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2005年7月の37件の記事

2005.07.31

恐怖語り

 Yahoo!が 真夏のミステリー特集 2005としてストリーミング動画を公開しているのを知り、一日、見ていた。

 稲川淳二の語りは有名なのだけど、なかなか見ることができず、ここで見られたのが有り難かった。稲川というと人形ネタとか有名なのだけど、もうネタが尽きてきたのかそんなに怖いとは思わなかったが、なかなか興味深く見ていた。

 なかでもおやっと思ったのは、恐怖現場2の後半で神社を訪れるくだりで、稲川が「お寺はいいけど、神社は馬鹿にしてはいけない。お寺には先祖がいるんだけど、神社はそうじゃないんだ」というあたり。神社は先祖でなくって何が居るのかという詳しい話にはならなかったけど、確かにお寺と神社は違う。お寺と神社間違いについて、学童疎開先のほとんどはお寺で、神社は全く無かったりする。これも考えてみれば不思議だ。実家が出雲大社の分祠で、神事をやっている(結婚式のときの祝詞も彼にあげてもらった)知り合いがいるから、今度、あった時には聞いてみよう。

 それにしてもこういった恐怖話は結局、情念の話になるので、ウンザリするところもある。たぶんあたしのような人間は取り憑かれることはないと思う。

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2005.07.30

ダリオ・アルジェント『サスペリア PART2』(75)

 先日買ったサスペリア アルティメット・コレクション DVD-BOXの『サスペリア PART2(Deep Red)』を見る。

 『サスペリア』(77)の前に作成されたもので『サスペリア』とは何の関係もないなのだけど、『サスペリア』のヒットにあやかって遅れて公開された本作の邦題をPART2としたようだ。


サスペリア PART2 / 紅い深淵 完全版+公開版

監督: ダリオ・アルジェント
出演: デヴィッド・ヘミングス, ダリア・ニコロディ


 『サスペリア』よりいいという評判も少なくないが、どうなんでしょうね、個人的にはあまり好きではない。これってスプラッターの走りという位置付けでいいのかな。いやぁ、ものすごく不快な殺人の仕方をしております。精神的な恐怖というのを感じている人も多いようですが、とにかく殺し方が嫌い。ここでどういう殺し方をするのか言っちゃうとつまんないですから言わないですけど、なんであんなことを思いつくのかなぁと思う。いままでみたことがないけども、これは恐ろしくイタいと思われるのがあって、びっくりしました。

 ナイフも出てくるんですが、ナイフ、特にカミソリは本当に嫌ですねぇ。喉を後ろから掻き切るデ・パルマ『殺しのドレス』(80)だの、古いところではルイス・ブニュエル『アンダルシアの犬』(28)の眼球切り裂き、そしてアラン・パーカー『ピンク・フロイド/ザ・ウォール』(82)のカミソリ乳そぎ等々、卒倒してしまいそうなシーンが映画には登場したりするんですが、どうしてもあれだけは生理的にいただけません。


殺しのドレス スペシャル・エディション

監督: ブライアン・デ・パルマ
出演: マイケル・ケイン, キース・ゴートン



アンダルシアの犬

監督: ルイス・ブニュエル
出演: シモーヌ・マルイユ, ピエール・パチョフ



ザ・ウォール

監督: アラン・パーカー
出演: ピンク・フロイド


 セルジオ・レオーネ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)のジェニファー・コネリーが主演する『フェノミナ』(84)を映研の先輩が当時、公開される前から妙に押していたんだけど、今となってその理由がよく判った。ダリオ・アルジェント監督でしかも音楽は再結成のゴブリンだったんだね。『サスペリア』とかのファンであれば期待してもおかしくはない。見た結果としては生温いものだったけど。


フェノミナ インテグラルハード完全版 デジタル・ニューマスター

監督: ダリオ・アルジェント
出演: ジェニファー・コネリー, ドナルド・プレザンス


 この作品をみて、ヤン・クーネン『ドーベルマン』(97)を思い出してしまった。殺しのグロさが結構似ているし、ともに痛いところばかりを意思的についてくる。『ドーベルマン』も何度か目を瞑りましたよ。本当に。でも『ドーベルマン』の方がブラックながらもユーモアを意識しているし、こっちの方がたぶん好き。


ドーベルマン

監督: ヤン・クーネン
出演: ヴァンサン・カッセル, モニカ・ベルッチ

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2005.07.29

コカ・コーラのヨーヨー

 あのコカ・コーラ ヨーヨーが復刻されたらしい。

 ヨーヨーが流行ったのは小学3年生の頃。当時、「落着きをつけるため」ということで習字教室に通わされていたが、その向かいの空き地にこのヨーヨーのチャンピオンというのが来て、実演販売をしていた。東京タワーだの犬の散歩だのブランコだの、基本的な技だったが実に見事で、集まった数十人のガキはホレボレとしながら眺めていた。

 最初に買ったのは、お金もなく、150円くらいの白いビギナーだった。これはクソ面白くもないごく普通のヨーヨーで、犬の散歩もできない。当然、すぐに飽きてしまって、スーパーヨーヨーを親に泣きついて買ってもらった。340円くらいだったろうと思う。赤いヤツだった。30年前の話だから、今だと7、800円くらいにはなるだろう。このスーパーヨーヨーはこれまた操作が難しく、ビギナー同様、そんなに長くは遊べなかった。

 そのヨーヨーが復刻されて250円でコーラと共に買えるのだから、これは恐らく恐ろしく安いといえよう。ただ問題なのは購入時にどのバージョンなのか判らないこと。これは随分悪徳な商法である。懐かしい人間は欲しいのが揃うまで買ってしまうのは間違いない。

 ただ、ただ、悔しいのは、販売がセブン・イレブン限定であり、当地にはチェーン店がないから購入不可能であるということ。誰か代りにスーパーヨーヨーを確保してくれない?

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2005.07.28

うまくいかない時は...

