年間待たせることにしている。そうして今回、購入になったのが『アズカバンの囚人』だった。

 ハリー・ポッターはとうしても入り込めない。むしろ、入り込む隙がないといった感じか。物語としては空想的なのだが、それをそのまま絵にしてしまって、確かにその技術は凄いと認めはするが、かえって奥行きがなくなってしまっているのだ。見たまま、それが、ハリー・ポッターの映画で描かれる世界である。別のいい方をすれば、つまらないコミックを読んでいる気分になってしまうのだ。

 ハリー・ポッターというのは映画化(映像化)するのではなく、そのまま本として文字のみで扱われるべきものではないかと思ったりもする。

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2005.11.06

スキャナ購入/CanoScan LiDE 500FV

 いきなり昔の文書を持ち出してきたりしてどうしたんだ、と思っているひともいると思うけど、新しいスキャナを購入してちょっと嬉しかったりするのだ。

 今年の夏、知り合いから使わなくなったというスキャナ(Epson GT-7700U)を譲り受けて使い始めた。7年くらい前に買ったスキャナが棚の片隅にあったりするが、シリアル接続だったりして、完全に死蔵品。ブログとかをはじめるとやはりスキャナはデジカメと並んで必需品となって、すでに5年前の機種とはいえ、機能的にはまったく問題がなく、有り難かった。

 ただ問題だったのはACアダプタによる電源が必要なこと。すでに電源はかなりのたこ足状態で、何がどこに刺さっているのかまったく判らない状態。スキャナを使うため、電源を確保しようとコードを抜くと、PCが落ちてしまった、ということもあった。ということで、電源不要(USB電源供給)かつ薄型のものを買うことにした。

 結局、条件に合致したのはキヤノン製のもので、質は問わないからフィルムスキャンも出来ればいいな、ということで、CanoScan LiDE500FVになってしまった。


CanoScan LiDE 500F

キヤノン

 センサーがCISという方式でCCDと比べて立体物を捉えることができない。原稿が少しでも浮いているとピンぼけになってしまう。そういう欠点があるから、すでに持っているGT-7700Uを手放すことができないのだが、とにかくPCにUSBを繋げ、膝上におけば何時でも使えるという高機動性はあたしにとって掛け替えがなかったりする。

 昔の文書は今後もたまにUPすると思います。スキャナを購入したというのもそうだし、ココログの容量が馬鹿デカになったようで、これを中途半端に使うのは勿体ないですもんねぇ。とにかく20年近くも経つと紙が色褪せるだけでなく、朽ちても来ている。電子データでも保存をしておく必要があると思い、スキャン可能なもの(ステープラー製本しているものはとにかくスキャンが難しいので悩んでいる)は今のうちにスキャンしておくつもりでいる。

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W.ユージン・スミス『ユージン・スミス写真集―1934-1975』(99)(BlogPet)

きのう岩波書店の、価格もプリントしたかったみたい。


本日も残業で皆と一緒に出前をとる。
普段は残業前に食事をとるということはしないのだが、だばだばタバスコものは平気で心地よいのだろうなとも思う。
しかし、それでも辛子は間違いなく魔力を持っているのだが、あとが怖い。
下痢はするし、出す時にヒリヒリと穴が痛む。
消化器にも悪影響を及ぼしている。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「フタキンSkywalker」が書きました。

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タルコフスキー・フィルムメモリアル(1988.11.26-12.9)


 1988年11月26日から12月9日にかけて2週間に渡って行った上映会。母体の映画館は3スクリーンあり、そのうちの1つが貸し切りとなった。

 今ひとつ商売の上手くない小屋で、そこには映研の先輩が勤めており、常連客を盛り上げるためにも、なにか企画ものをやってみないかと持ち掛けられた。以前から、タルコフスキーをやってみたいねぇ、などという話をしていて、タルコフスキーの作品を可能な限りかけるという線で進めることになった。当時、大学の映研に所属しており、そこの連中に声をかけて集まったのが、7人くらい。大半の連中は学外での活動には興味なさそうだった。解散した自主上映団体の元スタッフや、映画館の会報誌でのスタッフ募集で集まったものが、これまた10数名ほどで、計20人ほどで企画を進めることになった。

 まぁ、よくある話なのだが、この企画を実行に移すということは社長には了解を得ていたらしいのだが、映画館のスタッフ全員に周知されておらず、後から聞かされたという一部のスタッフからは冷たくされるし、さらにその映画館は一般の映画ファンの出資を募って作られたという経緯があるのだが、その出資者による運営委員会にもまったく話が行っておらず、後から厳しく進行計画や動員見込等詰問されることになった。

