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2005年9月の44件の記事

2005.09.30

集団健康診断の結果は...

 今月のはじめに受けた職場の集団健康診断の結果が送付されてきたのだが、当然のようにすべて異常なし。ただしひとつだけ気になることがあって、血液検査の血糖値が正常値の上限の値になっていた。結果表に印刷されたこの3年間のデータを一覧すると、段々と上がってきているのがちょっと不愉快。糖尿病になりつつあるのか、膵臓が悪くなっているのか。

 ここ半年足のむくみが気になっていたが、ビタミンCのサプリメントを飲むようになると驚くべきことに数日間ですっかり治ってしまった。まさしく効果てき面という有様で驚いている。食事がおそろしく片寄っていたのか、障害があるにもかかわらずビタミンCの及ぼす効果で軽減されただけなのか、実際のところは判らない。何がともあれ、朝、靴をはく時の違和感がなくなったのが嬉しい。

 30代のうちは特に体調など気にしたことはなかった。30代半になって中年太りになったのが気になった程度。それもそれまでが痩せ過ぎだったのがようやく標準体重になって、むしろ歓迎すべきだったくらいだったりした。しかし、さすがに40にもなるとガタを感じるようになった。無理が利かないという言い方をする人が多いけど、そういうのではなくって朽ちてきているという感じ。

 職員が4000人弱もいるから当然といえば当然なんだけども、30代40代の在職中の死亡退職の回覧も随分と目につく。毎年、健康診断を受けているから癌やらの疾病の早期発見もあるのだろうけど、それでもダメなことはある。何だかんだって死ななきゃいけないヤツは死んで、そうでないヤツは生きているんだろうな。実は簡単な真理なのかもしれないと思う。

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2005.09.29

外食が苦手(BlogPet)

前ひどくて天国とかを食事しなかった
給料日のちょっとした贅沢
生活するのは構わないんだけど
と、O-Maruは考えてるはず。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「フタキンSkywalker」が書きました。

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通販狂時代

 あたしは携帯電話を持っているけども、そんなに頻繁に使うわけでなく、緊急用としての意味合いが強いため基本料金の必要のないvodafoneのプリペイド携帯電話を使っている。プリペイドは犯罪にも多く使われているようだけど、携帯を最小必要限度で使いたいと思っている人も随分いるはずだ。仕事の内容では緊急時の連絡もあったりして、携帯を持っていないと周りに迷惑をかけることすらあるようになってしまった。

 プリペイド携帯を使う場合、あらかじめカードを買い、そこに記されている番号を登録することによって使用期間なり使用度数が延長される。カードは定価で3000円/2ヶ月間(60円/分)するのだが、ヤフオクだとかでは2500円程度で入手可能である。以前、一枚2300円程で12枚2年間分を購入できて非常に助かったことがある。まぁ、それは限りなく破格に近い。

 ヤフオクでは、いちど取引した後は直接取引も受付ますという出品者もいて、こういうところと取引すると格安ですぐにカード番号が入手できる。先日もそうやって番号を買った。

 メールで何枚カードが必要であると連絡する。業者から代金と振込先が知らされる。ネット銀行で振り込みし、念のため、振り込み済の連絡を入れる。業者から入金確認とカード番号がメールで知らせてくる。カード番号が問題なく登録できたことを業者に報告する。という流れで取引を行うのだが、この一連のやりとりが1時間もかからずに完了してしまう。

 便利になったというか、手っ取り早くて無機質というか、なんとも云えぬ時代になったものだとつくづく思う。

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2005.09.28

グローブを新調

 バイク通勤用のグローブを5年ぶりに新調する。ヤフオクで定価7,800円のところを3,800円(+送料200円)。製造元が出品しているようだ。

 通勤は片道3km強で15分あまり。でも、年中革グローブをしていないとどうも落ち着かなくなってしまった。転倒時の怪我軽減という意味合いもあるけども、ハンドルのグリップがよくなるというのがいちばん。特に夏場だは汗をかいてグリップが悪くなるが、グローブをしているとその心配が全くない。夏だからグローブが必要という状況になる。もっともグローブは年中使っているけども。

 あたしが原付の免許をとったのはすでに22年前、それから2年くらいしてヘルメット着用が義務づけられた。それまではノーヘルという無防備のままバイクに乗り、60km/hだののスピードを出していた。当時は「風を感じられるのがバイク、それだダメならバイクを下りる」なんていう連中も少なからずいたが、いったんヘルメットを着用するとそれなしでバイクに乗るのが怖くなってしまった。しかも顔全体も覆うフルフェイスタイプでないと、どうも怖い。

 習慣で随分変ってしまうものだが、いい方向に変っているし、良い事だと思う。

 それにしてもこれまで使っていたグローブは汚れたという生易しいレベルではなく、何度となく雨に濡らしたりしたためか、両手とも数か所裂けまくり、まさしく使用に耐えないという状態になっていた。早くに買い替えようと思って市内のバイク用品店とかにいっても、バイクの人気が落ちているのかグローブの品揃えが極端に悪くなっていて、購入できなくなっていた。本来は手にとってサイズを確認するものなんだけど、ヤフオク等の通販にどうしても頼らざるを得なかった。

 今回は手のひらが鹿革、甲が牛革という作り。鹿革は以前ワーキンググローブで使ったことがあり、革がやや薄手で傷みやすいという傾向があるものの柔らかく馴染みやすい。7、8年ぶりに鹿革の感触を味わうことになるので、明日の通勤が楽しみである。

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2005.09.27

巨大砂時計 5minutes sandglass

 注文していた5minutes sandglassが予定通り、本日、到着する。

 販売サイトでは寸法として高さが21.5cmと紹介されていたが、これは砂時計部の高さで、実質的に使用状態の木製ケースに収めての状態だと27cmくらいの高さになる。砂時計にしては随分大きい。

 砂時計部は21.5cmと長くそして細い。まるで試験管のようで、砂時計というより見た目実験器具のよう。こういった超細長の砂時計は見たことがない(サイトで砂時計を検索してもなかった)ので、特注である可能性が高いだろう。

 時計の砂はケースに合わせてか茶色で、同系色なためかなり地味な印象を与える。しかし、白や青、ましてや赤だったりすると時計部がばかりが目について癖のあるものになる可能性があるから、このくらいがいいのかもしれない。

 木製ケースは完全に磨かれておらず、やや粗めのヤスリがけ。未完成さにむしろ暖かみを感じる。5minutesのロゴは焼き印によるものだ。

 5分計で時間差2秒くらい。正確さを求めるのなら砂時計なんて使う訳ないし、そういう意味でも充分過ぎる程の許容範囲にある。砂が滑らかにガラスのくびれを通っていく様はとても不思議だ。工場で作られるのか工房で手作り作られるのかよく判らないけど、その技術の確かさにはどうしても感心させられてしまう。


 どうやら、06/01/29現在、この製品は品薄になっているようで、多くのweb店舗から消えています。製造元のTRITON CAFEのサイトでは、在庫なしの表示がないので、こちらから注文すると入手出来るかもしれません。