 物事がうまくいかなくなると、いろいろなことがうまくいかなくなる。全然関係ないのに連動するようにそうなってしまう。

 今年は前厄。お祓いをしてもらった方がいいんだろうな。

 果報は寝て待て。今日はとっとと寝ちゃいます。

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ビートたけしと内田裕也(BlogPet)

昨日はニコルソンだのゲイリー・
オールドマンがよく狂気を演じたりするんだろうな
たぶん
とか書いてみるの♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「フタキンSkywalker」が書きました。

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2005.07.27

UFJ銀行フィッシング詐欺

 うちの職場のメールアドレスはスパムメールがひどい。ほとんどの部署がホームページでメールアドレスを公開しているのだけど、どこかでアドレスを登録されてしまったらしく、スパムが一日に10通は下らない。たいていがセフレものなのだけど、昨日はUFJ銀行フィッシング・メールが来ていた。

 詐欺メールだと判っているので適当にデータを入れていったのだけど、途中、クレジットカードの情報を登録する画面があって、次のようなものになっていた。

 氏名やら、カード番号やらを入力してから、送信ボタンを押すのだけど、その送信ボタンには<<提出しなさい>>と書かれてある。また、何も入力せずに<<提出しなさい>>のボタンを押すと<<確認しなさい 名>>というエラーメッセージ。この画面の一つ前のものが完全な日本語だったのに、この画面になると日本語が何となく怪しい。

 これって、あえておかしな表示にして、何かあった時には「洒落というのが判らんのかい?」とかっていう逃げにするつもりなんだろうか。非常に不思議な感じだ。とにかく名前だけはよく聞くフィッシング詐欺とやらの実物を眺めることができて、ちょっと嬉しいところです。

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2005.07.26

Nice Age

 Nice Age。知っている人は知っているYMOの曲。あたしはこの曲は紛れもない名曲のひとつだと思っている。個人的にはあまり好きではない髙橋幸宏なのだけども、この曲のボーカルだけはスゴいと思ってしまう。ユキヒロ以外にこんな風に歌える人なんて絶対いない。Her toys is borken boys.という出だしに興奮しまくった中3生でありましたが、いまだに支持いたしております。

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2005.07.25

弓曳童子(ゆみひきどうじ)

 この週末は学研の弓曳童子を作ってみたりしていた。からくり人形の最高峰といわれているもので、矢を取り、弓を弾くという動作を人形がおこなう。


大人の科学 弓曳童子



 完全な調整は出来てなくって、矢を取るあたりがどうしてもうまく行かず、落してしまうのだけど、それ以降の動作に関しては完全なものになった。詳細はここで説明されているのだけど、簡単にいえば、糸で操られる人形があって、7枚のカム板の動きによって糸が手繰られ、一連の動きをするというもの。オリジナルはもっと複雑なので、構造を簡略化できるように再構築されているらしいのだけど、それでもあの動作をやってのけてしまうというのには感銘を覚えてしまう。

 複雑なことでもやってのけようとする人間の知恵にはいつもドキマギする。機構が一目了然な機械式時計。目の前にあるものだけで、一日数秒程度の誤差で時を刻むというのは信じがたいものがある。クォーツに至っては年に数十秒でより高性能なのだけど、目に見えない部分があり、どうしても魅力は落ちてしまう。

 ゼンマイを回すという動力を与えるという操作をしていながら、それを忘れてしまい、あたかも永久機関を見ているような興奮がそこにあるような気もする。

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2005.07.24

コメディ

 子供たちがすっかりミスター・ビーンにはまってしまって、金曜日は仕事から帰ると、勝手にあたしの部屋からDVDを持ち出して見ていたようだ。土曜日も普段見ているTV番組は見ずにビーンを見ていたようだ。さらに外にはないのかと聞いてくる有様。来月くらいにアニメシリーズがDVDでリリースされるようだけど、未見。出来はどうなんだろう。

 10歳の上の子は当然、4歳の下の子にも馬鹿受けしていて、深夜にDVDを見せろなんて言ってくるくらい。TVの怪談をみて恐怖したのは5歳か6歳の時に憶えがあるが、それ以前にそういう記憶はあまりない。藤田まこと・白木みのるといえば、かの「てなもんや三度笠」なのだが、あたしはあの番組に大受けしてもの真似も随分としていたらしい。放送終了がS43.3だから3歳の時の事である。こんなことを見ていると複雑なものが入り乱れる笑いは高度な文化のように思える一方で、かなり根本的なものでもあるような気もする。

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2005.07.23

サスペリア アルティメット・コレクション DVD-BOX

 何だかんだといいながら作品自体をまともに見たことのなかった『サスペリア』。中学生時代に買った映画音楽集-SF・ホラー編にはゴブリンによるテーマ曲がしっかり入って、馴染んでいたのだけど、TVやらリバイバルでもほとんどお目にかかることはなかった。


サスペリア アルティメット・コレクション DVD-BOX



 これからじっくり観るところだけど、『サスペリア』のdtsとかでちらっと観たところでは、ホームシアターシステムを入れていないと価値は半分以下になってしまいそうです。うちはYAMAHAの一番安いのを入れているのだけども、それでもなかなか気持ちよいです。

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2005.07.22

ローワン・アトキンソン『Mr.ビーン(Mr.Bean)』(89-95)

 NHKの放映でお馴染の ローワン・アトキンソンのミスター・ビーン。高くてちょっと手が届かなかったDVDに廉価版が出たので、速攻で予約をしていたのがついた。


ミスター・ビーン Vol.1

ローワン・アトキンソン


 下らないっちゃ下らないんだけど、NHKでやっているとついつい最後までみてしまう。しかも、何度目かにもかかわらず、やはりみてしまう。系列的にはチャップリンの無声時代と同様の古典的なパントマイムコメディになる。それにしても妙な魅力を持った作品である。


ミスター・ビーン Vol.2

ローワン・アトキンソン


 コメディというのはおそらく観客の期待通りで、なおかつ、期待を裏切るというのが要になってくると思う。いかに観るものを引っ張り回すか。絶妙なセンスが要求される。


ミスター・ビーン Vol.3

ローワン・アトキンソン


 久々に家族4人でなにも考えず笑い転げた。

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2005.07.21

ネットを始めて10年

 @niftyから「本日で10周年だよん」というメールが届いた。95年7月21日に入会したらしい。

 Nifty-Serveでパソコン通信を始めた頃はまだPCを持っていなかった。何を使って通信していたのかというと2代目くらいのZAURUSにモデムを付けてやっていた。デフォでは自動巡回できないので、課金節約のためにスプリクトを書いてログを落していた。RT(リアルタイム会議室)でのチャットはZAURUSの手書き認識による手書きチャット。電子手帳フォーラム(だったっけかな? FENOTE)というところで常駐していたので、ZAURUSでのスローチャットは黙認されていた。さらにあるメンバーが電話線が短かったため、立ったままで手書きチャットをしなければならなかったということがあったらしく、更には「立ちチャット」なるものが奨励されていた。