 開催の3ヶ月程前から準備に取り掛かったのだが、とにかくこういうところに参加してくるという一般の映画ファンというのはひと言多いひとばかりで、進行するのが大変だった。社会人だから暇はない、アイデアは出す(ケチをつけるともいう)が、後は暇なあんたら学生さんにお任せする、といった具合である。ケチの典型的な例が上映時間だった。上映作品の大半が2日間限りの上映なのだが、2本立ての上映順を日によって違[たが]えて、最終上映で一本しか見れない場合は、翌日も見れるようにしろ、という、自分の都合を押しつけてくる。まぁ、スタッフだったら前日に試写をみるということも可能なのだけど、そんな事はお構いないらしい。

 あたしが担当したのは全体の統括とパンフレット。パンフレットは事前に製作し、宣材としても使うということで販売は考えておらず、制作費用は広告で賄う必要があった。結果、パンフレット以外のビラ・チラシ、チケットに関しても、印刷代はすべて広告によって賄っている。広告をとってくるのはほとんど営業活動になる。これは後輩連中に任せたのだが、進捗が悪い。ある日、自宅に電話が掛かってきて「これ以上ダメです。無理です。不可能です」などと泣きついてくるのだが、「広告とりはそんなに簡単なはずはない。足で稼いでなんぼのもんや。もっと歩け」と突っぱねたこともあった。非常に申し訳なかったのたけど、そう答えるしかなかった。しかし、広告はなかなか集まらなかった。結果として、完成品のとおりいくつか枠が余ってしまったのだけど、それで咎めることはできなかった。

 パンフレットを担当する者として、特別だったのは絵本作家である長谷川集平氏への原稿依頼だった。特に周りから求められていたわけではなかったのだが、長谷川氏から原稿を書いてもらえるとどんなにいいだろうと思っていた。長谷川氏は森永ヒ素の被害者を題材にした『はせがわくんきらいや』(76)という絵本で有名だが、当時、キネマ旬報に『映画未満』というエッセイ(映画評論)を連載しており、それをいつも興味深く読んでいた。映画を語ることは自分を語ることでもある。その映画に纏わる思索は新しい世界に導いてくれたような気がする。そこで彼はタルコフスキーを高く評価しており、その意見にはまったく共感をしていた。

 氏の住まいに関しては『映画未満』のどこかで連絡先として記されていたことがあり、それをもとに連絡をとった。ノリ的にはファンレターがてら、あわよくば寄稿もということだったが、氏は「掲載誌を送っていたたくということで...」ということで快く原稿を送ってくださった。原稿はワープロ打ちであったが、肉筆のイラストを手にした時は、手が震えたものだった。イラストは返却依頼があったので、早々に送り返させて頂いたが、これは半分泣く泣くに近かった。氏の原稿は普遍的な内容も含んでいると思うので、是非、読んでもらいたい。

 コスト削減のため、版下はすべて自分で作ったのだが、当時はまだワープロ専用機しかなく、レイアウトの編集はすべてコピーによって行っている。従って、文字の劣化が著しく非常に汚い紙面となってしまった。一部紙面の傾きがあるが、これは今回電子データにする際のスキャン時に生じてしまったものである。

 才能のある人間と一緒に作業をするのは楽しい。このビラがその例である。たぶん、このビラとほとんど同じレイアウトでポスターも作ったはずである。ポスーに関しては、作製部数が少なかったのか、手もとにはまったく残っていないが。

 ビラにあるイラストはタルコフスキーの写真からトレースされたものだが、これを作ったのは当時、教育学部中学校過程美術専攻というサークルの仲間で、卒業後は実際に美術の教員になった。とにかく器用で、あれよあれよという間に作ってしまう。普通の絵は見たことないが、こういうシルエットものは最高の出来を示してくれる。サークルでのイベントではしょっちゅう活躍をしていた。A4サイズの原画は、しっかりあたしが頂きました。

 2週間で動員は800人くらい。決して多い数字ではないが、その映画館としてはまったく悪くない数字だったし、海の向こうからわざわざ見に来てくれたひとも何人もいた。学生の身分から社会の幾らかを垣間見ることをはじめた一歩で、ある意味社会人としてのあたしの始まりだったのかもしれないと思う。

 上映作品:アンドレイ・タルコフスキー監督作品 (上映順)
   ノスタルジア
   惑星ソラリス
   ローラーとバイオリン
   僕の村は戦場だった
   鏡
   ストーカー

 画像をクリックすると全文をPDFで表示できます。ただし、ファイルサイズが大きいので覚悟が必要です。

 参考までに、長谷川氏の書籍を紹介しておきます。


はせがわくんきらいや

長谷川 集平 (著)

大型本: サイズ(cm): 31
出版社: ブッキング ; ISBN: 4835440587
(2003/07)



映画未満

長谷川 集平 (著)

単行本: 278 p ; サイズ(cm): 21 x 15
出版社: 筑摩書房 ; ISBN: 4480871608
(1990/09)


