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2005年6月の48件の記事

2005.06.30

蔵書票、完成の連絡

 作成を依頼していた蔵書票が完成したとそろり文庫のささおかさんから連絡がありました。本日、発送して頂いたとのこと。早くて明日、遅くとも土曜日にはあたしの蔵書票と対面できそうです。もう楽しみで楽しみで仕方ありません。

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広島市役所「広島原爆戦災誌」(71)

 この前云ってた本というのが実はこれ。全5巻。保存状態が悪かったのだろうか、シミが目につく。ただし、本文もだいぶんと黄色く変色しているので、紙の酸化自体も進んでいるのだろう。もはや全体的な劣化ということになるが、これはやむを得ない。なにせ、35年近くも前の本になるのだし。

 とは云うものの、本の作りは非常に丁寧である。背の部分は革になっており、表題は金押し。天も金箔仕上げになっている。さらにグラビア部はページごとにパラフィン紙を挟み込んでの製本。想像していたものを遥かに超えた作りだった。広島市は10年掛かりで完成させたこの資料集をいかに大切にしようとしたのかがよく判る。発行部数は2700部。

 各巻の構成は次のようになっている。

  第一巻 第一編 総説 (632p)
  第二巻 第二編 各説 第一章 広島市内各地区の被爆状況 (899p)
  第三巻 第二編 各説 第二章 広島市内主要官公庁・事業所の被爆状況 (609p)
  第四巻 第二編 各説 第三章 広島市内各学校の被爆状況
                第四章 広島市内主要神社・寺院・教会の被爆状況
                第五章 関連市町村の状況 (910p)
  第五巻 資料編 (1009p)

 総4059ページに渡る資料であり、おそらく広島原爆についてはこれ以上の資料は存在しえないと思う。

 この資料については、図版を省いたテキストのみのものであれば、ここから無料でpdfファイル形式で入手できる。一番最初のsensai0.pdfは、すべての巻をひとつにまとめたもの。それ以降は各巻がひとつのファイルという構成になっている。図版がないため、総ページ数は1200ページ程度になっている。各地区の被爆状況などはやはり地図がないと非常に判りづらい。書籍を購入したのはそのためである。

 ここに記述されているのは、原爆という戦争の悲劇であるんだけども、もっとクールな目で見てしまうと人間の行動様式の記録でもある。戦時下の生活が如実に読み取れる。一般市民がどのような日々を送っていたか、また、原爆投下後、暁部隊を始めとする軍隊はどのように市民と接したか。家族との関係、近隣の住民との関係。まだ言葉で表せるようなものを持ってはいないけど、色んなものが見えてくる。

 読んでいるうちにうるうるになってくることも何度もありますが、一度は目を通してみてください。色んなことを見ることになると思います。

 それにしても長崎のことはなかなか知る切っ掛けがない。母方はそもそもが長崎で、そちらの親類というのは死ぬようなことはなかったものの何人かは被爆しているらしいのだけど。

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2005.06.29

矢口史靖「スウィングガールズ」(04)

 見終ってびっくりしました。あまりにもストレートな物語。伏線も葛藤もほぼ何もなく、直線的にラストに向かう。悪く云えば「馬鹿映画」、よく云えば「実に素直な映画」。前作の評判になった「ウォーターボーイズ」は見ていないけども、同じような感じなんでしょうか。


スウィングガールズ スペシャル・エディション



 今回の作品はなぜ観るのかというと、やはりビッグ・バンド・ジャズものだから。学生時代は、高校生の頃から地元大学の軽音楽部のコンサートに行っていた。悪友に毎夏誘われていて、ほとんど恒例になっていた。それに映画もアンソニー・マン「グレン・ミラー物語」(54)やらフランシス・コッポラ「コットンクラブ」(84)等でメジャーな曲は大抵押さえてあったし、特にグレン・ミラーとかのナンバーは小学生の頃から好んで聴いていたんじゃないかと思う。

 映画を見ていると練習場所で苦労するシークエンスがあるけども、あれは本当に適当な場所ではして欲しくない。弟が中学の頃からブラスバンド部に入ってて、全国大会で金賞を何度かとるというような感じだったんだけど、正月・お盆の長期休暇になると自前のトロンボーンを家に持ち帰って来て練習とか始めるんだが、これがうるさい。洒落にならないくらいうるさいんで、一度、どつき倒したことがある。こやつ、さらにピアノなんかも弾きやがるし、うるさい、うらやましいでホント面倒だった。

 あたしが学生だった20年ほど前は市内には「ブルーノート」やら「エイティエイト 88」といった店名からしていかにもジャズ系の、そしてあたしの行きつけの「モッキンバード」などなど、ジャズ喫茶は数知れずあったもんですが、今はほとんどなくなってしまったんじゃないでしょうか。クラシック喫茶もなくなっちゃいましたしね。時代の流れとはいえ、淋しいもんです。

 そんな訳でやっはりSingSingSingのラストはいいですね。いいというか、ただでさえ人気のある曲の演奏シーンをさらに感動的に見せるためにそれまでの一時間半を使ってきたというか。この映画では女の子がジャズをやることのミスマッチさが大きな売りと云うか魅力なわけなんですが、確かに、女の人がジャズをすることは珍しい。尤もジャズボーカリストは女性の方が遥かに多いと思うんですが、それに比べて奏者の珍しいこと。ピアノはいそうですが、吹きもののプロはほとんどいないんじゃないでしょうか。肺活量の問題なのか、それともジャズに必要な腹芸が不得手なのか。ジャズからアドリブを抜くと腑抜けになっちゃいますし、演奏者間の息というか微妙な駆け引きがないとつまんない。何れにせよ、ラストの演奏会がカッコいいという意見には賛成であります。

 そうそうこの作品って木野花さんが出てますね。映画で見かけたのは何年ぶりでしょうか。以前に観た市川準「会社物語 MEMORIES OF YOU」(88)の彼女はとても暖かくてよかったんですよね。 この映画も定年間際のハナ肇が谷啓らと最後の一日だけのスゥイングバンドを組むという話で、なかなか素敵でありました。それにしても木野花さん、だいぶん老け込んじゃってましたねぇ...

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2005.06.28

本日届いた物/ちょっと飽和気味

 帰宅すると包みがふたつ。

 ひとつはDVDの注文分。『スウィングガールズ スペシャルエディション』『スウィングガールズ ファースト&ラストコンサート』『アイコ十六歳』のオジサンとしてはもの凄く気恥ずかしい3本。ふつーに買うと10,000円くらいするんだけど、楽天ポイントを使って実質500円弱の出費。楽天ポイントでもなければなかなか買えなかったもの。

 そして、ここで云っていた『集合住宅物語』。「 仕事で使用しなくなったので出品しました。」というよく判んない出品者のコメントであったが、ほとんど新品であった。

 現在、『集合住宅物語』を眺めながら、『スウィングガールズ』を見終えて、『ファースト&ラストコンサート』『アイコ十六歳』を摘まみ食いしているという状態。感想とかの詳細はまたあとで。

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古書は水物

 少し前から目をつけていた資料があった。ある自治体がS46年に発行したもの。全5巻で、当時12千円くらいだったらしいのだけど、現在、古書店での相場は36千円から80千円くらい。先日、実家に帰ると同じくS46年刊のあたしの読んでいた児童文学書があって、今なら2千円くらいしそうなものが480円という定価がついていた。物価的には1/4くらいだとすると、安値のものは希少価値も含めて、余程痛んでない限り、決して高いとは云えない。そして、購入を検討してたのはその自治体の地元書店の「良好」というコメントを持つもので、40千円だった。

 昨日、サイトをみるとその書店での在庫はなくなってしまっていた。週末あたりに売れてしまったらしい。古書は基本的に一冊限りで、しかもオークションのように高値になる可能性もあるが競りという余裕もない。とにかく一発勝負である。目に付いたらとっとと手を打つのが一番らしい。

 ということで、仕方ないので別の書店の「天金 箱少し傷み・少し汚れ 第一巻・第五巻小口汚れ 中は美 A5判」という36千円のものを購入手続。こういった「痛み・汚れ」というのは主観的なものでアテにはならんのだけど、まぁ、写真集のような美術品でもないし、資料集と云うことで、良しと云うことだよねぇ、きっと。良心的なところは必要以上に欠陥を誇張するもんだし。

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奥崎謙三

 奥崎謙三が死んだことを朝刊で知った。『ゆきゆきて、神軍』(87)のあの人だ。


ゆきゆきて、神軍

監督: 原一男
出演: 奥崎謙三


 天皇にパチンコを打ったり、元上官を問い詰めたり、過激に戦争責任を追及した半生だったが、あたしがこの映画を見た時、黙ってついて行く妻・シズミが印象的だった。本当に仕方ない人なんですよ、といった感じに寄り添う姿は奥崎以上にショックを受けた。奥崎の言動は理性で理解できるところにあるが、シズミのものはそうではない。シズミあっての謙三でもあった。

 原一男というと小説家・井上光晴を追った『全身小説家』(94)というもの面白かった。


全身小説家

監督: 原一男
出演: 井上光晴


 映画では現在の井上と当時に、過去の生い立ちも探る。実際の生い立ちは、井上本人の語るものとは随分異なるところがあり、自分の人生さえ、虚構にしてしまっている。作家と云うストーリーテラーは虚構の中に生きているんだと、リアルに知らされる。決して、嘘をついているというわけではない。ただ単に嘘をついているのなら、あんなに人に愛されることはない。自らも自分の作り上げた世界に生き、その世界は愛されるべき世界なのである。

 ちなみに井上光晴の小説って読んだことがないような気がする。井上光晴・原作の黒木和雄『TOMORROW 明日』(88)は観たけど。しかし、映画に出始めて間もなかった佐野史郎が、二枚目役の割にはなんか気持ち悪いという記憶しかなかったりする。

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2005.06.27

風呂入って...