 ちなみに初のオフ会は通信を始めて2ヶ月半後のことだった。オフ会というより、会議室をROMしていたまったくやりとりのない人に「そっちに行くから会おう」という有無を言わさぬメールを貰って、やむを得ずというものだった。その後も彼から忘年会とか誘われたがもちろん顔を出していない。

 ZAURUSではログの一時保存しかできず、レスを書くのにもいい加減時間がかかったのでPCの購入に踏み切る。確か10月1日が記念すべきその日のはずである。30歳になって半年目のこと。PCが嫌いなので避けていたのではない。その正反対である。実際、コンピュータに触ったことがないのにSEを志望して、ソフト会社へ就職活動をしていた。触ると逃れなくなるのを知っていたから触らないでいた。パソコン専用機はすでに10年というキャリアがあり、NECの文豪7シリーズを使っていたので、PC-VANに加入していてもおかしくなかったのだけど、何故かNifty-Serveと同時の加入で、実際にはほとんどアクセスせずに終ってしまった。

 PCを買ってからは課金節約のための工夫の日々がまずあった。深夜3時に料金形態が安くなるので、オーディオタイマーでPCを起動させるようにし、それから自動巡回するようにした。そういう工夫をしたおかげで課金が4000円を超えたことはほとんどなかった。

 それから1年後にインターネットベンチャーだったベッコアメをプロバイダにしてインターネットを始めた。96年10月10日のことらしい。インターネットをしようと思いついて、雑誌『インターネット』を買ってきてすぐにベッコアメにオンラインサインアップをした。思いついて数時間後にはネットサーフをしていたことになる。プロバイダとの付き合いで一番大切なのはクレジットカードを持っていることだ。クレジットカード会社というのは基本的に借金をさせて、その利子で利益を得ている。基本的に借金は嫌いなのでカードを作る気はなかったのだけど、Nifty-Serveに加入する段階で必要となり、初めて作った。今では借金せずにカードを使い、しかも5、6枚を使い分けてそれなりのプラスαも得ている。ものは使いようだと思う。

 2400のモデムからADSL。もう少しの負担を許せば光。特に懐かしむつもりはないが、この10年間に通信環境は随分変ったものである。そうして、こういう環境に恩恵を受けている自分はどのくらい変ったのだろうか。

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2005.07.20

広島原爆戦災誌 第三巻
-第二編 各説 第二章 広島市内主要官公庁・事業所の被爆状況-

 609ページを読了する。

 5年前の芸予地震は週末に起ったのだけど、地震の直後、休日出勤していた職員の何人かが帰宅し、このことが首長をひどく怒らせた。職を完うするというのは難しいというひとつの例である。

 この巻ではそういった職に纏わることについて述べられているが、大災の中を負傷した体で職場の状況を確認しに行くという有様がごく当たり前のように語られる。取り上げられているものが公に近いものが多いためというのもあるだろうが、戦時中の緊迫した空気というもの少なからず反映されているのだろうかという気もする。生活人という感じではないのだ。阪神大震災の時はどうだったのだろう。状況的には近いはずである。

 金庫の性能には驚いた。爆心地からの近距離のものを含め、ほとんどの金庫(銀行等の)が焼失から内蔵物を守っていたようだ。ただ金庫内におかれていた縦横1m深さ1.5mの貯水槽の水が金庫を開くことができるまでの1日間に半分に減っていたということもあったらしく、極限に近い状況にあったのは明らかである。

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2005.07.19

ビートたけしと内田裕也

 昨日、久しぶりに崔洋一『十階のモスキート』(83)を見る。この映画って崔洋一の監督デビュー作だったんだね。内田裕也が主演して脚本にも絡んでいるためか、すこし後の滝田洋二郎『コミック雑誌なんかいらない!』(85)と全くといっていいほどの同じテイストである。ラストも同じようなカットになってるし。

 で、思ったのはビーとたけしと内田裕也の気配が非常に似ているんだよねぇ。ともに何を考えているのか判んないところがある。たけしに関していうと『戦メリ』の「メリークリスマス! ミスター・ローレンス」の笑顔とかもあって幅広いところもあったりするんだけど、基調は無機質のなかの情動という感じ。洋画だとジャック・ニコルソンだのアンソニー・ホプキンスだのゲイリー・オールドマンがよく狂気を演じたりするんだけど、表出するもので、たけしや内田は表さないことで表現される。

 これって演じる者にまつわるものなんだろうな。たぶん。

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2005.07.18

今関あきよし『アイコ十六歳』(83)

 監督があんなことで捕まっているから、素直に評価のできなくなっている『アイコ十六歳』。それでも富田靖子のデビュー作であるこの作品は、彼女のためにつくられたものといっていいほど、富田が輝いて見える。


アイコ十六歳

監督: 今関あきよし
出演: 富田靖子, 松下幸枝


 こんな事を言うと気分を害する人もいるかもしれないが、あたしはサザンオールスターズは好きではない。キャンディーズと入れ替わりのように現れた彼らは何を言っているのか判らないし、短パン姿というのがどうしようもなくきちゃなくて好きになれなかった。学生時代、サークル仲間とのカラオケはサザンが当たり前で、延々続く。しかも調子こいで腰ふって歌うというヤツがいて頭が痛かった。が、この映画の音楽を担当しているサザンは嫌いではない。あたしがカラオケでサザンを歌うとすれば、この映画の挿入歌である「NEVER FALL IN LOVE AGAIN」と「YaYa (あの時代を忘れない)」くらいだろうか。

 母親役の藤田弓子は45年生まれで当時、38歳。富田靖子69年生まれ、現在、36歳。藤田は2年前の『泥の河』でも十分に母親役を努めていた。今の富田というのは、どうなんだろう。母親を演じられるか? 最近はまともに見かけず、先日、クイズ番組で何年振りかに見かけたのだけど、非常に中途半端な存在にしか見えなかった。なんか悲しい。今やなんでもありになってしまった松下由樹が本名の松下幸枝で出ているが、これは言われても判らない。整形でもしたんだろうか。

 原作はひとつ年上の堀田あけみ。ちょっと嫉妬を覚えた憶えがある。

 珍しく色んな複雑なものが交じる一本。青春の一本という感じではないんだけどね。

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2005.07.17

小栗康平『死の棘』(90)

