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2005.04.17

つげ義春と大友克洋

 つげ義春と大友克洋はともに好きな漫画家である。ただし、つげ義春は66年以降の貸本をやめて「ガロ」に発表し始めた頃から、また、大友克洋は作品集的には処女作品集から「童夢」を出す以前のものがいい。

 このふたりの作家の好きな時代では、主に日常生活が描かれている。起承転結というドラマが主体ではなく、淡々としているのかいないのかよく判らない日常が切りとられている。そのあたりが堪らないのだ。

 つげ義春に関しては諦観の視線で日常が見つめられる。しかし、決して自棄になっているわけではない。生にしがみ付きながらも、どうしようもなく、結果どこか諦めているような感じ。水木しげるのアシスタントをしていたこともあり、背景の書き込みの細かさかなりのものだ。黒っぽい画面の中に漂う諦観。

 一方、大友克洋は空元気という感じか。ドンチャン騒ぎの中に冷静にそれを見つめている著者がいる。白い画面に見え隠れするこのギャップが非常に心地よい。「童夢」以降については緻密さばかりが目に入るようになってちっとも面白くなくなってしまった。

 両極端にあるようなふたりの作家であるが、かれらの作品は読了後も永遠に続いているように感じられ、そこに惹かれる。そして、双方とも20年来のファンをさせて頂いている。

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