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2005.07.13

市川崑『東京オリンピック』(65)

 一年前に出ていたのになかなか買えなかった一本。ヤマダ電機のポイントサービスが160%で使えるというので、子供のゲームボーイアドバンスのソフトと一緒に買う。


東京オリンピック

監督: 市川崑


 公開当時は記録的でないということで批判のあった作品らしいけど、初めてみた時から好感的に観ることができた。記録的でないというけども、観客の様子などの捉え方が絶妙で日本人にとってオリンピックというものがどんなものだったのかがつぶさに判る。これが記録的でないというと何が記録的なのだろうかと思ってしまう。競技を主催している者にとっては競技の記録としては物足りないかもしれないが、あの時のオリンピックを知るのには非常に優れている。

 DVDには70ページ強のシナリオが掲載されている。記録映画にシナリオというのは非常に奇妙に感じるかもしれないが、物事には視点というものが必要であり、あらかじめ概略としての筋があることはおかしくない。というか、それがなければ編集時に編集ができない可能性も出てくる。ただこのシナリオが異質なのは、

 この映画は純然たる記録であって、しかも単なる記録に止めてはならない。
 昨今人々は現実に対して中毒症状を呈している。「事実は小説より奇なり」という言葉を、全く無邪気に受け入れ信じ、ほんとうでないと、或はほんとうらしくないと鼻もひっかけない精神状態である。ほんとうにぽんとうでないと面白くないという精神状態は、本当は異常なのだ。精神が衰弱している状態だ。
 現在の我々に欠けているものは、つくりものを尊ぶ気風である。我々一人々々の心の奥にデンとあぐらをかいている「尊いのはほんもので、つくったものはまやかしだ」という信仰をこっぱみじんに砕かねばならない。
 なぜなら、オリンピックは、人類の持っている夢のあらわれなのだから。

 正確に、生々しく、ほんものをカメラが捉えるのは、そのほんものを通して、一層新鮮なイメージを、人間この不思議な生物に対する新らたな発見、驚き、そして観る人個々の脳裡に新らしい人間のドラマを展開させたいからに他ならない。
 重ねて、我々はこの映画を単に正確な記録として製作するのではない。我々はこの映画を創作するのであり、このシナリオは、その最初に踏み出す一歩の一助にと願うのである。
 そしてこの映画を観る人には、人間のすばらしさとかなしさを!

 という<序>があり、撮られるべきエピソードが架空の例であげられていたりするのだ。脚本には詩人でデストロイヤーの谷川俊太郎も参加していて、そこそこの影響を受けていのではないかという気もする。何れにせよ、結果的には非常に臨場感のある、死んだ記録フィルムでないので好ましい。

 ディレクターズ・カット版はまだ通して観ていないが、本編22分のカットと5.1ch化がその内容になるのだけど、5.1ch化はそれほど臨場感もなく上手くできているとは思えない。モノラル録音のステレオ化は難しいんだろうな。

 オリンピック映画というとベルリン・オリンピックのレニ・リーフェンシュタール『民族の祭典』(38)や同『美の祭典』(38)があるけども、これも躍動感あふれて非常によい。ナチスのプロパガンダ映画として忌み嫌われるところもありますが、監督は純然たる作品として撮っていたんじゃないでしょうか。

 今は亡き体育の日が東京オリンピックの開会日(10月10日)をもとに66年に制定されたのは初めて知りました。市川崑、15年生まれの90歳。ヘビースモーカで有名なんだけど、肺ガンにもならず頑張っていらっしゃるのはなかなか素敵です。

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