 学生時代この映画を観た時、恐怖してしまったが、これが実際に我が身になろうとは思ってもいなかった。いや、思っていたから、その身近なものとして恐怖していたのかもしれない。

 浮気性の教師の旦那に対して精神異常を来す妻。旦那を岸辺一徳、妻を松坂慶子が演じるのだが、松坂の『わたしのあなたのために尽くした10年を返せ』という台詞と様は特異なものであると思っていたのだが、決してそうではないようだ。まぁ、あたしの場合は浮気が仕事だったのだけど。

 こういう状況になったら、ふと、人生を下りてもいいかな、と思ったりもします。

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2005.07.16

入札忘れ

 20年前に出された細野晴臣のはっぴいえんど時代のボーカルものを集めた『アーリー細野晴臣』というアルバムがあるのだけど、非常に素敵な割には廃盤になってて入手できない。再販もないようだ。15年位前にレンタルCDしたものをカセットテープに落したものがあるんだけど、聴き込んですでにボロボロになったテープをラインインでPCに録音。ここ5、6年はそうやってmp3にしたもので聞いている。辛うじて曲としては聴けるものの、音質とかは最低である。

 そのCDが先日、ヤフオクで出品されていた。年に一回出るか出ないかで、新同品なら1万円近くになるのだけども、まぁ、入札者のあたりにもよるけど使い古されたものだと2000円もしなかったりする。今回も1100円という比較的安値で落札されていたようだ。数日間「入札しなくっちゃだわ」とずーっと思いつつも、終了間際に入札し忘れていたのがどうしようもなく悔しい。

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2005.07.15

暑い

 ここ数日の職場の暑さは尋常ではない。冷房の温度設定は28度ではなく30度くらいにしているのではないかという気がする。なんちゃらというヤツで(意味不明な言葉を使うんですっかり忘れちまったよ)、ノータイとかをやっているらしいけど、ここ数年、ノータイで過ごしている不良公務員のあたしですら、かなりきつい状態。

 あまりにも気温が高いと扇子やらうちわが何の効果ももたらさなくなる。扇いでいるとその運動のために、更に暑くなるというだけのむなしさ。中途半端な、あるのかないのかわからないような冷房なら、窓を開けて空気を流した方が涼しそうなのだが、どうなのだろうか。夏場かだから書類が飛ぶような風が吹くでもないし、週明けにでも試してみよう。

 ここんところそんなに忙がしくなく、定時以降の空調の止まってからの残業はしていないのだけど、課内の業務を管理するデータベースシステムを本格的に構築するという話になってて、しかも来月末には最低でも機能の半分を稼働させないといけないらしい。灼熱地獄での頭脳活動はできたもんじゃないんだよなぁ...

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2005.07.14

「広がりつつある被害」

 ニュース番組をみて何時も気になるのが「被害は拡大する」という言い方。リアルタイムで火災とかが起こってて、実際に被害が大きくなっている場合なら当然なのだけど、済んだ災害に対して犠牲者数等が明らかになっていく時にもよく使われる。表現としては非常に拙いのだけど、なぜ、このような表現がまかり通るのか。「判明した被害の規模は拡大している」の「判明した」が抜かされるとなんだか落ち着きません。

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2005.07.13

市川崑『東京オリンピック』(65)

 一年前に出ていたのになかなか買えなかった一本。ヤマダ電機のポイントサービスが160%で使えるというので、子供のゲームボーイアドバンスのソフトと一緒に買う。


東京オリンピック

監督: 市川崑


 公開当時は記録的でないということで批判のあった作品らしいけど、初めてみた時から好感的に観ることができた。記録的でないというけども、観客の様子などの捉え方が絶妙で日本人にとってオリンピックというものがどんなものだったのかがつぶさに判る。これが記録的でないというと何が記録的なのだろうかと思ってしまう。競技を主催している者にとっては競技の記録としては物足りないかもしれないが、あの時のオリンピックを知るのには非常に優れている。

 DVDには70ページ強のシナリオが掲載されている。記録映画にシナリオというのは非常に奇妙に感じるかもしれないが、物事には視点というものが必要であり、あらかじめ概略としての筋があることはおかしくない。というか、それがなければ編集時に編集ができない可能性も出てくる。ただこのシナリオが異質なのは、

 この映画は純然たる記録であって、しかも単なる記録に止めてはならない。
 昨今人々は現実に対して中毒症状を呈している。「事実は小説より奇なり」という言葉を、全く無邪気に受け入れ信じ、ほんとうでないと、或はほんとうらしくないと鼻もひっかけない精神状態である。ほんとうにぽんとうでないと面白くないという精神状態は、本当は異常なのだ。精神が衰弱している状態だ。
 現在の我々に欠けているものは、つくりものを尊ぶ気風である。我々一人々々の心の奥にデンとあぐらをかいている「尊いのはほんもので、つくったものはまやかしだ」という信仰をこっぱみじんに砕かねばならない。
 なぜなら、オリンピックは、人類の持っている夢のあらわれなのだから。

 正確に、生々しく、ほんものをカメラが捉えるのは、そのほんものを通して、一層新鮮なイメージを、人間この不思議な生物に対する新らたな発見、驚き、そして観る人個々の脳裡に新らしい人間のドラマを展開させたいからに他ならない。
 重ねて、我々はこの映画を単に正確な記録として製作するのではない。我々はこの映画を創作するのであり、このシナリオは、その最初に踏み出す一歩の一助にと願うのである。
 そしてこの映画を観る人には、人間のすばらしさとかなしさを!

