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2005.06.22

人間の叡智

 人間の叡智っていったいどんなもんだろうとたまに思う。

 あたしはそれを信じる信じないは別として怪談話とか非常に好きなんだけど、中には怪談やら超能力と云うものを真っ向から否定する人もいる。科学的ではない、とか、科学で説明し得るごく普通の現象である、とか。

 じゃ、科学とは一体なんであるかと思う。

 あたしは学生時代、言語学教室にいて、そこはソシュールやらなんやらの絡みで哲学教室ともそれなりの交流を持っていた。うちの教室のセンセのひとりはハングルが専門で、一方で日本語の研究も行っていた。日本語の研究の場合、意味論とかになるとネイティブスピーカ(母国語話者)としての言語感覚で言語を解析することになるのだけども、個人差がどうしても出てしまう。言語感覚が鋭いと言葉の使用の制限は厳しくなり、その反対だと若者が使っているようなブロークンな状態になってしまう。まぁ、絶対というのが正直、言い難くなる。

 そこで突っ込んできたのは哲学教室の同級生。「科学というのは同じ実験をするとかならず同じ結果の出るもの。あなたのやっていることは恣意的で、同じ状態が再現されると云うものでは決してない。科学でないのだから、研究する価値はない。止めるべきである」 言いたい放題云うもんだから、うちの助教授怒鳴りはしなかったものの、かなり立腹な様子で、下手すると掴み掛かるんじゃないかという雰囲気で随分焦ったことがある。

 哲学というのは論理学を発端とするから、確かにそのあたりは厳しいは厳しいんだけど、数学は別にしていわゆる哲学の馴染みの深い範疇にある思想家に絶対的な理論を構築したような人間はいると思えないし、なかなかよく判んない噛みつき方をするヤツだなと思ったものだった。まぁ、京都かそこいらの院にいったと思うけど、狭義なヤツで友人にしておくのにはつまんないヤツだった。

 科学っていうのは叡智の神髄であるとは思うんだけど、科学的でないということでハナから否定してしまうと云うのは、これはどうかなと思う。叡智というのには何がともあれそれを包み込んで、それから、そのむこうへと乗り越えていくと云うような懐の深さがあるような気がする。叡智というのは能力ではなくって、実は指向性の問題でないか、と思ったりする。


 つまり、専門馬鹿はキライということで御座いますな。

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