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2005.11.05

ピーター・セラーズ PETER SELLERS

 先日、購入したDVD-BOX『ピンク・パンサー フィルム・コレクション』を観ていて、段々、泣けてきた。


ピンク・パンサー フィルム・コレクション

出演: ピーター・セラーズ, ハーバート・ロム
監督: ブレイク・エドワーズ


 ピンク・パンサーシリーズでセラーズの演じるクルーゾー警部は確かに彼のはまり役で、あのボケを真顔で演じられるのは彼だけだろうとは思うのだが、砂糖を塗[まぶ]し切るだけの役どころが彼の代表作として相応しかったかというとそうでもないという気がするのだ。

 セラーズは80年7月24日に54歳の若さで心臓発作で亡くなったが、当時、中学3年生だったあたしはこの知らせを聞いてどうしようもなく悲しかったことを覚えている。あのクルーゾー警部をもう見ることが出来ないというのが、どうしようもなく淋しかったのだ。彼の死後すぐに公開されたのが『天才悪魔フー・マンチュー THE FIENDISH PLOT OF DR. FU MANCHU』(80)であり、クルーゾー警部を下回るような感じのドタバタ映画で「これがセラーズの遺作になるのか」と憤慨した記憶もある。


博士の異常な愛情
40th アニバーサリー・スペシャル・エディション

監督: スタンリー・キューブリック
出演: ピーター・セラーズ, ジョージ・C・スコット

 『ロリータ Lolita』(62)、『ピンクの豹 The Pink Panther』(63)、『博士の異常な愛情 Dr. Strangelove: or How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb』(64)、『暗闇でドッキリ A Shot in the Dark』(64)という作品の流れを見ると、非常に複雑な心境になる。キューブリックとピンク・パンサーのブレイク・エドワーズの作品に交互に出ている時期なのだが、やはり前者の方が遥かに見応えのある演技をしているのだ。

 亡くなる前年に『チャンス Being There』(79)を撮ってくれたのは幸いだったかな。


チャンス

監督: ハル・アッシュビー
出演: ピーター・セラーズ, シャーリー・マクレイン


 老いた知恵遅れの庭師が雇い主が死んだということから、住み込みで働いていた屋敷を追い出されるのだが、ひょんなことから大統領の顧問になってしまう。基本的にコメディではあるのだけど、爆笑するようなものではなく、セラーズの持ち味である品のよさがにじみ出ていた。枯れた見事な演技を最後に見せてもらったという気がする。

 殺すも生かすも、とよく言うが、まったく殺されていたとは言わないが、完全に生かされていたとも言えないセラーズの映画人生だったように思う。少なくともあたしにとっては。

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2005.11.04

出血

 トイレに入って、出血。久々である。6年程前にも出血があって、内視鏡を入れたのだけど、内痔核が出来ているということで、座薬をもらって、それ以来、治ったかどうかの確認はしていない。その時と同じような鮮血で量も同じくらいなので、痔が悪化したのかもしれない。痔といってもまったく自覚症状がなく、医者に内視鏡映像を見せられてもピンとこなかった。

 一昨日、献血で400ml抜いたばかりで、また出血して、という事もないのだろうけど、真っ赤に染まった便器を目の当たりにして、血の気が引き、倒れそうになってしまった。

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2005.11.03

目線の流れについて/鬼海弘雄『PERSONA』(03)『ぺるそな』(05)

 注文していた鬼海弘雄の『ぺるそな』が着く。

 『ぺるそな』は既刊の 『PERSONA ペルソナ』 の普及版という位置付けで、新しい写真が49点、エッセー4篇が追加されたほか、オリジナルの『PERSONA』がA3判変形型の33cm正方形というかなり大きめのサイズだったのに対して、今回はA5判の通常の単行本サイズで1/3くらいの大きさに変更されている。


ぺるそな

鬼海 弘雄 (著)

単行本: 236 p ; サイズ(cm): 21 x 15
出版社: 草思社 ; ISBN: 4794214502
普及版 (2005/10/20)



PERSONA

鬼海 弘雄 (著)

大型本: 180 p ; サイズ(cm): 33
出版社: 草思社 ; ISBN: 4794212402
(2003/09/19)


 オリジナルで掲載されている写真がプリント原寸だったのが、普及版では小振りになり、写真のそのものの持つ迫力が失せ気味になっているのは仕方ないが、それ以外にも気になることがあった。