 一風呂浴びて、半乾きの上半身裸のまま、団扇でパタパタするこの爽快感は最高ですね。高湿度もなんだかありがたく、つくづく日本人でよかったと思う。まぁ、手を休めると地獄なわけですが。

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喫煙中断-今の状況

 開始日時 2004年 10月 5日 15時 0分
 経過時間 8月 21日 12時間 48分経過
 吸わなかった煙草 370箱 8本
 浮いた煙草代 100008円
 (原価 42857円 たばこ税+消費税 57151円)
 延びた寿命 15日 10時間 24分

 浮いた煙草代がついに10万円を突破いたしました。

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ペーパークラフトの愉しみ

 先月から告知があって公開を心待ちにしていたエプソンの「ハウルの動く城ペーパークラフト」がどうやら公開されていたようだ。型紙を落すと26枚。A4で型紙を印刷するととんでもない大きさになりそう。宮崎駿は好きでないし、当然、「ハウルの動く城」も見ていないのだけど、ペーパークラフトには興味がある。ちなみにダウンロードは8月末日までの期限付なので、興味のある方は忘れないうちに。

 ペーパークラフトは始めると填まります。使う道具というと小振りな先の尖ったハサミ、アートナイフ、カッターボード、ピンセット、折り目付け(製品名は判らないけど、DIYセンターに行くとそういうのがあった。千枚通しでも可か)、木工用ボンド程度。そういった手に馴染みそうな道具に加えて、慎重さと根気があれば十分。

 作っている間はずーっと自分と対話しているような気がする。型紙を切るのも、切った型紙をノリをつけて組み立てていくのも本当に淡々とした作業なのである。型紙作製者が失敗している場合も少なからずあるんだけど、出来が悪ければ基本的には自分の落ち度である。

 作ってからは愛着あるのかなぁ。大抵は子供がおもちゃにして壊してしまう。カラーリングとかそこまでは凝っていないから意外と平然。まぁ、作るのに半日とか一日とかかけているんだけど。

 昔はペーパークラフトというとひたすら誠文堂新光社の『切り抜く本』シリーズだったけど、今はホームページで無料公開されているものも多く、しかもカラーになっているので、愉しみもより一層深まっている。そしてとにかくお金のかからない娯楽でもある。『切り抜く本』の復刻版が一冊3000円程度ででたんだけど、これって、全部つくろうと思うと、どう考えてもひと月はかかるもんね。

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2005.06.26

マーケットプレイスの予約注文

 実家から帰ってメールを見ると、マーケットプレイスの予約注文が確約していた。

 今回、注文していたのは鬼海弘雄が写真を担当する『集合住宅物語』という本。定価3990円を半額で予約をかけ、1780円(+送料340円)で購入確定となったので、まぁ、嬉しくないことはないんだけど、突然、通知がやってき、しかも支払済なので、思わぬ出費にちょっとばかり唖然としてしまう。

 ありがたいシステムなのだが、少しばかり心臓にも悪い。

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道楽者

 一年ぶり近くに実家に顔を出す。実家は市内で車で20分もかからないところにあるのだけど、何故か、めったに帰らない。

 久々に帰ったもんだからこんな母親に捕まって、ネパールの話を嫌と言うほど聞かされた。10日あまり、10人程のグループでガイドとポーターを雇って、山歩きをしていたらしい。どうやらそれが気に入ったらしく、この10月には再び、3週間ほど出向き、6200m位まで登るんだと意気込んでいる。3月もその位の高さまで行くつもりだったのが、3000mくらいで欲求不満が溜まっているようだ。物価は日本の1/10くらいで3週間いても38万円程で済むらしいのだが、60も半(なか)ば段々元気になってきているようで質が悪い。

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スター・ウォーズ

 スター・ウォーズの最終作が公開されるということでまわりが賑やかになっているけども、あたし的にはどうでもいい。

 スター・ウォーズの一作目というのは、あたしが中学一年の時に公開された。当時の校則では、保護者同伴でないと映画館には行ってはいけなかったのだけど、それを無視して悪友と3人だけで初めて行った映画だった。あの頃としては初の本格的なスペースオペラ映画で、それは熱中したものでした。

 一作目の出来は本当に申し分なく、マーク・ハミル、キャリー・フィッシャー、ハリソン・フォードの3役者は当たり前にあこがれの的となった。第二作目も期待していたのだけども、いかにも続くと云う作りでやや興醒め。しかし、オープニングの雪原の戦いは申し分なかったし、まぁ、ヨーダはまだ愛すべきキャラクターであった。

 第三作目、これは見て呆れ返りながら帰った憶えがある。後半、イウォークという小動物が活躍するのだけども、ラストなど「森の こかげで ドンジャラホイ シャンシャン 手びょうし 足びょうし 太鼓 叩いて 笛吹いて こんやはお祭り 夢のくに こびとさんがそろって にぎやかに ア ホーイ ホーイョ ドンジャラホイ」(「森の小人」 作詞者:山川 清/作曲者:山本雅之)そのものであり、完全にお子様向けになっているとしか思えなかった。


スター・ウォーズ トリロジー DVD-BOX



 それ以来、あれ程熱中していたスター・ウォーズにはまったく興味なくなってしまった。新シリーズも見ていないし、TVでも何度となく見る機会があったものの、本気で見ていないためか、必ず途中で寝てしまっている。なんかよく判んない甘ったるいクリーチャーが活躍するする様はどうも耐えられない。さらに、昨年発売されたスター・ウォーズ トリロジー DVD-BOXなんかも、元ファンだけあって、発売数ヶ月前から注文して購入したものの、結局、自分が見ることはなく、息子が喜んで見ただけである。しかし、自分で云うのもなんだけど、こういうのは、随分、淋しかったりする。訣別というのはこういうものかと思った。

 スター・ウォーズで好きなキャラクターといえば、第二作目の雪原の戦闘で活躍する帝国軍のスノー・ウォーカー(AT-AT Snow Walker)である。コマ撮りによる動きのユニークさ(『タイタンの戦い』(81)でもお馴染だけど)も加えて、この造形がなんともいえず素晴らしい。このキャラクターについては特にプラモデル等が欲しくって仕方なかったが、なかなか良いものがなかった。

 一昨年くらいに発見したのが、右にある写真のペーパークラフト。どこか(日本人の日本人による日本人のための)のホームページで公開されており、この写真もそこで完成品として公開されていたもの。型紙はA4で4枚(オプションを加えると5枚)。さっそく、型紙をクラフト紙に印刷し、作ってみたのだけど、ホンモノに近いかなり良い出来だった。オプションの型紙を使えば、足の関節部分を動かせるようにもできる。A4で印刷し組み立てると高さ20cmくらいでそこそこの大きさになるので、組み立ては難易度が上がるが縮小印刷して小振りのものを作ってみるのもいいと思う。A4原寸で関節も動くように作って、製作所要時間は16時間くらい。夜の8時から作り始めて、完成したのは完徹で翌日のお昼だった。あの懐かしい『切り抜く本』シリーズをそこそこに作り上げていた人なら、そんなには難しくない。

 もともとの型紙を公開していたサイトはすでになくなっている。さっき検索してみると、型紙がここで見つかった。作者とは関係のないロシアのサイトである。どうもダウンロードした第三者がここに保存しているようだ。

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2005.06.25

渋うちわ

 注文していた渋うちわが着く。渋うちわというと、居酒屋の壁とかに飾られていたりして、赤くて光沢があってゴツくて丈夫そう、というようなイメージがあったんだけど、本物の渋うちわはそんなではなかった。

 注文先は来民渋団扇で、注文したのは、この中の小判渋無印、猫ガラ(その壱)、長大渋団扇の3本。

 ここにある写真はだいぶん茶色くなっているけども、届いたのは無漂白再生紙のような薄い黄土色という感じのもの。和紙に柿渋をぬっているだけということらしいけども、ニスを塗るという程派手さはないが、光沢が出ており、触った感じも厚手のトレーシングペーパーのような感じになっている。天然のものだけでこんなコーティングができるというのにはちょっとびっくりする。従って紙の強度は見た感じ以上にあり、これなら余程の無茶をしない限り、何年も使えるように思う。

 今回買ったのは、小判渋団扇と長大渋団扇の大小のふたつのサイズだけど、小判渋団扇に関してはあまりにも小さ過ぎて実用的ではない。子供ならともかく、大人が使うのには物足りなさを感じる。インテリア的な小物(形はとにかく綺麗で申し分ないです)をメインに、軽く使うという感じか。長大渋団扇はよく手にする団扇よりひとまわり大きい。風量は十分で、実用品として購入すると云うのなら、絶対にこちらをお薦めします。

 価格はひとつ千円程度。竹をさいて、柄に漆をぬって、和紙を張って、渋を塗って、といった手作業の工程を考えるとそんなに高くはないと思う。まず、千円貰っても自分では作りたくない(苦笑)

 恐ろしく素朴ながらも、とにかくすべてが天然素材ということで、手にとっているだけで和む逸品です。さらに渋の色が年数を経るに連れて濃くなると云う変化が楽しめる。使う使わないは差し置いて、ひとつ部屋に転がしておくのも悪くはないでしょう。