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キリ番記念

 8カートンくらいなら煙草代値上げの時に買い溜めし、実際に見た事があるのだけど、50カートンとなるとかなりのものだろうなぁと思う。

 開始日時 2004年 10月 5日 15時 0分
 経過時間 11月 22日 1時間 31分経過
 吸わなかった煙草 500箱 0本
 浮いた煙草代 135000円
 (原価 57852円 たばこ税+消費税 77148円)
 延びた寿命 20日 20時間

 あと1週間ほどで一年。あっという間だった。

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2005.09.26

 朝夕すっかり涼しくなって、袖をまくったカッターシャツでのバイク通勤も考えないといけない時候になってしまいました。ちょっとした冷え込みに注意しないといけないものの、一年ではいちばん気持ちのよい頃です。

 夕焼けの綺麗な日が続いています。夏場は仕事の帰りがけに海岸にいって写真を撮ったりしていたのだけども、さすがに日暮れも早くなってそういう余裕はありません。夕日に染まる街も綺麗だから一度は撮ってみようか。

 今から半月はほんとうによろしい季節であります。

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2005.09.25

5minutes sandglass(5分砂時計)

 衝動買いしてしまいました。先程、ネットで発注したばかりで、到着は明後日の27日の予定らしいのですが、見つけてしまってから半日ほどでケリをつけてしまいました。

 単なる5分間の砂時計なのですが、そのシンプルなフォームがひたすら美しい。砂時計というとずんぐりむっくりしているのがたいていだけど、おそらく12、3cmはあると思われるスマートな本体部が剥きだしとなっていて、それを素っ気がないほどの木製ホルダーに挿して使用する。機構と使用方法の単純さが相まって、さらに機能美も引き立つ。


5minutes sandglass

『砂時計』5分計

神戸のTRITON CAFEと大阪・中之島で活躍中の『graf』とのコラボレートプロダクツ

サイズ:幅5.5 奥行き5.5 高さ21.5cm
素材 :タモ材

 砂時計なんて使う用途なんてないですよ。歯磨きタイムを3分から2分伸ばすということで、洗面台で使ってもいいのだけど、4歳の息子はこのような保護機能皆無の状態では脅威である。ということで、自分の机のうえに置いてただ眺めるだけか... まぁ、それでもいいような感じ。

 デザイン的に「あ、イカン」と思ったのは久しぶり。こういうのにはどうしようもなく弱い。価格的に割高気味なのは砂時計部分のためか? 購入先のサイトの商品では比較的良心的な価格のような気もしないでもない。


 どうやら、06/01/29現在、この製品は品薄になっているようで、多くのweb店舗から消えています。製造元のTRITON CAFEのサイトでは、在庫なしの表示がないので、こちらから注文すると入手出来るかもしれません。

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2005.09.24

外食が苦手

 あたしの場合、外食が苦手だったりする。ひとと連れ立って行くのには構わないんだけど、一人で行くのはどうも苦手だったりする。行けるとすると牛丼屋くらい。

 カミさんの鬱がひどくて、食事の世話は出来ないといわれ、すでに2週間あまり。飯を食うのに非常に困っている。昨日食ったものは、しばらく前に買っていたピーナツ一袋。

 その前日は飯たいてスーパーでカルビ買ってきて、レトルトパックのカレーで、焼肉カレーを作った。給料日のちょっとした贅沢。

 生活するのはなかなか難しい。まぁ、今、大岡昇平の『野火』を読み直していて、それと比べりゃ、天国のようなもんだけど。

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2005.09.23

pyloneer「P-hook」

 京都府在住の友人に大阪まで出てもらって、買ってきてもらった。

 一見、なにに使うのかよく判らないと思うけども、これは本棚にきっちり填まって取り出し難くなった本を抜き出すための道具。ひと箱に12個入っている。


pyloneer「P-hook」

COPYRIGHT(洋書屋サン)    
 TEL 06-4390-4077
 大阪市西区南堀江1-14-26
 12:00~20:00 (水曜日がお休み)

350円(税込)

 雑誌類は表紙が薄いので本棚に収納する際、隙きがあると奥の方が折れてしまう。だから、隙間がないように詰め込む訳だが、そうすると今度は本を取り出し難くなる。そういった時に使えるのがこの P-hook である。詳細はステイショナリー評論家のサイトで紹介されているのでそちらを見て頂きたい。ちなみにこの商品は今のところネット等では流通しておらず、上記の店舗でのみ入手できるようです。関西以外にお住まいの方は、関西に住んでいる知り合いを頼って入手してください。

 フックの厚みは5mm程度。雑誌に使うと思った以上に突っ込み難い。むしろ、ハードカバーの本の方が開きが良く挟み込みやすかった。

 もちろん、本棚にきっちり詰め込まれた状態で、このP-hookを差し込んで使おうというのは絶対に無理な話で、あらかじめP-hookを差し込んだ状態にしておいてから、本棚に本を詰め込むという手順になる。

 さっそく雑誌が入っている本棚で使ってみようと思ったのだけど、これが困ったことが判明した。雑誌が入っている棚の高さがA4サイズに数mm程度大きい程度のピッタリ寸法となっていて、P-hookを差した状態では本が本棚に入らないのだ。これは想定外だった。全部が全部ではないので、完全に使えないというわけではないのだけど、一番肝心の雑誌で使えないというのはちょっと辛かった。

 友人に買ってきて貰ったのは6箱。全部をすぐに使い切るという訳でもないので、このブログのカウンターが1万5千になった時の訪問の方にひと箱プレゼントすることにします。ラッキーな方はブログの画面のスキャン画像をそえて、メールでご連絡下さい。

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2005.09.22

24 -TWENTY FOUR- は...(BlogPet)

そもそもハリウッドで状態などするなという意見もあるかもしれないがガンガン回ってさらにセカンドシーズン(正確にはSEASONIIなんだろうけど、知ったよ)
テンション、そして、展開の脈絡のなドラマでは、O-Maruがもっとも近い存在であると思われる
そもそもはそのうち


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「フタキンSkywalker」が書きました。

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ロバート・ワイズ『アンドロメダ・・・ THE ANDOROMEDA STRAIN』(71)

 先日、ロバート・ワイズが亡くなったこともあり、『アンドロメダ・・・』が見たくなったのでDVDを買ってきた。売り越した訳でもないのに早々から廉価盤で発売されている。


アンドロメダ…

監督: ロバート・ワイズ

 この作品を最後に見たのはおそらく高校時代、すでに20数年前になる。しかも地上波でのTV放送。それ以降、詳細までは覚えていなかったものの、ずーっと自分の中では傑作のSF映画という印象を持っていた。それで久しぶりに見直すことになったのだが... あ~、これってどうなんだろうねぇ。ちょっと困ってしまった。

 物語は、アメリカ中西部の小さな町に人工衛星の破片が落ち、アル中老人と子供を残して町の住民が全員死亡する。科学者の調査により死亡の原因はアンドロメダ病原体にあることが判り、その対処策を講じる。というものである。病原体に対する調査は地下の施設で行われ、物語のほとんどが室内で進行する。

