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2005年5月の53件の記事

2005.05.31

フジTV深夜のニュース

 番組名が『ニュースJAPAN』だというのを、今、ネットで調べて知ったんですが、この番組、妙に深刻です。セットも渋いというか、暗いし、キャスターの表情も妙に重々しい。女性キャスターの滝川クリステルさんは確かにべっぴんさんなのではありますが、表情の暗さに、なんとも言えぬ悲壮感が漂ってしまいます。

 ニュースって暗いものなんでしょうかねぇ。このフジの演出には非常に違和感を感じます。重みを出そうとしているのかもしれないですが、キャスターの薄っぺらさは隠しようがなく、はたまたちぐはぐになってしまっております。

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好きになれないブログ記事

 どうしても好きになれないブログの書き方。もったいぶって<<続きをよむ>>を使っているのと、ひたすら改行を多用しているヤツ。本当に読みにくい。後者はここあたりから影響を受けているのか。はっきり言ってよろしくない。マンガのコマ割のようなものを意識しているんだろうけど、どう見ても頭が悪いとしか考えられない。センスのない人間はこんなことをしちゃいけない。ここが人気あるとのことだが、あたし的にはすでに敵わん。

 そういうところは二度と見ないことにしているから、別にど~でもよいんだが、ついついそういうのに遭遇するとムカッ腹が立つんだよな。ま、それだけの話。

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2005.05.30

久々のJR

 今日は国の地方局が開催する説明会に出席するため、JRを使って隣県に行っておりました。JRを使うのはまさに10年ぶり。震災前に京都から普通列車で帰ろうとして、四国に入った途端、移動速度が落ち、途中で特急券を買わないと帰れなくなって以来です。その時、時間調整で降りた神戸元町はまだまだゴミっぽい感じの街でありました。

 その前にJRに乗ったのはその6年前こと。奈良のシャープの技術本部というところに就職のための会社訪問に行ったのですが、行きは汽船を使って大阪まで行き、帰りは瀬戸大橋を渡って鈍行で帰るというのをやったのですが、当時、四国の列車というと今のように電化されておらず、ディーゼルで走っていました。客車の窓も開くことができ、非常に趣があったのですが、最近の列車は面白味に欠けます。

 200kmあまりを2時間半。高速を使うのよりかちょっと遅いという感じです。そして、びっくりしたのが料金でありました。乗車券3400円特急料金2610円で片道6010円ということになるんですが、みどりの窓口で往復で買うと7400円請求されました。あまりにも安いので「帰りの特急料金は別に要るのですか?」と駅員に尋ねると、はぁ?という顔をされて「入ってますよ」と冷たく言われてしまいました。あたし、生まれてJRを使ったのは3回くらいで何も知らないんですよ。そんなに怖い顔をしなくてもいいじゃないですか、と思ってしまいました。

 田舎道はJRもカーブが多くて、左右に結構傾くので酔いそうになりました。車掌さんって、いまだにいるんですね。福知山線の件で、車掌さんがしきりに登場してたんで、いるというのは知っておりましたが、実際に検札されると興奮してしまいました。片道で2回、往復で4回もです。しかし、乗り越し料金を車内に居ながらにして清算できるというのは、非常に好ましいサービスであります。2時間半乗っていただけで、岡酔いしてしまいました。運転手さん・車掌さんはどうもないんでしょうか。ちなみに学生時代、名古屋出身の後輩が場内券だけでいつも往き来していると豪語しておりました。あんなに頻繁に検札があるのにそんなことが可能なのでしょうか。ずっとトイレに籠っていたのでしょうか。

 乗車時間が2時間半あったものの、途中停車時間というのが非常に短くて、車内販売もなく、飲物を買い損ねるとずっと我慢でありました。お菓子やビールを売っていた車内販売が懐かしいですね。

 都会では通勤に片道2時間だの普通だと聞きますが、やはり異常ですね。今日なんぞ、行きに2時間半、説明会が2時間半、帰りに2時間半という時間配分で、会の内容があればまだしも、列車に乗ってぼーっとしに行くという状態であります。本省から来たというお役人さんは5分で説明を終えられていましたが、満足したのでしょうか。課長・係長以上の出席を求められた会に主任のあたしが出席したのですが、来年からは行かなくてもいいよというつもりであります。

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2005.05.29

蔵書印を押す場所

 先日、蔵書印を新調したのだけど、以前から疑問だったのが、蔵書印を押す場所。蔵書票だと一般的に表紙の見返しということになっているようだけど、蔵書印についてはそういった記述は探しても見つからない。

 昔、知り合いに借りた本には、小口や天に、蔵書印の代わりに三文判が押されていた。たぶん、知り合いの家人によってなされたものだと思うのだけど、嫌味になるくらい所有が強調され、確かに誰も持って行こうという気にはなるまい。が、お下品なんだよねぇ。

 自分の場合、一番目立たず当たり障りのない場所、奥付のあたりに適当に押しているんだけど、皆はどうしているんだろう。

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2005.05.28

安全と経済的効率

 小学校に上がったばかりの男の子が学校の帰り、市内の交通量の多い交差点を渡ろうとして、ダンプに巻き込まれて即死した。ダンプの運転手の未確認が原因だった。それから2年くらいして、市街地の多くの交差点の信号機を歩車分離式(斜め移動のできないスクランブル交差点のようなもの)にし、巻き込み事故を防止する処置がとられた。

 信号の変更された交差点では信号の無視をしない限り、歩行者と車との接触事故は事実上なくなったわけで、交通安全面においての効果は絶大といえる。ただし、各々の為に信号を青にするため、必然的に信号の間隔が短くなり、その結果、交通量の多い朝夕は特に渋滞が激しくなった。住所は職場まで2.5km程度の近距離だけど、5分ほど出勤に余計時間がかかるようになった。

 そこで、クレーム。

 市内にある支店で顧客との契約に纏わる打ち合わせがあった。本店から上役が出席するというので、車でJRの駅にその上役を向かえに行ったのだが、信号が短くなっているため5分程度で移動できていたのが20分もかかってしまった。そして15分ほど会議に遅刻してしまった。顧客は機嫌を悪くし、4000万円の契約はご破算になってしまった。

 信号待ちが増えるのは経済効率を著しく落すものである。事実、4000万円を失う結果になっている。地域の発展を願うのなら、早急に信号をもとの状態に戻すべきである。

 この人の場合は、経済的効率というより、自分が移動時間を見誤ったことに対しての単なる逆怨みで、個別的に考慮するに値しないのだけど、広い目で見るといろいろあるんだろうなぁと思う。本来、死傷者になるべき人たちの生産活動、医療費の削減、渋滞によるアイドリング時間の増加による影響等々、複雑に交わる。

 JR西日本の安全運転を目指すためのダイアの改正。これもいろいろ影響するんだろうと思う。

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一昨日買った本/戦後は遠くになりにけり

 楽天から「楽天ブックスを初めて使うのなら5%引きします」とかって云うメールを貰って、ついつい注文してしまう。

 戦後60年目の今だからこそ、ということで出版された『ノーモア ヒロシマ・ナガサキ』がしばらく前から気になっており、それとそれに関連するもの、計3冊を購入した。
 


原爆写真
ノーモア ヒロシマ・ナガサキ 【日英2カ国語表記】

清水 博義 (編集)
黒古 一夫 (編集)
井上ひさし・林京子・平岡敬
広河隆一・松谷みよ子




なみだのファインダー
―広島原爆被災カメラマン松重美人の1945.8.6の記録

松重 美人 (著)
柏原 知子




ヒロシマはどう記録されたか
-NHKと中国新聞の原爆報道

NHK出版 (編集)


 『なみだのファインダー』の表紙写真は見ると辛いんで外しました。各々の書籍については後日ゆっくりと触れることにします。

 それにしても生活からかの戦争の影が完全に消えてしまいましたね。あたしらの小さい頃にはまだ戦争の忌々しい面影が残っておりました。昭和40年代、戦後20数年の頃です。

 市街地に出ると、駅の端の方では決まって白装束の傷痍軍人がゴザを敷いて物乞いをしていました。彼はたいてい脛から先のない足を投げ出して、両手を地面につくようにして俯いたままの姿勢でいました。子供心に非常に怖い光景でいつもその前を走って駆け抜けていたような気がします。異様でしたが、いつもの風景でありました。

 市内の中ほどを流る川の河川敷ではバラックが違法占拠し、スラムが出来ていました。当地も空襲で焼け野原にされた土地でした。住む所を追われた者たちがそこに集まり住んだのは明らかで、戦後20数年経っても撤去できずにトタンづくりの粗末な家屋が200mくらいに渡って軒を並べていました。

 両親は元もとの地元の人間でなく、父親は山奥の農村、母親は満州生まれということもあって、通常の戦争時下の生活について聞くことはありませんでしたが、それでも肌として感じられるものがまだ残っていたものです。

 それにしてもなんだね、気軽く憲法改正をしようという気配があったりで、いくら「戦後は遠くになりけり」とは云えどね。やっぱり、おかしいんだよなぁ。

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2005.05.27

サン=テグジュペリ『星の王子さま』

 「たいせつなことはね、目に見えないんだよ...」

 この言葉の輝く、『星の王子さま』の岩波書店の独占版権が1月に切れており、6月には色んな翻訳が出るというのを今朝の朝刊で知った。


星の王子さま

サン=テグジュペリ (著)
内藤 濯 (翻訳)