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2005.06.24

不謹慎な話です

 たぶん、気を悪くされる方もいらっしゃると思います。先に謝っておきます。

 新耳袋の第五夜に『庭』という気味の悪い話がある。非常に趣味の悪い話で、これが本当の話であり、もしあそこに書かれた光景を目の当たりにするとおそらく吐いてしまうに違いない。それほど不愉快な話なのだが、それがあの大阪愛犬家連続失踪殺人事件に関するものだと、最近、某掲示板で知り、更に不快感が高まってしまった。あまりにもリアル過ぎて洒落になっていないのだ。

 それにしても、この記事を掲載している無限回廊 endless loopというサイトは、「国内で起きた事件や海外で日本人が関わった事件など」がことごとく扱われており、『八つ墓村』のモデルになった津山30人殺し事件なども詳細に記述される等、非常に貴重である。一連の記事を読むことで人間の業がいかに深いかを思い知ることができる。


新耳袋―現代百物語〈第5夜)

木原 浩勝 (著), 中山 市朗 (著)
文庫: 294 p ; サイズ(cm): 15 x 11
出版社: 角川書店 ; ISBN: 4043653050
第5夜 巻 (2004/06)

 この巻では昭和59年に亡くなった四代目林家小染さんのことも記述されている。TVでお馴染だった人で、また交通事故による急死、それがいろんなところで出てくる話を聞かされると実に切なくなる。でも、この人、若かったんですよね。まだ38歳だったらしい。噺家だったから落ちついているんで、40歳半(なか)ばかと思ってた。そういえばJAL123便でなくなった坂本九さんもまだ42歳だったというのを最近知って、これも意外だった。九ちゃんと云えば、あたしらにとってはNHKの人形劇『八犬伝』のナレーションをしている人というイメージが強かった。(それにしてもあの番組は辻村寿三郎の人形やらかなり豪華ではなかったか) それから12年後の事故だったから、当時はまだ30歳くらいだったんだねぇ。

 そんな話をカミさんとしていると「福知山線って、やっぱり出るんかなぁ」とかという。もう、出るという話はすでに聞いているし、中越地震の親子車生き埋めの話なんかもやはりいろいろと耳にしてたりする。あっても全然おかしくない話なんだけど、人間が特定できるし、プライバシーに立ち入ることに外ならず、不快感を感じる。関西大震災でもいろいろあったと云う話は聞くけど、具体的なものはほんのいくつかしか聞かない。こういった有様はひじょうに良識あることであり、いまだに感心している。

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2005.06.23

リピート

 恐怖譚によくあるパターンのひとつ。

 アパートの一人暮らし。深夜になると壁を叩く音が聞える。一日に一回、いつも決まった時刻だ。やがて、その部屋で首を吊って死んだ住民がいたことを知る。死んだのは音の聞こえる時刻で、踏み台を蹴った拍子に勢いで足が壁に当たる音を毎晩聞かされていたらしい。

 ビルを見上げると屋上から人が飛降りるのが見える。飛降りた人は、地面に落ちた瞬間、屋上に戻り、再び、飛降りる。それが延々と繰り返される。

 南国の太平洋戦争の激戦地。日本兵が天を仰ぐとやがて視線を足もとに落す。消え去る姿。再び、日本兵が現れ、天を仰ぐ。これが際限なく繰り返される。

 死の瞬間が繰り返されているのだ。

 何なんだろうなぁ、これって。自殺と戦死で、前者は覚悟されたもので死んだことは理解されている、後者は覚悟されているのか理解されているのかよく判らない。でも、いずれの場合も生に対する執着はあってもおかしくない。生に対する執着があったら、死の瞬間が繰り返されるものなのだろうか。よく判んないけど、怖いというより、悲しいという気分が先に立つ。

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2005.06.22

人間の叡智

 人間の叡智っていったいどんなもんだろうとたまに思う。

 あたしはそれを信じる信じないは別として怪談話とか非常に好きなんだけど、中には怪談やら超能力と云うものを真っ向から否定する人もいる。科学的ではない、とか、科学で説明し得るごく普通の現象である、とか。

 じゃ、科学とは一体なんであるかと思う。

 あたしは学生時代、言語学教室にいて、そこはソシュールやらなんやらの絡みで哲学教室ともそれなりの交流を持っていた。うちの教室のセンセのひとりはハングルが専門で、一方で日本語の研究も行っていた。日本語の研究の場合、意味論とかになるとネイティブスピーカ(母国語話者)としての言語感覚で言語を解析することになるのだけども、個人差がどうしても出てしまう。言語感覚が鋭いと言葉の使用の制限は厳しくなり、その反対だと若者が使っているようなブロークンな状態になってしまう。まぁ、絶対というのが正直、言い難くなる。

 そこで突っ込んできたのは哲学教室の同級生。「科学というのは同じ実験をするとかならず同じ結果の出るもの。あなたのやっていることは恣意的で、同じ状態が再現されると云うものでは決してない。科学でないのだから、研究する価値はない。止めるべきである」 言いたい放題云うもんだから、うちの助教授怒鳴りはしなかったものの、かなり立腹な様子で、下手すると掴み掛かるんじゃないかという雰囲気で随分焦ったことがある。

 哲学というのは論理学を発端とするから、確かにそのあたりは厳しいは厳しいんだけど、数学は別にしていわゆる哲学の馴染みの深い範疇にある思想家に絶対的な理論を構築したような人間はいると思えないし、なかなかよく判んない噛みつき方をするヤツだなと思ったものだった。まぁ、京都かそこいらの院にいったと思うけど、狭義なヤツで友人にしておくのにはつまんないヤツだった。

 科学っていうのは叡智の神髄であるとは思うんだけど、科学的でないということでハナから否定してしまうと云うのは、これはどうかなと思う。叡智というのには何がともあれそれを包み込んで、それから、そのむこうへと乗り越えていくと云うような懐の深さがあるような気がする。叡智というのは能力ではなくって、実は指向性の問題でないか、と思ったりする。


 つまり、専門馬鹿はキライということで御座いますな。

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2005.06.21

楽天の馬鹿

 クレジットカードのポイントを移行したりとかして、今、楽天のポイントが1万弱ある。1万円近くの買い物ができると云う訳なのだけども、何故だか楽天ブックスではこのポイントを使って買い物ができない。ポイントの存在価値が半減(それ以下か)するじゃんかよ~

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2005.06.20

見える者には見える

 当然のことといえば当然なのだが、見える者にはいろんなものが見えるらしい。

 実際に見えている時に居合わせたのは、残念ながら一回きりだったのだけども、海岸線沿いの道を車で走ってて、カーブにさしかかろうとした時に隣で叫ばれた。向うも堪んないのは判るけど、こちらも堪らない。びっくりしてもう少しでハンドルを切り損ねることろだった。「近付いてくるから、止まって!」なんて云われても車はそんなに簡単に止まれない。道路のまん中に立ちふさがるその中を、車は突っ切っていったらしい。ぎゃ、とか叫ばれても知ったこっちゃない。地縛霊やらなにやらは構わないから、黄色い声を出さないで欲しい。

 ある日は突然、電話がかかってきて、自宅に居るのだけども、とにかく触られまくるという霊障がひどい。何か手筈はないかという。丁度、知り合いが、見えないけども、祓える、なんて云うヤツで、とりあえず電話で対応してもらう。そういう時に使える呪文というのがあるらしい。

 家にいてもいろいろ経験するし、病院とかは特にひどい目に遭い易いので行かないようにしていると云っていた。病院に入っただけで頭が痛くなることが多いらしい。

 見えるものに対してもそうだったが、何かにつけて、もの騒がせな女の子だった。随分と気に入られていたのだけど、なんだかんだと躱[かわ]しているうちに去ってしまった。つきあっていれば、それなりに不思議な体験が出来たんだろうな、とたまに思ったりする。

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2005.06.19

新耳袋 第十夜

 金曜日、もう店頭に並んでいる頃ではないかと思い、珍しく書店に行き、購入。この週末で読了した。


新耳袋―現代百物語〈第10夜)

木原 浩勝 (著), 中山 市朗 (著)
出版社: メディアファクトリー ; ISBN: 4840112819
(2005/06/17)


 特に目立って怖いという話はなかったが、前回と比べるとそれなりに不気味な話が多かった。不気味というのは、謂[いわ]れの判らない話である。理由は判らないけど、不合理なものがそこに間違いなく存在している。原因が判る、因縁のある怖さというのは、怖さと云う意味では半減するものである。

 人の経験する怪奇体験のほとんどは突然、体験し、謂れの判らないまま、記憶の彼方でゆらゆらしているものではないかと思う。

 あたしもそういった経験がある。もう3年ほど前の10月の半ばのことだった。この時期になると仕事が終って、少しでもゆっくりしていると帰る頃にはライトを付けないといけないようになる。いわゆる黄昏の語源の「誰ぞ彼」の状態になっている。

 帰宅途中、知らぬ路地裏に入り込み、見たこともない町並みの新鮮さを楽しむという道草が好きだった。その日もそうやって、目についたわき道から適当な入って路地裏を走っていた。田んぼのまだ幾らか残っている郊外で、農作業着姿のばあさんが、道を横切ろうとしたのでバイクを止めた。かなり暗がりが押し迫り、ばあさんの顔をはっきりと見ることはできなかったが、顔は真っ赤であり、しかも、舌のようなものが顎の下、首が見えなくなる位まで伸びていた。何を見たのか鮮明ではなかったが、見てはならないものを見てしまったような気がした。