 淡々とした中で謎が解明されていく様はそれはそれでなかなかスリリングなのだけど、あれなんだよなぁ。照明がベタで、美しくなく、さらにリアリティに欠けるんだよなぁ。同じく室内撮影の多いキューブリックの『2001年宇宙の旅 2001: A Space Odyssey』(68) は『アンドロメダ・・・』よりも3年も前に撮られているにも拘らず、照明、質感等は完璧で申し分ない。光の神様のキューブリックと比較しちゃいかんとは思うけど、ワイズはこのあたりに無頓着な印象がある。『ウエストサイド・ストーリー』は舞台を意識してか、もともとセット撮影を意識させるもので、照明のリアリティなんてまったく必要ない。『サウンド・オブ・ミュージック』は室内・夜間撮影はベタベタ。


2001年宇宙の旅

監督: スタンリー・キューブリック
出演: キア・デュリア


 見るところがズレているんだよと言われるとちと辛いけど、昔の印象はやはり当時の印象でしかないというのをあらためて実感いたしました。

 そうそうこのDVDの特典にはメイキングやらがはいっているんですが、日本語字幕がないのでさっぱり判りません。こういうのはいけずと言います。

 余談になるけども、細菌(パニック)ものでは、バート・ランカスター、ソフィア・ローレン、マーチン・シーンの『カサンドラ・クロス The Cassandra Crossing』(76)、ジョージ・A・ロメロ(彼が監督していたというのは最近知った)の『ザ・クレイジーズ The Crazies』(73)が有名で、まぁ、楽しめます。

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2005.09.21

腹をくくる

 資格がありながら、ここ2年ばかり受けずに放棄していた昇任試験を今年はとうとう受けることにした。以前の部署の課長はそんなにうるさくはなかったが、今の部署の課長は受験申請受付〆切の間際になると3時間おきに「申請書を提出したか」と言ってくるので、根負けしてしまったのだ。

 昇任というか管理職になることにはあんまり興味ない。あたしに言わせると目的達成のためにマネージメントをしているというよりも、単なる雑用係としか思えないのだ。だからゼネラリストでいるよりもプロフェッショナルでいた方が面白い。

 役所も能力主義をいうのならラインばかりを考えずにスタッフも考えるべきである。選れた能力というのはマネージメントだけにあるとは限らない。

 以前に人事課の人事担当に「今の管理職の仕事には興味ないので、昇任試験を受けるつもりはない」というと「それでは本給も上がらないし、退職金も不利になるから、そういう考え方はお止めなさい」と返された。現実はその通りなんだよねぇ。

 あと20年の宮仕え。ちっとは楽しいことがあるんだろうか。今までは面白かったけどね。

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24 -TWENTY FOUR- は...

やはりおぢさんには辛いものがありました。

 24 -TWENTY FOUR- トリロジーBOX を買ったということで、ファーストシーズン(正確にはSEASON I なんだろうけど、知ったこっちゃない)を一気に見て、調子に乗ってさらにセカンドシーズン(これまた正確にはSEASON II なんだろうけど、知ったこっちゃない)に取り掛かったらもう飽和状態になってしまってた。

 この飽和状態がどういうものかというと、かの『アルマゲドン』を延々42分 * 24回の18時間(放送途中に5分程度のCMが入っているようで、DVDで見るとリアルタイムの60分にはならないのだ)を見続けるというのを想像するのがいちばんいいと思う。テンション、そして、展開の脈絡のなさに関して、あの作品がもっとも近い存在であると思われる。底なし沼にはまって死にかけているところに、走馬灯がガンガン回って、もう何も見ることができなくなってしまっている、といった感じか。


アルマゲドン

監督: マイケル・ベイ
出演: ブルース・ウィリス, ベン・アフレック

 そもそも脳天気なハリウッド映画の苦手なあたしが見るようなドラマではなかったと今さらのように確認。せっかく買ったのだから、間をあけて、ぼちぼち見ますが。

 能天気なスピルバーグ印のドラマ『バンド・オブ・ブラザース』はそれなりに面白かった。史実に基づいたドラマを能天気呼ばわりするなという意見もあるかもしれないが、能天気なのだから仕方ない。このドラマについてはそのうち。

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2005.09.20

コイズミと裕也

 今週号のAERAを眺めているとコイズミの若かりしころの写真が乗っていたりするんだけど、それが何とはなく、内田裕也に似ていたりする。

 ナニを考えているのかよくわからない表情。ふつう表情から色々な情報を読み取るものなのだけど、取り付く島のないような顔なのだ。目が細いから? そういうのもあるかも知れないけど、それだけでもないような気がする。

 だから、如何だっていうわけでもないんだけど、昼休み、雑誌を眺めててちょっと思った。それだけのこと。

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岡本喜八『描いちゃ消し 描いちゃ消し-岡本喜八の絵コンテ帖』

 先に『日本のいちばん長い日』を紹介したのだが、これはその絵コンテ集。


描いちゃ消し 描いちゃ消し
-岡本喜八の絵コンテ帖

S59.8.1
株式会社アトリエ出版

 確か黒澤明も絵コンテが見事で、一部カラーで絵コンテ集が出されていたと記憶するが、喜八ちゃんの絵はお世辞にも上手とは言い難い。右の写真をクリックすると拡大表示されるが、見ての通りである。

 映研時代はあたしも絵コンテを書いた。正直言って、画才は全くないので喜八ちゃんのでき以下である。カメラマンとかにコンテを見せて、カメラの設置場所やら動かし方を確認するのだけども、一向に判ってもらえない。まぁ、自分が口で説明すれば済むことなので、判ってもらえないのはいいとしても、現場で監督が迷う訳にはいかないから、徹夜をしてでも翌日の撮影分のコンテは上げていたものだった。

 アニメ系ではごく普通に絵コンテ集が公開されているが、実写の劇場映画では珍しい。

 手もとにあるのは初版本。今から20年ちょっと前の発売当時に買ったもので、価格は980円。高い買い物をしたという印象があったが、1000円もしていないのに今さら驚いた。アマゾンでもBK1でも検索にはまったく引っかからないのは、絶版になって久しいからなのだろう。ネット検索すると5000円やら1万円やらで売りに出されているのを見かけ、驚いた。

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2005.09.19

岡本喜八『日本のいちばん長い日』(67)

 邦画の中で印象深かった作品の一本。最近ようやくDVDになったのが不思議でならない。衛星か何かで見てから20年ぶりくらいに見直す。岡本の作品は決して少なくないのだが、なかなか見る機会がない。見たことがあるのは本作と『大誘拐 Rainbow Kids』(91)くらいである。


日本のいちばん長い日

監督: 岡本喜八
出演: 三船敏郎, 加山雄三


 「日本のいちばん長い日」というのは、御前会議でポツダム宣言を受諾を決定し、翌8月15日正午に玉音放送をするまでの1日間のこと。敗戦は日本人にとっては受け入れがたいものであったが、天皇の判断もあり、降伏することになる。天皇の肉声による終戦の詔書の読み上げ放送は生放送でなく、あらかじめレコードに録音されたものを用いることになったが、敗戦を認めない一部の軍人たちはこのレコード盤を強奪しようとする。

 2時間40分弱の作品だが全くといっていいくらい中弛みがない。この連続したテンションは監督の腕もあるだろうけど、当時のオールスターキャストによるところもあるかもしれない。演技に重みがあり、実際にあったろう緊張感が見事に再現されているのか。そういえば大人が大人の顔をしている。今の日本には大人の顔をした人間がいない。もっとも分別のなくてはならない首相だってあの様だ。