 という<序>があり、撮られるべきエピソードが架空の例であげられていたりするのだ。脚本には詩人でデストロイヤーの谷川俊太郎も参加していて、そこそこの影響を受けていのではないかという気もする。何れにせよ、結果的には非常に臨場感のある、死んだ記録フィルムでないので好ましい。

 ディレクターズ・カット版はまだ通して観ていないが、本編22分のカットと5.1ch化がその内容になるのだけど、5.1ch化はそれほど臨場感もなく上手くできているとは思えない。モノラル録音のステレオ化は難しいんだろうな。

 オリンピック映画というとベルリン・オリンピックのレニ・リーフェンシュタール『民族の祭典』(38)や同『美の祭典』(38)があるけども、これも躍動感あふれて非常によい。ナチスのプロパガンダ映画として忌み嫌われるところもありますが、監督は純然たる作品として撮っていたんじゃないでしょうか。

 今は亡き体育の日が東京オリンピックの開会日(10月10日)をもとに66年に制定されたのは初めて知りました。市川崑、15年生まれの90歳。ヘビースモーカで有名なんだけど、肺ガンにもならず頑張っていらっしゃるのはなかなか素敵です。

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2005.07.12

ココログ出版は使えない

 過去ログのコンバートを思いついたのは、ココログ出版があまりにも中途半端だったから。

 ブログは日記的な面があるためやはり保存しておきたいという気分になる。通常に公開している状態では、コメント・トラックバックが見られない。かといって、費用を出して作成してもらうココログ出版となると、表示フォーマットは定型で文字修飾も反映されない。さらに画像は一日につき1枚のみ。そして、コメント・トラックバックはすべて対象外。まぁ、仕様としてはあたしにとっては論外に近い。

 mtlogconvのコンバートはまだまだ改良の余地はあるものの、使える範囲にはある。とりあえずhtml化したものをpdfにでもしておけば、何かの時(プリントするとか)には使えるだろうと思う。

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過去ログ

 過去ログを整形してみました。ブログ形式のままだと、コメントやらトラックバックが参照できないので、このサイトにあるmtlogconvを用いて処理を行いました。スタイルシートも改造したものを使っています。

 2005年03月 2005年04月 2005年05月 2005年06月

 文字化けした場合は、エンコードを日本語(シフト JIS)に変更すると正常に表示されます。

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2005.07.11

献血

 5年かそこいら振りに職場で献血をした。献血をするのに抵抗はないが、しばらく職場が辺鄙な棟にあったりしていて、そのおかげで遠ざかっていた。市町村合併で献血活動に大きなダメージがあると聞く。市町村役所という貴重な巡回先が減るかららしい。

 相も変わらず血の出は良いようで、久しぶりの今回も「早いですねぇ」などと言われる。

 しかし、5年もあいだが開くと随分変っていたものもあった。献血協力者がデータベース化されているらしく、おそらくPHSだろうと思うけど、それを接続したノートPCを操作されながら受付けされた。協力者の管理は重要だと思うし、そういうスタイルで巡回しているというのはさすがだと思った。でも、残念なことにあたしの過去のデータはなかったようだ。

 初回の献血は散々なものだった。大学のサークルBOXにいるとすぐ隣にある赤十字病院の血液センターの職員が献血の依頼にき、それに従って初めての献血をした。こんなものかと思いつつ、無事献血を終え、BOXに戻ろうとすると、白い綿のジャケットの腕が赤く染まっている。十分に注射の跡を押さえて止血したつもりが、不十分だったらしい。タラタラと血が流れる腕を押さえて、センターに戻った。血染めになったジャケットをみてセンターのひとがクリーニング代を負担すると申し出て下さったのだけど、どうでもいいような服だったので断った。その血染めのジャケットをそのまま来て帰れる訳もなく、かと言って、どうしたのか今はもう思い出すことができない。

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2005.07.10

訃報/串田孫一 エド・マクベイン

 朝刊で知った訃報。

 串田孫一のエッセイは好きで、何冊か読んだ。どんな人かまったく知らなかったのだけど、エッセイの妙に面白い人だった。読んでいたのが20年以上前で、その頃の著者近影ですでに禿げておられ、高齢という印象があり、とっくに亡くなっているとばかり思っていた。

 エド・マクベインの評判の87分署シリーズは読んだことがない。しかし、彼の小説を原作とした、黒澤明『天国と地獄』(63)や市川崑『幸福』(81)では社会の底辺に生きる人たちの犯罪が描かれ、その視線に何とも言えないものを感じたものだった。ちなみにヒッチコック『鳥』(63)の脚本を担当しているというのは初めて知り、意外だった。

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2005.07.09

RCCテレビ『被爆60年 ヒロシマの記憶』

 RCCテレビ『被爆60年 ヒロシマの記憶』.を紹介しておきます。

 1945年、被爆2ヶ月後の広島の様子を日本映画社が撮影した白黒映像のフィルムがあります。このフィルムは映画「広島・長崎における原子爆弾の効果」(原題:"The Effects of the Atomic Bomb on Hiroshima and Nagasaki")として編集され、アメリカで軍事目的に使われました。しかし広島の各地が写った2時間近い未編集フィルムが現存することは、意外に知られていません。
 映像は60年近い歳月を経た今も、まるで最近起こった事であるかのように鮮明です。

 RCCでは、このフィルム映像をハイビジョンにデジタル処理し、撮影場所を一つ一つ訪ねる「ヒロシマの記憶」を制作しています。被爆60年のレギュラー番組です。

 RCC中国放送が制作している5分間番組ですが、それまで文字でしか知ることのできなかった様子が映像で見られ、非常に貴重な資料です。柳田邦男『空白の天気図』で取り上げられた枕崎台風の大野陸軍病院での京都大学研究班の遭難(山津波)も一本の番組で紹介されています。

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広島原爆戦災誌 第二巻
-第二編 各説 第一章 広島市内各地区の被爆状況-

 899ページを読了。

 この資料は『広島市全域を36地区に分け、各地区ごとに被爆直前直後の状況を取りまとめて、終局的には広島市全体の惨禍が把握できるようにつとめ』られたもので、地区の概要・疎開状況・防衛態勢・避難対策・存在した陸軍部隊集団・五日夜から炸裂まで・被爆の惨状・被爆後の混乱と応急処置・被爆後の生活状況・終戦後の荒廃と復興の10項目について詳細な記述が行われている。

 爆心地から半径2kmの被害は著しく全焼し、完全な焼け野原となった。おそらく3km圏は全壊状態でひとがそのまま住める状態ではないだろう。そして人的被害は言語に絶する。

 非常に辛いのはそれが通常の爆弾による負傷でなく、核爆弾によるものであるということだ。負傷がそれほどでなく命に別状ないと思われても、原爆症を発症し、苦しみながら死んで行く。助かったと思っても、助かっていないかもしれないのだ。それは数日かもしれないし、数年かもしれない。井伏鱒二『黒い雨』のベースにされている重松静馬『重松日記』でも、一緒にあの日の市内を彷った姪っ子が被爆10数年後に発症し亡くなる。こうの史代『夕凪の街 桜の国』でも同じようなことがおきる。物語の前半「夕凪の街」の最後の台詞。