 目撃談として、真っ赤な人、そして、緑色の人というのはメジャーな類に入るようだ。

 今回の巻の最後は著者の経験談となっている。しかし、その最後というのは、4巻で同じく語られる著者の体験談に続く話であり、ループするような作りになっている。このあたり、ずーっと愛読している人にはたまらない作りになっているだろう。

 この最終巻で発見したことがある。各巻、表紙の色が違ってて、最終巻は白をベースとした装丁になっている。白であるから判ったことなのだけど、表紙の裏にお札が印刷されていたのだ。表紙の裏に何かが印刷されていても、見返しの紙の色が濃いと見えない。今回のものは白だったため、透けて、表紙の裏をみることができた。試しにこれまでの巻を確認するとやはりお札が印刷されていた。7年間、この芸にずーっと気がつかずにいたのだった。 

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Musical Baton

 こにさんのところから引継です。バトンを渡す相手が5人もいないので、残念なのですが、それ以外はひととおりやってみます。

★Total volume of music files on my computer
(コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)

 音楽は東芝のHDDプレーアの初代ギガビート(5G)で聴いているので、基本的にはコンピュータに音楽ファイルを保存していません。ただし、ギガビートの電池がなくなる等の不慮の事態に備えて、お気に入りのものはストックしています。mp3が128個(473MB)、そしてMIDが108個(4.7MB)です。


★Song playing right now (今聞いている曲)

矢野顕子「また会おね」/「ごはんができたよ」(80)


ごはんができたよ

矢野顕子


 名曲ですね。何がいいかというと全部が好いんですが、特に好いのが大村憲司のギター。この人のギターって何処が好いのか判んないんですが、愛おしいんです。もう、とにかくすべてが好くて聴くたびに泣かさせられる曲です。


★The last CD I bought (最後に買った CD)

近藤等則・IMA「東京薔薇」(90)


東京薔薇

近藤等則・IMA


 買ったと云うか廃盤になっていたものをヤフオクで落札したもの。このアルバムは映画・山本政志『てなもんやコネクション』(90)のテーマ曲になったものが含まれている。映画自体にも近藤等則が出演しています。近藤等則は隣市の出身(本当は間に1市1町あったんだけど、市町村合併で隣市になってしまった)。映画は大阪・浅草・香港を舞台とした無国籍おお馬鹿映画なのだけども、なんとも惹きつけられるものがあったりする。音楽もタイトルが『キマッタオレタチ』(決まった俺たち)といったもので、チンドンジャズと称する人もいるが、填まると填まる。それにしても東京薔薇というのは、あの戦時中、アメリカ軍に向けて降伏するように英語放送していた東京ローズから来ているのだろうか。音楽を聴いているとYMOのSolid State Survivorとか東京ローズというフレーズが何故だか目につく。

 ちなみに『てなもんやコネクション』の曲がこのアルバムに含まれているのを知るために(サントラ盤未発売)、2ちゃんねるにスレッドを立てる必要がありました。


★Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me
(よく聞く、または特別な思い入れのある 5 曲)

Mike Oldfield「HERGEST RIDGE」(74)


HERGEST RIDGE

Mike Oldfield


 この曲についてはここを見てください。他にいう事はありません。

N.H.Brown「Singin' In The Rain」(29)


雨に唄えば



 云わずと知れた映画・スタンリー・ドーネン『雨に唄えば』(52)のテーマ曲。雨の中、タップを踏みながらジーン・ケリーが歌うシーンは映画史上に絶対残るものだが、この歌はついつい口ずさんでしまう。気分が良い時、落ち込んでいる時に奮い立たせる為に、と。この時、ジーン・ケリー40歳。決して若くない歳だけども、あの身のこなしは素晴らしい。それにしてもキューブリック『時計じかけのオレンジ』(71)でマクドウェルがこの歌を歌いながら暴行をするのは悪夢的である。撮影中、キューブリックがマクドウェルに知っている歌を歌ってみろと言われて、唯一フルコーラスで知っている歌というのがこれだったそうなんだが。調べてみるとオリジナル曲は映画より20年以上も前のもの。ちなみにあたしの携帯の着メロはこれである。

The Doors「The End」/「The Doors」(67)


ハートに火をつけて

ドアーズ


 ドアーズのファースト・アルバムの一番最後の曲。映画ファンなら必ず知っていると思うけど、コッポラ『地獄の黙示録』(79)のオープニングとエンディングを飾る曲。原曲に出会ったのは、映画を見てから数年後だった。インストルメンタルでは普通だけど、ボーカルものでは11分という演奏時間は長い方にはいる。録音はスタジオの灯りをロウソクだけにした状態で一発録りした、と、どこかで聞いたことがある。実際に途中、足音が聞えたりする。とにかくアヤシい。狂気と正気を行ったり来たりしているような、トランス状態になれるのが心地よい。オープニングでマーチン・シーンがこの曲を聴きながら太極拳のような躍りをするのだけど、これは有名な従軍カメラマンがこの曲で1時間くらい踊ることもあったという実話からきているのではないかという話もある。とにかくThe Dndなしには、『地獄の黙示録』はあのレベルまでに完成しえなかったのではないかと思う。

The Art Of Noise「Time for Fear (Who's Afraid)」/「(Who's Afraid Of?) The Art Of Noise!」(84)


(Who's Afraid Of?) The Art Of Noise!

The Art Of Noise


 アート・オブ・ノイズの記念すべき第一曲目。このバンドはサンプリングを多用したテクノ系であるんだけども、この曲に関しては他の曲と違って、単なるリズム&ポップスでなく、構成が込み入ったつくりになってて特に好き。このバンドにはMoments In LoveやRobinson Crusoeのようなメロディアスな楽曲もあったりして不思議な感じがする。解散した後、再結成し、ドビッシーをモチーフにしたアルバム「The Seduction of Claude Debussy~ドビュッシーの誘惑~」(02)を作ったりしたけど、オーケストレーションされた楽曲とかもあって初期の頃とは全く別物のバンドになってた。俳優のジョン・ハート(『エイリアン』でいちゃん最初にやられた人ね)がナレーションをしていたりで、渋く、やはりいかしている。

Bela Bartok「A Csodalatos Mandarin」(26)/バルトーク「中国の不思議な役人」


管弦楽のための協奏曲

作曲: バルトーク
指揮: ショルティ(サー・ゲオルグ)
演奏: ロンドン交響楽団


 パントマイムの為につくられた舞踏曲。曲は緩急そして強弱の変化が激しく、初めて聴いた時にはショックを受けるに違いない。しかし全篇通した妖しさは何ともいえない。そして、指揮者を選ぶ曲なのかなという気もする。ショルティとアバドのものを2枚持っていたが、ショルティの切れの鋭いものの方が好みである。バルトークだと映画好きの人に馴染みがあるのは『弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽』だと思う。キューブリック『シャイニング』(80)で迷路やダニーが三輪車でホテルの廊下を走り回るシーンで使われている。


★Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す 5 名)

 ネットの知り合いはことごとくこにさんにとられてしまったので、5人もいません。

 可能な範囲で、中年ゲーマーさんきつつきさんNaoさんの3名におすそ分けさせていただきます。

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2005.06.18

オークションの中の人

 Mさんという人から電話があった。カミさんが受けて、取り次いで呉れたのだけど、Mという名前を聞いてすぐに誰だか判った。

 先週末にヤフオクで印泥を落札したのだけど、開始価格が市場相場の1/3という低価格で、しかも同じものをふたつのカテゴリに出品していたので、両方ともに入札し同時に2つを開始価格で落札したのだった。ふたつ分の商品代と送料(こちらは同時に発送ということで一個分)を入金をして、送ってもらえたのが一個だけだった。明らかに出品者のMさんは勘違いをして一個しか送っていなかった。すぐさま、ふたつ送られるべきなのがひしつしか送られていない。確認をして欲しいという旨のメールを送った。

 しかしこのMさん、落札の翌日に入金し、入金した旨をメールで知らせても、実際に確認してもらえたのは2日後であるとか、非常にノンビリしたお方のようだった。先々週の木曜日に入金を終えて、発送となったのが週明けてから、そうしてその翌日に商品の到着。それから、クレームのメールを送って、5日経ってから、メールではなく、直接電話がかかってきたのだった。

 たぶんライフスタイルが随分と違うんだろうなぁと云う気がする。電話は「申し訳ない、週が明けてからすぐに発送させていただきます」という断りの実に丁寧なものだったし、悪意というのは全然ない様子だった。それまでの様子からして、週末にならないとメールを見てもらえないような気がしていたから、特に慌てて評価をつけることなくやや気長にして待っていたのだが、どうもそれは正しい判断たったようだ。

 結局、Mさん、送料一個分を余分に負担しなきゃいけないようになったんだけど、これはMさんのミスだから仕方ない。商品価格のちょうど半額にあたる送料、足が出たかもしんない。

 今回のものは銘柄もよく知っていて、というかすでに使っているものだったから、それが格安で出ているということで安心して落札できたけども、中には安いと云うだけでとんでもないものもある。少し前に別の印泥を300円で落したのだが、使えたものではなかった。まぁ、安いなりということだろう。そのあたりを含めて相場を読むと云うことは難しい。

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時間に対する感覚

 今週は妙に短く感じた。休みが明けて、欠伸をしたら、もう休みだという感じ。決して大げさに云っている訳ではない。

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2005.06.17

珈琲

 ブルックスのドリップバッグを買ってからというものの、最低でも日に350ml*5杯の1.75ℓの珈琲を飲んするようになった。食事中の麦茶以外はすべて珈琲による水分摂取。

