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2005.07.19

ビートたけしと内田裕也

 昨日、久しぶりに崔洋一『十階のモスキート』(83)を見る。この映画って崔洋一の監督デビュー作だったんだね。内田裕也が主演して脚本にも絡んでいるためか、すこし後の滝田洋二郎『コミック雑誌なんかいらない!』(85)と全くといっていいほどの同じテイストである。ラストも同じようなカットになってるし。

 で、思ったのはビーとたけしと内田裕也の気配が非常に似ているんだよねぇ。ともに何を考えているのか判んないところがある。たけしに関していうと『戦メリ』の「メリークリスマス! ミスター・ローレンス」の笑顔とかもあって幅広いところもあったりするんだけど、基調は無機質のなかの情動という感じ。洋画だとジャック・ニコルソンだのアンソニー・ホプキンスだのゲイリー・オールドマンがよく狂気を演じたりするんだけど、表出するもので、たけしや内田は表さないことで表現される。

 これって演じる者にまつわるものなんだろうな。たぶん。

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コメント

イヤーこの映画、見たとき、
スゲーと思いました。
だってほんと意味が分からん部分が多すぎて
つまり自分の中で終わっている話が多すぎ。
でもおもしろくないというわけではないです。
強烈で、また、無機質で、
かつ、ニヒル。
なんて、怖い映画なんだ。
サイゴに
警官役の内田裕也は
自ら捕まりながら笑顔を見せる。
その笑顔はどこか狂気を感じさせるものを
と表現しようとしているんだろうが、
私には、うちだ自身が至福の時がきたことを
感じているんだぞって感じだった。
これに小泉今日子、娘役で出ていませんでした?

投稿: ふゆのひかり | 2005.07.23 23:07

 どんな意味があるのかと言われると確かに意味判らんですねぇ... でも、あの閉塞感は判らなくもないし、出口としてああいうものを選択したというのもありかなとかって思ったりもします。
 『コミック雑誌』のエンディングは「I can't speak fakin Japanese.」という台詞で、これもなかなか凄いです。
 キョンキョンは娘役で出ていましたね。映画は初出演。翌年には主演の『生徒諸君!』(84)なんですが、そういう貫禄はまだなかったですね。

投稿: O-Maru | 2005.07.24 00:37

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