 印象深いキャラクターといえば首相官邸を襲う横浜警備の隊長を演じた天野英世である。仮面ライダーで死神博士を演じたあの人だが、虫歯で歯の欠けまくった口を大きく開けてヒステリックな号令をかける様は、当時の日本のマッド・ソルジャーの典型だ。戸浦六宏も外務次官役で出ているけども、なかなかいい。

 戦後まだ20数年の公開当時、皆はどのような気持ちでこの映画を見たのかが気になる。高だか20年くらいでは歴史になってしまわないはずだし、実際の関係者も、また20代後半以上のものは何らかの形でそれに係わっているはずだから。

 玉音放送の内容についてはこちらを参照のこと。

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2005.09.18

24 -TWENTY FOUR- トリロジーBOX (初回限定生産)

 連休が続くということもあって、廉価BOXで出た『24 -TWENTY FOUR-』を買ってみる。この番組、TVではちらりとしか見たことがなくって、ただ、第一話目の旅客機爆破の様子にいたく感動したというのがあって、機会があれば見てみようと思っていた。レンタルでちんたら借りるのも苦手だし、廉価盤になったとはいえ2万は高いしで、カード支払いで初めての2分割(手数料無料)を使っての購入だった。

 昨日の昼から見始めた。DISKの2巻分くらいは正直いって全然乗れずに、結局、2度流す羽目になった。このあたりはまだ物語の展開が遅いのと状況把握がし難いというので、なかなか面白く見れなかったのだが、それ以降は評判の通り、ぐいと引込まれた。


24 -TWENTY FOUR- トリロジーBOX (初回限定生産)

出演: キーファー・サザーランド

 現在、ファーストシーズンを1/4ほどを残したあたりまで見ているのだが、このシーズンの半ばまではしっかりしたプロットがあって、ごく普通にハラハラしながら見ていたが、この半ばを過ぎたあたりでなんでもありとなる。日本のドラマなら大抵、何話完結ということで当初にプロットをたてておいて、綺麗に物語を完結させるのだが、アメリカは視聴率優先なので、各回の面白さが優先され、全体を通してのプロットは段々無視されることが多い。『24 -TWENTY FOUR-』も1話1時間24話で1シーズン・ひとつの物語を終えるという縛りがあるものの、作り方はいつのもドラマと同じような気がしてならない。

 物語の蛇行ぶりというのは、あたかもリレー小説のような感じだ。担当執筆者ごとに事件が起きて、ハラハラドキドキさせられて、次に期待するのだが、物語に脈絡がなくて読み手は段々疲れてくる。全体通してのプロットを書き手を通して決めておけばいいのだけど、これをやらないことの方が多い。従って物語の結末は唐突なもので唖然とさせられてしまう。

 あとDISK2巻(3話分)でファーストシーズンが終るのだけど、最終的にどのような印象を持つことになるのか楽しみである。

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2005.09.17

H君との再会とか

 先週に引き続き、診療科は違うものの同じ総合病院に行った。

 診療を終え、自己負担を支払おうとした時に、支払いの係員に「お、O-Maruくんじゃないか。聞いたことのあるような名前だったから、もしかしてと思ったんだけど...」と声をかけられた。彼の顔には思い当たるところがなかったのだけど、名札の名前は小学校1・2年と一緒だったH君のものだった。3年生の時に近所に新設校ができ、あたしがそちらに変ってから32年間まったく音沙汰がなかった。やや優等生的で、自分のことを「ぼくちん」と呼んでいた彼とは、何か知らないけどもライバル的な関係にあった。当時は肥満とはいわないけどもふっくらとした印象があったが、今は痩せこけて目は窪み、当時の面影は全くない。おそらく名札がなければ、誰かまったく判らなかったはずである。30数年間まったく会うことがなかったのに、お互いの名前をフルネームで覚えているというのがなんだか気恥ずかしかったりもした。

 今日受診したのは皮膚科。いい加減、いわゆる「いんきん」と縁を切りたくなり、思い切って受診したのだ。あれは中途半端に市販の薬を塗っていたりすると、何年も直らない。ここ半年は痒みがひどいこともあって、そろそろ皮膚科に行った方がよいと判断した。

 皮膚科の担当医師は、まぁ、よくある話で女性医師だった。トランクスをずらして、少なからずはみ金状態にして、足の付け根の感染部分を見せる。菌の有無を確認するために、ささくれた皮膚を掻き取って顕微鏡のプレパラートに集める。おそらく30過ぎの女医さんだったが、はみ金も、おそらく、全部出したとしても恥ずかしくないような気がする。一昨日は死ぬほど痒かったにもかかわらず、「菌は大分減って、状態は悪くはないですが、ちゃんと直しておいた方がいいですね」などと言われる。そして、ラミシールという水虫用のクリーム10gを3本処方してもらって終り。数年間の憂鬱がこの10分あまりと920円の医療費自己負担で終ったら、ちょっと悲しい。

 余談ですが、それぞれの皮膚病を知るには野並皮膚科の皮膚病写真オンラインデータベースが素晴らしいです。

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2005.09.16

シック・クアトロ4エナジー、そして...

 昨日、シック・クアトロ4エナジーについてのファーストインプレッションを書いたのだけど、今朝、再び使ってみての感じを。

 剃りの感触はやはり非常に悪い。刃が立つという感触が全くないからだ。ヒゲ剃りの爽快感は刃の感触、肌の引き締まり、深剃りのツルツル感にある。しかし、エナジーを使って逆剃り(普通、剃る場合は上から下が基本なのだけど、ヒゲも上から下に向かっているため、順方向だとヒゲを寝かしつけることにもなり完全に剃り落とすというのは難しい。従って、下から上にヒゲを立てるような感じに逆に剃ると深剃りが可能になる)すると、思った以上に丁寧な剃りが出来ていて、ツルツルになっていたりする。特にアゴの下のあたりはレイザーでも剃り残しができやすく、ヒゲのざらつきが残ってしまうということが多いのだが、これが想像以上にうまく剃れていて気持ちがいい。

 感触的にはどうも好きではないのだけど、しばらく本格的に使ってみるのも良さそうな気がしてきた。

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ロバート・ワイズ

 ロバート・ワイズがなくなったらしい。91歳。死んだ死んでいないは、しばらく意識していなかったけども、かなりの高齢だったのね。

 ウエスト・サイド物語、サウンド・オブ・ミュージックの2大ミュージカルを撮っているけども、この人は職人さんという感じで見ていた。毛色の違う作品を見事に撮ってしまう人だから。「アンドロメダ・・・」を久しぶりに見たくなった。調べると最近、廉価盤を出しているらしい。週末にでも買ってこよう。

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2005.09.15

シック・クアトロ4エナジー

 男はヒゲを剃らないといけない存在なのだけど、あたしの場合はシェーバーでなくって、レイザーが好き。5、6年前までは深剃りのBRAUNを10数年間、何代かに渡って使ってきていたのだけど、レイザー(安全剃刀)にすると、これがすこぶるいいので、ほとんどシェーバーは使わなくなってしまった。