 この本は、お向かいの10歳くらい年上のお姉ちゃんからお下がりで頂いて、小学校に入るくらいから手もとにあった。多分一番最初の版で昭和42年9月15日第18刷(第1刷はS37.12.27)となっている。

 翻訳の刷り込みというのは非常に重く、例えば、カフカの『変身』なのだけど、同じ訳者でも全く違ったものになる。

 大学時代、映研でカフカの『変身』を映画化した時に脚本を担当した。ホンは高校時代に愛読していた、高橋義孝訳新潮文庫版を元本として起した。冷徹な印象を与える文体がカフカの不条理な世界を見事に描き切っていると思っていた。撮影中、スタッフの女の子が原作を読みたいというので貸したのだが、紛失され、結局、手もとに戻ってくることはなかった。再び、読み返したいと思い、再度文庫を購入したのだけど、事もあろうに同じ訳者により、全篇翻訳し直されていいた。客観的な言い切りのスタイルだったものが、丁寧な言い回しに変っており、そこに繰り広げられる世界は前のものとまったく異なっていた。


変身

カフカ (著)
高橋 義孝 (訳)


 たぶん、刷り込みを受けていたのだろうと思うのだけど、それでも言葉のちょっとした扱いでまったく印象が変ってくるのは間違いない。

 『星の王子さま』にしても、オリジナル版と銘打たれた新版は、イラストの変化はそんなに気にはならなかったものの、本文が横書きで組まれていたのにはびっくりした。それだけで充分読めなくなってしまうことだってある。

 一番最初のものが一番良く感じる。というか、慣れ親しんでしまって、それから抜け出せなくなる。そう云う嫌いは確かにある。しかし、長きにわたって評価されたものには、それなりの価値があるのも確かなのだ。

 新翻訳の『星の王子さま』はどこまで耐えられるのだろうか。何とはなく、興味はある。

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2005.05.26

子供の成長

 上の子が学校の行事で屋外活動センターというところに一泊するということで、今日は一日いない。男の子にしてはよく喋る子なのでいないと静か。あと8年もすると、もしかすると家を出て行くこともある。それを思うとやはり寂しくなる。

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2005.05.25

蔵書印完成しました

in 16日に注文の確定がなされて、今日、印ターネットさんから完成した蔵書印が届きました。

 18というのが最終デザインで、その右が実際に彫っていただいたものの印影でです。デザインに非常に忠実な彫りで、見事な出来になっています。

 右が蔵書印そのもの。クリックすると拡大表示されます。製作年月が刻印されていました。とにかく彫りは間違いないので、デザインさえ完璧なものにしておけば、代々でも十分に使えるものを作ってもらえると思います。ケースも一緒に注文したのですが、そのケースが魚の封蝋で丁寧にシールされていました。カミさんには特に可愛いと好評で、この封蝋スタンプが欲しいといっていたのですが、実際には使い道がないんですよねぇ。

 蔵書印、さっそく、今日、届いた書籍3冊に押印しました。15年ぶりくらいに押す蔵書印だったので緊張。しかし、何ともいえない誇らしい気分になりました。

 さて、次は蔵書票の作成となります。こちらは写真集とかの大型本をメインに使用予定。

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ネット上の人間関係

 ネットでの自分なんておそらくそのまま自分である訳ないし、実生活の何処かの部分がデフォルメされているのは間違いないと思う。実生活ですら、成田離婚というのがあって、数日過ごしただけで思っていたのとは別人だと判ってショックを受けることだってある。ネットでは最低でも6割は差し引いて考えるべきだと思う。クールにクールに、言葉だけで楽しむというのがおそらく無難である。

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2005.05.24

理論武装

 理論武装。この言葉は嫌いだ。所詮、穴の突き合いで、声を大きくしたものが勝つ。理論でなくって、屁理屈でしかない。この言葉を使うヤツに限って、自分の間違いを指摘されると煙に巻いて誤魔化す。理論なんて言わなきゃ、こちらも素直に「お宅の言い分」としてそれなりに考えてやるのに。

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2005.05.23

Googleの馬鹿

 どうやらGoogleの検索インデクスからここのアドレスが完全に抹消されたようだ。"二筋縄。"ですら、ヒットしない。これは痛い。ここのビジターの9割は検索から辿り着いていたんだから。辛いけど今までが良過ぎたということで、諦めよう(´・ω・`)ショボーン

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車検

 先日、うちの車を車検に出していたらしく明細書が置いてあった。総額11万7千円。法定費用が半分強を占めているけども、これまでが8万くらいで収まっていたから、今回は随分と高い。

 車は平成8年型の今は亡きスターレットで走行距離は少なくて3万5千km程度なんだけど、すでに9年選手。それなりに綻びが出てきているんだろう、部品の交換も多かったようだ。

 いやぁ、これからはそういった費用が増えるのは目に見えているし、維持するものなかなか大変。カミさんは、今は下の子の幼稚園の送り迎えに使っているからダメだけど、小学校に入ったら売り払おうか、なんて言ってくれるが、実際、可能かどうか。上の子が生まれるまでは何時も二人で原付を並べて走らせていたもんだけど、これからは、4人でチャリを走らせようというのか。まぁ、それはそれで決して悪くはないとも思ったりはするんだけどね。

 車検というと時計のオーバーホールも今年くらいやらないといけない。4万5千円くらいは見込んでおいた方がよさそうなんだけど、こちらの出費はこづかいからなのでかなり痛い。

 定期的な支出であらかじめそれ用に積み立てておくといいと思いつつもやったためしがない。ま、それを実際にやっている人がいたとすると、それはそれで可愛いとは思えないんだけど。

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2005.05.22

掲示板作りました

 左サイドバーの上方に簡易掲示板[フタキン掲示板]を設けました。記事のコメントにはし難いけども、何か伝えたいということがあれば、こちらに書き込んでください。[よむ/かく]のアイコンをクリックすると掲示板の閲覧、登録画面が展開します。



 この簡易掲示板、どうやら50件までしか表示できず、古いものについては随時消去されるようです。内容によってはブログの記事として取り上げて、フォローしたいと思いますので、なんなりとお書きください。

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外し技

 日々こうやって書いてきているんだけど、話の展開が直線的になってて我ながら面白くない。

 話の面白さというのは外し技にある。話を微妙なところで外して、大局を語り、そしてもとに戻して話を収縮させるという絶妙な技が必要なのだけども、最近は頭が固くなったのかそういうことができなくなってしまった。幅広く考えることが難しくなっているのだと思う。

 リハビリの日々はしばらく続きそう。

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ネットのコミュニケーション

 トラックバックも頂いたこにさんのネットに求めるモノに対して。

 ネットで求めるのはブログと掲示板でも書いたように、まず情報が第一。第二が何かというと、考えるヒントとしての材料があり、またそれを止揚できる環境があるということですね。まぁ、簡単に言えば議論ができるという事です。知的興味を能動的に発展させられる場所が必要なんでしょうね。

 コミュニケーションというのはあくまでも結果であって、それが目的になるというのは想像できないんですよねぇ。あたしには。いろいろやってて、たまたまできる繋がりは否定する気はないし、大切にすべきものだと思うんですが、これを優先的に考えるとドツボに入ることになりかねないと思ってます。

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サントラ『凍りつく夏』/ケルト系音楽

 室井茂が出ていたドラマ『凍りつく夏』のサントラ盤。ドラマはおそらく30分くらいしか見ていない。ただその時に聞いた音楽が印象深かった。


凍りつく夏



 音楽の傾向はケルト系である。ケルト系音楽ではどうやら有名どころのようなモイア・ブレナレックという女性が半分ほど担当し、アイルランドで録音しているらしい。

 あたしもケルト音楽にはそんなに造詣が深くないけども、奥深いものを持っているような印象がある。明るさと憂いが同時に存在しているような感じだ。昨日紹介したHERGEST RIDGEもケルト系の影響がある。(Oldfieldの音楽は自分の生まれた英国のケルト音楽とアフリカ音楽の影響が強い) ケルトとアイリッシュを一緒にするなという意見もあるようだけど、この違いは知らない。映画『タイタニック』で3等客室でパーティが開かれ、アイリッシュ・ダンスが行われていたりするが、あの音楽もいい。

 このサントラ、欲しいと思った時にはすでに廃盤になっており、入手するのに時間がかかりました。現時点では、アマゾンのマーケットプレイスで出品されているようだけど、あたしが見つけたのはヤフオクでした。

 5年くらい前に、BS1で放送された英国BBC製作のドキュメンタリ『IRA(上・下)』の音楽がケルト系のものを使っていたと思うんですが、誰かご存じないですかねぇ... 番組の内容自体、IRAの歴史というもので、複雑な英国の国内事情がよく判って面白かったんですが、それにも増して音楽もよかったんですよね。

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2005.05.21

非ゲーム脳

 ひと月ぶりくらいにPS2でゲームをしてみたけども、ダメです。20分もしないうちにヤになって、止めてしまいました。やっぱりゲームは向いていないみたいです。毎日続けられる子供の忍耐に感心。

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Mike Oldfield「HERGEST RIDGE」(74)/泣かせる音

 あたしに言わせると「掟破りの一枚」がこれ。こんなものがこの世にあっていいはずがない。


HERGEST RIDGE

Mike Oldfield


 音楽を聴いて泣かされることがある。例えば、イタリア映画の『鉄道員』(56)とか。頑固親父と息子の話もいいんだけど、とにかく音楽に哀愁があって、これを聴くだけで泣けてくる。『ドナドナ』では泣くのはちょっと難しいけど『鉄道員』では絶対にやられてしまう。