 さすがに珈琲がうんざりするようになりました。珈琲はいくらブラックでも水の替りにはなりませんねえ。

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タトゥ(外ゥではなくtattoo)

 歯磨き粉を切らしそうになっていたので、仕事帰りに家の近所のディスカウント・ドラッグストアに寄った。

 買うものを見繕ってレジに行くと、すぐ前でレジを打ってもらっていたのは、右の二の腕にタトゥを入れている20過ぎの女の子だった。タトゥというと銭湯とかに行くと背中全体に龍がいたりするのを見かけるのは決して珍しくなかったのだけど、若い女の子がそんな風に入れているのは初めてみた。

 彫りの内容はTシャツに半分以上隠れて、見え隠れすると云う感じで、はっきりは判らなかったのだけど、魚のようだった。

 ごく郊外の住宅地だったので、非常に目につく存在だったが、連れの男が長身、短パンで遊び人風、本人も金髪、ずーっと俯き加減という感じで妙に疲れ切った感じ。もし薬中だと云われても違和感がない。

 正直言って、こういう光景を見かけるとタトゥの印象は悪くなる。抜こうと思えば、非常に辛い思いをするアクセサリ。本人は喜んでしたのだろうかとふと思った。

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総務省の甲斐性

  asahi.com: 「官製ハッカー」でサイバー攻撃演習 来年度から総務省.ということで、総務省は3か年計画として15億円を来年度の予算に概算要望するらしい。

 一昨年だったか、長野県の住基ネットワークへの侵入テストを持ち掛けられ、最後まで頑に拒否したのはどこの省庁だったろうか。部署が違うにしても、スタンスが異なり過ぎはしないか。弱みを握られたくないのがミエミエなのは、やはり格好よろしくない。

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2005.06.16

非資本主義

 隣県の徳島県では渇水が深刻になりつつあるらしい。当地も同じく梅雨入りしたにもかかわらず、降雨が少なく、渇水に対する注意が必要となりつつある。

 水道や下水道事業は降雨に非常に影響されやすい。降雨がなく、使用量が減ったとしても維持管理費が極端に減るということはなく、使用量が減れば減るほど単価を上げなければ運営できないことになる。基本は重量制なのだけども、絶対量が落ちると上げ底的に負担を引きあげなければならない。

 需要と供給の関係は、需要が増えると価格が上がり、また、供給が増えると価格が落ちるという資本主義形態の基本を形成しているが、先の上下水道に関してはそれは当てはまらない。

 環境というものの付き合い方が難しくなってくると、こういった非資本主義的な形態をもつ経済活動が増えてくるのではないかと思う。どこかの国で企業がCo2の削減に失敗するとペナルティを負うという制度があったと思うが、この制度上で吃驚したのは、ペナルティは結局、金銭的な問題であって、削減に成功した企業から削減量を購入することもできるということだった。金があれば結局、何でもあり、ということなのかもしれない。

 それにしても10年前の渇水は酷かった。3ヵ月くらいあったのだろうか、夕方4時間のみ給水で、当時、つわりだったカミさんが流し台でゲロってしまったのだが、半日、処理することができなかったらしい。小学校には地下貯水池があって、希望する市民にはそれを使って給水するため、朝から夜半まで半日ごと各学校に月二回くらいの割合で輪番で詰めたりもした。今年はあの年と雰囲気が似ていて、多少憂鬱である。

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渋扇子

 今使っている扇子がいい加減破れてきて、セロハンテープでの修復では汚らしくなってきたので、渋扇子をコマキというところで注文した。

 ここのお店は本格的に渋扇子が揃っていて、選ぶのに苦労した。自分自身のために注文したのは、本体が【8寸】 黒色 サイズ・24cm/25本 雷神、そして、下の名前の名前入れ(親骨・行書)である。

 悩んだのは骨の数。骨の数が少ないと、親骨が大きくなるけども、閉じた扇子は厚みは落ちる。また、折りが減るから紙に対する負担も減る。骨の数が多いとその反対である。今使っているのが30間という、かなり細目のものだ。16間となると親骨の幅が2cm、18間でも1.8cmというずんぐりになるので、25間にした。30間だと厚みがかなりのものになるはず。消去法で選んだ結果なので、雷神が本当に気に入って、という訳でなく、ちょっと心配。あたし的にはこの8寸25間で無地のものがあれば、それに越したことはなかったのだけども。

 実際、お客様の言葉を何処{どこ}まで信じていいのか分からないけども、これが本当なら決して悪くはない。ということで、久々に不義理をしている自分とカミさんの親にも御中元として、扇面に行書で名前を入れて贈ることにした。そこそこの出費にはなるけども、喜んで使って貰えるのなら高くはない。ちなみに贈るようにしているのは、男性物は[渋扇・7寸5分(約22.5cm)扇骨(焼煤竹)18本]、女性物は[渋扇・6寸5分(約19.5cm)扇骨(焼煤竹)30本]である。

 通常の扇子だとくまがい菁々堂のものも悪くない。特に「無地シリーズ」といのは廉価な割には、シックで扇子の美しさというのを上手く押さえている。予備として1、2本欲しい。

 それにしてもカミさんは扇子とかにはまったく興味がないようだ。色とかを尋ねても、なにも答えてくれない。どうにかならんかねぇ、この無風流。 

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2005.06.15

お金ころころこーろころ

 お金をころころし始めたら止まんなくなる。これは怖い。

 一昨年の夏、あたしは外貨預金を始めて、しばらくの間、コロコロするのに凝っていた。軍資金は独身時代に定額にいれて、満期で1.3倍くらいになって得た190万円。ころころ通貨替えして、差益を得ろうってんだけども、ちょうど円高になり始めた時期で一時期、10数万の含み損が出てた。

 通貨の空買い空売りするんだけど、10万円単位でポチッとなという感じで、金を動かしている気にはならない。単に数字が動くだけという感じなのだ。こちとらは預金と云う現物なので、有り金すべてを失うわけではないのだけど、ある額の預金を預けて証拠金とし、為替損益が出た場合はそれで穴埋めするという条件で、巨額の外貨を動かすと云う証拠金取引というのがあるのだけども、これで数百万とか溶かすのを見てきた。それが2ちゃんねるの足洗いスレだったわけだけども、お金がお金に見えなくなってしまうことはままある。

 外貨預金については今、数ヶ月に数回、売り買いする程度で10数万の含み益を保ち続けていて、まぁ、これは非常に健全な感じなのだけども、最近は本の購入の方で金銭感覚が狂いつつある。しばらく前まで、本の購入で万単位の支出なんて考えられなかったのだけど、ここ数カ月はそんなに抵抗がなくなってしまった。古書店だとかはカードを使わせてくれるところは少なく、大抵が一括振り込みの現金ニコニコ払いなので、口座の金が尽きると否応なくゲームオーバーになってしまうので、こづかいの余裕がなくなると云う程度で済むから有り難い。

 まぁ、握り締めた現金だけで生活できるのが、一番いいんだろうけどね。

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2005.06.14

革表紙

 革表紙といえば、中学の頃から英和辞典と和英辞典は革表紙のものを使っていた。革表紙といっても合皮で、あのお馴染の三省堂のコンサイスである。学習辞典としては例文も少なく、あんまり好ましいものではなかったが、サイズの割には語彙が多いのが好きで、中学から大学まで10年、メインで使い倒した。


コンサイス英和辞典

木原 研三 (編集)
新書: 1616 p ; サイズ(cm): 18
出版社: 三省堂 ; ISBN: 4385101477
第13版 革装 版 (2002/04)


 どこかの英々辞典も革表紙のものを買った覚えがあるのだが、これがひどい材質で、使っているうちに革が紙のように朽ちてきて、結局、ぼろぼろと禿げてしまった。

 辞書は引くと青ボールペンでアンダーラインすることにしていた。辞書は実用物なので汚すことはあまり気にならなかった。ラインを引いたものをもう一度引くと云うのは、単語を覚えていないという証拠で、忌み嫌うべきことだった。1400ページほどある辞書はすべてのページに必ずどこかに青いラインがある。が、今はもう英語なんて読めないも~んね。

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2005.06.13

トーマス・バルトリン『新解剖学書』

 先日、注文した【復刻版 十七世紀人体解剖銅版画集 アナトミア・リフォルマータ 限500・銅版画79葉・ビブリオ版変型(280㎜×420㎜)・総革表紙・ケース (定38万・極美) ノーベル書房 昭51年 1冊 15,000円 】が帰宅すると到着していた。はっきり言ってとんでもない代物である。

 本のサイズは420mm*280mm、厚さ70mmという巨大なもので、更にこれが鍵付き(鍵は紛失したのか不同梱)のハードケースに収まっている。重さはケースを含めて軽く5kgはあるにちがいない。片手で持つのが辛い。紙は最高級特漉用紙というのが使われており、ページのめくり触りがすこぶる良い。

 [人体解剖銅版画集]という商品紹介であったが、これは誤り。杉田玄白の『解体新書』で図版が一部引用されているらしい『新解剖学新書(ANATOMIA REFORMATA)』(1669)(総ページ数636ページ)の完全復刻版で、延々デーンマーク語か何かで読めないのが続く中に80あまりの銅版画附図があるというものである。ちなみに著者のトーマス・バルトリンはリンパ管を発見したが、父も医者であり、さらにその息子も医者で女性のあのバルトリン腺の発見者である。

