制限があるということ
制限があるということ。これって思っている以上に大切なことではないかと思う。
制限があるから、その中で最大限のことを成し遂げようという気が働く。制限がなければ、本当の天才でない限り、何も思いつかず、そして何もできないのではないか。
制限の大切さはよく判るケース。予算が多くなってしまったら、途端に面白くない映画を撮ってしまう映画監督って多いんだよね。
そしてあたしのGWは何をするでもなく、本の一冊も読了せずに終ってしまった。
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コメント
この話、何となく実感しますw
制限があると、意外と生き生きと活動しちゃったりするんですよね。何故でしょう。
時間が足りないから効率よく動かなくてはということで結構いろいろやっちゃうんですよね。
でも、時間がいっぱいあって、何時でもできるわとなると途端にダラダラ過ごして結局無駄な時間を過ごしてしまったりして。。。
人間って不思議な生き物ですね。
でも、きっとこれは動物として本当に大変な時に一番能力を発揮するように仕組まれた機能なのではないかと思っていたりします。何もしなくてもよいときは、何もしないのも実は地球環境に良いのではないかとも思ってみたりして。(活動しなきゃ余計な廃棄物が出ないし)
投稿: こに | 2005.05.14 11:20
生活そのものを考えてみると、過去の生活って暇っていうことがなかったんじゃないかと思うんです。生活、生きていくこと自体が目的であり、その内容だった訳でね。
となると制限とはそもそも何なのかという疑問が出て来ますよね。おそらく制限とは生活から乖離するほど大きくなるものだと言えるでしょう。新たなものが見いだされるたびに制限は果てしなく大きくなっていく。
こにさんのコメントの内容とは論点が明らかにズレてますが、コメントを読んで感じたことです。
投稿: O-Maru | 2005.05.14 17:43