 メロディーラインでやられてしまうのが『鉄道員』だったら、音でやられてしまうのがマイク・オールドフィールドの『HERGEST RIDGE(ハージェスト・リッジ)』である。ちなみにハージェスト・リッジというのはイギリスにある丘陵地帯の名前。

 オールドフィールドの知名度ってどんなものなのだろう。若い人は知らない人の方が多いかも知れない。しかし、ロック界においては絶対に忘れてはならない人物であるし、紛れもない天才である。

 このアルバムはPart1が25分、Part2が23分という長尺(60分の作品もあるけど)のものであり、しかも楽器のすべてを一人で演奏しているという代物なのである。多重録音で作成され、その録音回数は数千回といわれている。どの演奏も調和が取れ、間違いなく完璧であり、そして特にPart1の15分あたりから展開するギターの演奏、そしてその音がとにかく素晴らしいのである。どのように素晴らしいのか言葉で表現できないのが悔しくてたまらない。

 天才のなせる技を目の当たりにすると「どうして?」という言葉しか出てこなくなる。この「どうして?」というのは驚嘆に他ならない。どうしてそのような完璧な形で現れてきたのか? おそらくところどころを修復しながら形にしたのではなく、もともとそこにそれはその形で存在していたのだと確信させてしまう何かがある。整形美人は残念ながら、どことない違和感を残してしまうものである。

 ジャンル的にはロックといわれているけど、ジャンルで括るのがまったく意味をなさない音楽。そこにあるのはオールドフィールドの世界だけである。アマゾンで1000円弱。騙されたと思って買ってみ。夕方の薄暗がりの中で聴いてみ。絶対に泣くから。

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給料日前のサイフの中身2

 給料日の昨日、先月はキャッシュは3千円使ったくらいで過ごせたということで、今月はどのくらいになる、どのくらいにできるのかと思っていたら、夕方、いきなり、課長が「飲みに行こう」といいだし、うちの係が引きつられて行くことになってしまった。

 こういう突然の呑み会というのは数年ぶりで、まぁ、異動して初めのうちだしということで参加することにした。あたしの場合、職場では付き合いを悪くしているから、原則、忘年会・新年会・歓送迎会くらいしか参加しないことにしている。

 急だったため、参加者は6名。お客は女性ばかりで、店員も女性のみという居酒屋が会場になった。呑み会に来て仕事の話をしなくてもよいものを、と思いつつも、目の前では課長と6年目という主任が辛気くさく話してる。そのうち、アルバイトの25歳の男の子を茶化して遊ぶような話題になって、そして、一次会はお開き。課長が全額支払をし、「今日は(いきなり誘って)済みませんでした」と言い残して帰っていった。こういう課長はかっこいいというヤツです。もちろん、あたしも家に。

 給料日に飲みに行くというひとが多そうだけど、明らかにこれから始まるひと月の初日にこづかいの何割かを使ってしまうというのは、なかなかの神経をしているように感じるけども、むしろあたしの方が異常なのかしらん。

 本気でお金を貯めようと思っているひとへ。

 一番いい方法は予算制をとること。各分野についてまず予算額を決め、支出する度に差引をして、残予算に留意しながら支出を押さえる。というのが効果的です。働きはじめて結婚するまでの1年半、これをやったおかげでコンパクトカーなら即金で買えるくらいのへそくりは持っております。

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2005.05.20

給料日前のサイフの中身

 本日は給料日。給料の前となると財布の中身が厳しいという方もいると思うけど、あたしの場合は、そんなに厳しくない。

 先月の給料日に財布の中の現金はいくらだったかというと、1万8千円だった。それで、1ヶ月たった給料日の今日はというと9千円。職場に雑誌を配達してもらってて、それが毎月3千円、そして、運転免許の更新を下からその手数料で3千円近く使ったと思う。つまり、日々の生活でキャッシュで使ったお金というのは月に3千円ほどということになる。

 酒は飲めない。絶対勝つという見込みのないパチンコは死んでもしない。というクチだからそもそも支出は少ない。それが煙草は吸わなくなったということで、輪をかけることになってしまった。多分、今月、キャッシュを使ったというのはバイクの給油と子供の為に駄菓子を買ってやったことくらいじゃないかと思う。

 だから、全くお金を使っていないのかというとそうではなくって、かなり使ってます。書籍購入のため口座振込で支払った額が63,724円。今月は珍しくクレジットカードの使用がほとんどない。とはいえ、散財です散財です。とにかく散財であります。

 リアル店舗での購入が極端に少なくなっているということで、あたしの生活が如何にバーチャルになっているということであります。

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2005.05.19

JAF二輪車ロードサービス

 先日、郵送されてきたJAFの会誌「JAFMate」でこの4月からJAF二輪車ロードサービスが始まったことを知った。原付乗りには朗報である。

 JAFに入って5年くらいになるのだけども、使ったのはバッテリー上りの2回くらい。自分の所有する車以外でも使えるので、自動車保険のロードサービスに加えて加入している。車は週末しか乗らず、通勤は原付なので、二輪車のロードサービスが欲しかった。

 バイクは一年に一回はパンクし、職場なり自宅なりに辿りつけることができたなら、行きつけのバイク屋に修理を依頼するのだけども、そうでない場合は最寄りのガソリンスタンドに持ち込んで修理を依頼する。スタンドによると特殊なバイクでもないのにタイヤを外すことができず、修理が断念されることがある。次のスタンドを探さなければならず、最悪な状態である。修理できたとしても1500円ほど取られ、これも痛い。JAFでバイクのパンクがその場で修理できるとなると非常に助かるのだけども、実際はどうなのだろう。

 これまでに本当に泣きそうになったトラブルが一回ある。これは真底困った。

 20年ほど前の学生時代のことなのだけども、高校時代の悪友と大晦日の夜から元日の朝にかけて遊んでいた。移動は原付を使っていたのだけど、悪友の家に行こうという段になって、悪友のバイクのガソリンが残り少ないことが判った。当時、元旦の早朝に空いているスタンドなんてほとんどなく、あたしのバイクにはまだ多少ガソリンが残っているということで、大学の部室まで行き、そこにあったポンプでガソリンを幾らか分け与えた。おかげでふたりとも無事に隣町の悪友の家まで辿り着くことができたのだった。

 あたしも家に帰るということになって、悪友宅をでたのだけど、今度は自分のバイクのガソリンが危うい様子なのだ。隣町から帰るにはもう10kmほど走らなければならないのに、メーターはすでにE(Empty)を示していた。そして、事もあろうに元旦の午前中、田園地帯のまん中でガス欠になってしまったのだ。

 田んぼが広がる中に公衆電話があるはずもなく、とぼとぼとバイクを押していたのだけども、埒が明かず、目についた農家で電話を借りることにした。門をくぐると丁度、母屋の横の倉庫で何かをしているオジサンが見えた。ガス欠になってて困っていて、電話を貸して欲しいと依頼すると、ガソリンを分けてあげるよ、と申し出された。農機具があるためか、ガソリンがタンクで保存されていて、それを幾らか分けてくれるというのだ。こちらとしては最良の話で、ガソリン代を払いますといったのに、いいからいいから、と無償で譲ってもらうことができた。これは本当に嬉しかった。

 こんなケースはどうか? この冬の話だけども、乗っているバイクのチョークというのがオートでなく、レバーで調整しないといけない。寒い場合は、チョークを引いて混合気のガソリン濃度を上げないとエンジンがかからない。すでに乗り始めて8年ほど経っていて、このチョークワイヤーが切れてしまった。チョークを引かなくても、セルを3分くらい回し続けるとエンジンがかからなくもない。しかし、そうするとすぐにバッテリーが上がってしまう。さっそく、ワイヤーを注文したのだが、5日くらいかかると言われ、納品までが地獄の日々だった。朝は不思議とすぐにエンジンがかかるものの、深夜の残業からの帰宅時にはバッテリーが上がり、15分くらいキックをし続けて、ようやくエンジンをかけるという有様だった。こういう場合、JAFはどのような対応をしてくれるのか非常に興味深い。毎回、エンジンをかけにきてくれれば、文句なしに最高のサービスと言うんだけど、そういうことは先ずありえないだろうなぁ。

 まぁ、車ほどではないけどもバイクでもロードサービスを受けたいことはままある。どこまで臨機応変に対応してくれるか非常に楽しみである。

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写真を作る

 写真に凝っていた時期がある。今でも写真を撮ることは好きで、デジカメだけど、マニュアルモードでいろいろ撮っていたりする。

 かなり凝っていたというのは20歳過ぎの頃。大学の学部の友人に、高校時代写真部だったというのがいて、いらなくなったという引伸機を1万5千円くらいで譲り受けた。作りの簡単な引伸機だったけど、新品ならその倍くらいはしていた。写真には少なからず興味があった。映研に所属していたのだけど、映画のドラマ性より映像に惹かれることが少なくはなかった。映像で表現されるものになんとも言えぬ心地よさを感じていた。

 友人は押し入れを暗室に見立てて作業をしていたようだか、幸いにもあたしの実家では母親が写植機を使う仕事をしてて、ゴツい暗幕で作られる半畳ほどの暗室があったので、そんなに苦労はしなかった。ただ、さすがに閉め切られた空間なので夏場は大変だった。

 引伸機といってもカラー写真ではなく、モノクロ写真である。カラー写真は温度の管理とかも非常に厳しく、自家で簡単にできるものではない。簡単にモノクロ写真というけど、奥が深い。まず、フィルムの選定から始まる。色んな感度のフィルムがあり、感度(光が大量に必要)が低いほど粒子の細かい傾向がある。それ以外にも各社の各フィルムは各々特徴があり、それを知っておく必要がある。そしてフィルムの現像。現像液の種類はもとより、処理する際の温度、処理時間によっても現像の具合が変ってくる。感度の低いフィルムを本来のシャッタースピードより短い時間で撮影し(増感撮影)、フィルムの現像を調整し、長時間にすることによって、適性露出に現像にしたりもする。ただこの場合、粒子が荒れ気味になるという弊害があるけども、これを目当てにする場合もある。そして、印画紙にもそれぞれ...

