広島原爆戦災誌 第二巻
-第二編 各説 第一章 広島市内各地区の被爆状況-
899ページを読了。
この資料は『広島市全域を36地区に分け、各地区ごとに被爆直前直後の状況を取りまとめて、終局的には広島市全体の惨禍が把握できるようにつとめ』られたもので、地区の概要・疎開状況・防衛態勢・避難対策・存在した陸軍部隊集団・五日夜から炸裂まで・被爆の惨状・被爆後の混乱と応急処置・被爆後の生活状況・終戦後の荒廃と復興の10項目について詳細な記述が行われている。
爆心地から半径2kmの被害は著しく全焼し、完全な焼け野原となった。おそらく3km圏は全壊状態でひとがそのまま住める状態ではないだろう。そして人的被害は言語に絶する。
非常に辛いのはそれが通常の爆弾による負傷でなく、核爆弾によるものであるということだ。負傷がそれほどでなく命に別状ないと思われても、原爆症を発症し、苦しみながら死んで行く。助かったと思っても、助かっていないかもしれないのだ。それは数日かもしれないし、数年かもしれない。井伏鱒二『黒い雨』のベースにされている重松静馬『重松日記』でも、一緒にあの日の市内を彷った姪っ子が被爆10数年後に発症し亡くなる。こうの史代『夕凪の街 桜の国』でも同じようなことがおきる。物語の前半「夕凪の街」の最後の台詞。
嬉しい? 十年経ったけど、原爆を落したひとはわたしをみて、「やった! またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる? ひどいなあ てっきりわたしは死なずにすんだ人かと思ったのに |
黒い雨 井伏 鱒二 (著) |
重松日記 重松 静馬 (著) |
夕凪の街桜の国 こうの 史代 (著) |
広島は軍事都市でもあり、それが故に原爆投下の標的になってもいる。市の中心部に駐留していたものは壊滅したが、被災後の宇品の暁部隊の活躍が著しい。市がほとんど機能しなくなっていたため、救援、遺体の処理、道路の清掃等を一手に負っているような感じがある。戦時であり、軍のウエイトが非常に高くなっているとはいえ、ここまで献身的に活動を行うものなのかという印象が残る。それほど、各地域で活動を行っている。被爆は直接被爆だけでなく二次被爆もあり、かなり者が被害を受けているはずである。また、地元住民に関しては、行方不明の身内を心当たりの場所を捜索し、探し出した遺体を埋葬を行っているが、各地から招集されていた兵はいったいどのような扱いになったのだろうかと気になった。無縁仏になったものも多いのではないか。
幸いな面もいくつかあった。広島が水の都であったということ。陸路の多くは火災や建物の倒壊で寸断されていたが、川を使うことにより、船による救援が可能であったこと。橋が落ちることで火災からの逃げ場を失うことも多かったとは思うが、それ以上の利便性はあったのではないかと思う。また水に入ることで火災による焼死を逃れることが出来た者もいたようだが、これは数時間に渡る攻防だったものもあり、想像しただけで気が遠くなる。終戦一ヶ月後の9月17日の枕崎台風ではおそらく1000人近い死者を出していると思われるものの、10月の豪雨に加え、市内が完全に洗い流されたことは復興に一役買っている。
終戦後、機能しなくなっていた警察の代わりに町内会が取り仕切り、治安に力を入れていたが、進駐軍による町内会の解体により追い剥ぎ等が横行し、治安が著しく悪化したようだ。『はだしのゲン』を注意してみるとその様子が描かれていたりするが、あまり意識していないことだった。
ちょっと余談。
今では道路公団で有名な猪瀬直樹氏が『黒い雨』と井伏鱒二の深層ということで、『重松日記』に絡めて井伏鱒二を批判している。『黒い雨』は重松氏により提供された『重松日記』を多用しているが、決してそれに肉付けをしただけの作品ではない。双方を読むと井伏の作品の奥行きが顕著になるのだが、それが感じられない猪瀬氏が不思議でならない。
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コメント
そういうことが、あったのか。私も以前広島と長崎の原爆被害者の本の英語版作成を手伝ったことがあります。
長崎のことはアメリカではあまり知られてなく、反原爆会場に用意した100冊の本は30分でなくなったと出席した人がいってました。
街の本屋に行っても原爆関係の本はあまり見かけません。風化させたくないですね。
投稿: 中年ゲーマー | 2005.07.09 10:05
今年は終戦60周年にあたるので、原爆写真 ノーモア ヒロシマ・ナガサキを皮切りに多少は見直されるんではないでしょうか。それにしても英語版作成のお手伝をされているとか、幅広く活動をされていますね。
でも、殺戮は今だに繰り返されていますね。しかも、原爆に劣らぬ劣化ウラン弾だのクラスター爆弾だの燃料気化爆弾だの、国家によって作られる忌まわしい兵器によってです。兵器として最大効果(瞬時の大量殺人、もしくは、参戦できないレベルの負傷を確実に与える)をあげれば、それ以降のことは知らない。まぁ、戦争というのはそういうものなんでしょうが、その後に続く苦しみを判っていながらそれを行うというやり方はどうにも理解できないのです。
投稿: O-Maru | 2005.07.09 14:58