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2005.11.13

フィルムマラソン3(1989.10.7)

 前回から3月おいての開催。四半期に一回の開催予定の心づもりでいたのか、その場の雰囲気でそうなったのか覚えていない。ペース的には非常に早い。

 あたしの役割は集まった人たちをいかに楽しませるかということにあって、自分がどうしたいというのは特になかった。あるとすると、趣味で集まったん十人の人間を制御しないといけない。中には自分の好きな映画を貶[けな]されたと、瞬時に立腹し、そのまま帰ってしまうものもいるのだ。土台無理な話である。自然と出来るグループには何処にも属さず、さらにどこを閉めておくか判断する。それがメインの仕事だったような気がする。

 この回はいわゆるマル美映画特集。フィルムマラソンを企画する時は、少なくとも1本は女性を呼べるものを入れておくというのが鉄則になっていた。当時の文化的流行は女性が作っていたからだ。これはおそらく今でも同じ。あの頃から男が不甲斐なくなってしまっていた。今はヨン様がブームだが、あの時はルパ様(ルパート・エヴレット)だった。調べてみると今でも映画出演しているようだが、ルパ様という呼び名はまったく耳にしなくなってしまった。

 パンフレットの裏表紙のカット。たぶん、前回のトリュフォーとモローのものに気を良くして、何かいいものをということで書いてもらったのだと思うのだけど、今回は今ひとつ。こういうワンポイントははまらないとダサダサなので難しく、余程いいと思わない限りはやらない方が無難である。

 いったん、この企画の終了をもってあたしは会の世話役を下りるのだが、替わりの男というのがひどかった。発言がない人がいるが、アルコールが入ればそんなことはなくなると、アルコールを持ち込みはじめたのだ。おかげで毎回宴会のようになってしまった。アルコールがあれば気が大きくなって、もろもろの発言が可能になるというのは実に短絡的で、馬鹿げた発想だ。しかも、自家用車で来ている人には飲酒運転を助長しかねない。止めるように要請したが、一向に止めないので彼には立入禁止を命じた。世話役を下りたと云えど替わったばかりで、それなりの信頼はあり、その処置に対して周りからは反対意見はなかった。

 このイベントから2週間ほど後の10月23日によくない事件が起った。社長夫妻が事故死したのだ。海沿いの国道を自家用車で走行中、ガードレールの切れ目から車ごと海に転落し、そして溺死した。映画館は88年7月末に開館したのだが、経営がほとんど軌道にのらず、経営不振が続いていた。開館から1年過ぎたころにはすでに「いつ閉館するのか」という雰囲気があり、そして、この事故だった。実情を知っている人間には、残念ながら保険金目当ての自殺としか思えなかった。社長は苦労をしたのか、重い病気の経歴があるのか、50半ばという実年齢より10歳は老けて見える人で、ロビーに置いてある自販機でコーンスープを買っては、いつも最後に残ったコーンを缶を振りながら仰ぎ飲んでいた。経営は社長の知り合いという人に引き継がれ、映画館自体もこれまでどおり存続することになる。

 フィルムマラソン3上映作品

  双頭の鷲
  デッド・ゾーン
  バーディ
  ライトハンド・マン

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