 填まると本当に泥沼で切りが無いのが写真である。カメラは当然、フィルムやらプリントにも費用がかかり、道楽といわれるのも無理はない。金がそこをついて、特に熱中できたのは2年くらいだったが、随分楽しませてもらった。

 写真はありのままを写し取るという風に思っている人も多いとは思うけど、こういった経験があると、写真は作るものであるというイメージが強い。素材的にもそうであるんだけど、根本的に、何かを切りとらないと撮影ができないわけで、必ず撮影者の判断というものがそこには入っている。

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2005.05.18

えっ、皆、コーヒー?

 あたしが喫茶店でオーダーすると隣にいたヤツが驚いた。「皆、コーヒー、って勝手に決めるなよ」 あたしが注文したのは「ウィンナーコーヒー」。どうもウィンナーコーヒーというのを知らなくて、「皆、コーヒー」と聞き違えたらしい。もう20年も近く前のお話。

 上級官庁との打ち合わせに行った帰り、その庁舎にはいっている喫茶店で同僚と打ち合わせをした。メニューにウィンナコーヒーがあって、10年ぶり近くに飲む。普通の珈琲なら腐るほど家で飲んでいるけども、ホイップクリームが必要なウィンナーコーヒーはさすがに家でつくろうという気にはならない。小さな子供がいると喫茶店に入るようなことはなくって、飲む機会はしばらくなかった。

 ウィンナーコーヒーというのはウィーンでよく飲まれるタイプのコーヒーのことをいい、本来は砂糖入りのコーヒーに泡立てたクリームをのせたものらしい。日本の喫茶店で見かけるのは普通のブラックコーヒーにかなり甘めのホイップクリームをのせたもので、砂糖を入れるか入れないかは自由。クリームの甘さがあるため、砂糖は入れないことの方が多いような気がする。とにかく、このクリームを食べるというのも嬉しくて、コーヒー・クリームと何とも言えない取り合わせなのだ。

 オーダーはアイスでしたのだけど、クリームを掬[すく]って食べるためのスプーンがつけられていなかった。スプーンを持って来てもらってもよかったのだけど、面倒だったので、ストローで掬い上げて食った。随分、変な光景だったに違いない。でも、クリームを完全にコーヒーに溶かして飲んでしまうのは非常にもったいなくって、悔しいんだよなぁ...

 それにしてもウィンナーコーヒーというのは一般的に珍しいらしく、コーヒーをまったく飲まないという30半ばの同僚は初めて見るといっていた。

 紅茶の話になるんだけど、ロシアにはジャムティーというのがあるらしい。紅茶にジャムをだぼだぼ入れてかき混ぜ、飲むという。会社を辞めて、ロシア1ヶ月放浪の旅をしたという知り合いは、あれはキツかったなぁ、とかって言ってた。

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2005.05.17

ER 緊急救命室

 今日(すでに日付は変っているけど)のNHK・BS2の「ER 緊急救命室」はなかなか過激だった。ERはシカゴの総合病院で緊急救命医療に携っている者たちの人間模様を描いた米国産ドラマ。今回は嫌みたらしい、いけ好かない役どころの管理職医師のうえに患者移送用ヘリを落して「殺す」に至った。彼は少しばかり前に、移送用ヘリに患者を乗せようとしてロータリーに左腕を飛ばされたばかりだったのだが。ちなみにこの回のタイトルは『悪夢再び』。



ER 緊急救命室



 特定の人物のみを主人公にせず、関わる多くの人物に各々エピソードを持たせ、それらが入り乱れるというのがいわゆる群像劇というものなんですが、アメリカのドラマには群像劇ものが多いような気がします。アメリカ産のドラマは日本のドラマのように初めから何話完結という前提で作られるのではなく、人気があればあるだけ続けるという作り方をするから、必然的に話を増殖し易い群像劇が目につくというのもあるんでしょうね。リンチの『ツイン・ピークス』なんて視聴率が落ちたため、とんでもないところで打切りにされてしまった。

 ERはすでに10シーズン。10年目という事になりますが、1シーズンからの出演者は数人という状態です。病院が舞台なので、人間が入れ替わるのは当然。(病院じゃないけど、あたしのこの3月までいた部署なんて10人に満たない小所帯だったんですが、毎年、半分が異動になってたから、4年くらいして覗いてみても知らない顔ばかりになってしまう。)まぁ、登場人物は変っても展開される話には限界があるので、4シーズンを超えたくらいから面白味は失せてしまいますわね。そういう意味でも医療の現場をリアルに見せてくれたパイロット版(放送局売り込み用の特別版)は非常によかったし、目まぐるしく動き回る登場人物を縫うようにして動くカメラワークは実に新鮮でしたねぇ。

 ER、DVDを6シーズンまでは購入しているんですが、それから以降がなかなか進まない。途中まで買ったんだからすべて揃えたいという気持ちと、見てもつまんない、繰返しは見ないだろうという気持ちがあって、当然、後者が勝っているんだな。

 とにもかくにも、本日の話って、話題づくりだけで作ったの?というようなごく普通の連続ドラマ(バンド・オブ・ブラザーズとかは勿論例外)にしてはド派手なものでありました。

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2005.05.16

禁煙の結果

 禁煙の結果、やはり太った、だけじゃ、つまんないで、もろもろを。

 喫煙所の臭さが本当に気になるようになりましたね。以前なら平気だったというか全く気にならなかったのですが、強烈に臭うようになりました。

 現在の状況は

 開始日時 2004年 10月 5日 15時 0分
 経過時間 7月 11日 4時間 45分経過
 吸わなかった煙草 312箱 10本
 浮いた煙草代 84375円
 (原価 36158円 たばこ税+消費税 48217円)
 延びた寿命 13日 30分

らしいです。延びた寿命というのは1本でどのくらいになるのか知りませんので、一本吸うのにかかる3分で設定しています。つまり13日間休むことなく吸い続けているということですね。

 煙草をとめているからといって喫煙者にとやかくいうという気持ちは起こらないですね。呑み会にいって隣で吸われても平気ですし。

 煙草をとめて悪くなったこと。煙草代が浮いたからといって、無駄遣いが増えたこと。実際に浮いた額の倍近くを「浮いた浮いた」と言いながら下らんことに使っているはずです。小市民の悲しさです。

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是枝裕和『誰も知らない』(04)☆☆★★★

 日本映画専門チャンネルでみた。


誰も知らない

監督: 是枝裕和
出演: 柳楽優弥, 北浦愛


 この作品をみて一番最初に感じたのは、戦後イタリアのネオリアリズモのタッチだな、ということ。ネオリアリズモの有名どころというとデ・シーカ『自転車泥棒』(46)やロッセリーニ『無防備都市』(45)。やり切れない現実が感情を交えられることなく描かれる。この手の淡々とした作風というか手法は久しく見ていなかったので、非常に懐かしく感じてしまった。

 内容的にはどうなんだろう。88年に実際にあった置き去り事件を基にしているということなんだけど、このようなことって思っている以上にありそうな気がする。戸籍のない子とかも。

 これは現在のお話で、99.99%はごく普通の生活をしているから、異様に感じる。戦後なんて戦争孤児がいて、空襲でやられた大都市なんておそらく1000人単位で自分で生きていかなければならない子供たちがいたろうと思うとこれもまた胸が痛む。ま、棄てられたのとは状況が違うから同次元に扱ってはいけないんだろうけど。

 YOUの元もとの能天気ぶりが完全にはまってて、違和感がない。ゴンチチのサティ風のやや無機質な音楽と感傷的な音楽。ちょっと目立ってたかも。

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2005.05.15

蔵書印の最終デザイン

 蔵書印を作り始めて、10日目。ついにデザインの最終決定をしました。


5月15日

O-Maru:

 しばらく間をおいてみたんですが、結果としてはシンプルなものが一番良いという
ことになり、添付のファイルのような感じになりました。

 たぶんスタイル的には変更はないと思いますので、最終調整をお願いいたします。

O-Maru:

たびたび申し訳ありません。修正を行いました。

丸の角を直角にしました。
また、ひとつお願いがあるのですが、石の口から突き出すふたつの線にやわらかなカ
ーブをつけて表情をつけて頂きたいのです。

よろしくお願いいたします。


花田氏:

こんな感じでしょうか?


O-Maru:

デザインは18番で確定したいと思います。
石のはらいがあるかないか、外か内かで全体の表情が随分と変わり、
悩んだのですが、18番が一番ダイナミックな感じになるようですね。

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これはなんですか?

  風水のススメというところからTBを頂いたようで、サイトを見させて頂いたのですが、不思議なところですね。サイトマップもよく判んないです。建築関係の人が作っているんでしょうけど、建築百科を作るのが目的なんでしょうか?