 表紙やらハードケースが実は凄い。山羊の皮を使ったモロッコ皮の一枚皮でつくられていて、天は純金塗(聖書とかに多いよね)で、タイトルも当然金押し。ちなみに一冊の本の為に2匹の山羊が必要だったらしい。解説書には2ページにわたって革の手入れについて書かれてあった。(モロッコ皮の装丁についてはここが詳しいようなので、興味ある方はどうぞ) 革張りのハードケース、輸送用函と2重に保護されていたためか、1976年製の30年前のものに関らず、ほとんど新品状態だったのには驚いた。

 まぁ、そういったもんだから、ウラを取ることができなかったのだけど、限定500部であるとか定価38万円であるというのは十分にありえる話である。ちなみに浜松医科大学附属図書館のサイトを見ると、この本を副学長さんが図書館に寄贈していたりする。

 こういった定価38万円の商品を1万5千円で買ったとしても、それが満足かどうかというと、これは別問題。17世紀のものにしてはタイポグラフィはすでに完成しており非常に美しい。のだが、肝心の解剖図の銅版画の出来が今ひとつなんだよなぁ。さらにアホなことがもうひとつある。復刻者が原書が小オクタヴォ版(190mm*125mm)なのをビブリオ判変型(420mm*280mm)という倍近くの大きさに拡大して作成してしまっているのである。徒然なるままに眺めるのに良いようにという考慮らしいけど、精密銅版画が間延びしてしまうし、何を考えているんだと思ってしまう。オリジナルのサイズで見るとまた違った印象になるに違いない。

 一緒に注文したのは、仁科記念財団編纂『原子爆弾-広島・長崎の写真と記録』(1973・定価1万円)を4000円で。前半1/3がグラビアで、これは見られそうもない。仁科芳雄というと現地に最初に入った学者で、その財団がどのようなものを編纂しているのか興味があった。

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2005.06.12

ネットの功罪

 カミさんが洗濯ネットの大きいのが欲しいんだけど、近所の店を数件まわってもなかなか見つけられないという。インターネットで探すと3分もかからぬうちに適当なのが見つかった。

 ネットを調べているとある文献が欲しくなってしまった。35年ほど前の文献で相場は4万円。ネットがなければ存在を知らずに済んだのに...

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2005.06.11

衝動買い

 先日、『バロック・アナトミア』という解剖学蝋人形を撮った写真集が復刻されて、買おうかなぁ、どうしようかなぁ、とネットの本屋を検索してたら、ヤバイものを見つけてしまった。

復刻版 十七世紀人体解剖銅版画集 アナトミア・リフォルマータ 限500・銅版画79葉・ビブリオ版変型(280㎜×420㎜)・総革表紙・ケース (定38万・極美)

ノーベル書房 昭51年 1冊 15,000円

といったもの。アナトミア・リフォルマータなんてGoogleで検索しても出て来ませんわ。 ノーベル書房も古本では幾らでも見つかるけども、公式サイトとか見当たらず、もう存在していないのかもしれない。とにかく、限定500部・総革表紙・定価38万円(3.8万の間違い?)と怪しいところばかりなのだが、銅版画は嫌いではないし、解剖図はある意味、美しいものが多い。もしかするとかなり面白いモノなのではないかと思い、価格もそこそこなのでさっそく注文してしまった。さぁ、実際に手にして泣くか笑うか。

 それにしても、いまどき、ネット上でまったく情報を得られない書籍というのもなかなか珍しい。


バロック・アナトミア

亀津 菜穂子 (編集), 佐藤 明 (写真)
単行本: 112 p ; サイズ(cm): 22
出版社: 河出書房新社 ; ISBN: 4309906370
(2005/05/22)


復刊トットコムから
フィレンツェ大学付属「ラ・スペコラ」博物館の解剖学蝋人形。死の匂いを湛えた濃厚なエロティシズム。

フィレンツェには天体観測所に由来する「ラ・スペコラ」と呼ばれる博物館が存在し、600体に及ぶ鑞細工の解剖学模型が所蔵されている。今では多くの人々に知られたこの博物館を広く日本中に紹介した写真集が、惜しくも2002年に他界した写真家佐藤明*撮影による『バロック・アナトミア』(初版1994年トレヴィル刊)である。

「ラ・スペコラ」最大のハイライト「解体されたヴィーナス」と呼ばれる美少女の死体がモデルとなった鑞人形は、ボッティチェッリのヴィーナスさながら真珠のネックレスをつけて横たわっているが、腹部にあたる蓋をはずせるうえに、内臓をひとつひとつ取り出し、最後に子宮の蓋を開け中の胎児を覗くことすらできる。またみごとに鍛え上げられた筋肉美の男は表皮をすっかり剥ぎ取られ、血管・神経繊維を露出させた姿でヘラクレスのごときポーズで永遠に静止している。キリストを思わせる若い男の首は、頭蓋骨を切り開かれ血肉で装飾されたバロックの劇場のような脳を晒している。これら17世紀末から18世紀にかけて作られた精巧無比な鑞細工は、昨今のプラスティネーションの流行と同様、当時の一般大衆の好奇を強烈に刺激した解剖学ブームと呼応したものでもある。純粋な学究的価値を超越し、死の匂いを湛えた濃厚なエロティシズム溢れる蝋人形を、あくまで美術作品としてとらえた佐藤明の写真は医学的な記録写真としてとらえたタッシェン版と全く異なる優美さと荘厳さをたたえ本書を比類のない存在たらしめている。本書はトレヴィルからの出版当時たちまちベストセラーを記録、今もなお多くの読者に待望されている佐藤明写真集『バロック・アナトミア』をジャケット装にあらためた完全復刻版である。

佐藤明は、1959年写真集団VIVOを東松照明、奈良原一高、細江英公らとともに立ち上げ戦後の日本写真界を牽引した写真家。代表作に『おんな』『ウィーン幻想』『フィレンツェ』『プラハ』他


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2005.06.10

JAF二輪車ロードサービスを使ってみたさ

 JAF二輪車ロードサービスに期待を寄せていたのだけど、昨日、ようやく実際に使うことになった。仕事を終え、帰宅しようとすると原付の後輪がしっかりパンクしていた。少しでも空気が入っているのならだましだましで、近所のガススタンドに持ち込んだりもするものの、すでに完敗な状態だった。自宅近所の行きつけのバイク屋に連絡すれば、無料で取りに来てくれなくもないけども、JAFのサービスのことを思い出し、どうしても使ってみたい気分になってしまった。

 JAFを使うのは実は初めてである。自家用車のバッテリ上がりとかで何度か呼んだことがあるのだけど、ほとんどカミさんの用事でカミさん任せで処理をしていた。

 JAF短縮番号に電話し、オペレータに場所・車の状況等を告げる。さすがに手慣れたオペレータで滞りない。最後、何分くらいで来られるか支部に確認して、回答を寄越してきたのだけどそれがなんと30分から40分だった。いくら田舎といえど県都の官庁街。半時間以上かかると聞かされたのは想定外で、ちょっと泣きそうになった。他人も極力待たせないし、待たされるのはとにかく嫌いなのだ。まぁ、貴重な体験になるはずだし、依頼することにした。

 JAFに連絡を入れたのが17:30。普段なら残業をしなくても18:00くらいまでは職場にいるから、ちょっと早い時間だった。帰りに本屋にでも寄ってみようかと思っていた。JAFと話し終えたのが17:40くらい。オペレータの言うとおりなら、作業車は18:10から18:20には来るはず。一般道に面した駐輪所で待っていると部長をはじめに色んな人に声をかけられた。随分恥ずかしい。

 結局、作業車がやってきたのは18:30。いやぁ、50分も何もせずに突っ立っているというのはたまらんです。昇降台のついた立派なトラックだったんですが、それに原付を固定させるだけで20分くらい。車の荷台は妙に綺麗だし、二輪車のロードサービスで使うのは初めてという感じです。きたのもJAFの職員ではなくって、提携している修理工場とかの人のよう。そして4km離れたバイク屋に到着したのは19:15。

 原付のパンクは修理されなくて、修理できるところまで運ぶだけというサービスのようです。自宅の近所の行きつけのバイク屋まで運んでもらいました。5kmまでの輸送は無料、それ以降、1kmにつき600円というのは車のけん引と同じ料金です。馴染みのバイク屋が遠いのなら、近所のガススタンドということになるでしょう。ただこれが深夜とかだとかなり困りそうです。

 ということで、初めてのJAF二輪車ロードサービスだったのですが、待ち時間さえ半分以下なら、こんなものといえばこんなもの。二輪車関連の出動が多くなれば、待ち時間は減りそうな気もするんですが、どうでしょうね。

 ちなみにパンクの原因なんですが、空気圧の低い状態で乗り続けていたため、タイヤの中でチューブがよれ、さらにこすられ続けたためゴムが摩耗して穴が開いてしまったようです。ここんところ、セルフサービスのスタンドばかり行ってたんで、空気圧の調整は完全に怠っておりました。それにしてもパンク修理の2500円は痛かった。そして帰宅できたのは19:50。ひたすら待ち続けの2時間半だった。

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2005.06.09

音楽

 今のような昼休みとかにはたいていずーっと音楽を聴いていたりしている。ストレスをほぐすために聴いているのか、テンションを上げるために聴いているのか、どちらなのかは良く判らない。しかし、絶対といっていいほど業務時間以外は音楽を聴いている。

 さっきまで聴いていたのが、Jeff Beckの『Guitar Shop』というアルバム。この中の「Stand On It」なんかは一昔前に車のCMにも使われてた渋い曲。まぁ、乗りは良いし決して悪いとは思わないんだけど、なんか薄っぺら。