 レイザーのどこがいいか。当然、シェーバーよりも深剃りが可能であること。さらにはSchickのクアトロ4のような4枚刃のようなものであると、剃る時間もかからない。週末、ヒゲを剃らないでいたりすると、数ミリの長さになっており、シェーバーでは剃り上げるのにかなり時間がかかるが、クアトロ4だと2回程度滑らせただけで大半のヒゲは落ちている。これがとにかくいい。週明けの髭剃りでも3分もあれば充分過ぎるくらいだ。ちなみにヒゲを剃る時に、クリームを使うが、あたしは肌に馴染ませるうちに泡に変るというシェービングジェルを使っている。本当は粉せっけんがいいらしい。ヒゲ剃り時に肌の汚れや角質を落すことも出来て、これも結構大切なスキンケアになるという。

 ただでさえ剃り味のいいクアトロ4に電動のものが出た。クアトロ4エナジーがそれで、刃が振動してヒゲを剃りやすくするというものだ。さっそく、購入して試してみた。

 レイザーはある程度重みがあった方がいい。剃る時、肌に刃を強く押しつけるのは禁物だが、多少は押さえつけないとヒゲを剃ることはできない。エナジーの場合、振動があるので、刃を押さえることが先ずできない。振動によって毛を多少なりとも掻き落としているんだろうけど、刃圧をかけられないので深剃りできない。しかも、剃っているというより肌を撫で回しているという感じだ。使用感はかなり微妙なものである。

 おそらくエナジーは通常のクアトロ4と併用、もしくは、そのうち使用を止めるのではないかという気がする。せめてもの救いは、エナジーは通常の替刃も使用可能ということ。このレイザー、使い勝手はいいんだけど、とにかく替刃が高いのが難点。

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アンチMacなあたしではありますが...(BlogPet)

瞬間はフタキンSkywalkerは、どれも持てなく変わるんですから、そういうのは過去を離れることの重み、あとに自分はここにいた頃の私には生まれたらすぐ養子に出すと決めていました
やがて17年後、アップルはガレージの我々たった3つです
ティーロクディーアイディーイーオー
と、O-Maruは考えてるはず。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「フタキンSkywalker」が書きました。

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アンチMacなあたしではありますが...

 読んでおいても損はないと思い、何とはなくだけど、転載。出典はとむさとう氏のブログから。


ジョブズの卒業祝賀スピーチ

ジョブズの卒業祝賀スピーチ
(2005年6月12日、スタンフォード大学)
原文URL:
http://slashdot.org/comments.pl?sid=152625&cid=12810404

 PART 1 BIRTH

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。
 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。
 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

               ◆◇◆

 PART 2 COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。
 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。
 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。

 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

               ◆◇◆

 PART 3 CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。
 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。
 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、
 あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。

 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

               ◆◇◆

 PART 4 FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。
 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。
 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。
 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。
 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ
一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

               ◆◇◆

 PART 5 ABOUT DEATH

 3つ目は、死に関するお話です。
 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

               ◆◇◆

PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER

 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。
 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。

 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。

 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。
 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

               ◆◇◆

 PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。
 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。
 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。
 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。

the Stanford University Commencement address by
Steve Jobs
CEO, Apple Computer
CEO, Pixar Animation Studios

とむさとうのHP


スタンフォード公式URL&録画映像
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/videos/51.html
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html

translated texts here are copyrighted to the translator, **satomi ichimura

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2005.09.14

『戦争プロパガンダ 10の法則』

 まだ買ってはいないが、興味深い本を見つけた。


戦争プロパガンダ 10の法則

アンヌ・モレリ (著), 永田 千奈 (翻訳)
単行本: 212 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 草思社 ; ISBN: 4794211295
(2002/03)

 そして、その目次。

 第1章 「われわれは戦争をしたくはない」
 第2章 「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
 第3章 「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
 第4章 「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
 第5章 「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
 第6章 「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
 第7章 「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
 第8章 「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
 第9章 「われわれの大義は神聖なものである」
 第10章 「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

 この章建てこそが「戦争プロパガンダの10の法則」であるというのは一目了然で、先のイラク戦争ではまさしくこの通りの主張がアメリカ政府からなされていたと思う。

 それよりももっと身近にこれらのことを耳にしなかったか。

 郵政選挙にあたって、コイズミが主張してきたことの大半がこれに該当するのではないかと思う。声高だかに何かを語っている者に対しては、これらのことに留意し、これらの要素を取り除いて意見を聞くという冷静さが必要である。

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2005.09.13

雑誌のバックナンバー

 20年程前に3年間だけ刊行されて廃刊になった雑誌のバックナンバー(全36号)を集めようと、いろいろネットを調べているのだけど、面白い傾向がみられた。

 まず、創刊号に関しては至る所で目につく。いちばん古いものであるにもかかわらずである。36号のうち、10号あたりまでは数セット揃えそうなくらいである。11号から20号くらいまでは辛うじて集まりそう。21号以下は完全歯抜けで、30号を越えたあたりからは見つけ出すのは至難の技のように感じる。

 ということで、雑誌の創刊後、人気が落ちて廃刊に至るまで、発行部数が段々と落ちているというのが如実に見て取れたりする。

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2005.09.12

バリウムの出し忘れ

 先週の水曜日、職場の集団検診で胃癌検診ということでバリウムを飲んだ。写真を撮った後に貰った下剤でその日の夕方、ちょっと下した程度で、それ以降、月曜の今日まで大きい方でトイレに入ることはなかった。

 意図的に出さないといけないというのをすっかり忘れていて、まずいなぁ、と思いつつ、日曜日の深夜に、検査時に貰っていた予備の下剤を飲んで寝たが、なんの音沙汰もない。結局、出さないまま、病院にいって、帰宅。下剤を飲んでいるくせに、まったくなにも催さない。実は、4錠の薬を貰ってて、便通が普通なら2錠、便秘ぎみなら3錠ということなのだけど、欲張って4錠飲んでいてもこの有様である。

 昼飯を買ってきて、レモン水という1リットル紙パックの飲物を飲むと、やってきましたわ。下剤というのは水分を取らないと全然、ダメなのねぇ。初めて知った。薬を飲んでから12時間経っているにも関らす、どんどんぴゃらら。

 バリウムが栓になって大変な事になるというような話があるし、実際に、最後には血を滴らして...というブログもあった。確かにバリウムが栓になって、出にくいという感じがあったけども、せいぜい10秒かそこいらで栓が勢いよく吹き飛んで、後のものが続いて吹き出しましたわ。そこそこ溜まっていたみたいで、白いものを拝むことはできなかったものの、硬くなって栓になる、下手すると切れ痔になるというのはちゃんと実感できましたでございます。

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病院にて

 ここ数年、病院にあまり行っていない。治療を受けるために病院に行ったのは、4年前に尾てい骨をしこたま打った時以来、3年間非受診、今年に入ってから、検査だけで受診している。