 嬉しい?
 十年経ったけど、原爆を落したひとはわたしをみて、「やった! またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?
 ひどいなあ てっきりわたしは死なずにすんだ人かと思ったのに



黒い雨

井伏 鱒二 (著)
文庫: 403 p ; サイズ(cm): 15
出版社: 新潮社 ; ISBN: 4101034060
改版(1970/06)




重松日記

重松 静馬 (著)
単行本: 291 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 筑摩書房 ; ISBN: 4480818189
(2001/05)




夕凪の街桜の国

こうの 史代 (著)
単行本: 103 p ; サイズ(cm): 21
出版社: 双葉社 ; ISBN: 4575297445
(2004/10)

 広島は軍事都市でもあり、それが故に原爆投下の標的になってもいる。市の中心部に駐留していたものは壊滅したが、被災後の宇品の暁部隊の活躍が著しい。市がほとんど機能しなくなっていたため、救援、遺体の処理、道路の清掃等を一手に負っているような感じがある。戦時であり、軍のウエイトが非常に高くなっているとはいえ、ここまで献身的に活動を行うものなのかという印象が残る。それほど、各地域で活動を行っている。被爆は直接被爆だけでなく二次被爆もあり、かなり者が被害を受けているはずである。また、地元住民に関しては、行方不明の身内を心当たりの場所を捜索し、探し出した遺体を埋葬を行っているが、各地から招集されていた兵はいったいどのような扱いになったのだろうかと気になった。無縁仏になったものも多いのではないか。

 幸いな面もいくつかあった。広島が水の都であったということ。陸路の多くは火災や建物の倒壊で寸断されていたが、川を使うことにより、船による救援が可能であったこと。橋が落ちることで火災からの逃げ場を失うことも多かったとは思うが、それ以上の利便性はあったのではないかと思う。また水に入ることで火災による焼死を逃れることが出来た者もいたようだが、これは数時間に渡る攻防だったものもあり、想像しただけで気が遠くなる。終戦一ヶ月後の9月17日の枕崎台風ではおそらく1000人近い死者を出していると思われるものの、10月の豪雨に加え、市内が完全に洗い流されたことは復興に一役買っている。

 終戦後、機能しなくなっていた警察の代わりに町内会が取り仕切り、治安に力を入れていたが、進駐軍による町内会の解体により追い剥ぎ等が横行し、治安が著しく悪化したようだ。『はだしのゲン』を注意してみるとその様子が描かれていたりするが、あまり意識していないことだった。



 ちょっと余談。

 今では道路公団で有名な猪瀬直樹氏が『黒い雨』と井伏鱒二の深層ということで、『重松日記』に絡めて井伏鱒二を批判している。『黒い雨』は重松氏により提供された『重松日記』を多用しているが、決してそれに肉付けをしただけの作品ではない。双方を読むと井伏の作品の奥行きが顕著になるのだが、それが感じられない猪瀬氏が不思議でならない。

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2005.07.08

テロと死刑

 イギリスで同時多発テロがあったらしい。

 テロは限りなく悪で、国家による戦争は正義であったりする。この差はいったいなんなんだろう。

 殺人を犯すと裁判で裁かれ、死刑になることもある。公認の殺人。よく判んない。

 一番理解できるものといえば、殺されたものの身内による仇討ち。これは仕方ないと思ったりする。死刑は廃止して、復讐禁止令(1873)の解禁を! とかって言ってみたり...

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とある映画ファンのバイブル2/
A・タルコフスキー『映像のポエジア』(88)

 週末に放送されていた怪獣映画にはまったあたしは、SF映画やらB級ホラー映画が専門となった。まぁ、TVでやる映画というのはこういうのばかりだから、致し方ない。ヒッチコックのサスペンス映画も当然好きだった。

 高校時代にデビッド・リンチの『イレイザーヘッド』(77)を何も知らずに見てぶっ飛ぶ。映像の力を思い知ったのである。ヒッチコックの畳み掛けてくるようなモンタージュは確かにハラハラドキドキさせてくれるが、リンチのイメージの世界はそれ以上に直接的であり刺激的だった。こう単純に言っていいのかどうか判らないが、邪悪なものがリンチなら、その反対にあるのがビクトル・エリセであった。人の心を微妙に映像に晒しだす作家だった。『ミツバチのささやき』(72)は最も優れた映画の一本である。その後、アンドレイ・タルコフスキーに出合う。

 タルコフスキーの作品で一番最初に観たのは『ノスタルジア』(83)だった。すでにタルコフスキーがなくなってから数年が経っていた。その主人公と完全に同化してしまう映像表現は映像をすでに超えていた。


映像のポエジア―刻印された時間

アンドレイ・タルコフスキー (著)
鴻 英良 (翻訳)
単行本: 358 p ; サイズ(cm): 22
出版社: キネマ旬報社 ; ISBN: 4873760305
(1988/01)


 タルコフスキーの映画論の集大成。20年間書き溜めていたものを本人がまとめていたようだ。映画とは何か。作品をつくるということはどういう事か。ということが主に語られるが、テーマは別のところへと段々とずれていく。このひとの作品を観れば判るのだが、このひとは宗教的である。宗教的と云っても人格神に対する信仰でなく、神秘主義的の立場に立ったものである。

 この本の凄さは表現できない。映画に関する本と云うだけでなく、人生、生きていくということに関しての本でもあるのだ。

 タルコフスキーの映画に出会うことができるか否か。出会っても、それをなにか重要なものを持ったものと思えるか否か。選択は厳しい。

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2005.07.07

とある映画ファンのバイブル1/
『映画術―ヒッチコック・トリュフォー』(81)

 中年ゲーマーさんのところのブログで非常に懐かしい思い入れのある本に触れられていたので、その本について。


映画術―ヒッチコック・トリュフォー

フランソワ トリュフォー (著)
山田 宏一 (翻訳), 蓮實 重彦 (翻訳)
単行本: 384 p ; サイズ(cm): 26 x 19
出版社: 晶文社 ; ISBN: 4794958188
改訂版 (1990/12)