 もしよろしければ、教えてください>風水のススメ の中の人

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遺伝

 先日、ダウンして仕事を休んで寝ていると窓を叩く音がする。目覚めて窓の側に寄ってみると小学4年の息子がいて、「玄関あけてや」などという。カミさんが外出してて、玄関の鍵がされてて、締め出しを食らっていたようだ。鍵を開けてやるとランドセルを置くなり、出ていってしまった。帰ってきたのは6時前。

 ドラえもんとかを見てて、のび太が学校から帰ってきてランドセルを置くなり外にダッシュするのはマンガだけの世界であると昔から思っていたが、実際の話らしい。すく側でそれを目の当たりにしてちょっとびっくりしている。

 カミさんの話によると、どうやら毎日、学校から帰るとそうやって遊んでいるらしい。あたしも外で遊んではいたが、そんなに毎日のように遊んだという憶えもない。うちの子は塾にも行かせていない、いわゆる放任主義である。子供本人が勉強したいというのなら、塾に行かせてもいいのだけど、特にこちらから行かせようという働きかけはしていない。

 土曜日の昨日は昼からどこか友達のところに遊びにいっていたようなのだが、その後に2回それぞれ違った子から遊びの誘いの電話がかかってきて、カミさんが「ごめんね。もう遊びにいってるのよ」なんて断りの返事をしてた。人気は随分あるらしい。親からみてそんなに面白いヤツとはあんまり思えないんだが。

 父ちゃんと大きく違うのは何時も遊んでいるのが野郎ばかりであるということ。父ちゃんは半分強の割合で女の子とふたりで遊ぶことの方が多かった。家に遊びに行くと「なんでもいいから欲しいものを選んで」なんて強制的な感じで贈りものをされて困ったものだった。ただし、この状態は5年生の女の子だけを集めての会を境に、一度もなくなるのだが。それも10数年ほど続いて随分泣いた。

 そして、プロ野球。お父ちゃんはプロ野球を生まれてこの方、おそらく一試合も通して見たことがないのに、息子は時間切れになって中断されると怒り狂うという有様だ。野球のどこが面白いのだよ。お父ちゃんが小学2年の頃には、学級文庫の本棚に読み飽きた数十冊の本を持っていって、個人文庫を提供してたもんだが、お前の読む本と言えばゲームの攻略本だけじゃないか。なんで『はだしのゲン』を読んで怖いと思わないんだ。小学2年生の愛読書にするような本ではないぞ。ラーメン、嫌いっていうな。家族でラーメン屋入れないじゃないか。年がら年中、大人みたく長ズボンばかり穿くな。小学生は真冬でも半ズボンで痩せ我慢するもんだ。

 いつも、こいつ、あたしの子か、って思いながら、息子を見ている。

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2005.05.14

ダイエット宣言

 本当は有言実行というのは趣味じゃなくって、あたしのことはあたしが勝手に決めて、勝手にやるというのが性分なんですが、ま、今回は例外ということで、ダイエット宣言します。

 身長175cm、体重67kgと体重的にはいうほど太ってはいないんですが、おそらく体脂肪が凄いことになっているはずです。ウエストが85cmで収まり切らなくなりつつあります。初めてスーツを作った時はウエスト67cmだったんですけどねぇ。

 ということで、方法は今から研究するところでありますが、この85cmのウエストを4年前の70半ばにする予定であります。煙草をとめることもできているし、とりあえず、不可能ではないと思っております。

 いい方法を知っている方はどんどんアドバイスしてくださって結構です。

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町の光景

 通勤途中に通る道沿いに更地ができて、何かが建てられようとしていた。いつも通るところなのに、そこに何があったのかまったく思い出せない。毎日、何を見ていたんだろうかと思う。

 こういった思い出せない、覚えていないというのは自宅から離れていなくても、数十メートルのところでも起こる。今の住み処は仮住まいでまだ3年なんだけど、おそらく住んでいる年数に関係なくそういう体験をしそうな気がする。

 生活が地域と断絶してしまっている結果なのか、記憶というのはそもそもその程度のレベルしかないのか。

 何時ものように足もとを掬われるような不快な気分になる。

 そうして、町も変っていく。

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2005.05.13

厄年

 厄年にはまだ2年あるのだけど、やはりこの年頃というのは体に変調が生じ易いのだと思う。30代に入っても特にこれといってなかった。30代なかばで新陳代謝が悪くなってきたのか、体重の増加が気になった。幸いにも痩せ過ぎだったので、ようやく標準体重になったという状態。ただし、太り方がビールをまったく飲んでいないにもかかわらず、典型的なビール腹というヤツで内臓脂肪が心配である。

 それで先日ついに40の大台に。それまで健康のことを気にしなくて過ごしてきたのだけど、さすがに最近は... スラックスのサイズが小さくなって、常に腹を圧迫した状態になってきた。これだけで十分に死にそうである。

 今日は結局、一日寝てた。起きて病院にいくつもりだったのに、目覚めたのは夕刻。体が参っているととことん寝られるものである。出血をみるのが怖くってトイレに行けなかったのだが、どうしても我慢できずに行くと、出血は幸いにしてなかった。この前の時と同じような感じだ。

 これまで職場での簡易な健康診断を毎年受けていて、今年の2月に行ったものも異常はなかった。今年度の人間ドックの申請は閉め切られて、もう受けられないのだけども、来年こそは初体験しようと思う。少しは健康を気にしてもよさそうな気がする。

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2005.05.12

扇子2

 扇子で言ってた「赤富士」の扇子ですが、インターネットのサイト京扇子でも取り扱っていました。骨に飾りがあるのとかちょっと違うようだけど、京都グランドホテル(現・リーガロイヤルホテル京都)で買ったものは4,500円と、倍近く価格が違う。

 あたしの好みだとやはり「赤富士」、そして「写楽役者絵:文五郎」あたりでしょうか。「神奈川沖浪裏」も絵的には嫌いでないけども、扇子の図柄としてはうるさいですね。図柄はさて置き、現代の手刷り版画で作ったという「写楽 鷲塚八平次」も面白そうです。

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出血サービス

 出血サービス。普段、聞き慣れているから違和感はないものの、冷静になって言ってみると随分おかしい。出血するサービス。まぁ、出血、つまり犠牲を伴う程のサービスということなのだけども、このふたつの言葉を初めてくっつけて使った人の言語感覚は凄いと思う。

 実は昨日あたりから鼻水・だるさといういわゆる風邪の症状と眼がしょぼしょぼするというのに悩まされている。これって、かなり花粉症くさい。いままで眼がしょぼしょぼするという経験はあんまりなかった。これでいっぱしの現代人になったのかと思いきや、下痢とかもしてて、花粉症とは違うかもという感じもある。

 この下痢がひどくって、睡眠中、一晩に2回もトイレに行くために起きる羽目になってしまった。普段、睡眠中はトイレに行くために起きることなんて全く無いのに。しかも、今日は下痢に加えてそこそこの量の出血。5年前にも一度出血したことがあって、すぐに胃腸科にいって内視鏡を入れてもらったのだけど、内痔核ができてますね、という診断だった。自覚症状がないのでびっくりしたんだけど、特に治療もすることなく、貰った薬を使い切った後は放置してても出血するようなことはなかった。事務仕事をしていると痔になる人多いですね。手術するのなんかまったく珍しい感じはない。

 何がともあれ、腹の中だけは何が起こっているのか判んないですから、明日は病院にいってこようと思います。

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2005.05.11

制限があるということ

 制限があるということ。これって思っている以上に大切なことではないかと思う。

 制限があるから、その中で最大限のことを成し遂げようという気が働く。制限がなければ、本当の天才でない限り、何も思いつかず、そして何もできないのではないか。

 制限の大切さはよく判るケース。予算が多くなってしまったら、途端に面白くない映画を撮ってしまう映画監督って多いんだよね。

 そしてあたしのGWは何をするでもなく、本の一冊も読了せずに終ってしまった。

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2005.05.10

蔵書印作成中/デザインの変遷を公開!

 5日から始まった蔵書印作成。1週間近く経った今、デザインが概ね固まったという状態になった。今週末くらいまで、ちょっと寝かしておき、冷却期間をおいてから、も一度確認、それで良ければ彫りに入ってもらうつもりでいる。

 印の製作をお願いしている印ターネットの花田さんからのご了解が得られましたので、ここでデザイン検討の変遷をご紹介します。

 あたしの姓が明らかになってしまうけど、ま、それは愛敬ということで(苦笑)




5月5日

O-Maru:

“印ターネット”専用・無料お見積りフォームより

印の大きさ よこ: 20 たて: 20
印の文字: 石丸蔵書
種類(文字の色): おまかせ
イメージ:古風、繊細、シンプル
メッセージ:傾向的にはZ-5、Z-9(蔵書印鑑(収蔵印)のサンプルページを参照)といったところでしょうか。
とはいいつつ、シンプルながらもちょっとしたアクセントも欲しいところです。


花田氏:

取り急ぎ初回のデザインをお送り致します。

2は石丸氏蔵書です。
○線の太さ、イメージ、デザイン変更点等、何なりとご感想お聞かせください。

O-Maru:

 デザインを拝見させていただいたところ、初めから危惧しておりましたが、やはり「石丸」の画数の少なさによる右半分の弱さが目につきますね。思い切って、田字形にして文字を太くし、右を白文、左を朱文にすると平均が取れそうな気もします。いかがでしょうか?

