広島原爆戦災誌 第四巻
-第二編 各説 第三第四第五章 学校・宗教団体・関連市町村の状況-
900ページを読了したのは先週。この巻の内容はあまりにも重い。第三章の「広島市内各学校の被爆状況」は数千人の子供たちの死の記録でもあるからだ。
戦争真っ只中の当時は学校といっても半分程度しか授業にはなっていなかった。メインとなっていたのは学業よりも学徒動員であり、工場での労働であったり、家屋疎開の作業だった。
家屋疎開というのは、軍の施設や工場、自治体施設等の重要施設の空襲による延焼を避けるため、まわりの一般家屋を取り壊すという作業である。山林火災で延焼を防ぐため、周辺山林を伐採するのと同じ原理であり、強制立ち退きと同時にその作業も市民に強いられていた。市民の生活はすでに異常な状況にあるといってもいい。会社勤務においても職域義勇隊への参加が強制的であったりしたようだ。
当然、家屋疎開が必要なのは市の中心部であることが多く、原爆の威力にもろに晒される屋外作業の家屋疎開に関わっていた生徒の多くが死にいたる。学校をあげて200人であるとか300人とかで参加をしていて、全滅したところもある。また市の周辺の学校でありながら、中心部で作業割当となっていたため、犠牲者となったケースもある。
市の中心部の国民学校では3年生以上については田舎の親類のところに身を寄せる縁故疎開か、それが不可能な場合は学校単位の集団疎開が行われていた。これによって死を免れることも多かったが、家族が全員被爆死したりした者も多かった。大変だったのは引率の訓導(旧制小学校の教員のこと)。翌日、市内を同僚の安否確認に行き、散々彷ったあげく、2次被爆したものも少なくはない。体調を壊しながらも、今度は児童の身内への引渡し。市内は焼け野原で、その中を身内を探す。中には他県の親類のところまで送り届けた訓導もいる。また、どうしても引き取り手のいない児童については、疎開先の寺でそのままお世話になるものもいた。児童の引渡しには年末まで数ヶ月かかったところもあったようだ。
被爆により学校の多くが破壊されたが、正常に授業を行うに至るまでの道のりも険しかったようだ。父兄の援助を受け、設備を整えようとしていた聾学校では暴徒の集団によりピアノを除いたすべての物品が強奪されたこともあったという。深夜にトラックで乗り付け、見張り役もいたという極めて悪質な集団であったらしい。建設資材の盗難はどこでもあったようで、市民の精神的な荒廃がかなり進んでいたようだ。
余所の国に兵隊をやって、ドンパチやって、兵隊が何人死んだかという戦争はおそらく甘いものである。戦争の本当の醜さというのは子供たちの日常的な生活を不穏にし、そうして死に追いやる危険を作ることである。これは過去の話か? 現在進行形の話でもある。
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コメント
広島で身内を確認されたみたい。
投稿: BlogPetの「フタキンSkywalker」 | 2005.08.04 12:17