 小学生の頃にTVで観た『鳥』(63)があまりにもショッキングで、それ以降、ファンになってしまったヒッチコック。とにかく巻き込まれを主とする物語りのスタイルは観るものを引きずり込む。最近では彼の作品が放映されることはほとんどなく、若い人だとまったく知らなくてもおかしくないような状態になってしまったが、20~30年前は定番的にTV放送されていて、何時も楽しみにしていたものだった。また、20年程前にはヒッチコックのリバイバルブームがあって、封切舘でも何本かかかっていた。

 映研に入って映画を作るにあたって何か参考になるものが欲しい。本屋を漁ってて見つけたうちの一冊がこの『映画術―ヒッチコック・トリュフォー』だった。映画ヲタで映画評論家になり、そして映画も作ってしまったという永遠の映画少年のトリュフォーがヒッチコックの全作品についてインタビューしたものをまとめたのがこの本なのだが、ヒッチコック映画のエッセンスというようなものが浮彫にされていて、なかなか興味深い。

 例えば<マクガフィン>とヒッチコックが呼ぶものがある。<マクガフィン>は物語の発端となるもの、それはスパイたちが探ろうとしている秘密であるとか、暗号であったりするのだけど、それを詳細に解き明かす必要はないと彼はいう。必要なのはそれをめぐるドキドキハラハラであり、物語の切っ掛けなんてどうでもいいということなのだ。その典型はおそらく『鳥』になるだろう。鳥は何故あのような人間を攻撃するような行動に至ったのかという説明は全くない。

 『サイコ』(60)のシャワーシーンなどをはじめとして、ヒッチコックは見せる編集にもこだわり、その内容にも詳細に触れられる。映画人としては読んでも損がないと云うか、一度は読んでおきたい本である。あたしの持っている本は84年の初版11刷なのだけど、今は改訂版になっているようだ。

 この本は映研時代前半のバイブルで、再び、名著に出合うことになる。その本については後ほど。

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2005.07.06

民主主義

 全員一致が条件で結論を下す陪審員制度も胡散臭いが、限りなく賛成と反対が近い状態での可決を良しとする議会制民主主義というのも随分胡散臭い。

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2005.07.05

骨折

 先週、息子が開いたドアを蹴って、足の指が痛いと言っていた。痛いと言うものの特に張れているでなく、痛さのあまり歩けないということでもなかった。多少の痛みがあるものの、走り回っているしで、放置していたが、1週間近く経っても痛みがとれないというので、整形外科に行くと先の方をどうやら骨折してたらしい。すでに歪んで折れた骨がくっついているという医師の話らしく、それなら必要もなかろうにと思うものの、足先を鉄板に固定されて病院から帰ってきた。医者のすることはよく判らない。

 骨折というと、今の賃貸アパートに引越ししてきた時、新築でフローリングがあまりにも滑りがよく、足を滑らせて勢いよく尻もちをついてしまった。尻から着地したような感じになって、尾てい骨の強打。歩こうとすると打ちつけた尾てい骨が響き、まともに歩けなくなってしまった。尾底骨にひびが入ったらしいのだが、固定する方法もなく、鎮痛剤を飲むことで痛みを押さえ、自然治癒するのを待った。まぁ、1週間もかからないうちに薬がなくてもそんなに痛まないようになったが、あれも死ぬかと思ったものだ。

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2005.07.04

がんばっていきまっしょい

 「がんばっていきまっしょい」がTVドラマ化されたらしい。関西テレビ制作でフジテレビ系で5日火曜夜10時から11回シリーズで放映が始まる。「がんばっていきまっしょい」と云えば98年に田中麗奈主演で一度映画製作されており、2度目の映像化となる。原作は第4回坊っちゃん文学賞で、大賞をとった同名小説。舞台となる高校は、旧制中学時代、たった一年間だけだけども夏目漱石が教鞭をとり、大江健三郎の出身校となる公立では県下でトップの進学校である。

 原作者の敷村良子さんはあたしの小学校・中学校の3年先輩にあたる人。小説は確か市の広報紙に連載されたと思うけど、読んでない。映画はTVで何度も見るチャンスがあったのだけど、中盤まで見て、田中麗奈の顔の怖さに毎回挫折している。実を言うと内容は全く知らないのである。

 そりにしても、小説の発表から10年目、そして、映画化されてから7年目のドラマ化。時代がこのドラマを必要としているとでも云うのだろうか。

 ちなみにこの作品が大賞をとった時の坊っちゃん文学賞の事務局を担当したヤツと一緒に仕事をしたことがあるのだけど、いろいろ面白い話を聞いた。まず、審査員には故影山民夫氏もいたのだけど、この人は非常に腰の低い人で親切で優しく親しみやすかったという。一方、編集長あがりの某氏は態度が横柄で、神経を使わなくてはならず扱いにはとにかく困ったらしい。映画化にあたって監督が突然来庁し、出資を求めてきたが、そんな予算は当然なく、ロケ地を紹介する程度に留めた等々。委託が大半とはいえ、平職員が一人で担当するのにはちょっと大きなイベントである。

 たぶん、今回のドラマ化もまともには見ないような気がする。なんといっても、地元校、しかも母校が夏の高校野球の決勝戦に出ても「負けるよ」と平気で云ったりするヤツだから。

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うちわと火おこし

 世界大百科事典(第2版)の「うちわ(団扇)」の項を見ると『とくに柿渋を塗った渋うちわは,台所の火あおぎ用として一般に用いられ,〈貧乏神の渋うちわ〉といわれて庶民の台所の代表的な道具にまでなった。』という記述がある。渋団扇というと今ではものめずらしいものになってしまったのだけど、過去にはごく普通のものだったようだ。

 そう云えば、昔、火あおぎを日常的にしていたことがある。小学5年生くらいまで実家の風呂というのは薪をくべて温めるタイプのものだった。さすがに五右衛門風呂ではなく、循環式のものである。ばあさんの家は五右衛門風呂で、浮き板に乗っかって湯船に浸かっていた。

 小学校に上がった頃から、風呂焚きの仕事を親に命じられた。前日の灰の掻き出しが終ると、毎度毎度公認の火遊び大会である。すぐ裏が田ん圃だったので、アオガエルとかそのあたりに幾らでも居る。当然のように火焙りの刑である。そんな訳で、面白くないこともないが、風呂が沸くのに40分はかかって、ずーっと見ている訳もいかず、頻繁に外にまで様子を見に行かないといけないのが面倒だった。また、冬とかは寒くて、火遊びなんてもうどうでもよくって嫌だと云うと「お前の仕事なのだからしろ」と怒られた。一度、近所の友達と一緒にその作業をして、こっ酷く怒られた。風呂焚きと云えど危険なので、絶対、よその子は寄せてはいけないというのだ。風呂焚きは孤独な作業でもあった。

 風呂焚きではもちろん団扇を使っていたが、銀行かどっかから貰ったごくふつーのプラスチックの骨のものだった。渋団扇をまともに手にしたのは今回が初めてである。

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2005.07.03

蔵書票の作成は...