 その場合、サイズは小ぶりの18*18にした方がしまりが良さそうな気がします。



5月6日

花田氏:

「蔵書」の画数を少なくしてみました。
こんな感じでしょうか?

左が密で右が疎のアンバランスもそれなりに味があるんですが・・・。
18ミリ角、承知いたしました。


O-Maru:

デザインを拝見させていただきました。
定番的な5番がやはりシンプルで良いですね。
ただ、石についてもうひとつ納まりが悪いように感じます。
異なった感じの石で作っていただけませんでしょうか。
よろしくお願いいたします。


花田氏:

微妙に変更してみました。


O-Maru:

本当に微妙なところにたどり着いちゃいましたね。
7番でも悪くはないんですが、これといった決め手がありません。

もしよろしければ、スタイルが全く異なっても結構ですので、花田さんがこの姓に似合ったようなデザインが思いつくようでしたら何か見せていただきたいのですが。突破口のもとになるかもしれません。



5月7日

花田氏:

がらっと変えてみましたが・・・。




5月8日

O-Maru:

本当に困りました。なかなか纏まりません。

申し訳ないのですが、石丸、について他にどのような字体があるのか教えて頂けない
でしょうか。蔵書の部分については印ターネットのサンプルを見て検討します。


花田氏:

篆書体の基本形です。
「丸」は単純で読みにくいので「九」をアレンジしました。




5月9日

O-Maru:

サイトの古典の蔵書印をみていまして、やはり「承斎蔵書」が美しく感じられます。
ということで、蔵書の文字についてはこの印のものをつかい、石丸については添付ファイルのものを使うと比較的収まりが良いかと思われます。

丸については九のものになっていますが、丸の点については丸の基本書体にもあるようにそんなに大きなものでなく、本当に点に近いものでも構わないと思います。また、石の口はもう少し大きくした方が見やすいと思われます。

「承斎蔵書」は正方形に近い文字にも拘らず、各ラインが非常に柔らかいという特徴があるようですので、アレンジが難しいと思われますが、よろしくお願いいたします。


「承斎蔵書」


花田氏:

変更してみました。
こんな感じでしょうか?


O-Maru:

先ほど送っていただいたものを触ってみました。

石の口の部分を横長にした。丸の上の部分のつくりを変えた。
また、全体の文字の配置を密にした。

ブラッシュアップをよろしくお願いいたします。


花田氏:

かなりかなり微妙です・・。




5月10日

O-Maru:

デザインの案について送付します。石について大きく変更をしました。かなり形になってきたと思います。お手数ですが、ブラッシュアップをお願いいたします。


花田氏:

(石材についての質問に対する答えのみでデザインに関するコメントなし)


O-Maru:

再び調整させていただいたので、変更分を送付いたします。
なお、石の口の部分の上の線のカーブですが、非常に微妙に思えます。
昼休みにペイントを使って編輯していますので、調整に限界があります。フォローをよろしくお願いいたします。


花田氏:

ドットの限界ですので修正は難しいですね。
雰囲気は了解しました。
(実際表現出来るといいんですが・・・。)



 デザインについては本決まりしていません。よろしければ、アドバイス等お願いします。

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自費出版

 学生時代はどっぷりと映研に浸っていたのだけど、その後輩の女の子に文学を志していた子がいて、仲間うちの映画の脚本とかもいくつか書いてた。べっぴんさんでもあったので、映画撮影では役者もしていた。さらに薬師丸ひろ子主演の『ダウンタウン・ヒーローズ』では、エキストラ出演だったはずが、台詞なんかもしっかり与えられ、本人曰く、「役者にはなれない」 あたしも脚本を書いてて、その子に「こんな(台詞の)言い回しは普通しません」なんて、真っ向から言われて少なからず衝突したこともあった。

 7年ほど前に彼女は自費出版をした。200ページ弱のハードカバーで定価1700円。とあるサイトにその経緯があり、500冊作って250冊を出版社に販売委託、250冊が手持ちという塩梅だったらしい。この手持ちのうち一冊はしっかり謹呈して頂きました。一年後に出版社委託分の販売残りが返送されたそうだけど、それがダンボール3箱分の160冊。手持ちも30冊余っていて、190冊を目の前に困ったので、ご希望の方には謹呈します。というのが、6年前に更新されたサイトで知り得る最新の情報。ちなみにその本、今でもアマゾンで購入することが可能です。

 @niftyでココログ出版という自費出版サービスが始ったようだけど、かなり高めに費用が設定されていますね。初めから最小限の冊数で発注するというスタイルなんでしょうね。

 昔は自分の文章が活字になることに憧れたことがあったものだけど、まずワープロができて簡単に活字化されることによって、活字になることの有り難味が随分減ったような気がする。大学に入り立ての頃、友人がカシオの単漢字変換・液晶一行表示という原始的なワープロを買ったのを触って、そりゃもう感動したもんです。(もっとも家では母親がタイプ・写植屋をしてて、活字なんて腐るほど見てたんだけど、そいつは手軽じゃなかった)

 今の状況なんて20年前には想像もつかなかったな。

 ちなみに先の女の子は、誕生日に花を初めて贈ったという子。20本の薔薇の花束は決して安くはなかったよ。ただ、意中の子でないのにそんなことをした自分が今でも意味不明(苦笑)

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2005.05.09

扇子

 随分と暑くなってきた。これから活躍するのが扇子である。

 扇子は畳めば小さくなるし、団扇に比べると非常に上品である。かつての部署で扇子を使っていると皆が使い始めたので可笑しかった。出入りしているソフトハウスの社員までも皆、扇子を手にするようになった。

 今、愛用しているのは葛飾北斎の「富嶽三十六景」の『凱風快晴』を配ったもの。それまでは布タイプのいかにも高級感があるものを使っていたのだけど、京都のホテルで友人が結婚式をあげた時、ホテルの売店で外国人相手に販売していたのを買ってしまった。紙質とかちゃちいにもかかわらず、ちょっと高めだったが、気に入ってしまったので買わない訳にはいかなかった。日本人だったらやっぱり富士山、しかも赤富士だよね。銭湯でなくっても。

 すでに8年くらい使っているので和紙が裂けてきて、そろそろ新調しないといけない時期が来ている。果たして、こういったお気に入りの扇子が見つかるかどうか、実に心配である。

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2005.05.08

桃のかんづめ

 ディスカウントのドラッグストアにいくと桃の缶詰が目についたので買った。この手のフルーツの缶詰は結婚して以来、10年くらい口にした憶えがなく、懐かしい感じだった。フルーツの缶詰というと白桃・みかん・パイナップルが主で、個人的にはみかんが一番安っぽく、次にパイナップル、そして、入っている切れ端の一番少ない白桃が高級というイメージがあった。

 さっそく缶を開け、子供に食べさせてみる。小学4年の上の子は一口食っただけでいらないといい、下の4歳時は気に入ったようで兄ちゃんの食い残しまで食っていた。

 体調が悪い時、親に買ってもらっていた飲物がネクターという果汁100%のジュースだった。ねっとりとした感触がフルーツ缶詰のシロップと非常に似ていた。フルーツ缶詰も病気の時に食べさせてもらったことが多かったような気がする。一方で、何かあった時(缶詰が元もとそう云うもんだし)の為に買い置きもしてたような気もするし、これらの缶詰がどういう扱いを受けていたのかはっきり推測することはできない。

 まぁ、上の子が嫌がるというのも判らなくもない。冷静な目でみると、特に白桃のシロップづけはシロップで身が完全にふやけちまってるし、不自然極まりない。シロップの甘さも異常である。(これを一気に飲みほす訳だから、体にも悪いだろう) 正常な感覚なら拒否してもおかしくはない。

 世代間のギャップというもんなんだろうなと思う。われわれもバナナは有り難がって食うことはないし、むしろ、個人的には嫌いな食べ物にカテゴライズされていたりするし。

 それでも、有り難い桃の缶詰なだけにちょっと淋しかった。

 缶詰というとコンビーフの缶詰というのがあるけど、あれを今だまともに食ったことがない。今は亡き伯母が神戸に住んでいて、遊びに行くと帰りによくコンビーフの缶詰を貰ったものだけど、あの塩辛い油のかたまりはどうしようもなかった。それから30年近くが経つがコンビーフを買ったことがない。TVでこのコンビーフがあれば、いくらでもビールが飲めるとあるタレントが話していてたが、正直、信じがたい。ビールもコンビーフも旨いものとは思えないからだ。

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好きな声

 声というとFM放送のJET STREAM(ジェットストリーム)の城達也(注:初め上達也としていたのを中年ゲーマーさんのご指摘で修正しました)が有名ですね。あたしが受験をしてた頃というのはまだラジオが受験生のお供という時代で、この番組も聞くことが少なくはなかった。でもあの声を聞いて、多くの女の人が夢想していたとは想像もしていませんでしたねぇ。