 それにしても病院の様子をみるのは面白い。特に総合病院だといろいろな工夫がなされていて、病院によってがらっと方法が違う。

 4月に行った病院は公立の総合病院で、システム化が進んでおり、各部署が完全に切り分かれている。裏で電算が動き回っている感じがあり、さらに検査とかにおいて、検査室に患者を誘導するにしても床にラインが引かれていて、それに従って進むと目的の場所に辿り着くようになっている。とにかく受診者が多く、ぼーっとしていると人酔いしかねないという状態なので、システム化を押し進め少しでも人手を減らそうとしているのが明らか。

 今日も検査を受けるために別の病院に行ったのだけど、規模的には先の病院の半分強という感じか。看護師の姿がとにかく目につく。何かあればすぐに看護師を患者の側にやるというやり方。検査室の誘導に関しては、地図を手にして逐一、口頭で説明している。そういったタイムロスはあるものの、患者の側にすぐに駆けつけるという態勢があるので、合理さははなから追究しないという感じもある。

 こういう感じで見ていると病院も診療方針以外にもいろいろな違いがあって面白い。

 駆け回る看護師を見ていていくつか。ナース服のためか、随分と没個性のようにみえる。髪を必ず束ねておかないといけないためか、ルックスの印象も3パターンくらいに集約されてしまいそう。3時間弱、待合室とかにいて、眺めさせてもらっていたのだけど、変な感じだった。

 総合病院は各科の専門医がいるので、その方面に関しては完全な処置がされるけど、見立てが誤って違う専門科で受けるとまったく治療されないのが辛い。血液癌の可能性は皆無と言われて、熱があったりするのはウィルス性だろうと言われただけで、そのまま追い出されてしまった。最近は総合病院にも総合診療科(主に内科)というのがあって総合的・縦断的に診療してくれるところもあるんだけど、大抵がガッコを卒業して1、2年のインターンばかりの配属で、これもどうかなと。ドラマのERとかをみてても新人には疾病を見立てるのは非常に難しくて、本当はむしろ何でも御座れというような熟練した医師の方が向いているんだけどね。頼りなさそうに、わたしも頑張りますから、と言われた日には二度と行きたくなくなる。

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2005.09.11

女性刺客当確連続

 開票開始15分。当確4名。なんだこれは。政党も国民も気が触れてしまったな。日本も本格的に終る。

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2005.09.10

体調悪し

 実は先週なかばから熱気味で体調が悪い。夏風邪かなんなのか。微熱と倦怠感があるという以外、特には症状がない。

 先週は職場の集団検診があって、初めての胃癌検診を受ける。ここしばらくみぞおちのあたりに痛みがあったりしたから、もしかするとなんか出るかもしれない。前に病院で甲状腺が脹れているといわれ、気になっているという話を診療の医師に話すると、俺の知ったことじゃない、というような言われ方をする。そんなじゃ、問診票を書く意味なんてないじゃない。医師の態度の悪さにムッとする。

 ここ最近、精神的にも参っているから、体調も悪くなっているという可能性もある。首のリンパの無痛肥大やら、足の付け根のリンパの痛み、片足だけのむくみとかもあって、すでに体調的には無茶苦茶。起きていられず毎日12時前に横になっても、寝ずに騒いでいる子供に対してヒステリックになるカミさんに深夜叩き起され、数時間にわたって愚痴を言われる。昼夜逆転の生活をしてて、思いついたように早く寝かせようとしてもそりゃ無理な相談。そのくらい判って欲しい。

 なんだかなぁ... 

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2005.09.09

唯野未歩子って...

 今日は唯野未歩子がブレイクしているみたいなんですが、何かあったのでしょうか。お昼くらいからここのブログを見にきた人は、ほとんどが彼女の情報が目当てのようです。

 下らない記事がヒットしてしまってご免なさい m(__)m>「唯野未歩子」検索のヒト

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2005.09.08

リスクの時代

 ニュースでアナウンサーがリスクの高まりつつある時代だと言っていた。リスクはリスクとしてのみ存在はしない。利便の裏側に常に潜んでいるだけだ。リスクの高まりつつある時代というのは、利便になりすぎた時代ということでもある。

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手帳(BlogPet)

はじめはコンパクトとか、電算とかを管理しなかったちょっと薄手のコクヨのノート文庫本用の革製ブックカバーをPCしなかった
会計集約がメインの手帳をブルースチャトウィンしなかったの?
はじめ、フタキンSkywalkerが、芸術家など20世紀を想像しなかったのは何年振りだろうか
銅製というシックとか、芸術家とかは自分でも判らない
実際の用途にはぴったりで、どこにでも適当に手書きで貼り付けられるクイックメモもすこぶるよかったメインと、シックとか、電算とかよかった
5日に3回はある電算処理のスケジュール管理にはMoleskinも正直どこまで使いこなせるかは自分でも判らないといけないというのが厄介である
今回購入したかったの?
と、O-Maruは考えてるはず。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「フタキンSkywalker」が書きました。

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2005.09.07

『軍艦島の遺産―風化する近代日本の象徴』

 軍艦島に関する著書でおそらく最新のもの。


軍艦島の遺産―風化する近代日本の象徴

後藤 惠之輔 (著), 坂本 道徳 (著)
新書: 222 p ; サイズ(cm): 18
出版社: 長崎新聞社 ; ISBN: 493149353X
(2005/04)

 軍艦島海上産業都市に住む-水辺の生活誌でも端島での生活が語られていたけども、この本では全体の1/3の70ページに渡って当時の生活ぶりが詳細に語られる。

 生活ぶりについての記述を担当した坂本氏は、小学校6年生に島に渡り、閉山になるまでの8年間を端島で過ごしている。終戦までの朝鮮人による強制労働もなく、また、組合により労働環境もよくなった頃で、端島が一番充実していた頃ではないかと思う。

 居住は一家族、2部屋が基本。2部屋といっても6畳と4畳半、もしくは、6畳と8畳といった非常に狭いもので、各戸には流しがあるだけで、便所は2戸にひとつ、風呂は全島で3箇所というものだった。しかし、昭和40年代というのはあたしの住んでいたところでもそうだったけども、プライバシーという面では劣るものの、地域がひとつの家庭という雰囲気があった。向こう三軒両隣というけども、端島では島全体がそういう感じだった。その光景がありありと目に浮かぶ。

 炭砿は24時間操業で、シフトは3パターンだった。朝8時から夕方4時までの一番方、夕方4時から深夜12時までの二番方、そして深夜12時から朝8時までの三番と呼ぶ。これがどのようなサイクルで回ってくるのかは判らなかったが、島全体の光景はさながら不夜城という感じだったはずである。ちなみにあたしの父親も化繊メーカーで工場勤務をしていて、30年ほど3交代勤務をしていた。端島と同じ時間パターンで、うちでは早番・遅番・夜勤とかと言っていたと思う。4日間同じ勤務時間が続いて、一日休みがあって、次は別のパターンに、というような感じだったはずだ。とにかくしょっちゅう生活パターンが変るので、今となって考えてみると大変だったろうと思う。また自分も、夜勤帰りで父親が寝ていると昼でも静かにしていなければ怒られたりする。これもなかなか大変だった。