Guitar Shop

JEFF BECK


 愛聴盤とかになるとそれをひと月くらいずーっと聴いてたりするけど、そう云うのに耐えられない楽曲も多い。意外と初めは良くって、というのに多いんじゃないかと思う。クラシックなんて聞き慣れるのに10回くらいはかかるけど、それからが長くつきあえたりすることが多い。

 まぁ、聞きやすい曲もたまには聴きたくなって、そして聴いた途端、「やっぱり、もういい」なんて思ってしまうんだよね。

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NHK出版『ヒロシマはどう記録されたか』

 ようやく読了した。ページ数は400ページ弱とそんなに多くない。普段なら2日半もあれば読み切れる分量なのだけど、妙に時間がかかってしまった。


ヒロシマはどう記録されたか
-NHKと中国新聞の原爆報道

NHK出版 (編集)
単行本: 397 p ; サイズ(cm): 22
出版社: NHK出版 ; ISBN: 4140808047
(2003/07/26)


 サブタイトルにもあるように、「NHK」と「中国新聞」の記者の体験、および、それらがメディアとして報じた事から、広島に落された原爆が語られる。

 双方とも被害はひどく、設備は当然、人員も多くを失うこととなった。生き残った者は可能な限り記者として報道を試みている。語られる原爆投下の日の様子は生々しく、その中で職業を全うしようする姿には心を打たれる。

 しかし、そういった記者の体験談と報道の中身による語り、例えば、暁部隊の江戸屋猫八さんの体験談放送等が入り乱れ、視点があいまいになっており、読み辛いことこの上ない。編者は「ヒロシマがどう記録されたか」という興味深い視点を見つけて、形にしようとしてものの、それらを調べているうちに色んな興味深いことに出合い、すべてを一緒くたにしてしまったという感じだ。編集の悪さが目につき、もったいない結果となってしまった。

 あたしが海を隔てて向かいのヒロシマに興味を持たされたのは、9歳くらいの時に親に平和資料館に連れられていったからだった。当時、展示されていた蝋人形は今と比べてリアルなショッキングなもので、今も忘れることができない。昨年、同じように子供を広島へ連れて行ったが、そんなに感銘を受けている様子はなかった。あたしが広島に初めて行ってからすぐにNHKによる市民の「原爆の絵」運動が始まり、地元のHNKでも展覧が行われた。さっそく小学校に入ったばかりの弟をつれて二人で見に行った。『劫火を見た』という絵を纏めた本をそこで購入したが、数度見ただけで封印してしまった。

 投下当日の様子は松重美人氏の撮った御幸橋西詰での写真で想像するしかない。しかし、あれはまだまともな光景だったのではないかと思う。

 怖いのは核爆弾だけではない。正当な行為として国が認めたことによって、国民が惨く苦しみながら死ぬということは今だに続いている。目を瞑るということはそんなに簡単なことなのか、と驚かずにはいられない。

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2005.06.08

夏といえば...

 そりゃもう当然、怪談です。今月の中旬に夏の恒例の『新耳袋』(メディアファクトリー)が出るんですが、最終巻の第十夜(巻)となり寂しい限りです。毎巻99話(さすがに100だとよろしくないらしい)の怪奇話が載せられ、いい加減ネタもつきかけて、某巨大掲示板では糞味噌あつかいされておりましたが、それでもあたしは毎年楽しみにしているんですよね。


新耳袋―現代百物語〈第10夜)

木原 浩勝 (著), 中山 市朗 (著)
出版社: メディアファクトリー ; ISBN: 4840112819
(2005/06/17)


 中でも恐かった話がオルゴールの話です。

 一人暮らしの恩師のところに何十年かぶりに訪ねると古いオルゴールがある。ネジを巻いてオルゴールを鳴らすと天井の方から音がする。フタを閉じ、鳴らすのを止めると天井からの音は聞こえなくなる。再び、音楽を鳴らすと天井からの音は激しくなり、どうも二階で人が走り回っているみたいなのだが、そもそも恩師は一人暮らしで二階には誰もいない。その走る足音は気が狂ったかのように激しくなる。恩師にそのオルゴールを始末するように言って、その家を去るのだけど、暫くして恩師から電話がかかってくる。オルゴールを鳴らすととんでもないことになっているといい、後ろからはあの足音が聞こえる。恐怖にかられて悪いと思いながらも、その電話を途中で切ってしまう。

 記憶で書いたのだけど、そんなたわいない話だったんだけど、情景を想像すると妙に恐かった。天井からの音がまず恐い。そして、なぜ狂ったように走らないといけないのか判らないから恐い。それがオルゴールと連動していて、いつでも聞けるから恐い。オルゴールと走り回ること、どういう経緯で結びつくのか想像もつかないから恐い。

 まぁ、そう云うのは本当の恐い理由にはなっていないと思う。暇な時にどうして恐いのか考えてみることにしよう。

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2005.06.07

ガードレール金属片事件の謎

 事件そのものについてはガードレール金属片事件に書いた通りなのだけど、これが多発の現象だと誰が気づいて、どこに確認をとったのかが気になる。今となってはすべての都道府県で2万件以上の箇所で確認されたものだから、それは当然話題となるんだけど、一件だけなら、特に記事にならない可能性の方が高い。

 どこかの新聞が記事にしたことから「うちの近所にもある」ということなって、新聞社やら警察やら役所やらに通報があって、火がついたのだろうか。これも非常に気になる。

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2005.06.06

滝田ゆう『寺島町奇譚(全)』

 優れた作品をふたつに分けるとすれば、「評価すべき作品」と「愛すべき作品」のいずれかになると思う。滝田ゆうの『寺島町奇譚(全)』は後者の典型的な作品である。


寺島町奇譚(全)

滝田ゆう(著)
文庫: 645 p ; サイズ(cm): 15
出版社: 筑摩書房 ; ISBN: 4480022082
(1988/03)


 この本のことを思い出したのは、中年ゲーマーさんのやましい山師の『もう死語だろうが、子どもの頃に「銀流し」というのがあった。水銀にとのこをまぜ、さびたくぎなどを一瞬でぴかぴかにする。しかし水銀のメッキは一日で消え、もとのさびたくぎにもどる。』というくだりを読んでだった。『寺島町奇譚』の第2話というのがまさしく「ぎんながし」というタイトルで、すでに10数年前に読んでいたものの、その言葉の響きが印象に残っていたのだ。

 戦時中の東京の色街。小学生のキヨシは猥雑な大人に揉まれながらも、それなりにつまんないのかおもしろいのかよく判んない子供としての生活を送っている。味のあるとぼけたような絵で、庶民的な生活が付くでもなく突き放すでもなく描かれる。

 両親は着流しのやさおとこをぎんながしのセンセイと呼んでいた。キヨシが祖母に「ぎんなな(ママ)しってなんのこと?」と尋ねると「お金もないくせにゾロッとしたなりしていいまのふりをしている人のことだよ」と答える。この時、中年ゲーマーさんの説明する「銀流し」のことをまったく知らなかったから、言葉と内容の一致のしなさに忘れることができなかったのだけど、ようやくその真の意味を理解することが出来た。ただ、「いいまのふり」("ま"に強調点あり)は今だに判んないでいる。大人の世界は深い。

 この『寺島町奇譚』は東京大空襲で色街が焼き払われて終る。家族は全員助かったのだが、猫のタマだけが見つからない。タマ宛の移転先の立て札を用意して、キヨシは疎開先に向かう。悲しいのか悲しくないのか飄々とした感じであるが、玉ノ井・吉原の終焉はひとつの時代が終ったことの間違いない象徴でもあった。

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ガードレール金属片事件

 ガードレールのボルトに鋭利な金属片が挟み込まれているという事件だけども、週末までの当県による調査では県内で500箇所あまり発見されたようだ。当地近隣の5市町(人口60万程度)で100箇所程。県内の各地域の一覧をみると特定の地域のみということではなく、多少偏りがあるものの全域に及んでいる。ほとんどの都道府県で発見されているらしく、全国規模のようだ。

 車が接触し、部分的に外装が剥ぎ取られるという可能性も当然あり得るだろうけど、ガードレール本体も相当にダメージを受けているはずで、報道で見られるようにちょこんと金属片が差し込まれているような感じにはなりえない。意図的になされていたのなら、それが原因で、殺人とまではいかないものの傷害に至るのは明白であり、かなり悪質である。

 愉快犯という断定は出来そうだけど、個人犯なのか組織犯なのか。個人犯ならその馬鹿げた努力にはある意味敬服するものがあるけど、組織犯ならそのみみっちさに(´・ω・`)ショボーンという感じもしないではないが、仕込んでいる現場を一度も押さえられていないわけで、これもある意味凄いところがある。

 思わぬものが犯人だったりするケースもあり得る。例えば、カラスだとか。この鳥は実に賢い。さらに線路に置き石するくらいだから、人間に悪意を持っているのは確かである。実は全国のカラスが示し合わせての犯行かもしれない。多分、そうに間違いない。

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2005.06.05

エヴァンゲリオン/邪悪なるもの

 もう一昨年になるんだけど、エヴァンゲリオンのリニューアルDVD-BOXというのが発売された時に購入した。当地にはテレビ東京の系列局がなく、数年遅れて週末の深夜帯に放送されているのをたまに見ていた程度だったが、90年代を代表する作品のひとつということでもあり、全篇ちゃんと見ておこうと思ったのだ。