 あたしにも好きな声というのがあって、一人は声優の横山智佐という人のもの。乾いた感じの声質で、それなのに澄んでいる。『サクラ大戦』で主役の声をしているんでしょうか、これも日本映画専門チャンネルで番宣でご本人さんが出ていて、風貌も声とまったく違和感のない感じの人でした。どこで気に入ったのか? どこから入手したのか忘れたんですが、このアニメの主題歌を聞いてです。

vivant_ichiko そして、橋本一子。この人はYMOのサポートメンバー(矢野顕子の替わりとか)で出演したので知ったのだけど、渡辺香津美のMOBO倶楽部(MOBOとはモダンボーイの略)とかにも参加してて、その声にはシビレた。この人の声は「乾いているけど湿った声」という非常に不思議な印象を与える。初期の頃の「Vivant」(86)なんて音楽的にガチガチで熟れてなくて、ちょっと聴くのが恥ずかしかったりするんだけど、それでもいい。Jazz、クロスオーバー系の人になる。最近ではアニメのBGMとかもやっているようで、いい評判を聞く。MOBO倶楽部でのボーカルは実にセクシーでエロチックで、ほんと堪りません。人によっては、西洋の魔女系の顔、ということになるらしいけど、言うまでもなく、べっぴんさんです。

 「あしたまにあ~な」の濱田マリは声というかしゃべり方かなぁ。うけくち特有の舌足らずさとあの独特のアクセントがマッチしてて、おもわず引込まれてしまう。モダンチョキチョキズのファーストアルバム「ローリング・ドドイツ」(92)を聞いても濱田マリの喋り芸はすでに完成していると思う。

 『Shall we ダンス?』のテーマ曲を歌っているのが大貫妙子だとはなかなか気がつかなかった。知ったのは映画が公開されて数年後だった。この人の歌声も乾いていていい。それでなんとも言えぬ透明感。晴れた日のドライブに向いていて、車を買ってから9年間、車の中ではたいていこの人の曲を聴いている。

 だいたい乾いた感じの声が好きなのだけど、乾いた声とハスキーボイスというのは全く違ってて、ハスキーボイスはあまりいい印象を持っていない。潰した声を持ち味にしている歌手がいるけど、やはり聞きづらい。


 声に纏わる思い出。

 学生時代、映研に入ってて映画を撮っていた。まだ8mmフィルムが使えていた時代だった。同録はノイズを拾うため、台詞・効果音等の録音はほとんどアフレコをしていた。そしてアフレコは役者がマイクに向かって台詞を言って録音するのを監督がリアルにヘッドホンで聞いて、OK・NGの判断をする。

 あたしが監督をした時に1年後輩の愛ちゃんという名前の女の子が一部アフレコをしたのだけど(演技は別の子がした)、この声がね、いわゆる「萌え」で困った。名前の通り、愛らしいのである。いやいや、容姿も名前に恥じないくらいに十分、十二分に美人で愛らしかった(高校のミスコンで優勝した経験もあったらしい)のだけども、声は想像を遥かに超えていた。性的興奮というのは特にないのだけど、それでも、いやぁ、やられた、という感じになってしまった。幸いなことに数えるほどの台詞しかなく助かった。これが続くとどうなったことやら。なんか拷問に近い感じがする。(生な表現をすると、イっちゃったにもかかわらずモゾモゾされ続けると悶絶死しそうになるあの感覚;女性の人には判らなくてご免なさい) ちなみに、その愛ちゃんは個人的には好きでも嫌いでもなく、おそらく恋愛の対象には絶対にならないという女の子でありました。

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2005.05.07

蔵書印難航中

 蔵書印のオーダーをしているところなんですが、4回目のデザインの提示をして頂いても全然纏まりません。カミさんにはあっさり「どれもいまいちやねぇ」って言われるし。書体本とか手もとにあると、もっと細かな指示が出せるんですけどねぇ。作って下さっている花田さんにも申し訳ないです。

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GWのお仕事中の話

 今年のGWの出勤は結局1日で済んだのだけど、何年か前、ひとつ前の部署に異動になった時はほぼフル出勤だった。前任者からの引継がそこで行われるハズだったのだが、前任者はすべての事務処理を自分でし、「あとから書類みておいてね」と言い残して帰っていった。あたしが休日出勤してしたことといえば、前任者が仕事をしているのを眺めていることだけだった。

 まぁ、何のためにここに来ているのかよく判らん、アホくさ、と思いつつ、席でぼんやりしていると、階下が賑わしい。自分のいるフロアというと自分と前任者だけというのが数日続いているし、階下の部署が連休のなかばに騒がしくなるほど、人が出てくるとは思えなかった。

 様子を見にいった。普段、決して閉じられることのない防火壁が閉じられていた。しかし、その重い扉はほんの僅かだけ頻繁に開け閉めされ、男たちが出入りしている。やがて、ダンボールが何個となく運び出され始めた。

 何が起こっていたのかは多分見当がつくと思うけど、関係ない書類までも随分と持ち出されたようで、その部署はしばらくの間、業務に支障をきたしてたようだ。

 連休といっても外に出ると人間を見に行くようなもんだし、家族が許してくれるんなら、家でゴロゴロしているのが一番いい。

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2005.05.06

人気ブログランク-内々のお話

 人気ブログランクというサイトがあるらしくて、試しにこの「二筋縄。」を登録してみた。

 このサイトのシステムというのが変っていて、ブログ一覧の各ブログに示されている<IN>というのは、ブログに設置されたバナーからこの<人気ブログランク>に入った回数で、<OUT>というのが<人気ブログランク>のリンクから各ブログに入った回数を示している。つまり、各ブログのリンクからこの<人気ブログランク>に移動するように仕向けるとランクが上がり、目につきやすくなり、<OUT>されやすくなるというわけだ。<人気ブログランク>にどこかのサイトのバナーでもあるんなら理解できるんだけど、このサイトって何が目的で立ち上げているのかよく判んないのである。

 それはさて置き、各ブログについて<採点>というのがあって、点数を残すことができる。実を云うとあたしは自分のブログ「二筋縄。」について20点という点数をつけておいたのだ。なぜ、20点か。100点だの90点だと、一見良さそうに感じるんだけども、まぁ、採点としてはありがちで面白くない点数なのだ。それが、70点とか50点だと妙に信憑性があって、これも見たくなくなる。それが20点とあれば、明らかに落第点であり、どういうものなのか見てみたくなっても不思議ではない。

 せっかくそういう点数をつけておいたのに誰かが奇特なことに100点を入れてくださったようで、現在、平均点として60点が表示されている。いやぁ、ドツボな点数になってしまって、あららら、と思っているところです。まぁ、機能もいまひとつ意味不明、シャレで登録しているだけなので、効果も特には気にはしてないんですけどね。

 あ、皆さん、もしよろしければ、10点とかがんがん入れて、ドツボなブログにしてやってくださいな。そうして頂くとあたしとしてはありがたいです(笑)

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2005.05.05

蔵書印の作成を開始しました

 ということで、さっそく、蔵書印の作成を印ターネットさんに、お願いしました。

 今朝、早朝にオーダーを出して、昼過ぎに第1回目のデザイン案がメールにて送られてきました。画数が少ない姓なので、想像通り、見た目が弱くなってました。すぐに修正案をメールで送って、手直ししてもらうようにしました。

 こういう感じで理想に近いデザインに持って行けるお店って少ないので助かります。たいていはすでに完成しているものを見て、許容範囲か否かで買うのが、まぁ、安全。新規で作ってもらうとかする場合、打ち合わせが初回のみとかで「あいたた」になったこと多かったですしね。20mm角で手彫6,500円は破格でもあります。

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蔵書印と蔵書票

 いきなり欲しくなったもの。蔵書印と蔵書票である。蔵書印は自分の蔵書であるという証明に判をつくもので、蔵書票は表紙の見返しに名前等の入った固有のカードを貼り付けるもの。

 蔵書印は中学生から大学に入ってしばらくまで使っていた。紀伊國屋で買った大量生産のゴム印タイプのヤツ。家にある表紙の色褪せた本の奥付をみるとたいてい蔵書印が押されている。いつの間にか判がなくなったので捺さなくなっていた。蔵書印を捺していると途端に古書店では売れなくなるはずであるが、そもそも売る気はないから捺していた方が気分がよい。

 蔵書印の作成に関しては印ターネットが良さそう。規格という感じのものがなく、相談に応じて一から作ってもらえそうな感じだ。作例も豊富で色んな感じのものがあるというのが実に頼もしい。

 蔵書票に関しては難しい。惠文社では20枚800円とかで既成のものも売られているが、これだと他の誰かと重複するし、色気がない。版画でオリジナルのものを作ってくれるところがないかネットで検索してみるとそろり文庫というのが見つかる。ただし、ここは判を呉れるのではなく、刷った票自体を売ってくれるようだ。5枚3,000円から50枚22,000円の価格コース。1枚600~440円ということ。う~ん、高い。石版画の完成作品を売るという感じなんでしょう。

 蔵書票については自分で作ってみるというのもいいかもしれない。今年の課題にしてみようかなどと思ったりもしてみる。

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2005.05.04

本の価格は5円

 森田芳光『黒い家』の原作はこれ。


黒い家

貴志 祐介 (著)
単行本: 365 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 角川書店 ; ISBN: 4048730568
(1997/06)


 今回は本の内容ではなくって、本の売られ方の話。

 上の本の紹介はアマゾンのサイトにリンクしているんだけども、新品が1,575円で売られている側でマーケットプレイスでユーズド品が5円から売られている。これはいったいどういうことなんだろうね。

 5円と言っても買い手には更に送料が340円が加算され、売り手にそのうちの240円程が入金される。クロネコのメール便を用いると結果として100円ちょっとの益になる。まぁ、ブックオフの店舗でも100円均一とかで売られているから、実質同じようなもんなんだろうけど、もろもろを考慮した価格であったとしても、こういう値段をつけられるとやっぱりショックを受けてしまう。