 ほほうと思ったことがひとつ。端島のアパート群には9階という高層なものもあるにもかかわらず、どれもエレベータがついていない。生活するのには毎日、この9階を上ったり下りたりしなければならないのだけど、階段の作りがよく、9階まで上がってもそんなに疲れを感じないというのだ。建築物によっては階段の感覚がまったく異なる。以前にいた部署の棟は4階建てと低層だったが、最上階に上がってくる者は絶対といっていいくらい息を切らせていた。アパート群が各々橋がかけられて、地上に下りずに往き来できるというのは知っていたが、更にこういう工夫があるというのには「そらそうだろうなぁ」と思いつつ、あらためて驚かされた。

 端島を世界遺産にするかどうかということは、さておいても、軍艦島は昭和40年代という日本人が日本人らしく生きることのできた最後の時代のタイムカプセルであることには間違いない。朽ちていく軍艦島を保存するか否かは別にしても、その居住形態をもう一度研究することは十二分に価値のあることだと思う。

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2005.09.06

サスペンダー(ブレイシス)を新調

 あたしは大学の映研時代以来、20年ほどサスペンダーを愛用し続けている。人目をひくという欠点があるんだけど、とにかくベルトで体を締め付けないというのがいい。


英国ALBERT THURSTON(アルバートサーストン)社製サスペンダー

1820年、英国ロンドンに創業した老舗【ALBERT THUSTON】社のサスペンダー

 手持ちはすでに4年近く使い続けており、ヨレヨレになったので新調することにした。いつもは衣料も取り扱っているような大型スーパーの片隅に淋しくおかれているのを買ってきて使うのだけど、今回は通販を使って英国製というのを買ってみた。舶来品のサスペンダーは実は初めてである。ちなみに英国ではサスペンダーといわず、ブレイシスと言うらしい。情けのないことに今日、初めて知った。

 どうせだから今まで使っていた黒であるとか白であるとか、黒白のストライプであるとかの地味なのではなく、毛色の変わったものにしようと思って、エンジと赤のストライプなんてどうだろうと思ってみたりした。カミさんに尋ねてみると「似合うんじゃないの?」なんていうから、買ってみたものの...

 モノがついて手にすると、これが派手なんだよねぇ。今までは幅2.5cmくらいの細めだったのが、更に1cmくらい太くて、ただでさえ随分目につく。それでもカミさんは相変らず、「いいんじゃない。元気そうに見えるし(?)」という。まぁ、慣れるしかない。

 それにしても3.5cm幅のものはなで肩のあたしでもずり落ちることなく、安定している。幅がある方が多少価格が高くなるのだけど、ここまで吊り心地がよいのなら、今後はこのサイズで決まりだ。


アームバンド


 アームバンドもお洒落ではなくって、完全な実用品だと思っている。シャツは年中長袖を着ているのだけど、袖がやはり落ち着かない。自分の寸法にあったものを意識して買うという事もしないし、特に夏は袖まくりしているのが落ちて来たりして非常に鬱陶しい。最初はファッション重視でサスペンダータイプの二点で引っ張るタイプのものを使ってみたが、すぐに外れる、引っ張り具合の調整がほとんどできず、形にしか過ぎない、ということですぐに止めてしまった。

 次は金属製のリングの奴を使っていたのだけど、黒ずんでくるという以外はまずまずだったが、3、4年間という長期間、毎日使っていると突然、金属の接合が外れ使えなくなってしまった。すぐに新しいものを用意できる訳でもなく、瞬間接着剤を使ってしばらくを凌ごうと思っても、接着が難しい。

 そういう意味でアームバンドはゴムバンドタイプが一番使い勝手がよい。今使っているのがいい加減色褪せてきたし、この機会だからというので色違いを3本ほど一緒に買っておいた。バリエーションが楽しめるし、10年くらいは新調しなくてもよさそう(笑) 残るこの手のアイテムは腕カバー。この冬、長袖で仕事を始める頃には絶対、仕入れておくつもり。一見、ダサくってもあれはあれで非常に合理的なんだな。誰も使わなくなったのが不思議だ。

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2005.09.05

成果主義

 組織のうち、2割が組織を先導し、6割がそれについて行き、残りの2割が足を引っ張る。という構造があるらしい。これはかなり真実に近いと思う。すべての者が組織を先導することはできないし、このくらいの割合で構成員が構成されていないと、組織が組織として存在しえない。更に先導した者が欠けても、誰かがその代わりになり、彼がいずれかを絶対的な役割として果たすというわけでもない。

 ということで、成果主義というのは偶然によるところも大きく、実際にはまったく意味のない人物の評価の仕方ではないのかとも思うのである。

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自由競争

 資本主義は自由競争や弱肉強食が基本だと言うけども、今のアメリカを見ているとこれらが実に胡散臭く思える。

 災害が起っただけで、簡単に略奪等の暴動が起り、軍隊を派遣しないといけない。これが真っ当な状態だろうか。

 自然界は弱肉強食であると簡単にいうけども、それは単なる一面にしか過ぎない。強きものは弱きものを食うが、弱きものは強きものより絶対数が多く、食われることがあっても滅ぶことはない。絶妙なバランスを持って、それぞれが種を守っている。弱肉強食は共存のほんの一面でしかない。

 とかって、皆、気づいているんだろうけど、だからといってどういうスタイルでもって今の状況から抜け出せばいいのかってのも判んないんだよねぇ。

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2005.09.04

手帳

 紙ベースの手帳を買ってしまった。手帳を買ったのは何年振りだろうか。


MOLESKINE(モールスキン)

ゴッホをはじめマティス、ヘミングウェイ、ピカソなど20世紀を代表する芸術家、文豪たちに愛され、後にブルースチャトウィンによって伝説と共に世界中に有名になったノート

 文庫本用の革製ブックカバーを漁っていると、ワキ文具というところに辿り着き、いろいろ眺めていると何とはなく欲しくなってしまった。ちなみにブックカバーはお手ごろ価格の手作り本革ブックカバーを買う。

 メモ帳は100円ショップのダイソーで買った、A6くらいのミシン目の付いたものがよかった。各ページにミシン目が付いていて破り取れるというとごく普通のメモ帳なのだが、これは更にページの中程にもミシン目があり、1ページが3つに切り取れるというものだった。個人的には使い勝手がよく、使い切った後に購入しようとすると店頭にはすでになかった。ダイソーの在庫は気分次第なので、次に購入できるとは限らず、気に入ったものがあればまとめ買いしないといけないというのが厄介である。

 今回購入したのは使い捨てではない手帳。どこまで使うか自分でも判らない。手帳がわりの走り書きのほとんどはPCのソフト、紙copiで行っている。このソフトはテキストベースの書き込みは当然、サイトの読み込みもできるので重宝する。紙ベースでは検索ができないが、デジタルではそれが可能。これには雲泥の差がある。

 以前、スケジュールに追われるような仕事をしていた頃は、SHARPのWIZ(PA-Z900)という電子手帳を使っていた。5日に3回はある電算処理のスケジュール管理にはぴったりで、どこにでも適当に手書きで貼り付けられるクイックメモもすこぶるよかった。もともとはZAURUSを使っていたのだけど、電池の消耗がひどくあまり気軽には使えない。実際の用途にはZAURUSのコンパクト版といったような感じのWIZが最適だった。