 いまだに数ヶ月に一度、DVDを引っ張り出してきて、何話か見直している。


NEON GENESIS EVANGELION DVD-BOX

監督: 庵野秀明
出演: 緒方恵美, 三石琴乃


 このアニメは最後物語が破綻するということで、取り沙汰されたものだが、それを差し置いても表現が凄い。登場するキャラクターに萌えたりすることは全くなく、萌えるのが理解できないというクチなのだけども、描かれている内容というとダークサイドをかなり絶妙についてきており、それが見事としかいえない。

 エヴァの人気は神秘主義が取り入れられ、深読みできる部分が多いからだと言われているけど、それよりも生理的なものが多いと思う。

 どういったところがどうであるのか、表現できないもどかしさがあるのだけど、ナチスに対するものに非常に似た印象がある。ナチスは大衆を惹きつけるためのファッションを重視したが、それらのファッションに惹かれる一方でどことはなく、後ろめたさを感じる。それがナチスだからという歴史的な結果ではなく、逆卍に象徴されるように生理的なところでどこか危うさを感じるのだ。それと似たような嫌気さがエヴァンゲリオンには全篇にわたって漂っている。

 デビッド・リンチは奇しい映画を撮る(当然、あたしはそれが好き)んだけど、エヴァに関しては庵野は遥かにリンチを超えてしまったと思う。

 美は大抵の場合、調和と統合によって精神の高みを目指すものだけど、たまにこういった目に見えぬ邪悪さを見事に捉えることもある。そういった精神活動をどう評価するとよいのだろう。やはりカタルシスのためにはなくてはならないものなのか。

 エヴァが子供向けの企画として通り、実際に夕刻に放送されたのが信じられない。あらゆる意味で大人向けの作品であるからだ。



 ちなみにこのDVD-BOXは定価の2割引きくらいで買ったのを、本編の10枚のDVDを残して特典Disc・ケース等すべてヤフオクで2万2千円で売払い、実質1万円強で手に入れたものであります。

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2005.06.04

蔵書票を作成依頼しました

 蔵書印と蔵書票でコメントを下さっていたそろり文庫のささおかさんに蔵書票の作成依頼をいたしました。写真集や画集のようなハードカバーで大型の本に関しては蔵書印より蔵書票の方が映えるんですよね。

 作成するにあたって記載する氏名のみを指定させていただいて、後はすべてお任せしています。これから完成まで1ヶ月程かかるのですが、どのようなものができるか非常に楽しみです。

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オーバードーズって、なに?

  ゆうら嬢のブログで、最期の言葉っていうのをやっていたから、あたしも試しにやってみた。

あなたがつぶやく最後の言葉は「もう、何がなんだか分からない」です。
 △オーバードーズ、朦朧とした意識の中(推定年令:不明)

あなたの総合運★★★

 あなたは実に崇高な魂の持ち主です。たとえ満員電車で寿司詰状態であったとしても、閉じられたあなたの眼の裏では、壮大な大宇宙が広がっているのではないでしょうか。あなた独自の生命論、世界観はなかなか聞き応えのあるもので、密かなファンも少なくないことでしょう。ただし、お酒の席での披露は禁物ですよ。

 そんなあなたの最期は、ずばり、オーバードーズ。眠りの前に瞑想をする習慣が災いして不眠症ぎみなあなたは、つい飲みすぎた睡眠薬によって永遠の眠りにつきます。枕もとに重ねられたツルゲーネフやニーチェの背表紙が徐々にぼやける中、『もう、何がなんだか分からない』と解かれなかった己の人生の真理をつぶやきます。

あなたの仕事運★★★★

 凝り性なあなたは、学者肌なのですが、熱しやすく冷めやすいという生来の性格上、デイタイムは堅実な仕事に、アフターファイブは趣味にと、二足のわらじを履くのが良いでしょう。定時の仕事が引けてからは何をしようとあなたの自由ですが、法治国家に暮らすことをお忘れなく。

あなたの金銭運★★

 あなたはお金にシビアな星回りのようです。上手くお金と付き合っていると思っているようですが、ある意味、お金は生き物です。使い方一つで着実に増やした貯金額もパアとなる事も。もう少しお金を使い慣れる必要があるのかもしれませんね。そうそう。白蛇の夢を見ると金運がアップするらしいですよ。

あなたの恋愛運★★

 あなたにとっては、恋人としての他人の気持ちほどどうでも良いものはないのかもしれませんが、それはあまりに寂しすぎやしませんか? つれないあなたを慕う恋人のことをもう少し考えてあげることで、きっとあなたの囚われているレーゾンデートルから開放されるはずです。

ラッキーワード

 『Go ! My Way』 (家を出る前に鏡に向かってつぶやくとラッキー度、更にアップ!)

 星座占いがベースになっているのか、雰囲気はかなりよく掴んでいると思います。オーバードーズというのは初めて聞く言葉でランダムハウス中辞典やら英辞郎を調べても判んなかったんですが、ネットではすぐに判りました。

 オーバードーズ-over dose.薬物過剰摂取。

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2005.06.03

ページ

 今週の初めに国の出先機関が開催する説明会に出ていて気になったのが、○○ページ(頁)というのを○○ペーシとジを濁らずに発音するやり方だった。これって、関東の人に多いんでしょうか。日本総研の研究員という人と仕事でやりとりをしたことがあったのだけど、この人もしきりにペーシペーシと言っていた。

 pageはどう発音してもgeの部分は濁る。それを濁らずに発音するというのは、instalをインスツールといってみたりするのに似ている。ちなみにうちの父親はPTAをピーチーエーといっているんだけど、これは訛りからという訳ではない。そもそも横文字の判らない人なのである。

 あのペーシというのはやはり東京下町特有の発音の仕方からきているんでしょうか。確か、さ行の発音が怪しかったと思うんですけど...

 あたしは大学では言語学というのをやってて、静岡出身という講師からも講義を受けたことがあるんですが、彼女が当地に来てびっくりしたことがあるという。それは「を」を「お」でなく、ちゃんとした「を」として発音している。というんです。関東だと「を」はほとんど「お」になっているらしく、「を」と発音されているのをほとんど聞くことができない。らしいんです。

 ま、いろいろと地域の特性とかあるんでしょうけど、いつも違和感を感じながら「ペーシ」を聞いております。

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ドリップバッグ

 インスタントを飲むのなら、多少不味くてもというつもりで、ブルックスのドリップバッグ・ブルックス特撰セットを買う。あの有名な一杯19円(税抜)のやつだ。

 最近は地元のショップでもある一進流 珈琲屋の浅煎りばかり飲んでいたので、深煎りを飲むと味が執念く感じる。浅煎りは本当にあっさりしているのだ。ちなみに一進流 珈琲屋も申し分ないドリップハッグを用意しているんだけど、一袋105円とブルックスの5倍のお値段。それにしても一進流 珈琲屋は、繁華街の中にあるごく普通の喫茶店なのだけど(向かいは百貨店の三越である)、特製ドリップバッグを準備しているとはなかなかのものである。

 ドリップバッグ・ブルックス特撰セットは5種類の珈琲が40袋ずつ、計200袋ある。日に午前午後と一杯ずつ飲んでざっと100日、少なくとも4ヶ月は持ちそうである。月当たり1000円。そんなにいい豆が使われてなさそうでも、インスタントコーヒーや缶コーヒーよりかはまともで、それに安い。まぁ、しばらくは試してみようと思っている。

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2005.06.02

本の整理3

 本棚の隅々を探し回って、今だ隠れるようにして収まっていたSTUDIOVOICE3冊を発見。欠号は2001年10月~12月号の3冊だけとなった。異動前の部署で失くしてしまった可能性が高い。なんてこった!

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バスの運転手

 タクシーではあんまり目新しくなくなってしまった女性運転手。今日、出勤途中で見かけたのは路線バスの女性運転手だった。

 2種免許は難しく、タクシーの運転が出来るようになるにも随分苦労するようだが、大型車のバスとなると敷居はさらに高いはずである。おばちゃん運転は怖いという印象が一般的にあるけども、そのまさに正反対を行く。

 非常に体格のいいドッシリとした貫禄のあるお姉さんだったけども、それもまたよろし。惚れ惚れするような運転姿でございました。

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本の整理2

 昨日に引き続き、今度は本棚にあったSTUDIOVOICEに蔵書印を押印していく。

 バックナンバーは1989年から1999年までの11年間分。順番が適当になっていたので発行順に並べて判をつくだけで3時間あまり。判をつく指が痛くなってしまった。昨日からだと17年分を処理したことになる。整頓してみると3年に1冊くらいの割合で欠号があった。どこかに紛れ込んでいるのか、他のものと一緒に廃棄してしまったのか。かなり悔しい。

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2005.06.01

本の整理

 あたしの愛読している月刊誌STUDIOVOICEに蔵書印を押しておこうかと、とりあえず本棚に収容し切れず、あちこちに散らばっているのを集めて、順々に押印していく。普通、雑誌なんかに蔵書印なんて押さないと思うんだけど、この雑誌には何となく愛着があって、押しておきたい気分になる。

 あちこち、床やら本棚のうえにおかれていたのは99年後半からの6年間分。70冊程に押印をして、一気に積むと腰のあたりの高さまでになってしまった。時事的な書籍を集めて処分しても、これだけが入るスペースはおそらく作れまい。いやぁ、参った。

 印の肉は印泥という中国産の肉を使ったのだけど、黒地の印刷の上に押してもちゃんと色が乗っている。これはなかなか気持ちいい。ただちょっとべたつく感じがあって、印影が太めになるのが少しばかりよろしくない。今日は仕事の帰りに判子屋に立ち寄って覗いてみたのだけど、これはというのは残念ながらなかった。

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