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森田芳光『黒い家』(99)☆☆☆★★

 日本映画専門チャンネルで観る。公開当時から大竹しのぶの演技のことは噂に聞いていたが、観るに至るまで5年かかってしまった。


黒い家

監督: 森田芳光
出演: 内野聖陽, 大竹しのぶ


 森田芳光という監督はもともとからあまり評価していない。映研の仲間うちでは漱石原作の『それから』(85)が評判になっていたが、どうしても理解できなかった。表面的なスタイルの斬新さだけしか見えてこないのである。松田優作は根強い人気があったし(あたしはその乱暴さが嫌いであるが)、そういうのが評価には影響してたと思っている。今回の作品も同じ。スタイルしか見えず、どうもしっくりこない。そのスタイルとはなんぞや、と言われると困るんだけども、ああ、やっているなという感じの類のもの。キューブリックはスタイリッシュな映画を撮るけど、完全に板についている。その形式を用いないとその作品は表現されえないと思わせる。スタイルが作品世界である。森田芳光のスタイルには思いつき程度のチープさがいつも漂っている。しかもそれを売りにしているようなところあるからどうしようもなさがある。

 大竹の演技なのだけども、もともとのハッキリしなさがデフォルメされているという感じ。ハッキリしない人間が惨いことをするから、ギャップが激しい。そういった相乗効果はあるのかも。

 製作に三沢和子さんの名前がある。懐かしい。この人、20年前の映研時代に、湯布院の映画祭のパーティで話をしたことがあって、当時も森田作品の製作(プロデュース)をしていた。名刺を貰って、新しく公開する映画の感想を事務所に送ってね、と言われた。なんの映画の上映で招待されていたのか覚えていない。森田監督の奥さんだった人だけど、今も奥さんをしているのだろうか。ライス長官に似た感じの人だった。

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過去に向かう意識

 どちらかと言えば関心事が過去の出来事にあって、こちらはすでに忘却の彼方にある10年前のことをついさっきのことのように言われるのは堪りません。うちのカミさんの話です。

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2005.05.03

岩波書店『よむ』94年2月号 特集・ 軍艦島閉山20年

 軍艦島に関しての書籍を入手。91年4月号から94年7月号まで40巻発行された岩波書店の月刊誌『よむ』の94年2月号である。


月刊『よむ』94年2月号

岩波書店
64p;A4


 ちなみに購入したのはこの一巻のみではなく、40巻すべてである。この号(定価430円)に関してはオークションで8,000円以上の高値で取引される。ネットで見つけたのは全巻一括で12,000円(+送料1,050円)だった。

 資料としては元住民のインタビューもあり、まぁまぁといったところ。とはいえ、20ページ程の特集目当てに8,000円の出費はどう考えても高い。高過ぎる。

 『よむ』はおおよそ60ページ強のやや薄めの雑誌で、毎回、色んなものを読み解く。戦争、車、日本映画、ドラえもん、ナウシカ等々。ただ編集が浅いという感じがあり、もう一つ物足りなさがある。比較の対象にはならないと思うけども『ユリイカ』は価格の高めの雑誌であるが、編集は非常に強力である。『よむ』が4年で終刊になっても仕方ないかなと思う。

 ただひとつ『よむ』を高く評価したいのは、最終号にて40冊分の記事のデータベース(索引)を作成し掲載していること。雑誌も年度の最終号、及び、数年に一度、索引を掲載すれば、利用価値が何十倍にもなると思うのだが、ほとんどのものは実施しておらず、非常に残念である。

 とりあえず、これで軍艦島関係の書籍収集はひとまず打ち止めにしよう...と思う。

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長与千種

 長与千種ってプロレスしている人なんですかね、CATVでチャンネル回していると引退発表しているところをやってて、思わず見入ってしまいました。

 この人って典型的な可愛いおばちゃん顔してますね。調べてみると年齢的にも40歳過ぎたところで、まさしくおばちゃんに入りかけの頃。こんな人が良さそうで人懐こそうな顔をして格闘技とはちょっと想像もつかないです。プロレスしててホント柄の悪い人いますが、この人はそうではないですね。

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2005.05.02

ブログと掲示板

 ブログを始めてようやく2ヶ月弱になる。ブログをする前から想像していたブログのデメリットはまんまで、思わぬメリットがあったかというとそれも特にはなかった、というのが実情である。

 全くなかったというと嘘になる。クーロンズ・ゲート-九龍風水傅-という記事を何も考えずにここにTBしたのだが、このブログはクーロンズ・ゲートのディレクターの木村央志さんのものだった。TBしたことにより木村さんからコメントを頂いた。こういう思わぬ巡り合わせは今まで経験がなかった。

 95年から@niftyのフォーラム(会議室)をはじめ、フォーラムが衰退し始めてからは3年程は2ちゃんねるを利用している。何れにせよ、掲示板と引っくるめて称されるものをメインに使っていた。ここでいう使うとは他人の発言を読み、また自分も発言をするということである。

 掲示板はいろいろあるけども、この2つに関しては特筆すべきものがあった。専用ブラウジングソフトを使えば一覧性が著しく向上し、またレスをつける等の参加もし易くなるという点である。発言が個別のタイトルだけ表示され、内容を見るためにクリックして先に進み、更に続く発言を見るためには戻って...などというシステムを持つ掲示板も見られるが、とにかく使い勝手が悪く「見るな」と言われているような気分になり、実際に活用したことはない。そして、少なくとも千から万単位の莫大な数の利用者がいるという事である。

 一覧性の良さ、及び、膨大な数の参加者によって何がもたらされるのかというと情報の自動収集である。参加している個々の人間が断片的な情報しかもっていない場合でも、それが蓄積することによって有益なものとなる。

 ブログの性格は通常のホームページを記事単位で断片化し、それをTBによってリンクさせることにより、内容を発展させるものである。発展はコメントによっても行われるが、これはローカルであり一時的である。ブログの記事は掲示板と比べると基本は独立したものであり、集約がなされていないため、検索サイト等によっての発見が必要不可欠となる。あるライターの書く内容に惚れ込んでそのブログを定期的に閲覧するというスタイルをとる場合もあるが、何かの情報を仕入れたい場合は不特定のブログを検索によりさ迷う結果となる。

 HOTWIREDではこれまで幾度となく、ブログの利便性がしきりに強調されていたが、実際にはどうなのだろうかと思う。HOTWIREDはアメリカ発のウェッブ記事であり、日本独自のものではない。アメリカで掲示板が発達したかというとそういう印象もないし、むしろ、韓国とか中国の方が発展しているような感じである。国民性というのも無視できない要素だと思う。

 WIREDは『ワイアード 日本語版』として同朋舎から月刊誌として出版されていたことがある。創刊号は95年1月、最終号は98年11月と通巻45号で終焉を向かえたが、デジタル世代を読み解くという内容、そして紙面デザインは斬新だった。創刊号から最終号までリアルタイムで愛読させてもらった雑誌である。ちなみに現在のサイトの運営は雑誌版とは運営者も編集者も異なっている。

 ネット人口が増えるにつれ、そのスタイルが変遷するのは当然であるが、ブログが言われているほど優れているとは思えない。まぁ、日記サイトを持つのなら今までのものより、TB受付け可能なブログ形式の方がよいだろうというレベルである。

 かく言う自分がどうしてブログをしているのかという事なのだが、本来はフォーラム形式の掲示板がよいと思いつつも2ちゃんねるでは長文が嫌われ、さわりのみが必要とされるため、文章化というものはものごとを消化するに必要不可欠なものであるし、TBやらコメントという微かな発展を期待しつつ、日々、第三者によって読まれているのか読まれていないのか判らない駄文を吐き出しているという訳である。

 ちなみにこのブログのカウンターを主にのばしているのはウェッブ検索によりここに辿り着いたものであり、しかも90%強を占めている。果たして、彼らにとって有用な情報はあったのだろうか?

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2005.05.01

書店で

 昨日の残業は定時に解放させてもらえたので、帰りに紀伊國屋に寄る。立ち寄るのは数年ぶり。

 本棚を眺めていると、声を掛けられる。「別人だと困るからしばらく様子を見てたんだけど、やっぱり間違いないようだったから...」 10数年前にやってた映画愛好家の集まりのメンバーさんだった。母体となっていた映画館が潰れたことと、あたしが結婚して家庭にこもり気味になったことで、集まりは自然消滅になってしまっていた。

 メンバーさんだというのはすぐに思い出せたが、10年来会っていなかったので、名前が思い出せない。名前が判らなくても関係は掴めているので、差し障りのない雑談を数分してから別れた。幸いにも帰ってから名前も思い出し、もやもやすることはなかった。

 声を掛けられるのはいいんだけど、まったく誰か判らないときがある。同じくその書店で、就職して間もなくの頃に誰かから声を掛けられた。向うはちゃんと名前で呼んでくるから、(元)知り合いだというのは間違いない。妙にタメ口で親しくしてくる割にはこちらには心当たりがないから厄介である。本当に向うが言ってくることに適当に言葉をあわせて、その場をやり過ごした。結局、彼が何者だったのか判らなかった。

 地方都市で主だった書店とかに行くと知り合いによくであう。ちょっとしたスリルがある。

 そうそう、書店にいって新刊を買わなくなった理由がひとつ判った。大抵はバイクで移動するんだけど、カゴに本を入れると買えるまでに思い切り傷がついてたりする。どの道、読んでいるうちに痛むから気にしなくてもいいようなもんなんだけど、やはりそういうのって悲しかったりするのだ。

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