写真を作る
写真に凝っていた時期がある。今でも写真を撮ることは好きで、デジカメだけど、マニュアルモードでいろいろ撮っていたりする。
かなり凝っていたというのは20歳過ぎの頃。大学の学部の友人に、高校時代写真部だったというのがいて、いらなくなったという引伸機を1万5千円くらいで譲り受けた。作りの簡単な引伸機だったけど、新品ならその倍くらいはしていた。写真には少なからず興味があった。映研に所属していたのだけど、映画のドラマ性より映像に惹かれることが少なくはなかった。映像で表現されるものになんとも言えぬ心地よさを感じていた。
友人は押し入れを暗室に見立てて作業をしていたようだか、幸いにもあたしの実家では母親が写植機を使う仕事をしてて、ゴツい暗幕で作られる半畳ほどの暗室があったので、そんなに苦労はしなかった。ただ、さすがに閉め切られた空間なので夏場は大変だった。
引伸機といってもカラー写真ではなく、モノクロ写真である。カラー写真は温度の管理とかも非常に厳しく、自家で簡単にできるものではない。簡単にモノクロ写真というけど、奥が深い。まず、フィルムの選定から始まる。色んな感度のフィルムがあり、感度(光が大量に必要)が低いほど粒子の細かい傾向がある。それ以外にも各社の各フィルムは各々特徴があり、それを知っておく必要がある。そしてフィルムの現像。現像液の種類はもとより、処理する際の温度、処理時間によっても現像の具合が変ってくる。感度の低いフィルムを本来のシャッタースピードより短い時間で撮影し(増感撮影)、フィルムの現像を調整し、長時間にすることによって、適性露出に現像にしたりもする。ただこの場合、粒子が荒れ気味になるという弊害があるけども、これを目当てにする場合もある。そして、印画紙にもそれぞれ...
填まると本当に泥沼で切りが無いのが写真である。カメラは当然、フィルムやらプリントにも費用がかかり、道楽といわれるのも無理はない。金がそこをついて、特に熱中できたのは2年くらいだったが、随分楽しませてもらった。
写真はありのままを写し取るという風に思っている人も多いとは思うけど、こういった経験があると、写真は作るものであるというイメージが強い。素材的にもそうであるんだけど、根本的に、何かを切りとらないと撮影ができないわけで、必ず撮影者の判断というものがそこには入っている。
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