 今回、そろり文庫さんに石版画の蔵書票を作ってもらって思ったこと。

 石版画は一回限りで、刷り直しが利かない。その不利を逆手に取って、毎年、その年で使い切る少数枚(20枚くらい)ずつを年の初めに作ってもらうと云うのも面白いと思った。うちの親というのは何かものを買うと購入日を書き記していた。あたしにはそういう趣味はないが、そういうのが判るのも悪くはない。蔵書票に作成年を入れておけば、購入年も自動的に判るということになる。しかも、テーマはずーっと「ふくろう」。余った(余らせた)蔵書票をストックしてライブラリにするのも面白そう。まぁ、これも作成をお願いするささおかさん次第なんですけどね。

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大雨

 渇水だと思ってたら昨日から大雨。NHKではテロップで地元の情報が随時流ているんだけど、床下浸水も起きているらしい。

 4月までいた部署では、たぶん、昨日の夜半から今日の早朝にかけて招集がかかっているはず。必然的に土砂降りの中を出勤することになる。大雨だけならまだしも、台風だとかだと風もあり危険が伴う。

 今の部署では直接は関係していないが、被害が大きくなると応援で出動がかかる可能性はある。

 何れにせよ、天気だけには敵わない。

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2005.07.02

蔵書票/ささおかあやこ「みつめる夜 1&2」(05)

 ここで紹介したそろり文庫のささおかさんから待ちに待った蔵書票が到着する。

 初めは何の注文もなく蔵書票の作成をお願いしたのだけど、さすがにこれはささおかさんにとって厳しかったようだ。ヒントをくださいと云う依頼があった。あたしも随分、失礼で不躾なことをしたと思う。

 そこであらためて『平凡にはなってしまうのですが、ギリシャ神話で学問と芸術と知恵の神とされている「フクロウ」をテーマにお願いすることにします。ただの鳥としてのフクロウではなく、「知恵の象徴」としてのフクロウということで作っていただけたらと思います。』というお願いをした。

ExLibris
 完成した蔵書票は2枚組みのもの。サイズはお願いした通りの名刺大(91*55mm)で四色刷り。各々15枚ずつ計30枚を作成して頂いた。画像をクリックすると拡大表示されるので是非詳細をご覧ください。

 あたしの依頼(テーマ)に対して、ささおかさんは『ふくろうの光る目の中には、物事を遠くで見守る穏やかな面と鋭く見つめる厳しい面が存在している。夜半、街中に降りてきてはそんな2つの目で世の中を見続けている』というイメージで作成して下さったとのこと。これ以上はないという程上手くイメージを膨らませてもらったと思う。絵画的な才能(技術)はもとより、こういったイマジネーションにかかる能力も非常に大切なものだと実感する。

 非常に穏やかな細かなタッチで、しかも奥行きを感じさせる図柄。正直言ってこんなに素敵な出来なのなら無理をしてでももっと刷っておいてもらえばよかったと思った。石版画の場合は、版が残らないので刷り直しが不可能なのだ。票といっしょに、『石版画のつくりかた』も送って頂きました。けど、あまりに複雑過ぎてよく判らないです。とにかく想像以上に工程が多く、手間がかかるということは一目了然です。

 それにしても、蔵書票を収めるケースも素敵である。上の写真がケースなのだけど、右が票を直接収めている麻布製のケースで、それが更に右の段ボールケースに収められる。可愛いながらも高級感がある。小振りな版画とかを扱う場合には、こういうものをよく使うのだろうか。また蔵書票は直接束ねられず、一枚毎に薄紙が添えられている。こういう風に丁重に収納されると余計に使いにくくなってしまう。

 一枚400円相当と決して安くはない。でも、それ以上に価値のあるものを作ってもらえたと思う。ささおかさんには非常に感謝しています。おそらく、またお願いすると思います。その時もよろしくお願いいたします>ささおかさん



>pんげくん
 ということで、完成したので約束通り贈ります。2枚組みなのに1枚だけというのもつまらんですから、一組2枚で贈呈いたします。送付先をメールして下さい。

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2005.07.01

渋扇子

 渋うちわに続いて、先日、注文していた渋扇子が到着。名前を入れて貰うのに2週間かかった。

 光沢のある扇子は初めて。一番最初に買ったのは扇面は和紙に薄く布を張ったものだった。次は純然たる和紙で、そして今回。光沢があるんで見方によっては非常に派手かもしれない。それにしても、骨の雰囲気がいい。扇子に興味ないといっていたカミさんも、この骨にだけには感心して、惚れ惚れしながら眺めていた。染め上げられていないのだけど、燻しで濃いめの竹の色が出ていて、両サイドの親骨に関しては見事に磨き上げられている。畳んで手にした心地もなかなか良い。

 香で燻してにおいをつけたのか、開くだけで香りが漂う。本格的に使い始めると消えてしまうんだろうけど、香のにおいもたまに嗅ぐと落ち着くものである。

 親たちにも中元として注文していたので、まず、自分の実家に持っていく。名前入りにしていたので特に喜ばれた。一文字200円の数百円の上乗せであるけども、これによって喜ばれる度合いが高くなるのなら実に安いものである。

 ちなみに実家に顔を出すしばらく前に母親が家の車庫への車庫入れに失敗し、車の後部を大破、廃車にしなければならないようなミスを仕出かしていた。バックする時に左足がブレーキに引っかかっている状態で、アクセル踏んだかで、車庫の支柱に思い切り持っていってしまったと云う。正直、どのような状況なのか想像がつかない。よくニュースネタになっている老人の運転の爆走事故に感じが似ていて非常に怖い。何れにせよ、怪我はなく、損害も、44万円中古で買ってすでに6年目という車だけなので一安心である。これが他人を傷付けていたりしているのなら、洒落にもならない。

 まぁ、そんな感じで落ち込んでいるところに持っていったから、少しは気休めにもなったろうかと思っている。

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