 オリジナル版はほとんどの写真集がそうであるように、左開きである。左から右のページを読むという製本である。普及版は縦書きのエッセイを掲載するようにしたためか、右開きに変更されている。版が異なると本の開きを変えるというのは、雜賀雄二の 『軍艦島』 でもあった。しかし、写真の並び替えが大きく行われ、オリジナルと新装版ではまったく別物と言っていいくらいに印象が変っていた。そこでは然るべき考慮がなされていたと思われる。一方、『ぺるそな』では、写真の並びが変わる事なく、ただ開き方が変っているだけのページが少なからずある。どういう事かというと、一見、同じページを一方のつくりでは、左から右にみ、一方では右から左へとみる。情報の入る順番は明らかに異なってくる。

 風景写真と人物写真では取り扱い方の面倒さが異なってくる。風景写真も構図で左右のウエイトが変ってくるが、特に人物写真は常に正面に向かっているとは限らないことが多い。左の方向を向いているものや、右の方向を向いているもの、それぞれが出てくるのだが、この向きと配置レイアウトによって、安定感が変ってくる。左開きの紙面の右ページに左向きの人物を載せるのには特に違和感がないものだが、左向きの人物を載せると途端落ち着きがなくなってしまう。本の右側の何もない部分にそのままウエイトが移動してしまって抜けたようになるのである。印刷物を作る時にはこれらのことは考慮されるのだが、『ぺるそな』では対応不可能としてはなから考慮を放棄したのかもしれない。人物のほとんどが正面向きか左向きでなのである。

 あたしの『ぺるそな』の評価は、『PERSONA』を持っているのなら特に購入する必要はないということになるだろう。もし『PERSONA』を持っていないのなら、『ぺるそな』を購入し、オリジナルのすばらしさを想像するのもいいかも知れない。とにもかくにも『PERSONA』の出来があまりにも良過ぎたということだ。



 『ぺるそな』の74ページの「十円硬貨を耳栓にしていた、日本画とジャズが趣味というひと 2003」と185ページの「きれいな文字を書くひと 2005」は同一人物で70歳くらいの男性なのだが、これが妙にホリエモン似なのである。目と口の特徴がホリエモンそのもの。ヤツが年老いたらこのような容姿になるのだろうか。この写真の人なら愛敬があって、まだいいのだけども。

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2005.11.02

ピンク・パンサー

 アマゾンでの先月末までの半額セールにて購入する。エレクトロニクスの還元等もろもろが5000円強あって、実質2500円程の出費。ピーター・セラーズは神様と崇めているあたしにとっては非常に嬉しい。

 パッケージが6連のデジパックでとても凝ってて、尚且つ、美しいのだが、ディスクを取り出す時にスペースがいるので、厄介といえば随分と厄介だったりする。


ピンク・パンサー フィルム・コレクション

出演: ピーター・セラーズ, ハーバート・ロム
監督: ブレイク・エドワーズ

 とりあえず、購入報告のみ。詳細は後ほど。

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2005.11.01

カレースパゲティ

 残業して帰ると食うものがなかったので、パスタとレトルトカレーでカレースパゲティを作ってみた。

 ともにメジャーだけども、この組み合わせを試したことはなかった。

 食ってみると、特にどうと云うこともなかった。ミートスパのような感触だが、カレーの香ばしさに違いがある。さすがにタバスコをかける気分にはならず、タバスコなしのパスタで欲求不満になってしまった。

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作業服

 あたし自身は事務屋なのだが、所属している部署は事業課で4/5は技術屋である。技術屋は少なくとも勤務時間の2/5は現場に出てるのではないかと思う。従って、勤務時間中にスーツなんぞ着ることはなく、ほとんど作業服を着ている。技術屋の中には女の子もいたりするが、彼女らも常に作業服であり、作業服以外の格好をしているのを見かけるのは呑み会ぐらいでしかない。

 そういう部署にいるため、何かあった時のために事務屋にも作業服が支給されている。特に災害等があれば、技術屋とともに現場に駆り出されることは必至である。

 このところ、肌寒いことが多いので作業服の上着を羽織ることが多い。以前は事務服としてブレザーが貸与されていたが、5年程前に着用率が悪いということで廃止になっており、作業服でも上着となり得るものがあると助かるのである。

 ベストやカーディガンの前を閉じずに着ると非常にだらしなく感じるのだが、室内着としてジャケットを着る場合は前を開けておくことが多い。むしろ寒い時や畏[かしこ]まった時にしか閉めないのではないかと思う。そうやって、作業着の上着を羽織っていたのだが、技術屋を見ると全員間違いなく上着の前をきちんと閉めている。夏でもよく薄手の上着を着ているのだが、この時も、絶対といっていいくらい前のファスナーを閉じて着用している。

 こういった環境の中にいると自分の着方がおかしいのではないかという気がしてくる。技術屋の作業服の上着の着方がここまで徹底されているのは、そうすべきであるということが一般に言われており、それを実行しているのだろうか。そうであるとしか思えない。

 あたしがひとりで勝手におかしなことをしているのかもしれないけども、ところが変ればいろいろ違うんだと感心する。

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