 会計集約がメインの仕事になってからは、WIZも使う機会がなくなって、先のダイソーのメモ帳も使い切り、Post-Itばかりになっていた。Moleskinも正直どこまで使いこなせるかは自分でも判らない。
 職場の技術屋さんにはMoleskinと作りのよく似たちょっと薄手のコクヨのノート測量野帳が人気のようで、消耗品としてかなり買い込みがあった。測量野帳の使い勝手についてはその1その2を。

 Moleskinと一緒に購入してみたのがBookDartsというしおり。


BookDarts(ブックダーツ)


 しおりとして使うのと同時に、矢印で一定の箇所を指し示すことができるのが、想像以上に便利だった。銅製というシックな感じが心地よい。自宅、職場用と2缶買う。

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2005.09.03

ストレージコンテナー

 ストレージコンテナーを購入する。なんかお洒落な名前がついているけども、いわゆるボテである。職場とかでは郵便局から借りてきたのを、書類輸送によく使っている。事務屋の世界でも必要不可欠な道具であったりする。


ストレージコンテナー

 本棚に入り切らず、床に平積みしている本を収納するために、Mサイズをイエロー・ブルーの対で買う。普通の折り畳みボテに横文字のロゴシールとかが張ってあって、ほんのちょっとだけだけど、お洒落。

 雑誌のスタジオヴォイスが99年からの6年分剥きだしにおかれていたので、まず、これから突っ込む。このコンテナーのサイズは絶妙である。A4の雑誌が縦置きでぴったりに入るのである。縦置きで2列にすると中間に2cmくらいあまりが出るのだけど、任意のものを抜き出す場合を考えるとこれまたなんとも言えぬいい寸法なのである。ということで、6年分を入れるとほとんど隙間のない状態ですべて入った。

 この類の収納道具が怖いのは、大きなサイズにそのまま入るだけ入れると動かせなくなること。郵便局で働いていた知り合いは紙(お札)は汚いと言っていたが、あたしにとって紙は重い。まぁ、本棚の代わりに使うつもりだから、今のところ、動かせなくってもいいんだけど。

 ちなみにこのお店で一緒に買ったのは、ブックバンド帆布(はんぷ)のペンケース

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2005.09.02

志麻永幸『愛犬家連続殺人』

 犯人であるペット販売業の関根元(53)と前妻の風間博子(37)が逮捕されたのは、兵庫県南部地震の12日前の95年1月5日だった。その3日後、証拠のないこの二人の犯罪の証言を行い警察の立件の手掛かりを作った、この本の著者でもある関根元の経営するペット販売業の元役員山崎永幸(38)が死体損壊・遺棄の疑いで逮捕された。


愛犬家連続殺人

志麻 永幸 (著)
文庫: 312 p ; サイズ(cm): 15 x 11
出版社: 角川書店 ; ISBN: 4043553013
(2000/09)

 少し前に、保険金殺人をあつかった貴志祐介の『黒い家』を読んだばかりだったが、現実には敵わなかった。「事実は小説より奇なり」というが、殺人狂は心のない人間ではなくて、腰の低いホラ話ばかりのペット屋のおやじだった。極度の躁病を患っているという感じもある。

 共犯にされてしまった俺は殺しの現場ではなく、殺しの後の後始末を手伝った。手伝ったといっても、遺体の輸送時の運転をしたり、包丁研ぎをしたくらいだ。遺体の始末の仕方は想像を絶するもので、尋常な人間なら耐えられることのできない方法でやっている。それを夫婦で鼻歌混じりにやってのける。

「わたし、こんな奴のチンチン切るの嫌だから、あんたこれやってよ」
 博子がそう言うと、関根は「おう、分かった」と快活に応じる。

 犯人関根の殺害者数ははっきりしない。この事件では4人が殺害され、警察の判断では、証拠がなく立件できないものを含めて10数件、そして本人が言うのには35人。

「殺しのオリンピックがあれば、俺は金メダル間違いなしだ。殺しのオリンピックは本物のオリンピックよりずっと面白いぞ」

「俺は悪い奴をじゃんじゃんやっつける。俺は昭和の必殺仕置人だ。だが、鬼平みたいに警察にはならねぇ。だから個人的にやっているんだ。たまには金儲けもするが、俺の殺しは世の中のためなんだ。だが、殺しを続けていくうちに、俺は殺しの世界で一番の男になりたいと思うようになった。人間、なんでも一番になんなきゃ駄目だ。殺しにかけちゃ、俺がいまナンバーワンだ」

 「ボディーは透明」という言葉が耳に残る。

 最後の1/6は事件そのものではなく、取り調べをする警察と検察とのやりとりについて。これらの組織が駆け引きばかりでいかにいい加減であるか。ついでに取り上げられている割には、事件そのものがあまりにも淡々としているため、印象が深くなってしまったきらいもある。

 山崎永幸本人が手記として書いたということになっているが、実際には当時、週刊新潮の記者であり、後に同事件を取り扱った『悪魔を憐れむ歌』の蓮見圭一 が書いたという話である。

 山崎は実刑を受け、3年間服役したが、主犯のふたりに関しては現在も裁判が行われている。7月11日、控訴審判決で、東京高裁はいずれも死刑とした1審浦和地裁(現さいたま地裁)判決を支持し、両被告の控訴を棄却した。しかし、両被告の弁護人は直ちに上告している。

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BOOKLOG始めました

 BOOKLOGに二筋縄。の書斎というのを作ってみました。ここで紹介した書籍に関するものを転載し、まとめるといったものです。まだメンテナンス中ですが、暇がありましたら、ぜひお立ち寄りください。

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2005.09.01

順応性

 実家に預けられた上の子は、新しい学校(あたしの母校)に初登校した。

 実家に顔を出したカミさんの話によると、初日にもかかわらず、学校が引けてから早々に5人くらい家に遊びに来たという。夏休みの最後の方で近所の子供と親しくなったらしいけど、それにしても数人引き連れてくるとはなかなかのものである。あたしも順応性が悪い方ではないけど、この子には完全に負けてしまった。

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TVの影響?

 本日の夜8時前、7時55分からの5分間くらいに、このブログへのアクセスが集中していた。通常なら1時間に多くて5件くらいのアクセスなのだけど、その数10倍近くの50件弱。しかもほとんどがネット検索で辿り着いたものらしく、そのキーワードは「島の数」。TVのクイズ番組で、島の数に関係したものがあったのでしょうか。

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愛を感じる小説(BlogPet)

戦後の昭和33年までの大阪を見る目が温かい
小説自体は報告書によって表現される
このあたりは筒井でこの本を読んだのだ
そのクールさ故に余計に大阪に対する愛情が最後あらわになるのは大阪という街が掲載される
小説自体は報告書控筒井康隆(著)文庫:378p;サイズ(cm):15x11出版社:集英社;ISBN:49702X(1991/04)戦後の筒井の大阪人なものにも感銘を受けた
小松は生っ粋の大阪の興信所が作成した短編SF集で、そのクールさ故に余計に大阪に対する、日本に対する、日本を沈没させるという技術も思われるものが掲載される
そういう様子が如実に参ってしまった
このカタカナ表記は想像以上に重要な手法でなかったのかもしれない
だって♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「フタキンSkywalker」が書きました。

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